【17-05】国によって異なるセミナーで講演するコツ
2017年 9月22日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
世界のいろいろな国で講演する筆者だが、セミナーでの一人当たりの講演時間が一番長いのは日本である。普通の場合、1時間か1時間半の講演が多い。なかには、2時間の講演もあったりする。それに対して、アメリカやヨーロッパでの講演は普通20分であり、長い場合でも、30分が限界であろう。中国はその中間かもしれない。日本より長いが、欧米より短い。
とくに、アメリカで30分以上講演すると、オーディエンス(聴講者)は静かに聞いてくれなくなることが多い。したがって、アメリカでのセミナーは講演というよりも、キックオフ、すなわち、問題提起という感じで簡単に論点を整理して終わるという段取りになる。それを受けて、オーディエンスは次から次へ質問してくる。それに対して、日本人のオーディエンスはあまり質問してこないので、講演者が長く講演するのが一般的である。
最近の講演会はパワーポイントを投影しながら話すのが一般的になっている。講演者にとりパワーポイントを見ながら話すのは、内容を忘れない、というメリットがある。オーディエンスにとっては、パワーポイントのデーターを確認しながら話を聞けるので、理解を深めることができる。デメリットはパワーポイントを投影すると、会場をうす暗くするので、長い講演になった場合、一部のオーディエンスは寝てしまうことがある。
実は、同じパワーポイントでも、日米中の講演者が作成するパワーポイントの資料はまったく違うといっていいほど異なるものになる。アメリカ人が作成するパワーポイント資料の基本は、すべてのパワーポイントは何を主張しているか、その趣旨をはっきりしないといけない。しかもできれば、すべてのパワーポイントのスライドのタイトルを質問系にしたほうがいいというのが常識である。たとえば、「北朝鮮と核実験」ではなく、「北朝鮮は次いつ核実験を強行するのか」というようにタイトルをつける。しかも、アメリカ人講演者はビジョン(展望)を語るのが大の得意である。しかしそのビジョンを実現するプロセスと中身についてほとんどしゃべらない。
それに対して、日本人が作成するパワーポイントの資料は、とにかくコンテンツ(データーや論点)をたくさん盛り込んですべてのスライドにたくさんの情報が押し込まれていて、オーディエンスはどういうふうに受け止めればいいか分からないほど盛りたくさんである。モノづくりの日本だから、部品をたくさん入れないと、講演者は落ち着かないだろう。しかし、その代わりに、講演者の主張とメッセージはぼやけて見えてこない(もっとも、データーが多いため、中身は非常に豊富であるが)。
一方、中国人講演者の講演はまったく異なる味になる。中国人講演者は往々にしてその話題の重要性や問題解決の決意について滔々と論ずるが、どのようなプロセスを踏まえ、どのようにして問題を解決するかについてほとんど言わない。
個人的に、セミナーは政策立案の場ではないと考えている。多くの場合、セミナーはむろん情報交換と情報収集の場だが、同時に、ある政策決定のための雰囲気を盛り上げるためのパフォーマンスでもある。アメリカで講演会に参加すると、ときどき国会議員があいさつに来ることがある。彼らの短いあいさつは決まり文句だが、パフォーマンスとして扇動力が抜群に強いものがある。それに対して、日本人の政治家や官僚のあいさつは遠慮なく言わせてもらえれば、乾燥無味のものが多い。
そのなかで滑稽なのは、中国のセミナーや会議である。政府の高官は演説やあいさつを行う場合、オーディエンスはほぼ全員ノートにメモを取る。往々にして、共産党高官の発言は、何か失言するといけないので、それを事前に印刷してオーディエンスに配布することが多い。その場では、幹部はそのまま棒読みするのが一般的である。にもかかわらず、オーディエンスたちは何をメモるのだろうか。
トータルしていえば、アメリカの講演会やセミナーはスピーカーのユーモアもあって、楽しいものが多い。日本のセミナーは長いため、疲れる。中国のセミナーや講演会は中身が乏しいので、退屈になる。そのまま退席するのは失礼なことになるため、本を読んだりパソコンをいじったりすることが多い。
むろん、最近、欧米など海外の留学組が帰国した「海亀」は少しずつ増えている。彼らの講演は欧米流なので、パフォーマンスとして一流の講演者が多い。グローバル化は世界をフラットにしている。日本も中国も徐々に講演会のスタイルと質を改善していくものと思われる。
最後に、セミナーと講演会の規模と回数はその国の国力とリンクするものと強調しておきたい。国力の弱い国は知的創造力がなく、講演会やセミナーの開催も少ない。アメリカの凄さはそこにある。ワシントンに行けばわかるように、毎日、たくさんのセミナーが開かれる。ワシントンはまさに情報の交差点になっている。かつては、技術のある国が国力を誇示できた。最近までは、金が国力の象徴だった。しかし、これからは、情報が国力の強弱を決める最も重要な変数となる。情報がなければ、どんなに優れた武器でも国を守ることができない。その情報は誰が作るのだろうか。シンクタンクの研究者である。シンクタンクは喩えて言えば、航海する船にとっての羅針盤のようなものである。さまざまな情報を収集し、それを解析し、進路を示すのはシンクタンクである。日本の進路はどこに向かっているのだろうか。