【16-07】明治維新と中国の「改革・開放」の比較
2016年10月26日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
中国経済は急減速している。中国社会も以前より不安定になっているようである。何よりも、過去30年余りの経済発展にもかかわらず、幸せを感じない中国人が少なくない。振り返れば、今の中国人は30年前の中国人に比較して明らかに怒りっぽくなった。人々はなぜケンカするのだろうか。まず、心に不平不満を感じるからだろう。そして、心に余裕がなくなったからである。
30年あるいは40年前に比べ、今の中国人は物質的にいえば、明らかに豊かになった。かつて、北京や上海の大都市でも自転車だらけだったが、今は、世界でもっとも高級車がたくさん走っている都市は間違いなく中国の都市であろう。そして、35年前に中国人(都市部)の平均居住面積は3㎡程度だった。それに対して、今の中国人の平均居住面積は26㎡に拡大した。しかし、経済の発展と豊かな生活は必ずしも人々を幸せにすることができない。
だからこそ中国では、凶悪犯罪は増えている。政府の社会安定維持費は軍事予算よりも多く見積もられている。そのなかでとくに問題なのは共産党幹部の腐敗である。最近、摘発された河北省保定市の石炭局副局長の家から人民元、ドル、ユーロなど計2億元(約30億円)の現金が見つかったといわれている。もともと共産党は人民のために奉仕する政治政党のはずだが、なぜここまで腐敗したのだろうか。
明治維新からみる中国の「改革・開放」
しばらく前に、友人といっしょに拓殖大学前総長・学事顧問の渡辺利夫先生を訪ねた。そのときに、先生から新著「福沢諭吉の真実、士魂」を頂戴した。恥ずかしいことに、自分は中国人として中国史でさえ真面目に読んだことがない。日本で28年も生活してきたが、日本の歴史はまるで知らない。これを機に、渡辺先生の「士魂」を読んでみた。
いかなる本もそれを読む人によって読み取る意味は違ってくる。自分は福沢諭吉の士魂よりも、明治の時に日本人が改革に取り組む情熱にむしろ感動した次第である。というのは、明治維新の使節団は欧州に赴いたが、彼らは謙虚に欧州に制度、思想、哲学、文化、価値観などを学んで、それらを持ち帰った。日本人のこうした学習は古くは隋と唐にさかのぼることができる。かつて、遣隋使と遣唐使は中国に、制度と文化を学びに行った。実は、制度と文化を熱心に勉強する日本人は外国から技術を優先的に学ばなかったようだ。それはなぜだろうか。
一方、中国の「改革・開放」政策を考察すると、共産党幹部は先進国から制度や文化を学ぶよりも、技術の習得に何よりも熱心だったようだ。「改革・開放」初期、最高実力者だった鄧小平はアメリカを公式訪問した。彼はアメリカで裁判所などをみなかった。興味深く熱心にみたのはボーイングの工場だった。しかも、ボーイング旅客機のシミュレーターに乗り、飛行機の操縦をみずから体験した。その後、日本に来たとき、日本の制度や文化を視察することなく、新幹線に乗って感銘を受けたようだ。
中国の指導者は自分の国が制度や文化的に遅れていると思っておらず、技術的に遅れているとだけ思っているようだ。「改革・開放」前の中国では、旧ソ連の旅客機が主流だったが、「改革・開放」後、旧ソ連の旅客機が淘汰され、ボーイングとエアバスがたくさん導入された。しかし、制度の発展がなければ、技術の発展は持続不可能である。
福沢諭吉の教えによる示唆
福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という天賦人権説を唱えた。これは中国の孫文が信奉する「天下為公」と相通ずるはずである。また、福沢諭吉は「敬天愛人」を唱えた。同様に、孫文は「博愛」を信奉する。それに対して、毛沢東は国民に対して、「人定勝天」(人は必ず天に勝利する)と国民に唱えた。世の中に天理というものがある。残念ながら、毛沢東は常にそれに逆らおうとした。これは毛沢東時代の統治が失敗した根本的な原因だった。
鄧小平の改革は、半ば成功したようにみえるが、外国の制度と文化を学ばず、優れた先進国の価値観の受け入れを拒否した。1980年代前半、中国全土で「反対資産階級自由化」のキャンペーンが繰り広げられた。この政治キャンペーンが繰り広げられた背景には、当時、一部の知識人は民主化と自由化を政府に求めた。しかし、鄧小平本人は経済の自由化を認めるが、政治の自由化を絶対に認めなかった。このことは89年に起きた天安門事件の病根ともいえる。
あらためて日本の明治維新を振り返れば、日本は西洋から優れた制度、とくに司法制度と行政制度などを採り入れ、人権、民主、自由といった価値観まで受け入れた。福沢諭吉がいう啓蒙活動は明治維新のときに成功裏に行われた。
表面上、「改革・開放」が中国を近代化に導いたことは、明治維新が日本を近代化に導いたことと同等のようにみえるが、日本の近代化は制度の近代化から出発した。それに対して、中国の近代化は技術の近代化が中心だった。しかも、中国は先進国から基礎技術を学ばず、製品・商品にすぐにでも転換できる応用技術のみ学んだ。制度の近代化がなくして、技術の近代化は持続可能だろうか。
結論的にいえば、目下の景気減速についてテクニカルに分析してもその答えを明らかにすることはできない。ここで注目すべき点は制度の遅れである。民主化されていない政治制度こそ幹部が腐敗する温床である。ガバナンスやコンプライアンスといった言葉は中国で十分に理解されていない。司法は平等と公正を担保する制度だが、その前提は司法の独立性が担保されることである。
中国では、人権はいまだにタブーである。しかし、人権が保障されることでもっともメリットを享受するのは共産党幹部である。なぜならば、彼らは特権を享受しており、失脚したときに、はじめて自分の人権が十分に尊重されていないことに気が付く。普通の人民はそもそも人権が十分に尊重されていないため、失うものも少ない。人民は人権の尊重を求めているが、それを反対するのは共産党幹部である。実に理不尽な現象である。昨今、摘発された腐敗幹部が公正な裁判を受けているのだろうか。中国は制度の近代化を実現しなければ、社会は安定せず、技術の進歩も持続不可能と言わざるを得ない。