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【15-08】天津大爆発の教訓

2015年 8月27日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 多くの日本人にとって天津といえば、天津甘栗や天津丼が思い浮かぶだろう。しかし、実際に天津に行ってみれば、天津では、甘栗は取れないうえ、天津丼という食べ物は存在しない。天津といえば、「狗不理」という小さな肉まんが有名。中国語では、狗不理とは犬も相手にしないという意味だが、この意味からすると「狗不理」の肉まんはおいしいはずがない。しかし、狗不理という肉まんの名前の由来は、店にいた小さな子どもの「狗仔」(子犬)というあだ名からだった。「狗仔」はとても意地っ張りな子どもで、意地を張ると、子犬が遊びに来ても相手にしなかったから、その店で売られた肉まんは「狗不理」と名付けられたといわれている。

 天津は中国有数の不凍港であり、町そのものは海河という河に沿って作られたものである。清王朝の末期、中国が西欧列強に侵略され、天津はイギリスの租界になった。天津市の旧市街の中心部に行けば、今でもイギリス風建物が多数残されている。

 天津について文化的に有名なのは漫才である。首都北京からわずか120キロしか離れていない天津だが、その方言は北京とまったく違う独特なものである。今、中国の多くの都市には、漫才があるが、漫才の発祥の地は天津だといわれている。天津は産業の街でありながら、文化の街でもある。

 しかし、天津の経済は首都北京に近すぎるためその発展が抑制されている。とくに、社会主義国・中国が建国されてからは北京の開発が優先され、天津がいろいろな意味で犠牲にされた。「改革・開放」政策以降、市場開放は南の広東から始まり、1990年代に入り、開発の重点は広東から上海に移り、天津で本格的に開発の気運が高まったのは、胡錦濤政権のときだった。胡錦濤政権の首相は温家宝だったが、温家宝は天津の出身だった。故郷に錦を飾るために、温家宝首相(当時)は環渤海湾開発を進め、その中心は天津港の開発だった。

大爆発の教訓

 天津の産業といえば、輸送機器、機械、電子、石油化学とバイオなどが有名である。天津の港が急成長する背景として、広い後背地を有することがあげられる。しかし、工業団地としての天津の経済開発区について一つの欠点がある。それは酷い塩害であり、精密機器や半導体産業にとり不向きだった。しかし、天津出身の指導者(李瑞環、温家宝)の努力により自動車およびその部品メーカーと電子産業企業は多数天津に進出している。

 天津港は貨物取扱量から世界4番目の港といわれている。北京市、河北省、河南省、山西省など華北地区のほとんどの企業にとり天津は最も重要な輸出用の港である。しかし、天津港の化学薬品倉庫で大爆発が起き、200人ほど死傷したといわれている。テレビなどの映像をみるかぎり、それは薬品倉庫の爆発というよりも、まるで軍の弾薬庫が爆発したように感じられる。

 天津の港は「浜海開発区」として特別に認可されたいわば特区である。旧市街地から離れているが、モノレールによって結ばれている。天津市内に住んでいる人にとっても通勤が便利であることは浜海開発区の売りだった。近年、この開発区の凄まじい発展と天津市の再開発により、開発区内でも大規模なマンションやアパートの開発が進められた。

 港であるため、天津港も倉庫やロジスティックなどの物流基地も建設されている。景気のいいときは、輸出が順調に行われるので、荷物の滞留はほとんどなかったが、近年、世界的な景気後退と中国の人件費の上昇および人民元の切り下げにより輸出が大きく落ち込み、それを受けて港の倉庫に荷物が滞留するようになった。このことは、今回、天津港の倉庫が爆発する遠因の一つと考えられる。

 翻って日本では、倉庫のみならず、普通のオフィスでも定期的に消防訓練が実施される。それに対して、中国では、消防訓練はほとんど行われない。天津市政府は今回の爆発の原因について詳しく発表していないが、種々の報道を総合してその原因について次のように推察できる。

 まず、倉庫にさまざまな輸出用の薬品が滞留していた。それを積み上げる仕事は丁寧に行われていなかった。いずれかの原因で異なる薬品が混ざって化学反応が起こり出火した。通報を受けた消防局は現場へ駆けつけたが、出火原因および倉庫に保管されている薬品の種類などを確認せず、放水して消火を試みた。その水が化学薬品と化学反応し、大きな爆発を引き起こした。

出口がみえない大爆発の後遺症

 悲劇だったのは、爆発で犠牲になった100人以上の死者だけでなく、当該薬品倉庫の3キロ以内に立っているマンションとアパートが破壊され、約17000世帯が帰れる家を失ったのである。政府はこれらのマンションとアパートを修繕する提案を示したが、有毒薬品の影響を心配する住民は政府によるマンションとアパートの買い取りを求めている。

 こうした事故の責任を明らかにしなければ、政府は住民からマンションとアパートを買い取ることができない。天津市公安局は早い段階で爆発した倉庫を所有する企業の経営者と幹部を拘束した。しかし、犯罪事件ではないのに、なぜこれらの責任者を拘束したのだろうか。

 爆発事故のあと、最初に記者会見したのは事故と直接関係のない環境保護局の幹部と大学の教授らのグループだった。事件の真相を解明するには、まず倉庫の経営者と幹部はそのなかにどのような薬品が保管されているかを説明しなければならない。そして、それを裏付けるために、薬品を輸出するために、税関に申告書が提出されているはずなので、税関局長は記者会見すべきである。さらに、初動の消化活動について消防局長も記者会見すべきである。

 習近平国家主席は早い段階から今回の事故原因を徹底調査しその責任を徹底追及すると指示したといわれている。しかし、実際の動きをみると、インターネットでの情報統制が徹底的に行われている。政府は情報統制の理由としてネットで嘘の情報やデマなどが多数流されているといわれている。しかし、嘘とデマを打ち消す一番いい方法は真実を明らかにすることである。

 天津港の爆発は決してレアケースではなく、氷山の一角とみるべきであろう。事故の真実すら明らかにされない状況では、その教訓を汲み取ることはできない。天津市幹部の記者会見を聞くかぎり、責任逃れを図っているようにしか感じられない。習近平国家主席と李克強首相は責任追及を意気込んでいるが、時間が経つにつれ風化してしまう可能性が高い。その結果、同じような事故が繰り返される。