【16-01】褒める日本と叱る中国
2016年 1月29日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
日本と中国は同文同種であると、両国が似た者同士と昔からいわれている。しかし、筆者は日本に在住して27年経過した。自分の実体験からすれば、日中両国は似たところもあるが、相異点が思ったより多い。たとえば、日本人は子どもの教育について一般的に叱るよりも褒める。日本の学校でもし先生が学生を厳しく叱ると、訴えられる可能性がある。幼稚園では、毎日、「いい子」と褒められる。小学校では、先生は「よくできました」のハンコを持っている。
それに対して、中国は基本的に叱る文化である。たとえば、古い諺には、「厳父出孝子」という言い方がある。その意味は厳しく叱る親のもとで親孝行する子どもが生まれる。むろん、叱るのは親だけではなく、学校でも同じである。筆者が中学と高校のとき、担任の先生はほぼ毎日クラスで誰かを怒鳴って叱る。中学校のとき、上の学年のあるクラスのことだが、ある日、模試で点数が悪かったある優等生が先生に「これでお前は大学に受かると思うのか」と叱られた。筆者だったら、耐えられるが、その生徒は優等生だったので、その晩、走る列車に飛び込み自殺してしまった。その先輩の妹は筆者のクラスメートだった。親は大事な息子を失ったので、娘の大学受験を認めず、専門学校へ強引に進学させた。
イジメに弱い日本人
日本では、小学生や中学生など自殺のニュースが意外に多い。その原因の大半はイジメのようだ。振り返れば、筆者は小さいころ、しょっちゅうイジメに遭っていた。しかし、自殺を考えたことは一度もなかった。死んでたまるかと思ったからである。その代わりに、いじめられたら、いかにやり返すかのを考える。どうすればいいかというと、相手よりもっと強い人と仲良くしてこちらの同盟関係をもってイジメに対抗する。また、自分より強い奴とあまり衝突しないように普段から気を付けていた。こうすることで自分も少しずつ成長するようになった。これで社会への順応性が生まれるようになった。
むろん、今の中国人の若者は筆者の小さいころと比べ、だいぶ軟弱になってしまった。それは一人っ子政策によるところが大きい。今、30歳以下の人のほとんどは一人っ子であり、家のなかで過保護にされている。ちょっとしたことで親はわが子のために学校に乗り込んでくる。これでは子どもがイジメのなかで生き延びる技を身に着けるチャンスがほとんどない。
外国の中国ウォッチャーの中には中国の軍事予算の増額を理由によく中国脅威論を指摘するものがいるが、中国の若者の現実を考えれば、軍事予算が増え、武器が近代化しても人間が軟弱化していることから、いわれているほどの脅威にはならないのではなかろうか。少し前のことだが、ある北京の友人が子どもを連れて東京に旅行に来た。その一家を東京のあちらこちらへ連れていって案内した。道中、その小学生の息子と会話してみて分かった。とても勉強のよくできる子どもで、数学オリンピックの入賞者だった。
筆者が子どもの頃、夏になると、いつも蟋蟀を捕まえて蟋蟀相撲を楽しんでいた。古い本によると、中国では、蟋蟀相撲は2000年以上の歴史があるといわれている。しかし、北京から来た優等生に「蟋蟀、知っている」と聞いたら、「それは何?」といわれ、びっくりした。時代が変わり、子どもが育つ環境も変わっている。しかし、蟋蟀を知らなくても大丈夫だが、自然を知らなければ、将来、どのように生き延びるのだろうか。
優秀な人材の生活能力
褒める文化の基本的な考えは、子どもの潜在能力を褒めることで引き出していくことであろう。それに対して、叱る文化の中国では、人間は怠けものであるため、厳しく叱らなければ、真面目に勉強などに取り組まない。それぞれ一理のある考えのようだ。一般的にエリートを育てようとすると、ある程度厳しく叱らなければならないと思われる。その前提として、その子どもに才能がなければならない。
それに対して、大半の子どもは特殊な才能がなく、平凡な人生を送ることになる。平凡な人材を教育するには褒める文化のほうが人道的といえる。筆者の小さいころ、近所のあるうちの娘は親にバイオリンを習わされて、毎日、たいへんだった。というのは、その娘にはバイオリンの才能はなかったからである。
そこで、重要なのは、それぞれの人の生きる道とどういう才能があるかを見分けることである。唐の時代の李白は自らの詩に「天生我才必有用」といったことがある。すなわち、我には我の才能がありということである。要するに、それぞれの人はそれぞれの才能を持っている。それは本人が一番わかる。
今、中国では、海外留学はブームである。ときどき同級生や友人は私に自分の子どもの海外留学について相談に来る。しかし、その子どもが何を学ぶかについての相談はいっさい受け付けない。筆者からのアドバイスとしていつものことだが、生活能力がなければ、留学に出すべきではないと伝える。親から離れる子どものことを考えると、自分で生活する能力がなければ、留学は悲劇を生むことになる。
確かに世の中にとんでもない天才がいる。しかし、こうしたとんでもない天才を教育するのは英才教育だろうが、普通の教育制度は絶対多数の人を教育する平凡教育システムである。叱るほうがいいか、褒めるほうがいいかといえば、基本的には褒めるほうがいいと思われる。では、なぜ日本では、いじめられ、自殺する子どもが多いのだろうか。この問題の背景はあまりにも複雑で簡単に片づけられない。
この背景の一つは日本社会においてコミュニティが崩壊してしまったことであろう。都市部の生活において隣近所との付き合いはほとんどなくなった。子どものライフスタイルは孤独なものになっている。そして、家のなかでコミュニケーションがなくなった。親子の会話がなければ、子どもの悩みは解決されにくい。さらに、学校では、先生と子どもの距離は遠くなった。多くの子どもは漫画やアニメーションをみて育っているので、そのバーチャルの世界で生きているため、順応性が著しく低下している。
これに対して、中国では、都市部の子どもと農村部の子どもはまるで異なる世界で生活している。都市部の子どもは平凡な才能しかないのに、親はむりやり英才教育を行おうとする。一人っ子なのでほしいモノはなんでも買ってもらえる。メンタルの弱さは際立っている。一方、農村部の子どもは親が都市部へ出稼ぎに行っているので、孤独のなかで生活する。教育たるシステムはほとんどない。都市と農村の格差はさらに拡大していくものと思われる。
日中は子どもの教育についてそれぞれ異なる悩みを持っている。