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【13-002】「中国経済はこれからどうなるか、日本企業はいかに対応すべきか」(その2)

和中 清(㈱インフォーム 代表取締役)     2013年 1月21日

今は我慢の時

 2012年の中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議で、2020年の国内総生産(GDP)と所得を2010年の2倍にする倍増計画が報告された。2010年の都市住民最高収入層10%の平均可処分所得は51431元(約72万円)、その世帯人口は平均2.51人なので、1世帯当たりの可処分所得は129,091元(約180万円)である。

 それが倍になれば258,182元、日本円で360万円ほどである。次に収入が多い「上の下」の層(10%)が約200万円になり、さらに次の「中の上」の層が150万円を超える。つまり、都市の40%の人口は、世帯所得が2020年に150万円を超えるということになる。

 しかし、倍増計画に掲げられた目標は、安定した社会を意識した低めの数字と見られ、現実にはもっと高くなるだろう。2012年第3四半期の都市住民平均可処分所得の伸び率は、上海が11.2%、北京は11.5%、広東省12.8%、山東省13.3%、遼寧省14.0%、内蒙古14.2%であり、いずれもGDPの成長率をはるかに上回っていた。

 既にこの欄で述べた裏の所得も考えれば、都市人口の40%の実際の世帯所得は、2020年に250万~300万円を超えるだろう。2020年の都市人口を8億人とすれば、その40%は3.2億人となる。

 中国は競い合う分散型の社会だ。党の報告を受けて各都市は所得倍増を目指した競争に入る。国家発展改革委員会は、河北省、河南省、山西省、安徴省、山東省の30の省轄市と3県(区)からなる中部内陸の「中原経済区計画」を正式発表した。農業や環境を犠牲にせず、新型の都市化、新型の工業化、新型の農業近代化を進める方針で、2020年に都市住民一人当たりの可処分所得を38000元(約53万円)、農村住民一人当たりの純収入を16000元(約22万円)とする目標を掲げている。

 2020年には都市所得と農村所得の差もさらに縮小する。内陸開発が進めば当然である。2009年、都市と農村の所得比は3.33対1だったが、2011年には3.13対1に差が縮まっている。農村でも世帯所得が300万円を超える家庭がかなり出現するだろう。

 日本は香港を除けば、中国直接投資で世界一の座を占めてきた。言い換えれば、日本が市場としての中国の成長に大きな役割を果たしてきた、ということである。

 その中国がまさに市場の時代を迎える。可処分所得300万円時代と消費者が目覚める時代とが重なる。これまで日本企業にとって壁だった安価な中国製の限界が見え始め、品質で勝負できる時代を迎えるのである。

 既に中国人の海外旅行は年間延べ8000万人を超え、早晩1億人時代を迎える。もし、その10%を日本に取り込むことができれば1千万人、一人平均の支出を50万円とすれば、5兆円の市場が日本に生まれる。中国人の欧州旅行の平均支出額、中国外貨管理部門の調査、ビザの調査、福岡市など自治体調査からすれば、妥当な数字といえそうだ。

 「チャイナプラスワン」によって、中国と距離を置こうという考え方は、リスクのみに目を奪われて、これからという時に戦線離脱するようなものだ。

 市場経済の制度が整っていなければ、いかに人件費が低くても管理コストが膨らみ、対応の時間ロスも出る。中国が辿った同じ道を新興国も歩んでいることも知るべきだ。

 中国は裏経済と自己本位の社会で、風土、習慣、政治体制が日本と違い、多くの問題もある。しかし、これまで二十数年、それと戦い、進出企業は事業ノウハウも蓄積してきたはずだ。中国本土と香港を陸路でつなぐ連絡通路、羅湖(深圳市)のゲートでは反日デモの渦中でも、中国本土の人は、香港で買った日本の紙おむつを大量に持っていた。そうした日本製品に対する中国人の信頼がいかに高いか、といった事実も認識しなければいけない。

中国事業における社会技術の重要性

 日本企業の中国事業が抱える問題点は、社会技術が弱いことである。社会技術とは中国社会を知ったうえで、適切にマネジメントを行うことであり、その対応技術のことである。マネジメントを適切に実施するためには、中国社会に入り込まねばならず、人任せでは、それは得られない。しかし、余計なことに関わりたくないとの思いから、そこから目を背ける企業も多い。

 中国は異質な社会だ。そこでのビジネスは、中国人を信頼してある程度任せないと進まない。しかし、任せ方にも問題がある。任せる内容、任せる相手を見極めず、感覚的に、成り行き任せで対応するから問題が起きやすい。初めて会った相手との宴会で、白酒(中国の蒸留酒)で乾杯して意気投合したと勝手に思い込み、仕事を任せてしまうと思いもよらない問題が起きることがある。 

 中国人はよく、「問題ありません。任せて下さい」と口にするが、その言葉には問題が多い。

 「任せて下さい」と言う中国人には、一般個人である場合も、政府幹部である場合もある。もし、政府幹部から「任せて下さい」と言われたら、これで一安心と、ほっとする。確かに、それでうまくいく場合もあるが、うまく行ったのは運がよかっただけのこともある。

 中国に進出した日本企業が撤退したくても撤退できないという噂が時々流れ、報道されることもある。それはデマの場合もあるが、本当に起きていることもある。そうした話にはよく、中国人の「問題ありません。任せて下さい」という言葉が関係している。

 撤退できない背景の多くには、過去の政府幹部との癒着がある。それまで付き合っていた幹部が異動や定年で辞めると、それまで無理をしてきた付けが一気に回ってくる。

 個人的な関係で便宜を図ってもらった問題が表面化するのである。幹部が汚職で摘発されれば、反動は大きい。そうした場合、日本企業は、未納の税金などを請求され、問題を解決しなければ企業は清算できず、撤退できないという話になる。うまい汁を吸った分を返せということだ。請求される日本企業にとっては青天の霹靂だろう。しかし、人治から法治社会へと少しずつ歩む中国の進路を読み取れば、予想できたことでもある。

 「問題ありません。任せて下さい」の言葉を聞き、そんなことがほんとうに出来るのかと思いながら、その危うさを感じながらも言葉に乗ったのであれば、その企業自身の問題もある。中国のビジネスでは、「こうすればうまくいく」「こうすれば安くなる」「こうすれば許可がもらえる」といった「おいしい囁き」がたくさん舞い込む。

 「任せて下さい」という言葉は、日本人にとって心に響く言葉だ。政府幹部からそれを聞けばなおさらである。社会主義の国であり、制度も習慣も分からないからである。しかし、分からなければ、自ら社会に入り込み、学習するのが海外で戦うための前提条件である。

 そこから逃避する企業も多い。「大変だ」「面倒だ」「分からない」といった三つの心理がそれを拒む。中国事業の目的は、生産であり、販売であるから、そこから外れる「余計なこと」に煩わされたくないとの言い訳も働く。

 海外事業は生産や販売、管理といった固有技術だけでは成り立たない。異質な社会と組む技術、能力も必要である。むしろ中国では、固有技術より社会技術の方が時に重要となる。裏経済など日本と異なる社会風土が存在するからだ。

 中国ビジネスでは社会を知るための時間、コストも必要となる。分からないまま、ビジネスをすれば、手間もかかるし、失敗もする。しかし、失敗の積み重ねがビジネスの肥やしになり、その先にある宝の山が見えてくる。小さな失敗を繰り返しながら、大きな火傷を負わないように学習することも大切だ。

 怖がらず、逃げず、入り込めば、手ごたえも得られる。しかし、そうした努力をしないまま、「チャイナプラスワン」を考える企業も多い。

面倒さの向こう側に宝の山がある

 大変だ、面倒だ、分からない、という言い訳で遠ざけてきた問題の向こう側に、失われた宝が見える。問題となる領域は広い。工場の社員食堂の管理や保安、設備のメンテナンス、清掃、人材募集、人事管理、生産、営業まで、さまざまだ。

 中国では総務や人事管理で、社内不正がからむことが珍しくない。身近な例で示そう。工場の社員食堂である。中国の工場に設置された社員食堂は、従業員の福利として無償、あるいは企業の補助で一日3食を提供する場合も多い。

 中国南部では、3食の提供は当然のようになっている。そのため、休日に食事を出さないと、不満をこぼす社員が出るようになる。

 工場を建設し、従業員が入社すると、食事の提供が課題になる。多くの場合、専門業者に委託する。検討する段階で、自前でやれば、管理が大変、食材などをごまかされ、結局割高になるといった話がどこからともなく出てきて、自前は大変だ、面倒だ、という結論になるからである。

 現地の責任者は、そんなことで煩わされるより、本業の物づくりに専念したいといった意識も働く。業者の選定が始まると、業者から価格が提示される。外部委託の価格は昼食1食当たり10元から15元、安いところで8元、高いところで20元を超える。安いところは、厨房設備や光熱費が工場負担という場合が多い。

 10元であっても140円程度である。値段を聞いて、そんな値段で可能ならと判断して外部委託が決まる。その10元を巡る認識が社会技術の問題となる。10元の重みが分かるかどうかである。自前は管理が大変というが、本当に大変なのかどうか、まで検討することは稀だ。

 自前で食堂を運営した場合、1000人程度の工場では、中から上程度のメニューであれば、沿海部でも1食のコストは、人件費や償却費を含めても、せいぜい6元程度だろう。

もし、外部業者委託と自前の間に5元の差があれば、3千人を雇用する工場だと、昼食だけで年間約550万元、7600万円程度の差になり、3食を提供する工場なら、約2億円の差になる。日系企業では1食当たり20元を超える価格で外部委託するところもあるので、そんなところでは、6億円以上の差となる。固有技術で稼いだお金が、吹き飛ぶことになる。

 業者価格が15~20元になることも問題である。価格決定の過程で社内の不正が入り込み、価格が高くなっていることも多く、利ざやを業者と担当の中国人社員が山分けしていることも珍しくない。

 自前の対応に挑戦するという社風をつくることも大切である。そうしないと、外部委託が習慣化し、結果として、問題の本質を考えず、利益を失っていく組織風土をつくってしまう。

 規制が多い社会の中国では、そんな風土に陥るきっかけがいくらでも存在する。工場の安全事故では、事故の応急対応策の作成が義務化されているが、政府が外部業者に丸投げを促すような指導をしている。本来の安全対策より、形式的な対応策の作成が目的になり、社員が実際に見ることもない安全対策試案が作成されていく。

社会技術が生産性を高め、利益を生む

 外部委託は、一見、効率的に見える。しかし、それによって起きる問題は資金の流出やコスト問題だけではない。

 社会に入り込まなければ、いつまでもたっても中国社会の本質が見えてこない。社会の本質が見えなければ、開発も営業も進まない。あらゆる課題について、判断が遅れる。

 日本企業は総じて行動が慎重だが、リスクを考えたうえでの慎重さではなく、社会の本質が見えないから決断できない場合も多い。慎重に検討している間に、周囲の環境が変わることもあり、市場獲得競争では致命的になる。

 食堂の運営は社会技術を得る場であり、食堂の運営管理すらできない企業は、人を管理する技術が備わらない。

 何でも外部委託していると、人事管理の能力は育たず、労働生産性に影響する。例えば、人材募集である。中国では工場の一般労働者、いわゆる農民工の募集を人材会社に丸投げする場合が多い。工場の幹部や専門技術職を採用する場合は、難度が高いため、外部委託も仕方がない面があるが、農民工の募集はそうではない。自前でも情報は入手できるし、対応も可能である。

 人材会社に頼めば、農民工をかき集めて、候補者を工場に連れてくる。そしてずらりと並べて、「この中から選んで下さい」となる。

 しかしこれほどおかしなことはない。日本の企業は、人を財産、人財と考えているところも多い。その日本企業が、中国では「この中から選んで下さい」ということを不思議とも思わず対応する。そんな企業ほど定着率も悪く、中には離職率が年200%を超えるところもある。採用や人事管理すら人任せにしておいて、中国人はすぐ辞める、帰属意識やモラルが低いと嘆いても仕方がない。

 もし労働者が原材料と同じなら、離職率が高くて当然である。原材料なら1元でも高く出すところに流れる。だから離職率は高まるのである。社内の喧嘩などトラブルまで人材会社に任せている日本企業もある。それを平然と「便利で楽だ」と話す企業幹部もいる。

 人材会社に支払う管理料は安くない。従業員3千人で離職率が200%の場合、一人の紹介料を一人500元とすれば年300万元、約4200万円である。派遣労働者として受け入れるなら、労働契約も人材会社が行うので、管理料はもっと高くなる。

日本的な情緒的管理の問題に気づけば利益を取り戻せる

 社会技術が弱い企業は、マネジメントにも問題が出る。日本的な習慣、考え方で中国人に対応するからである。

 日本的な習慣とは、言い換えれば、情緒先行のマネジメントである。言わなくても心で伝わる、分わかってくれているはず、と考えるマネジメントである。特に組織管理が苦手な中小企業に、よく見られる。

 中国は、何も言わなくても気持ちが伝わる情緒社会ではないし、言っただけでは伝わらない社会である。言葉だけでなく、書いたものが必要だ。耳だけでなく、目で確認して脳に刻み込ませるコミュニケーション手段が必要である。

 さらに、目で確認したことを自覚させる方法も必要だ。話して、書いて、確認させ、サインさせて初めて伝わることになる。

 日本人は「頑張ろう」といった情緒に訴えかけるマネジメントが得意だ。中国でそれをやると、確認が疎かになり、責任もあいまいになり、致命的になる。問題が起きても、誰の責任か分からない。「指示されてない」「聞いていない」といった話になる。「みんなで頑張ろう」と言われても、中国人は何を頑張ればいいのか、分からない。

 中国で成功するには、いかに日本的なマネジメントから離れられるか、情緒先行ではなく、メリハリのある、ルールと責任をはっきりさせた合理的なマネジメントに切り替えられるかどうか、である。管理力の弱い企業、情緒先行のマネジメントから抜け切れない企業は、中国事業を進めるべきではない。

 ルールと責任をはっきりさせるためには、それに取り組む時間と労力が必要である。

一つ一つ確認して、押さえるべきところを押さえ、問題があれば修正して、経過と結果の評価もしなければならない。異文化の中でそれを進めるには、なおさら時間と労力、忍耐も必要である。

 情緒によるマネジメントは、そうしたことが苦手なので、「皆で頑張ろう」の言葉に逃避する。

 それは日本人にとって非常に心地よい言葉だ。問題の中に入り込めば、心身ともに疲れる。それよりも「頑張ろう」と叫ぶことで、なんとなく解決するような気にもなれる。

日本ではあいまいさの中でも、皆で頑張れば、それなりに問題が解決することもある。しかし、中国では「皆で頑張る」ことはないので、いつまでたっても問題は解決しない。だれも頑張らないし、個人の責任もあいまい。問題は先送りになり、中国事業で利益が出るわけがない。

 私は中国事業のコンサルティングを始めて二十数年になる。多くの日本企業が中国から撤退し、中国事業の難しさが語られている。昔も今も、「騙された」とか、「中国で儲けている日本の会社はない」「利益を日本に持って帰れない」といったデマや噂が伝わってくる。しかし、自分自身の経験から考えても、その原因の大半は、企業自身の問題で、取り組みの甘さと社会技術の欠如に起因している、と思われる。

 中国の真の市場経済の時代がこれから訪れる。中国市場を取り込むためにも、社会に入り込み、社会技術を高めることが日本企業の重要な課題である。

(この項終わり)


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