【14-11】習近平の反腐敗と囚人のジレンマ
2014年12月24日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2014年、中国で起きたことを振り返れば、もっとも印象に残るのは習近平国家主席が進める反腐敗である。共産党幹部の腐敗は今分かったことではない。今回の反腐敗であらためて共産党幹部の腐敗が確認されているが、びっくりしたのはその金額である。たとえば、周永康という共産党中央委員会常務委員だった最高指導者の一人は、円換算で2兆円もの賄賂をもらったといわれている。同時に、多数の女性と不適切な関係を持ったとも報じられている。
まず、このレベルの幹部は買物する必要性がほとんどない。日常生活において特別な供給システムがあり、そこに注文すれば自動的に最高品質のものが届けられる。家はすべて国が用意する高級住宅であり、車も公用車である。実に不思議な事件だ。そして、多数の女性と不適切な関係を持ったことについて、倫理と道徳の問題だが、双方が同意のうえで暴行していなければ、罪にはならない。しかも、共産党中央委員会常務委員レベルだと、24時間警護され、自由などはまるでない。その秘書や警護のSPの間で相当の噂が出るはずだが、なぜ問題がここまで大きく発展してからようやく取り調べを受けるようになったのか。ここで問われているのは共産党内部の監視システムの効果である。
中国国内の専門家の多くは周永康事件について刑事事件よりも政治事件とみている。すなわち、権力闘争で負けたので、逮捕されているのである。振り返れば十数年前に、作家梁暁声は小説のなかで、「共産党幹部は課長以上のものを全員逮捕しても、冤罪は1割程度しかない」と警鐘を鳴らしていた。今はおそらく冤罪率がゼロに近い。
1.「運動式」の反腐敗の限界性
中国共産党の反腐敗は「運動式」のものといわれている。すなわち、平時のときは反腐敗などまったく行わないが、看過できなくなるほど腐敗が進行すると、日本人の年末の大掃除のように腐敗幹部を一掃する。問題は誰が腐敗しているかよりも、誰を摘発するかにある。
かつて、毛沢東は反右派運動を展開したことがある。右派とは反社会主義の知識人や共産党幹部のことである。右派と認定されれば、職場で同僚たちの批判を受けるだけでなく、農村へ下放されるはめとなり、その人のキャリアにとり大きなマイナスとなった。しかし、当時、知識人のほとんどは反社会主義ではなく、政府の間違った政策に異議を唱えるだけだった。
トップダウンの命令でそれぞれ政府機関や国営企業などで摘発しなければならない右派の人数がノルマとして課されていた。たとえば、100人いた政府部門では、最低5人の右派を摘発しなければならない場合、ババ抜きのような反右派運動が全国的に展開された。公式発表によれば、当時、少なくとも55万人の知識人と共産党幹部が右派と認定されたといわれている。のちの研究で明らかになったが、当時、積極的に国家建設について提言していた幹部や知識人のほとんどが右派とされた。
しかし、右派と認定される過程でそれなりの証拠がなければならない。そこで考案されたのは「検挙」システムである。ここでいう「検挙」とは日本語の検挙とまったく意味が違う。密告のことである。今では、内部告発という言い方もあろう。しかし、こうした密告は必ずしも事実に基づくものではなく、多くの場合、密告者はある同僚に対する不満があれば、故意にその同僚を密告する。したがって、こうした密告には無実のケースも少なくなかった。往々にしてその密告事項が確かめられることなく、密告された者がそのまま右派と認定され、農村へと下放された。
江沢民の時代、「三講教育」という運動が展開された。「三講教育」とは、学習を講じる、政治を講じる、正義を講じる、である。しかし、党組織においてこの「三講教育」は党員たちが互いに批判しあう運動になりかけた。党員には、こうした政治運動に対する「免疫」がある程度できたことで、「自分に問題があれば、それぞれ自白してもいいが、他人を密告すれば、必ずや自分も密告される」という言い方が党員の間で一時期流行っていた。こうした動きから運動式の反腐敗はほとんど効果を上げることができなくなっていると思われる。
2.囚人のジレンマ
経済学では、囚人のジレンマという命題がある。囚人のジレンマとは、二人の囚人が互いに裏切った場合、それぞれ5年の刑を受けるのに対して、互いに協力しあって裏切らない場合、それぞれ2年の刑を受けることになる、という設定である。ちなみに、一方が頑なに裏切らず、もう一方が相手を裏切った場合、裏切ったほうが免罪となり、裏切られたほうが10年の刑を受ける。中国で行われている反腐敗は共産党員にとりまさに囚人のジレンマのようなものである。
周永康や薄煕来のほんとうの「罪」は政権転覆罪である。それと関係する幹部も逮捕されている。問題はそれ以外の幹部も腐敗しているので、全員が逮捕されることはない。では、誰を腐敗幹部として逮捕するのだろうか。党員にとり摘発から逃れる方法の一つは同僚を密告することである。しかし、人を密告するといっても、自分も密告される可能性がある。そのためか最近、共産党幹部の「非正常死亡」、すなわち、自殺が増えている。
こうした難関に差し掛かると、多くの幹部は清廉潔白という言葉を思い出すようだ。しかし、平時のとき清廉潔白の者は出世できない。なぜならば、出世しようと思えば、上司に多少なりとも賄賂を贈らなければならない。自分が部下に推薦状を書く立場になると、部下から賄賂をもらう。企業などの関係者に便宜を図る場合、その対価の賄賂が送られる。これをもらってはいけないと分かっても、企業の人は「ほかの幹部にも贈ったよ」という。ここでもしその賄賂をもらわなければ、完全に仲間外れになる。このゲームは交差点で信号無視をする歩行者とよく似ている。多くの仲間と交差点を渡るとき、ほかの人はみんな赤信号を無視して渡っているが、自分だけが青信号を待つには相当の勇気がいると思われる。その場合、多くの人はみんなで渡れば怖くないと思い、いっしょに赤信号を無視して渡ってしまう。
したがって、反腐敗を行わなければならないが、なぜ幹部たちが腐敗するかの原因を究明することも重要である。こんなに多くの幹部が腐敗するのは腐敗幹部個人のモラルの問題というよりも、制度に問題があるといわざるを得ない。国民に監視されず透明性のない権力構造ゆえに腐敗が蔓延るのである。腐敗が行き過ぎてから大掃除のように一掃しても、新たに抜擢される幹部もしばらくすると、同じように腐敗する。このゲームのなかで国民の存在だけが忘れられている。