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【17-01】中国の環境汚染問題、被害者=加害者の事実

2017年 2月 3日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 中国で政府の幹部と環境問題の専門家に聞き取りしたところ、近年、政府と企業の努力により、PM2.5の濃度が高い日数は以前より減っており、大気汚染が改善されているという。しかし、2016年の年末から17年の正月にかけて、主要大都市では、PM2.5の濃度は軒並み危険水準に達し、北京など多くの大都市では、赤色の警報が発令された。

 個人的には、PM2.5が400μg/㎥程度の濃度を経験したことがあるが、河北地方の大都市では、1000μg/㎥に達したといわれている。この数値をみるだけで、絶望的になる。

 なぜ大気汚染は一向に改善されないのだろうか。

 中国国家環境保護部(省)の発表によれば、大気汚染の原因は、①工場排気、②自動車の排気、③家庭の石炭燃焼と④農家の野焼きといわれている。もしこの発表が正しければ、家庭の石炭燃焼は、ガスと電気の普及により、いくらか減らすことができるかもしれないが、それ以外の汚染源については、当面、増加傾向にあると思われる。したがって、都市部を中心にPM2.5の値は、気象条件にもよるが、高くなることがあると予想される。

 一般的に、環境汚染は政府、企業と住民のモラルハザードの結果といえる。中国では、政府が経済成長を促進するために、環境保全を二の次にしてきた結果、環境が犠牲になってしまった。同様に、企業も利益の最大化を追求するために、環境対策のコストを節約し、汚染物質を垂れ流ししてきた。その結果、住民の生活環境は急速に悪化した。否、住民も環境汚染に加担している。

 2017年の春節(旧正月)は1月28日だった。主要大都市では、春節の風物詩の爆竹が大気汚染の原因になるため、ルールでは禁止されている。しかし、ほとんどのすべての大都市では、住民は大気汚染の悪化をよそに、爆竹を従来通りに鳴らした。その結果、大みそか(27日)の夜から28日の未明にかけて、主要都市のPM2.5の値は急上昇し、町では、爆竹を鳴らしたあとのゴミも散乱していた。こうしてみれば、住民は大気汚染の被害者であると同時に、加害者でもあることがわかる。

環境破壊の行方

 そもそも中国には、環境保全の考えはなかった。「改革・開放」(1978年)前の中国で、環境破壊はすでに始まっていた。1950年代の後半、毛沢東は大躍進という運動を発動し、津々浦々で窯を作り、鉄を作っていた。燃料が足りないので、森林が伐採された。その結果、砂漠化が急速に進んだ。ただし、環境汚染はそれほどひどくなかった。なぜならば、工業の発展が遅れていたため、環境を汚染するほどの「力」がなかったのである。

 「改革・開放」以降、経済のキャッチアップに成功し、工業も急速に発展した。とくに、外資を誘致するなかで、沿海部を中心に大規模なケミカル工場や石油コンビナートなどの化学工場が多数建設された。これらの工場の環境対策が十分に講じられていなかったため、大気汚染と河川と海の水質汚染が急速に深刻化した。

 中国政府が作った規定によれば、外資を含む企業投資誘致において環境アセスメントに合格しなければならないことになっている。しかし、多くの地域と地方では、企業投資誘致を優先した結果、環境アセスメントをきちんと行なってこなかった。

 だいぶ昔のことだが、出張で中国の東南沿海部のある風光明媚な中堅都市を訪問し、商務局でインタビューを行った。商務局の仕事はまさに外資直接投資を誘致することである。商務局の幹部はこちらの質問に逐一答えたあと、「ぜひ外資直接投資の誘致を手伝ってほしい」と申し入れてきた。「どのような企業を誘致しようとしているでしょうか」と尋ねたら、「いかなる企業でもぜひ紹介していただきたい」といわれた。「しかし、ここは風光明媚な港町だから、重工業など環境を汚染する可能性のある企業はだめでしょう」と聞いたら、「大丈夫、環境アセスメントの値は、こちらで何とかします。業種についても、真面目に書かなくていいので」といわれた。

 たいへん豊かな港町でせっぱつまっているはずもないのに、どうしてここまで環境を犠牲にしようとしてまで、企業投資を誘致するのだろうかと不思議に思った。後になって振り返れば、きっと担当者は自らのノルマ達成、あるいは業績を上げるために、乱暴なことをやっているのだろう。

 考えてみれば、環境汚染はすべての人にとってマイナスの影響しかない。しかし、環境保全に関心を払う者は意外に少ない。とくに、大気汚染の場合、汚染された空気のなかで呼吸しても、すぐに重症になることがないため、人々は意外にも気にしていないようだ。たとえば、PM2.5の濃度は相当高くなっても、中国では、マスクをつける人は少ない。そして、河川などの水質汚染は、目に見えないため、汚染源の工場に抗議する人は少ない。もっといえば、大規模な環境汚染を目の前にして、多くの人は、私一人で何をしても、何もならないと考えてしまう。それよりも面倒なことを起こすよりも、誰かが何とかしてくれるだろうと期待する。逆にいえば、ほかの人が我慢できれば、自分も我慢できると思ってしまう人も少なくない。

 実際に、中国での環境破壊に立ち向かう事案をみると、汚染が自分の生活を直接脅かしている状況になれば、人々はやむなくそれに立ち向かうようになる。近年、いくつかの地方で、ゴミの焼却炉の設置を阻止しようとして住民が手段のひとつとして抗議活動を決行した事案が報告されている。また、日系の製紙工場が排水溝を設置することに対して、住民は立ち上がって、抗議したことも報道されている。

 しかし、農民は野菜作りやコメ作りに大量の化学肥料を施し、農薬を散布している。その結果、土壌が重金属に汚染されている。土壌の汚染は目に見えないため、その悪影響も慢性的なものになる。

 同様に、大気汚染の原因の一つは自動車の排気であるが、自動車を運転する人は加害者であると同時に、被害者でもある。ある日、北京出張のときに乗ったタクシーの運転手は痰を吐いたとき、血が混ざっていた。中国政府は、喘息、気管支炎と肺がんの患者のデータを発表していないため、実態を把握できないが、相当深刻なレベルにあることが推察される。環境汚染はいつになったら、改善されるのだろうか。環境汚染の被害者は自らも加害者であることを自覚すべきである。