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【15-11】中国の方言

2015年11月25日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 昔、上海市役所でヒアリングを行ったときのことだが、会議室のテーブルの上に「請説普通話(標準語で話してください)」のプレートが置かれていた。なぜなら、上海の人が上海語を話したら、それ以外の人はちんぷんかんぷんだからである。日本でもそれぞれの地方に方言があるが、互いに通じないケースは比較的少ない。

 上海市長を務めたことのある朱鎔基元首相は湖南省の出身で上海語が通じないはずである。江沢民元国家主席は揚州人で一応上海語が通じるが、上海では、「蘇北人」(江蘇省北部の人)が独特の発音で上海語を話すため、田舎者と馬鹿にされる。上海には、日本のコントのような「独脚劇」という演劇があるが、そのなかでいつも風刺の対象にされるのは「蘇北人」である。

 実は、方言というものはその地域のアイデンティティを形成する重要な媒体である。かつて、華僑が海外に出かけて「同郷会」を形成するが、同じ地域の出身者ということもあり、何よりも重視されたのは同じ方言を話す点である。昔から、大学や兵隊で集団的な喧嘩が起きる場合、その大半は同じ方言を話すものでグルーピングされる。人々は同じ方言を話す者同士で結束しやすい傾向がある。

 1990年代、アメリカのCIAの研究チームはソ連の崩壊を受けて、中国がどのような形で分裂するかについて研究が行われた。その研究の一つの結論は、中国が方言ごとに分裂するというものだった。このチームは中国の地図を上海語、広東語、四川語、湖南語、天津語などのように色を塗り分けたところ、見事なブロッキングにみえた。中国の現実はこの研究の結論通りにならなかったが、研究の結論そのものは無意味ではなかった。

方言が消えた

 毛沢東の時代、地方のラジオ局による方言放送がすべて禁止された。その理由ははっきりしていないが、どうも中央政府への結束を図るためのようだった。しかし、毛沢東自身は死ぬまで標準語を話そうとせず、いつも湖南語で演説していた。同様に、鄧小平も標準語を話さず、四川語を話していた。ちなみに、趙紫陽は河南語だった。ようやく江沢民になってから、揚州語ではなく、揚州なまりの標準語を話すようになった。胡錦濤は安徽省の出身でその標準語に安徽のなまりが混じっている。共産党指導者のなかで習近平国家主席ははじめて標準語が話せる人である。

 方言が消え、人々が標準語を話すようになったこうした変化はこの20年のことと思われる。では、なぜ標準語が普及できたのだろうか。言語学者の研究によれば、ラジオとテレビの普及により標準語が普及したといわれている。実は、ラジオとテレビを通じて標準語が大半の中国人は聞き取れるようになったが、それを真似して標準語を話す人は多くなかった。

 20年前に、広東省に出張したときに、レストランで料理を注文しようと思ったが、標準語を話してもほとんど通じなかった。今、広東省のどこでも標準語が通じないレストランはまず見つからない。実は、標準語の普及にもっとも貢献しているのは内陸地方から来た出稼ぎ労働者である。たとえば、四川省、雲南省、貴州省、湖南省などからの出稼ぎ労働者は広東語が話せないうえ、学ぼうとも思わない。広東人はこれらの出稼ぎ労働者と話をするとき、仕方なく標準語を話さざるを得ない。

 むろん、標準語の普及に貢献しているのは何も出稼ぎ労働者だけでなく、エリートの人たちの移民も重要な役割を果たしている。たとえば、深センや珠海といった広東省の新興都市に行くと、その役所の幹部の大半は中国東北出身である。

 要するに、中国で標準語が普及できたのは、ラジオやテレビなどの電波によるものではなく、人的移動によるところが大きい。しかし、これ以上方言が姿を消すと、逆に心配されることが現れてくる。すなわち、方言に含まれる様々な文化が壊されるのではないかという危惧である。

中国人のアイデンティティ

 社会主義中国になってから中国政府は愛国教育の一環として中国人による中国への帰属意識の強化を図ってきた。しかし、もともと中国人が中国の人である以前に、それぞれが帰属する郷里の意識が強かった。要するに、もともと中国人にとって中国は世界の中心であり、そのなかで自分がどこに帰属するかは、国よりも郷里であると考える。たとえば、海外にあるチャイナタウン(中華街)において華僑は、「福建幇」とか「潮州(広東の一部)幇」というように分かれている。したがって、中国人のアイデンティティは国ではなく郷里、ということになる。

 今の中国では、方言が姿を消しつつあるため、郷里への帰属意識は大きく後退している。問題は、郷里への帰属意識が後退しているからといって、国への帰属意識が強化されるかどうかは定かではない点である。最近の若者は海外に移民するとき、何の抵抗もなく、行き先の国に帰化する傾向が強い。

 30年前に、鄧小平が「改革・開放」政策を進めたが、国への求心力を強化するための工作もなされていた。当時、華僑の歌手が中国政府に招待され、「わが中国の心」という歌を歌い、人々の愛国精神が喚起された。その歌詞には、「世界のどこへ行っても、わが心は永遠に中国の心である」という一文がある。

 共産党は統治を続けるために、中国人の国への帰属意識を高める必要がある。要するに、共産党の文脈では、中国人のアイデンティティはその郷里への帰属意識ではなく、国への帰属意識を高めることである。ここでは、国といった場合、往々にして共産党と同義語である。すなわち、愛国というのは愛党を意味する。

 ここで問題となるのは、郷里への帰属意識が後退するなかで、国への帰属意識がほんとうに高まるかどうかである。そして、方言が姿を消してしまえば、中国の世俗文化がどうなるかが心配される。

 日本に定住している筆者は、ときどき車を運転しながら、演歌を聞くことがあるが、日本の演歌の文化も危機的な状況にあるように感じる。日本人の若者はほとんど演歌を聞かない。同様に、中国には、各地方にその方言に由来する演劇や歌があるが、今となってこれらの演劇や歌は存続の危機に直面している。もともと標準語を普及させようとしたのは、政府・共産党への求心力を高めようとするためだったのかもしれないが、結果は逆効果かもしれない。