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【18-07】老いゆく中国社会の将来像

2018年9月26日

柯 隆

柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員

プロフィール詳細

 中国の高齢化問題は基本的に出生率低下による人口動態の歪みの問題である。しかも、出生率が低下したのは毛沢東時代の無謀な出産奨励の反動から来る人口爆発を力づくで抑制する一人っ子政策の結果である。かつて、1950年代と60年代、毛沢東は出産奨励に号令をかけた。その結果、人口が爆発的に増えたのに対して、経済成長が遅れ、中国社会は食糧難に陥った。

 その後、食糧難がいっそう深刻化し、食糧や日用品について配給制が導入された。ちなみに、配給制は都市部の人のみ適用され、農民が配給枠から排除された。1976年毛が死去し、夫人の江青女史をはじめとする四人組がクーデーターによって追放され、鄧小平が実権を握った。鄧小平は経済を立て直すために、まず行ったのは出産制限を目的とする一人っ子政策である。それによると、若者が結婚して一組の夫婦は子どもを一人しか出産できない。しかも農村で一人っ子の出産を順守させるために、一人目の子どもを出産した夫婦に対して強制的に不妊手術を施す事案が多発していた。

 その後、出生率が急低下し、このことも短期的に経済成長に大きく寄与したとみられている。なぜならば、一組の夫婦は3-4人の子どもを出産する場合と比べ、一人の子どもしか出産しない場合、家計の一人当たりの可処分所得が増えるため、消費の拡大に寄与していたという計算になる。

 しかし、40年も続いた一人っ子政策はここに来て問題点が急浮上してきた。それは高齢化問題の深刻化である。人口学者がわかりやすく表現しているのは中国社会の構造が4-2-1の形になっているといわれている。1は一人の子どもであり、2は夫婦二人である。その上に4人の祖父母がいる。このまま行くと、中年になっていく夫婦は最低でも4人の老人を介護することになる。

 問題は、中国には公的な介護保険がまだできていない。最近の調査によると、中国の高齢者の約2%は施設に入り介護サービスを受けている。ちなみに、日本では、施設に入っている高齢者は4%ほどとの統計がある。しかし、中国の介護施設は医療費などが医療保険にカバーされるが、介護サービスを受けた場合、基本的に自費である。

 一人当たりGDP30000ドルを超える日本に比べ、中国の一人当たりGDPは9000ドル程度である。これに対して、中国の経済学者は「未富先老」と表現するが、これはすなわち、十分に豊かになる前に、先に年を取ってしまったという意味である。

 最近、中国民政部の幹部に対するインタビューで「介護保険を導入する用意があるのか」と尋ねたところ、「中国の研究者の間でも賛否両論がある。とくに反対論者は、すでに実施されている健康保険と年金保険がすでに財政にとり重い負担になっていて、そのうえ、さらに介護保険を開設すると、国家財政は耐えられないと主張している」と正直に答えてくれた。

 では、中国人はどのように老後の生活を送るのだろうか。

中国人の老後の心配

 伝統的に中国で介護といえば、家族内で行われるものと理解されている。だからこそ大家族は中国社会の基本だった。しかし、これまでの数十年間、中国の大家族が崩れ、核家族化が進んでいる。しかも、毛沢東時代に進められた文化大革命(1966-76年)において儒教の教えが否定され、親孝行の伝統も若者に忘れ去られた。要するに、多くの中国人にとり、老老介護が基本的な形になる。

 最近の調べで、北京や上海など経済的に余裕があり、生活レベルの高い大都市では、日本の町内会に相当する「社区」に「照料中心」や「養老駅站」と呼ばれる老人活動センターが作られている。これらのセンターは介護施設というよりも、託児所のような托老所の役割を果たしている。社区に住んでいる老人であれば、一日1元(約16円)の会費を納めれば、朝8時にセンターに集まり、麻雀やカラオケを楽しむことができると同時に、毎日、いろいろな健康講座なども開設される。これらのセンターにはたいてい医者や看護師が配属され、毎日、脈や血圧などが測定される。昼は実費で昼食が提供されるが、夕方にはそれぞれ家に帰る。こうした老人活動センターは互助的な組織として重要な役割を果たしている。

 現状において公的な介護施設が少ないが、不動産業者など民間企業の参入が増えている。その費用は施設によって違うが、数百万円から数千万円まで入所費が必要である。これら金持ちが入る介護施設の多くは定年した大学教授や元幹部の人たちがほとんどである。

 中国では、大学の先生と共産党幹部であれば、定年後の「退職給料」(年金)は現役時と同じ額になり、健康保険の自己負担率も労働者より低い。彼らは実際に住んでいる家を売却すれば、最低数千万円の現金を手に入れることができる。その一部を介護施設の入所費に充て、毎月の年金の一部を介護施設のサービス料に当てれば、十分にやりくりできる。

 これらの恵まれている富裕層について老後はまったく心配がないが、問題は中低所得層の労働者と農民である。

 日本では、公的な保険といえば、まず皆保険のことが思い浮かばれる。しかし、中国では、皆保険の概念はほとんどない。そもそも人間が生まれつきで不平等のものであるはずだが、そのなかで、中国社会に切り捨て文化が根強く存在する。

 たとえば、福島で地震が起きたら、被災者を助けるために、毎日のように「オールジャパン」といわれる。しかし、中国には「オールチャイナ」という言葉がない。たとえオールチャイナを叫ぶ人がいても、実際は助けに行く人が少ない。

 中国社会では、負け組の弱者がいつの時代もそうであったが、切り捨てられ忘れられる。これに関する良しあしの価値判断をする話ではなく、援助の手を差し伸べた場合、自分も引きずられて犠牲になる心配がある。したがって、中国社会には負け組を上手に忘れ切り捨てていくことが自らが生き延びるすべなのである。

 冷酷と思われる中国社会の冷たさは、数千年の歴史のなかで体にしみこんだ生きるための知恵でもある。

 養老介護の実状を踏まえて考えれば、中国社会のボトムに位置する低所得層は最後には切り捨てられ、しかも忘れられてしまうはずである。だからこそ、中国人は自らが社会のボトムに陥らないように必死に頑張る。このことはなぜ中国人の上昇志向がインドなどよりも遥かに強いかの重要な背景でもある。