【16-04】経済対策よりサッカー対策
2016年 5月 6日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
中国人にとってスポーツとは国威発揚の道具である。40年以上も前のことだが、中国のナショナルチームは世界卓球選手権で優勝し金メダルを獲得したとき、国中が歓喜し、その選手は国民的英雄となった。30年前に、中国の女子バレーは東洋の魔女と呼ばれる日本チームに勝ったときも、ほとんどの中国人が鼓舞され、心から国を愛する幸福感に包まれた。しかし、毛沢東の時代、中国のスポーツ方針といえば、「友誼第一、比賽第二」(試合の結果よりも、スポーツを通じて友情を深めるのが大事)が叫ばれていた。むろん、それは建前だった。
中国の小中学校の教科書に、「かつて中国人が東亜病夫といわれていた」と書かれている。それはアヘン戦争のときの中国人のことのようだった。この記述が教科書に盛り込まれたのは国民に対する戒めが目的だったようだ。すなわち、共産党は「国民よ強くなれ」と言っている。中国には日本のラジオ体操と同じようなものがある。体操が始まる前に、必ず国民に「体を鍛え、外敵の侵略に備えよ」との呼びかけがあった。70年代半ばまで、小学校のスポーツの授業は「軍事訓練」の授業と呼ばれていたほどだった。
今の中国では、スポーツを軍事訓練と位置づけることはない。しかし、スポーツが友情を深めるためというのは依然建前である。中国人にとってのスポーツ、たとえばオリンピックに参加することはやはり国力の強さを示す好機のようである。金メダルの数はその重要な指標である。
中国人が一番好きなスポーツ
中国人が一番好きなスポーツ種目は意外にも卓球ではなく、サッカーである。しかし、あらゆるスポーツの種目のなかで中国のサッカーはもっとも弱い部類に入る。なぜ中国では、サッカーが強くなれないのだろうか。中国のサッカー協会の幹部によれば、中国のサッカー人口が少なすぎるといわれている。サッカー人口が多ければ、裾野が広がり、ピラミッドの頂点も高くなる。きわめて単純でわかりやすい主張だが、必ずしも論理的ではない。
なぜサッカーが弱いかについて分析する前に、まずなぜ卓球が強いかをみる必要がある。基本的に中国人の国民性は個人主義である。卓球は基本的に個人プレーであり、中国人の国民性はそれにぴったり合っているといえる。個人プレーと個人主義は責任と義務がすべて明らかになっており、勝てば、その功績が個人に帰属する。だからこそ卓球選手はみんな必死に頑張る。
それに対して、サッカーはチームワークによる種目であり、一人や二人のエースの選手がいても、チーム全体が協力しなければ、試合には勝てない。しかも、サッカーの場合、シュートに成功し勝った場合、その功績が誰に帰属するかははっきりするが、相手チームに攻められ、負けた場合、その責任の所在は必ずしもはっきりしない。総じていえば、中国チームの支配をみると、オフェンスには積極的だが、ディフェンスにはそれほど積極的ではない。サッカーの難しいところは、試合のなかでときどきオフェンスとディフェンスが入れ替わり、互いに助けあわないといけないことである。中国チームの場合、ディフェンダーも攻めに加わろうとするが、フォワードはディフェンスにあまり加わろうとせず、相手チームに攻められたとき、守備が弱い。
しかし、サッカーはやはり面白いスポーツである。中国人はサッカーが大好きである。そのなかで、とくに習近平国家主席はサッカーが大好きなようだ。2年前に、中国建国以来のはじめての出来事だが、国務院のなかでサッカー振興担当の副総理が任命された。では、中国のサッカーは強くなるのだろうか。
サッカー振興の長期計画
中国では、国家発展改革委員会は産業政策の企画立案を専門に担当する巨大省庁である。同委員会は最近、「中国足球(サッカー)長期発展計画(2016-2050年)」を作成し、公表した。同計画は2016年から2020年までの短期計画、2020年から2030年までの中期計画と2030年から2050年までの長期計画からなっている。短期計画は基礎を固めることが中心である。そして、中期計画はサッカーの強国になることが目標である。さらに、長期計画は中国サッカーを全面的に底上げし、中華民族の復興を実現する。
同計画は具体的な政策も定めている。たとえば、2020年までに、全国のサッカー場を7万か所にし、1万人あたりのサッカー場保有は0.5-0.7か所にする。そして、2030年までに1万人あたりのサッカー場の保有は1か所以上にする。同じ時期に全国でサッカー学校を2万校に達し、常にサッカー運動に参加する人口は3000万人に到達するように努力し、サッカー運動に参加する人口は5000万人以上になるよう努力する。
中国建国以来、サッカーの振興にここまで意気込むのははじめてのことだった。毛沢東は自分がプールで泳ぐ以外、スポーツ観戦にほとんど興味がなかった。鄧小平はサッカー観戦が好きだったが、国家予算を投じてサッカーを振興しようと思うほどではなかった。習近平国家主席は熱烈なサッカーファンであるようだ。
しかし、今回の計画を入念に読んだ印象をいえば、サッカーを振興しようとする意気込みよりも、サッカー協会およびそれに関連する団体が財源の獲得に走っているようにみえる。すなわち、中国サッカーをどこまで強くするかの具体的な目標が盛り込まれず、サッカー場の建設やサッカー学校の設立などハードのインフラ整備が先行して考えられている。これでは、中国サッカーは強くなれない。
そもそも国家財政の配分は公平に行われなければならない。スポーツ振興であれば、サッカーだけでなく、その他のスポーツも公平に振興されなければならない。サッカーファンにとりサッカーを振興したい気持ちは理解できるが、2億人の貧困人口が存在するなかで、莫大な財政資金を一つのスポーツの振興に投じる合理性が十分に説明されていない。そもそもスポーツの振興はそのファンやスポンサーが支援して行うものであり、国家が全面的にバックアップするものではない。