【08-001】アジア連合(AU)、まずは日中の科学者から
2008年11月
高部 英明(たかべ ひであき):大阪大学レーザーエネルギー学研究センター・教授
大阪大学理学研究科物理学専攻および宇宙地球科学専攻協力講座・教授。1975年大阪大学工学部電気工学科卒業。80年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了。工学博士。西独マックス・プランク・プラズマ物理研究所研究員、米国アリゾナ大学助手、大阪大学レーザー核融合研究センター助手、89 年講師、91 年、助教授を経て、97 年より現職。
専門はプラズマ物理学、計算科学、宇宙物理学。現在は実験室と宇宙のプラズマ物理を統合することに関心をもつ。自ら提唱した新学術分野「実験室宇宙物理学」の推進のため国際共同実験の責任者もつとめている。
2000年、フェローの称号(米国物理学会)、03年、エドワード・テラー・メダル受賞(米国原子力学会)、06年、名誉教授の称号(中国国家天文台)。08年、著名客員教授の称号(上海交通大学 著書に『さまざまなプラズマ』(岩波書店/2004)などがある。
現在、アジア太平洋物理学会連合理事(http://www.aapps.org/)、SSH(スーパー・サイエンス・スクール:JST)運営指導委員長(岡山県立玉島高校)、地球シミュレータ計画推進委員・課題選定委員(http://www.jamstec.go.jp/esc )など
私はプラズマ物理学という宇宙物理や核融合、プラズマテレビなど幅広い分野と関係する理論物理研究者である。現在は自ら提唱した大型レーザーを用いた「実験室宇宙物理学」なる新学術分野を世界の仲間と開拓するため、実験組織のリーダーも兼ねている。中国とは最初に国際共同研究を開始した。この9月末にも私のグループが上海で10日間の共同実験を実施したところである。
さて、弘兼憲史氏の社会漫画「課長・島耕作」をご存じの方は多いと思う。この5月、朝日新聞の「課長・島耕作、社長に就任」の記事に驚いたことを覚えている。実験に参加(皆を激励)するため、関空で本屋に立ち寄った際、彼が書いた「日本人と中国人」[1]という新書を見つけた。彼は「日本人はおにぎり。中国人はチャーハン」と、言い当てて妙な比喩で書き出している。彼の「取締役・島耕作」では、島は初芝電器の取締役に昇進し、上海地区の総責任者(董事長)として中国に赴任するところから始まる。時期は2002-2005年。弘兼氏は何度も上海や北京などを訪ね、中国に進出している企業人や現地の人たちに取材したそうである。それが新書を書く動機にもなっている。
課長島耕作は47年生まれの団塊の世代。この作品、90年代初めには社会現象を巻き起こした。私は漫画を読んだことは無かったが、この新書を読み、10月に品川駅から帰阪する際、大きな書店に寄り「取締役・島耕作」全8巻[2]を買って帰った。私は以下に書くように中国の学術界という狭い範囲での中国理解を深めてきたが、この漫画には企業の争い、役人の実態、庶民の生活、子供教育、裏社会など、女性とのつきあい方も含め貴重な情報が満載されており、私の中国観を補完してくれている。
日中共同実験は、超新星爆発で生じる宇宙衝撃波を、上海にある大型レーザー「神光II(シンガン2号)」で実験室に再現し、私たちの理論の検証を行うことが目的である。このような宇宙模擬実験を私は「実験室宇宙物理学」[3]と命名し、欧米の友人達とも協力しながら推進している。上海のレーザーは上海北部・嘉定区の科学衛星地区(設立50周年だそうだ)の上海光学精密機械研究所(http://www.siom.ac.cn/)にある。研究所の職員約千人、科学者や技術者は500人、大学院生も250人だそうだ。神光IIの横には2年後の完成を目指した9本の大型レーザーの建設が進んでいる。私の所属する阪大には日本一大きな激光XII号という直径30cmのレーザー12本からなる装置がある(http://www.ile.osaka-u.ac.jp/)。しかし、2年後に完成する上海のレーザーは直径が40cmで、最先端・高性能技術を駆使しているので、出力(レーザー・パルスの総エネルギー)は10倍も大きくなる。この装置の利用も視野に入れた日中共同研究である。
中国を初めて訪れたのは1997年8月、北京。応用物理・計算数学研究所(IAPCM)からレーザー核融合理論の講義を一週間してほしいと依頼され出かけた。200ページほどの英文テキストを用意して配布し、一週間講義し。合間に、万里の長城や明の皇帝廟、頤和園など見学させていただいた。しかし、私は「2度と中国には来たくない」と憤懣やるかたない気持ちで帰国した。講義をしても、聞いているのは老人達か数人の学生程度しかいない。質問が何もない。「今の説明でわかりましたか」と何度聞いても返事がない。「この国の科学は死んでいる」というのが正直な感想だった。
私は高校の時、世界史を選択し、特に中国の歴史が大好きだった。王朝から王朝へのダイナミックな変遷、登場する英雄や知将。好きでよく勉強した。大学生になってからは井上靖の西域小説や、司馬遼太郎の歴史小説を読みあさった。ここ数年、宮城谷昌光の中国歴史小説を読破してきた。今年は北方謙三の「水滸伝」を4月に読み始め(寝る前に「睡眠薬代わり」に読書する習慣あり)思いも掛けず6月には19巻完読した。さらに、明治維新前後から、先の日中戦争までの歴史も好きで、歴史小説やドキュメンタリーを読んで自分なりに勉強し、自分なりの歴史観を持っている。だから、97年に訪ねた際、最初に、研究所への訪問者が記帳するノートの左一杯に日本語で、日本帝国陸軍を中心とした中国への侵略に関する私個人の歴史認識を書き、一日本人として陳謝の意を記した。右には、それを英訳して書いた。(IAPCMの現所長から「高部先生、読みましたよ」と数年前、言われた)
ところが、上の事情で中国科学への興味を失った。そんな私に02年12月、どうしても北京での日中ワークショップに参加してほしいとの日本側主催者からの依頼があった。私は何度も断ったが、最終的に「零下の北京にどうしても行けと言うなら、仕方がない、北京ダックを食べるグルメ旅行と割り切ってお供しましょう」と憎まれ口をたたいて北京に向かった。ところが、北京の物理研究所で開催された会議の発表を聞くうちに驚いた。中身が面白い。中国側は若手がどんどん出てきて、面白い研究内容を発表する。正直、驚いた。そして、中国側の責任者も44才の研究者。44才にして大研究所の副所長。名前は張傑(Zhang, Jie:以下、彼の愛称「Jie」を使う)。彼と運命的出会いをした。
レーザー核融合の分野では世界が認める「Takabe formula」という公式があり(この論文の引用回数は252回[ISI社、9月16日時点])、私はその恩恵を沢山受けてきている。Jieが私に話しかけてきて「貴方が有名な高部博士ですか」と。初対面である。「そうだ」と答えると、「世界的に有名な貴方に会えて光栄です」と挨拶してきた。彼は英国に9年間居たので英語が上手で、話が弾む。話すうちに私も彼が気に入った。そこで、彼に提案した。「貴方の実験室のレーザーで、私が提唱している実験室宇宙物理の実験を共同研究しませんか。私は理論家なので、どの様な実験をすればいいか提案をします」と。彼も私の新分野の内容を大変気に入ってくれた。そして、「喜んで実験をしましょう」ということになった。実は、阪大ではレーザー核融合研究が中心で、宇宙物理の研究に興味を示す実験家がいなくて困っていたのである。
Jieとの出会いは私と中国との関係を決定的に変えた。共同実験を実施する前に勉強会を行い、若者を引きつけ、宇宙物理の研究者にも参加を呼びかけようと、Jieが「実験室宇宙物理・夏の学校」を山東省威海(ウエハイ)のホテルで主催した。私は共同主催者ということで、私以外の講師を日本と外国から招待する役を担った。欧米の友人を招待し、一週間の学校を04年-06年と3回開催した(写真1は、06年の夏の学校)。同時に、北京の国家天文台副台長Zhao, Gangのグループも一緒に共同研究することになり、彼とも親しくなったし、彼の部下Wang, Feilu博士を学振で2年間、私のグループに受け入れた。
写真1:06年の実験室宇宙物理・夏の学校(ワークショップも兼ねた)。中心、短パン、ビーチサンダルが筆者。山東半島威海(ウエハイ)の山東大学研究中心(ホテル)にて。
Jieと出会って程なくし、彼は最年少の中国科学院・院士(アカデミー会員)に選ばれ、同時に、中国科学院( http://english.cas.cn/ )傘下の108の研究所の総責任者にも抜擢され、どんどん忙しい人間になっていった。しかし、感心なのは、どんなに忙しくとも自分のグループの研究に直接関与し、私との協力に前向きに取り組んでくれたことだ。また、私が全米科学基金(NSF: http://www.nsf.gov/ )の友人から「米国の競争的資金の審査制度を体験してみろ」と、審査パネルに招待されて実体験し、そのすばらしさに感心した事を彼に話したら、「中国も負けていない、中国自然科学基金(NSFC: http://www.nsfc.gov.cn/ )があまりにうまく機能しているので、先日、ドイツから視察団が来た」と。そこで、私が北京のNSFCを訪問するアレンジをしてくれた。その成果は中央公論の論文[4]として、世界の中でかなり遅れた日本の審査制度へ一石を投じた。
日中共同研究を学振とNSFCに共同申請し、採択された(05年-07年)。その予算で共同実験を大阪と上海で実施し、複数の論文を一流紙に掲載した[5]。最初のテーマを終了し、新たなテーマを始めたのが書き出しの実験である。共同研究の相手は物理研究所と国家天文台のグループだが、実験が大がかりであることから、上海や成都の科学者、技術者にも参加していただいている。実験の現場主任は物理研究所のLi,Yuton。なかなかの好人物である。共同実験や夏の学校を通して中国の人脈がどんどん増えていった。夏の学校では中国人の若者に、私の得意とする「中国の歴史」を講義したりと、歴史認識の共有にも務めている。
Jieとは偶然であるが日本、中国の物理学会の理事同士という関係でもあった。私は日本物理学会の理事で国際交流担当。会長から「アジア太平洋物理学会連合」(19カ国・地域の物理学会が加盟。傘下の総会員数は約10万人。 http://www.aapps.org/ :略称「AAPPS」。以下略称を使う) の活性化を依頼されていた。02年にJieと初めてあった際、中国と台湾の関係が心配で中国物理学会(会員数4.6万人)の国際交流担当理事のNieさんとの面談をお願いした。するとJieが「貴方はまさに良い所で会議をしている。このビルの9階が中国物理学会の本部事務局です」と。Nie理事との会談(写真2)で台湾が「Physical society located at Taipei」の名前でAAPPSのメンバー学会であること、中国はこの名称「Taipei」で既に人物交流含めた学術交流協定も結んでいることを教えていただいた。その時は「さすが、中国四千年の知恵」といたく感心し、安心もした。その後、05年1月にはJieも私もAAPPSの理事にそれぞれの学会推薦で選出された。やはり縁は深い。
写真2:中国物理学会本部事務局にて。左からGu秘書、筆者、Nie理事、Jie Zhang。
撮影日は02年12月4日。この時、Jieと初めて出会った。
写真2の夏の学校を終え、北京でJieとAAPPSの活性化について話し合っていた時、彼が「実は、俺は有名大学の学長に選出された。どこの大学かは現段階では言えないが」と発言。私は好奇心から「北京の大学なのか」と聞いたら、「No」と。「うんーー、じゃ、上海交通大学だろ」と言い当てたのにはJieも驚いた。そして、11月に正式に学長に就任。上海との深い関係が始まった。実は、83才になる母は上海の日本租界地生まれである。日中戦争が上海にまで波及してくるまでの11年間を上海で育った。子供の頃、戦前の上海の自慢話をよく聞かされた。「当時は東洋のパリと言われ、高層ビルが建ち並び、週末には父が車でガーデンブリッジ(今も使われている)を渡り繁華街に良くつて連れて行ってもらった」などなど。
さらに驚いたことに、阪大が大学間学術交流協定を中国で初めて締結したのが上海交通大学で(1995年)、上海交通大学と阪大は姉妹校的関係にあり、毎年、交互に場所を移し学術セミナーを開催している(この秋で13回目)。学長に就任したら共同研究はどうなるか心配していたら、Jieが「学長は俺の仕事、Aki(私の事)との研究は俺の大切な趣味だ。だから当然、続けるさ。しかし、最初の1年は、新体制作りで忙しいだろう。その点は理解してくれ」。冒頭の上海での共同実験。実は私が昨年、Jieに無理矢理お願いしていたのを、所長と交渉してくれ、何とか10日間の実験枠を確保してくれた。
上海から帰国してすぐ、10月7-9日、第13回の両大学・学術セミナーの阪大での開催に実行委員として関わった。上海交通大学からはJie Zhang学長含め約20名の教官が参加し、両学長の教育・研究戦略の講演の後、6分野に別れセッションを開催した。私の親友が学長に就任したことを受け、今年から物理学分野のセッションも開催されることになり、私が幹事を務めた。今回、Jie学長より事前に阪大総長と1時間議論したいと正式な申し出があり、事務局も緊張する中、Jieから新段階の両校交流を推進する3つの提案が鷲田総長に口頭で伝えられた。その第1は、上海交通大学にプラズマ物理の教育・研究センターを設立する予定で、私を含む阪大の研究者の協力を大学として支援してほしいという内容。後の二件は略すが、鷲田総長は会談の最後を、「両校に有益な事業は全て歓迎である」と締めくくった。
Jieは8日午前の講演のあと、予定を急遽変更して北京へ向かった。彼は昨年10月、中国中央委員会(委員長は胡錦涛主席)の委員に選出された。彼の政治的手腕も評価されたわけである。最近の緊急課題「世界同時株安、金融不安」に対する中国政府の対応を協議するために中央委員会が9日に緊急招集されたからである。出会ったときは一研究者同士のはずが、彼はいつの間にかどんどん偉くなってしまった。しかし、友情は変わらず、二人で話すときはいつもの顔のまま「Jie-Aki」の関係である。
さて、日本では第4期科学技術基本計画の検討が始まりつつある[6]。第3期基本計画(平成18-22年度)には第3章の「4.国際活動の戦略的推進」として「(2)アジア諸国との協力」の記述がある。アジア諸国との間の科学技術の連携を強化、そのための政策対話「アジア地域科学技術閣僚会議(仮称)」等を実施する、と詠われている[7]。これを受け、07年1月12日、韓国で、第1回・日中韓科学技術協力担当大臣会合が開催されている。第4期では是非、日中の科学技術に関する共同事業の予算化を可能にする文章を盛り込んでいただきたい。中国、韓国などアジアとの学術交流も新段階へ進むべきである。Jieと私は、先ほどのセンターと別に、大型レーザー装置と計測装置を日中共同で建設し、実験室宇宙物理など基礎科学を共同研究する研究所を作ろうではないかと、真面目に話している。日本の予算で国外に大型装置を建設することはハワイのマウナケア山頂の「すばる望遠鏡」(http://subarutelescope.org/j_index.html )の先例がある[8]。また、ノーベル物理学賞日本人3名受賞に関連しても騒がれている、欧州CERNのLHC加速器も、「ATLAS」( http://atlas.ch/ )という巨費を投じた巨大計測器は日本が建設している。
「何故、大阪でなく上海か」とよく質問される。上海には上海光学精密機械研究所があり「地の利」がよいこと。さらに、その研究所構想を韓国、台湾の友人達に話せば、彼らも加わり、最終的にアジアの研究・教育拠点にできる。日本でなく上海の政治的背景の明快な答えを9/25、霞ヶ関ビル30階で聞いた。文科省顧問の林幸秀氏の「日本の科学技術の現状と展望」と題する2時間講演においてである。Jieと私が合意している科学技術推進は林氏の結論に大変近い。氏は講演のなかで、「東アジア科学技術連合(仮)」を提唱し、それはかつての日本中心の「大東亜共栄圏」の発想であっては機能しないことを強調された[9]。本部や共同研究施設を日本以外に譲れ、という考え方だ。物理分野でまさにその精神実現を推進しているのがAAPPSであり、Jieとの構想である。
私が大型レーザーで宇宙物理など基礎科学に特化したのは、ワッセナー協定を意識したからである。また、Jieとしては彼が所属する中国科学院は基礎科学に重点を置いているからである。しかし、基礎科学とはいえ、先端科学・技術が絡む共同事業には、我が国ではこの協定に基づく国内法が障害となるだろう。この協定は対共産圏輸出統制委員会(ココム)の終了に伴い、1996年7月に設立された。通常兵器及び関連汎用品・技術の責任ある輸出管理を実施することにより、地域の安定を損なうおそれのある技術などの過度の移転と蓄積を防止することなどを目的にしている。ただし条約と違い協定なので国際法的拘束力はない。我が国独自の法令に則り、経産省の安全保障貿易管理課[10]が担当している。大型レーザー技術はその法令に抵触する可能性がある。そこで、より実現性のある方法として、Jieと話している共同施設では大型レーザーは上海光学精密機械研究所で製作し、日本側は建物や維持費などを負担するやり方を考えている。なお、ドイツなどは時代の変化に対応し、協定を柔軟に受け止めて国内法も修正し、企業活動や学術協力を積極的にしている。写真3のように上海交通大学にはドイツ製の溶接用大型レーザーが共同研究装置として寄贈されている。
図3:上海交通大学の国家重点研究室「レーザー溶接研究室」でドイツとの共同研究で活躍している独「SCHULER」社製の大出力レーザー
高度な計算ソフトは米国では安全保障の要である[3]。皆さんはマイクロソフトの開発部門の1/3が中国(北京)に有ることをご存じですか?現在、北京市の中関村に中国本社ビルを建設中で、2010年の完成後は5000人の社員が働く場になる。Jieがシアトルでビル・ゲーツと会った時、ビルは「我が社の1/3を支える国の要人とお会いできてうれしい」と言ったそうである。米国もドイツもビジネス・研究としたたかに、深く中国の頭脳に接近している。Jieと私が2国間共同事業による研究拠点作りを真面目に話し合っている気持ちを理解していただきたい。是非、第4期基本計画立案に関わっている方達は、アジアとの連携に共同施設建設・共同事業を盛り込んでいただきたい。そして、科学技術の分野から米国、欧州と対峙できるアジア連合(AU)に向けた先陣を切っていただきたい。
私は教授に昇進させていただいた10年前から「日本が世界の中で敬意を払われるような科学技術創造立国であり続けるために、次の世代が世界の舞台で活躍できる『仕組み』をいかに作っていくか」という課題を意識し続けている。その一つの解がアジア太平洋(ここで、「太平洋」とはオセアニアを意味する)における欧州連合と同じ強い連携の形成である。アジア太平洋物理学会連合でまず物理の分野から強い連携を始めようと、自分の専門分野である「プラズマ物理学」の部門形成を始めた[11]。しかし、私の友人達は賛同してくれるが、皆、大変忙しくなかなか具体的な動きが自発的に出てこない。むしろ、上記のような具体的な共同事業から初めて、その情報を共有する組織としての学会の部門形成を行うべきか、と今は思っている。
まずは、中国との共同事業による人類の知的共有財産である基礎科学の推進は、日本だけで米国、欧州と対峙できない状況になりつつある世界情勢で避けがたい方向です。たとえば、EUと6カ国の7局が推進しているITER( http://www.naka.jaea.go.jp/ITER/ :国際熱核融合実験炉)プロジェクトで日本は苦い思いをした。装置を日本に誘致しようとしたが、アジアでは中国がフランスを支持したことからフランスに決まった。そして、建設費は「仏に作るのでEUは約半分を出します」と言うが、アジアからの日本、韓国、中国、インドの供出金を合計すればほぼ同額である。このあたりも欧州はしたたかな外交を展開している。
最後に、日中共同事業を科学技術で推進することで、日本の研究所群が活性化する点も重要である。日本にはたくさんの研究所や研究センターがある。設立当初は目標・理念をはっきり皆が自覚し、皆連携しながら活発な研究を展開する「機能体」としてスタートした。ところが、年月が経つうちに、組織というものは「機能体の共同体化」[12]が起こってくる。企業の場合、それは利益率の低下など「数値的評価」を毎年突きつけられるから、自ら体質改善が可能だし、そうしないと倒産してしまう。しかし、大学の研究所などは評価があやふやで、自己改革がなかなかできない。私の恩師の山中千代衛先生は現役の頃「研究所、センターの寿命は20年。20年経ったら単なる研究者の集合体になってしまう。20年をめどにScrap & Buildを断行すべきだ」とよくおっしゃられていた。ところが、我が国ではこれがなかなかできない。冷戦が終結し、グルーバル化の21世紀が到来した。この段階で、国内装置の更新ではなく、中国やアジアとの共同研究設備の新設という新しいパラダイムにシフトすれば、その研究分野の「機能体」としての再出発が可能となるのではなかろうか。
参考文献
[1]弘兼憲史「これだけ違う、日本人と、驚きの、中国人」(新講社、2008年9月)
[2] 弘兼憲史「取締役・島耕作」全8巻(講談社、モーニングKC)
[3] 一般向けとして:立花隆編「宇宙の核融合・地上の核融合」の中の高部英明著「レーザー核融合から新しい宇宙物理学の誕生へ」(pp. 153-172)(クバプロ出版、2008年3月); Googleで "実験室宇宙物理" と" "で囲んで検索すると私の書いた論文、解説記事がたくさん出てくる。
[4]高部英明「科学審査制度の改善こそ国家の急務だ」(『中央公論』2005年5月号 pp. 222-232)
[5] 例えば:H. G. Wei, ,,,,,, G. Zhao, J. Zhang and H. Takabe, Opacity Studies of Silicon in Radiatively Heated Plasma, Astrophysical Journal Letters 683 , 577?583, 2008
[6] 有本建男「日経サイエンス」2008年8月号、11頁。
[7] http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/main5_a4.htm
[8] 小平桂一、「宇宙の果てまで」(文藝春秋社、1999年3月)
[9] 林 幸秀、「日本の科学技術の現状と展望」2008年9月25日、研究会資料
[10]http://www.meti.go.jp/policy/anpo/index.html
[11]http://www.aapps.org/announcement/Divisions.html
[12]堺屋太一「組織の盛衰」(PHP研究所出版、1993年)【補足説明】堺屋氏は達成すべき目標を持った会社などの組織は「機能体」(ゲゼレシャフト)であり、そうではない、自治会や同好会など、構成員1人1人の幸せを目的とする組織を「共同体」(ゲマインシャフト)と表現している。本来、高邁な設立理念でスタートした研究所なども、時間と共に、研究目標達成より構成員の居心地の良さが幅をきかすようになるのが世の常と説いている。「省益優先、国家第二」などと揶揄される官僚機構の実態も、機能体のなれの果ての共同体化した組織と言えるのでは無かろうか。皆、自らの胸に手を当てて、この点を謙虚に受け止めて、自分の属する組織を分析してみてほしい。