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【12-012】空気が読めない日本、空気を読まざるを得ない中国

和中 清(㈱インフォーム 代表取締役)     2012年11月 9日

9月18日の中国

 私は満州事変の発端となった柳条湖事件の発生日にあたる9月18日、内陸部の都市、湖北省武漢市近くの黄岡市という小さな街の職業学校で、工場社員の募集、面接をしていた。私が役員を務めている日系会社のいつもの募集業務である。

 人材紹介会社の中には、工場に学生を連れてきて、この中から選んでくださいというところもあるが、工場一般社員の募集は、自ら学校に出向き、一人一人顔を見て、話を聞いて直接採用することにしている。これまで何千人の面接をしただろうか。物の購入ではなく、人の採用なので当然と思っている。

 その9月18日、学校の対応も学生の表情も普段と変わらず、終始なごやかな雰囲気で会社の説明と面接を終えて帰路についた。翌日、深圳にある工場に戻ると、近くで反日デモがあり、工場近くまでデモ隊が来た、と報告があった。しかしよく聞くと、ある大手日系企業が18日当日、工場が休みとなり、何もすることがなかった従業員が、デモをまねて騒いだとのことだった。

 深圳では、「18日は休み」との情報が拡がり、我々にも有給で休日をよこせとの要求が広がり、さらには便乗の賃上げ要求へとエスカレートし、日系企業のストやデモ騒ぎとなった。

 私が役員をしている工場では、しばらく残業や休日出勤が続き、労使関係が緊張した時期に当たり、心配したが、幸い何事もなく平穏に過ぎた。

 同じ日、上海ではデモ参加者のためにバスが準備され、バスを降りる際にペットボトルの水が一人ずつ配布され、1組30人の隊列に分かれたデモが行われた。

 中国の100近い都市で反日デモがあった今回の騒動。しかし果たしてデモに参加したうちの何%が、反日の信条を持って参加したのか、大いに疑問がある。

 いつものように中国で反日デモがあれば、日本ではいろいろな解釈がなされる。分配の不平等に対する不満の爆発、国内の権力闘争を覆い隠すために仕掛けられたデモだとか、すぐに権力闘争に結び付けられたり、また反日教育の反動だとも語られたりする。さらに中国政府がデモを誘導しているとも言われた。

 そしてもう一つ気になったことは、日本でのニュースの取り上げ方である。2005年の靖国神社をめぐる騒動の時もそうであったが、日本のテレビはデモ隊の投石、車や日本料理店を打ち壊す光景をこれでもかと言わんばかりに、朝から晩までクローズアップで流し続ける。だから日本から電話を受けるたびに、「大変ですね。大丈夫ですか」との質問を受ける。

 2005年の上海デモの時、私の会社の事務所はデモ隊が集合した場所の近くにあり、その近くにはいつも行く日本ラーメンの店があった。その様子を見に行ったが、いつもの入店待ちの列があった。

 今回のデモでも私自身はいつものことと考え、街を歩き、電車に乗り飛行機にも乗った。飛行機の隣席の中国人男性から「台湾人か」と聞かれ一瞬身構えたが、「違う。日本人だ」と答えると、途端に相手は笑顔になり、日本語で語りかけてきた。

 9月18日の数日後、広州で学校と企業の大規模な交流会があり、私も参加して多くの学校関係者に名刺を配り挨拶したが、特に相手が身構えて応対するでもなく、これもいつも通りだった。

 それから数日後、ある日本企業の調査業務で北京の政府機関を訪問しようとしたが、さすがに中央政府のお膝元である。この時期は都合が悪いよ、という返事ばかりだった。

 ただし個人的に会うのは良いが、との返答でもあった。

民意の空気を読む政治

 私は、日中関係には常に冷静さが必要と考える。そのためにも今回のデモをどう読み解くかは重要だ。権力闘争とか、反日教育とか、そう単純に答えを出せるものではないからだ。

 先ず、今の中国は民主主義国でない分だけ、逆に民意が大きく影響する。

 日本人には中国は民主国家でなく、共産党独裁の国だから民意なんて関係がないだろうと考える人も多いが、そうではない。既に中国も大きく変わっている。

 民主主義国でない国の民意は、為政者にとって、これが実に厄介である。選挙で直接、人民の意思を問わない分だけ、空気のようにただよう民意の匂いを嗅いで政治を進めねばならない。

 誰もが崇拝するカリスマ政治家がいなくなった時代を進んでいるのだから、当然だ。中国の政治は集団指導の時代に移行したが、言わば集団で民意を探っている。13億人の思いが巨大な塊となって押し寄せる怖さを常に考えながら、政治を進めなければならないのが中国だ。

 これは身近な例でも説明することができる。

 中国では学校でも企業でも、また日常の街角でも何か事が起きれば、その当事者の一族が集団で、大声を上げながら抗議に押し寄せる。

 企業でも社員とのトラブルがあれば、すぐに親戚を連れてくるよとの話が出て、実際に座り込みもする。言わば社内デモだ。そうなれば仕方がない。どうぞお好きに、せっかくだから、頑張りなさい。お昼のお弁当くらいは出すよ、と応じるほかない。

 そうして日が経てば頭に上った血も降りてくる。今回の反中デモで中国政府が採った行動と同じだ。これが13億の途方もない数、うねりになる怖れを中国の政治は抱えている。これが中国の政治家がよく言う「圧力」でもある。

やっかいな民意

 民意は実に厄介である。人々は公の場では大声で本音を語れないだけ、建前が前に出る。大声で騒いでいる間に、建前もそれらしく民意になる。

 これも身近な例で考えれば、分かりやすい。前回この欄で取り上げた中国の養老年金をめぐる問題である。中国の養老年金は大きな問題を抱えている。中国人の多くが政府を信じていないからだ。そこで納付保険料の計算の基礎となる賃金を低くして、個人負担の保険料を安くしようと希望する。

 彼らはその方が会社も負担が減り有利だと力説する。また、本人が納得しているからいいではないかと主張もする。しかしその社員が会社とトラブルになると、会社は長年、保険料を偽り私は損をしたと訴える人が多い。社員の口車に乗ってそれを実行する会社も問題だが、声高く騒いでいる間に、見せかけの正義が大手を振り一人歩きする。

 中国は原則的に建前の社会だ。歴史的にも庶民は本音を言うことを封じられてきただけに、人の心の奥をのぞくことは難しい。面と向かって意見を聞いても建前で語り、心意と逆の言葉が出る。だから多くの人が建前で大声を張り上げれば、それが本音のようになり民意が形成される。

 さらに面子が加わると、建前はそれらしく形を整える。

 今回の反日デモもそうであり、人々のいろいろな思いが反日の衣を着て檜舞台に上がり民意となった。心の中は探れないが、今回の騒動に対して、おそらく胡錦濤主席の心情は、日本に対しては、また厄介なことをしてくれた、国内に向けては建前と面子の厄介なものが現れた、と感じたのではないだろうかと推察する。

民意の中身はごちゃごちゃ

 今回のデモ騒動は反日という民意の衣を被っているが、その中身はごちゃごちゃだ。

 もちろん純粋に日本への憤りもある。しかしその他の諸々が複雑に絡み合う。むしろ私が感じるのは、後者の方が多い。

 どこの国にもある政治や社会への不満、政権へのゆさぶり。デモで毛沢東の肖像が掲げられたことを見れば、改革開放の進展を好しとしない保守派の反撃も見える。

 前にこの欄で述べたように中国の軍備が強大になり、政治と軍の協調は崩れつつある。だから日本に対し強い態度を要求する軍の意思、面子も前面に出やすい。

 さらにやっかいなのはインターネット社会で育った若者だ。彼らのほとんどは反日とは無縁だ。日本では中国の反日教育が云々されるが、彼らの親の世代ですら自身が昔、反日教育を受けたと記憶する人は少ない。ましてやその子供たちである。

 私が役員を務める企業の部下の友人がデモに参加した。部下に友人の参加動機を聞かせたら、ただ好奇心だけとの返事が返ってきた。ネットで流れるデモの写真や体験談を見ているうちに刺激を求めて、“私も一度デモというものを体験したい”と思い、ただそれだけの理由で、一人で参加したそうだ。社会に対して大きな不満を持つ層でもない。

 さらにデモに便乗した略奪や単なる不満の爆発がある。これが反日という衣を着て民意を装う。賃金への不満は本来、待遇がよくない台湾企業にこそぶつけたい、という人も少なくないが、それを表に出せば民意の旗色が怪しくなるし、車を破壊するにも台湾製の車はない。

 一方で保守派も巧妙に政権へのゆさぶりを仕掛けている。

 デモは反日の民意の衣につつまれ、さらに毛沢東の肖像が掲げられた。毛沢東は錦の御旗であり、踏絵のようでもあり、通行手形のようなものでもある。

 共産党の中の真の共産主義者を自認し、改革開放を快く思わない彼らの矛先は、本来なら資本主義の覇者、米帝国主義に向かうべきである。しかしあからさまに反米を口には出せない。この欄でも述べたように中国と米国は大人の関係が築かれ、反米を唱えれば心地よい大人の関係が崩れる。だから日本は米国の鉄砲玉と見なされ、米国の身代わりとしての「代理紛争」も請け負わねばならない。

日中間がこじれる背景

 日中問題が紛争へと向かい激化する背景に何があるのか。

 私は日本の政治家が中国の空気を読めていないことにも、大きな原因があると考える。

 日中間には理想主義では解決できない、歩み寄れない歴史問題が厳然として横たわる。

 先日、鳩山元総理が日中間には領土問題があると述べたが、いかに日本がそれは無いと主張しようが、尖閣の問題は領土問題そのものだ。

 いくら理想を掲げて友好平和を唱えても、埋められない溝は残る。尖閣、靖国、南京と解決できない火種を抱えながら進まざるを得ないのが日中関係である。そしてその溝をとらえて双方の保守原理勢力、日中友好を好しとしない勢力が時に頭をもたげてくる。今回の騒動の火種となった東京都の尖閣諸島購入騒ぎもそうだ。

 どうして寝た子を起こすようなことを敢えて仕掛けるのか理解に苦しむ。中国で罪もない日本人が騒動に巻き込まれ殴られるニュースを聞くにつけ、火をつけた元知事には、中国に主張するのもいいが、それなら安全なところから批判ぜず、男なら時には堂々と中国に乗り込み、自説を主張すべきだと言いたくもなる。

 多くの人々や企業、団体が経済的にも心理的にも大きな影響を受け、損害も被ったことを考えると、その無責任さを放置したままでいいのかとも思える。

 NHKの報道番組ではある大学の学長が、出席者の言葉尻をとらえ中国との間で1%でも武力衝突の可能性があれば、それに備えるのが国防の常識と力説していた。99%に対して叡智を傾けるどころか、1%の問題に対してキリで穴を広げるように、問題を穿(ほじ)り出そうと迫る。

 この欄の中国リスクの項で述べたように、彼らの思考は単純で頭に血が上りやすい。Yesでもnoでもない、相半ばする曖昧さを認めようとしない。日中間がこじれる火種は日本にもある。

面子と共に民族意識が高まる中国

 一方、中国側の火種はどうか。中国はGDPで世界2位になり、空母も就役して軍事力が強大になった。そのため民族意識も高まる。まして面子と中華思想の国である。つい30年前まで世界の発展から取り残された国が力を蓄えたのだから、なおさら自尊心も強まる。

 中国人の考え方によれば、中国の島がどうして外国に盗まれるのか、という思いなのである。その怒りが面子で倍加する。

 党の中には真の共産主義者もいる。もともと論争と闘争に揉まれてきた国だ。そこに日中友好を是としない勢力が、やはりキリで穴を広げるように問題を大きくする。

 そんなところにいろいろな思いを持つ人々が民意の衣を着て参入し、反日の大合唱となる。

 胡錦濤主席が厄介と思っているだろうと推察するのは、こうした理由からだ。まさか、反日デモを純粋な反日、便乗による反日、騙りによる反日と区別することもできない。

 中国の政治は常に多くの圧力に対峙している。空気が読めないとは、中国という池に石を投げたとき、波紋がどのような広がりを見せるのか、その波紋が中国の政治にどんな圧力となるのか、それを読み取れないことでもある。

 尤もその波紋を読んで、キリで穴を広げようとする人々が仕掛けているのだろうが。

大多数の中国人は本来、反日でない

 中国はグローバル化の中を進んでいる。米国債の保有、米欧との貿易、世界に拡大した対外投資、オフショア市場や貿易決済を通じて世界に向かう人民元、欧米の隅々にまで行きわたる留学生など。香港も含むと海外渡航者はもうすぐ1億人時代に入る。南海での領土紛争の一方で、アセアン諸国や米軍と軍事交流も進む。

 90年代、朱鎔基首相は中国を国際社会とリンク(連結)させる“接軌”を唱えたが、それは今も続く。

 2016年は中国がWTOに加盟して15年目の年である。それ以降は「非市場経済国条項」の適用が失効する約束の15年だ。国際的な大きな課題である地球環境問題への対応も約束の15年を迎える。だから中国は一気に環境規制、環境改善策を強めて環境「接軌」の政策転換に踏み切った。

 空気を読むということは、グローバル化の中を進む中国の真の姿をとらえることでもある。

 しかしどうも日本の政府はそれが読めているとは思えない。今回の騒動の渦中、中国の空気を誰よりも読んでいる、と思われる丹羽大使を更迭したのもそうだからだろう。

 いかに軍が強大になろうが、保守勢力が足を引っ張ろうが、中国は後には引けない国際化の中を進んでいる。今も中国政治の大きな課題は「国際接軌」である。

 日中双方にある1%の武力衝突の可能性を穿り出し問題を大きくする動きに怯えて大局を見失い、あたふたすれば今回のような騒動は再び起こる。

 日本と中国を一本の長い糸で結んだ、と仮定してみよう。その右の端には日本の保守、保守原理主義がある。一方の左の端には中国の保守原理主義がある。しかし大多数の日本人、中国人はその間に位置している。騒動から一夜明け冷静さを取り戻せば、日本でも中国でも、双方の良い関係を求める人が多数派だということもわかる。

 1%の穴を穿る意見に左右されれば、軍備を誇示したい国とそれを使いたい国との見境もつかなくなる。

1978年の鄧小平の言葉の意味

 1978年10月、時の副総理鄧小平は、日本訪問時に、日本の先進的経験に学ぼうと語った。そして記者の質問に答えて、尖閣問題については我々には知恵がない。後の聡明な世代に委ねよう、と語った。

 その後の世代がいつなのかはわからない。今の胡錦濤時代なのか、さらに次なのか、はたまたさらに後の世代なのか。私はやはり鄧小平は稀有の政治家だと思う。

 この言葉の裏を考えれば、解決の道がないだろうとの言葉とも読める。後の人は言い換えれば、永久とも読める。永久とは八千代、8000年先でもある。鄧小平の言葉は、私たちは賢明でないので8000年間その答えを封印し、しがらみを背負い歩むべきとの言葉にも聞こえる。

 だから尖閣問題は解決しないことが解決でもある。日中双方が愚かさを自覚し、いつまでも後の世代に襷(たすき)を託すのが賢明な処し方だろう。

愚かさを自覚できない人

 しかし時に愚かさを自覚できない自称、賢明な人も現れる。さらに1978年とは比べることも出来ないほど中国の経済も軍備も強大になった。中国の力が増せば増すほど、日本経済が沈滞すればするほど、日本では一部の人の反中感情がむき出しになる。

 一方、中国でも軍が強大になれば、その威厳を保つには、もはや天安門広場の軍事パレードだけでは収まらなくなる。政治との協調を超えて軍は威厳の発揚の場を求める。

 そして中国の軍の示威行動が目立てば、日本では陸上自衛隊を海兵隊にとの意見も出る。

 どちらが先か、どちらが悪いかの議論は不毛だ。政治には寝技もあれば裏技もある。仕掛けられたと見える方が、仕掛けていることも常である。

 かくして先の世代に襷をかけているうちにも緊張や小さな紛争は続く。しかし全てが理想的に解決できない以上、それは必要悪でもある。

 中国では、空母が母港を離れて尖閣周辺や南海、太平洋に出航すれば13億の面子も癒される。日本でも島の購入を機に紛争になれば、仕掛けた勢力の溜飲も下がる。自衛隊が海兵隊になれば、さらに思いは一歩前進する。

 だから尖閣の緊張は日中の糸の右と左が演じる劇の世界でもある。仮想を演じる劇があるから現実の大きな衝突にはならない。尖閣はガス抜きの場であり、だからそこに中国の漁船も来れば人も上陸する。

1%の武力衝突の可能性に突き進むか、99%に叡智を傾けるか

 しかし劇の世界と現実を取り違え、本気で対応すれば小さな衝突は大きくなる。

 劇の世界なので島に上陸した中国人を逮捕する必要もなければ、島を国が買い取る必要もない。どうしてもというなら数百年の使用権を買い、後の世代に託せばいい。今回の騒動は劇を見ている人にいきなりタブーを破り現実をぶつけたようなものだ。YesでもNoでもない、相半ばするあいまいな夢、永久の劇を見ている人にいきなり現実をぶつけたようなものだ。

 人間が煙草を止めるには、お酒を止めるにも、軽い煙草や軽いビール、ノンアルコールビールも必要だ。全てを止めれば禁断症状が思わぬ事態に発展しかねない。

 尖閣はその軽い煙草と思えばよい。やめるでもなく、やめないでもなく、それが鄧小平の知恵だったのではなかろうか。

 今回のデモを国が指揮していると言う人もいるがそうではない。

 劇を見ている人が目覚めれば、観客をなだめる方法は一つしかない。同調であり理解を示すことだ。それに逆らうと、大きな圧力となり跳ね返ってくる。独裁国でどうして、という人もいるが、今の中国は独裁者より民意が強い。民意を抑えられるカリスマもいない。

 だからデモに理解を示しながらコントロールするのが唯一の方法である。民意の衣をまとい錦の御旗を掲げる人を、まさか武力で押しつぶすわけにもいかない。だからデモに参加する人たちにバスを準備し、一人一人にペットボトルの水を渡し、そして30人が1グループで行動するように、統制のとれたデモになるように、誘導する以外に方法はなかっただろう。

 この問題を解決するには、鄧小平の言葉に戻る他にない。日中双方が愚かさを自覚し、永久の世代に解決を委ねて解決しないことが解決の道だと思う。

 愚かさを自覚すれば、時に小さな衝突をしながらも、溜まったガスを抜けば大きな衝突にはならない。まさか尖閣というちっぽけな島の問題で戦争するわけにもいかないだろう。

 8000年先送りする覚悟を持ち話し合いを続ければ、共同開発、共同利用の叡智も出るだろう。1%の武力衝突の可能性と引き換えに99%を葬り去れば、人間の叡智は失われ、欲望のまま進む動物と同じだ。今、1%に向かうか99%を信じるかの選択を迫られていると考える。


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