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【18-01】東工大から北京へ―躍進する中国の研究環境

2018年11月20日

廣田薫

廣田 薫:日本学術振興会北京連絡センター センター長、北京理工大学 外専千人特聘教授、東京工業大学 名誉教授

略歴

新潟県出身。1970年・1974年・1976年・1979年に、長岡高専・東京工業大学・東京工業大学大学院理工学研究科修士課程・同博士課程を、卒業・修了。相模工業大学(1979-82年、専任講師)・法政大学工学部(1982-95年 専任講師・助教授・教授)・東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻(1995-2015年教授)勤務を経て、2015年から現職。研究分野は計算知能(CI: Computational Intelligence)

① 中国で研究活動をすることになったきっかけは?

 2014学年度に入って、まわりから「先生も来年3月には東工大を「ご卒業」(定年退職)ですね、卒業後はどうされますか?」などと質問がくるようになり、自分でもどうしたものかと考え始めた頃、以前に研究室滞在のお世話をしたことのある北京理工大学(BIT)の先生から「中国政府の千人計画教授に応募して中国に来ませんか?」という誘いがあった。千人計画教授について調べてみると、失礼な例え話ではあるが(購入しても殆ど当たらないが、当選すればすごい)宝くじのようなものであることが判明した。東工大時代には、28カ国から100名以上の研究者や学生を受け入れていたこともあり、2週間後には別の中国の大学の先生からも、同じプログラムに応募しないかという勧誘を受けた。海外勤務などはあまり頭になかったのであるが、最初に誘いを受けた北京理工大学から応募だけはしてみることにした。

 他にもいくつか話が来たのであるが、秋になると今度は、東工大の学長経由で日本学術振興会(JSPS)から、「北京研究連絡センターのセンター長」という話がやってきた。こちらは宝くじとは異なり、当選確率はかなり高いお話であった。調べてみると、JSPSのオフィスとBITは、北京市の中関村地区で至近距離にあり、仮に両者とも当選してしまった場合でも兼務可能とのことだったので、何か運命的なものを感じてお受けすることにした。こうして、2015年3月末に東工大を「卒業」すると同時に4月1日からJSPS北京研究連絡センター長として北京に赴任することになった。こちらは、研究職ではなく、管理職である。他方、BITの千人計画教授の方は、通常の大学人事の応募書類の何倍もの資料を用意させられて2014年の9月頃に応募を完了したのであるが、何段階もの厳しい審査を経て、内定に至ったのは2015年の6月になってからで、その後いろいろ打ち合わせを経て、実際に着任したのは、中国の新学期に合わせた2015年9月になってからである。

② ご自身の研究テーマ、所属する研究室基本情報など。

 電気系の出身で、工業高専では強電、大学に入ってからは弱電・通信を経て、情報科学(Computer Science)に落ち着いた。大学院生の頃になって、日本の大学でもようやく情報という名前の学科ができはじめたという時代で、当時の研究の主流は、ハード的には高性能CPUや大規模記憶素子の開発、ソフト的には高能率なOSや計算機言語がテーマであった。それらは簡単ではないものの努力をすれば克服できるように、私は感じた。努力をしても難しそうなテーマが、周辺技術として位置づけられた、人工知能やパターン認識で、大学院時代には、パターン認識に関連したテーマを選んで、学位を取得した。人間の認知あるいは認識に関連する研究で、方法論としてはファジィ理論がベースである。しかし、当時1970年代、ファジィ理論は学術の世界では排他的な扱いを受け、多難な研究生活を展開せざるを得なかった。その後、応用としては画像認識・知的制御・ロボットなどを中心に、学術分野としてはAI・ファジィ・ニューロ・GA/EC・カオス・フラクタルなどを網羅した計算知能(CI: Computational Intelligence、なお日本語の計算知能という言葉は私自身が創りだしたものである)というキーワードのもとで、今日に至っている。

 BITの研究室は、現在、私の他、PostDoc研究員1,(日本語が堪能な)秘書1,Dr学生3,Ms学生9の計15名で構成されている。実際は、私の受け入れ世話役教授の研究室の構成員と一体化した総勢30名ほどで、300㎡ほどのスペースで研究室を運営している。

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研究室にて(右は日本語堪能な秘書さん)

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研究室内でのゼミ風景

 なお、私にはJSPSの仕事もあり、JSPSのオフィスとBITの研究室はdoor to doorで車利用10分弱という至近距離でもあるため、通常はJSPSオフィスにいて、必要に応じてときどき(例えば16時から夜まで)BITに行くというパターンで生活している。つまり、BITにおける私は、実質的には日本の大学における連携教授のようなものであると理解していただければ良いだろう。

③ 大学で特筆すべき設備や支援制度があれば。

 私のような、いわゆるIT系の研究者は、四半世紀ほど前のワークステーション全盛の時代ならいざ知らず、現在ではコスパの良くなった計算機環境があるので、設備や研究予算について、あまり心配する必要は無い。中国政府の千人計画プログラムで、十分すぎるほどの研究環境が整っている。

 ここで、千人計画プログラムについて少し紹介しておこう。中国では、文化大革命という知識人にとっては不幸な時代があった。その後鄧小平氏のお声がけで、俗に海亀政策と呼ばれるプログラムが始まり、頭脳流出した中国人研究者総勢100名を、21世紀になるまでに自国に呼び戻そうというものであった。今世紀に入ってから、その延長とも言える、千人計画
http://www.1000plan.org/en/

がスタートした。中央政府によるものと地方政府によるもの、また、頭脳流出している中国人(一部外国人も可)が対象である創新・創業・青年の3種類、および外国人専門家(外專)などの各種プログラムがあり、それぞれが毎年数十名から百名強を10年程度で千人を目指すということで公募選抜し、現在、全世界から合わせて7000名ほどの高度人材が、これらのプログラムで中国に滞在していると言われている。それぞれが、基本的には5年間のプログラムで、各当選者には、立ち上げ一時金から研究資金など総額1億円ほどが供与される。好条件の上、中国での経済や生活水準の向上などもあり、年々競争が激しくなってきており、私が関与した一昨年のあるプログラムでは、全世界から5千名ほどの応募者に対して最終的に採択されたのは86名というような狭き門である。なお、私は外專のプログラムであるが、私の東工大時代にDr指導をした中国人留学生のうち、創新で2名、創業で1名が当選して、中国で活躍中であるという事実は、少し自慢して良いのかもしれない。

④ 日本と中国の研究環境の違いについて。

 文革の影響もあって、中国では、現時点で55歳以上の高度人材が不足(欠落)しているが、それが解消されるのは時間の問題である。それ以下の年齢層では、欧米仕込みあるいは日本仕込みの優秀な研究者が、リーダーとして多数活躍しており、JSPSの科研費予算をはるかに超えてしまっているNSFC(中国国家自然科学基金)による研究助成を始めとする研究支援、多数のベンチャーキャピタルによる支援などなど、現在の中国は、1980年前後のJapan as No.1と言われた頃の日本を思い出す。当時、日本で私達は、先輩から、「日本人は欧米の創出した研究成果を持ち込んだ応用研究成果を多数出しているが、残念ながら、ノーベル賞級のオリジナル成果が無い。」と、散々お説教されてきた。しかし、その頃行われていた基礎研究が、今世紀に入って多数のノーベル賞として、成果が認められている。同じような事が、現在の中国で密かに進行中であることには、日本の将来を考えるとき、ある意味で危機感を持たざるを得ない。

⑤ 中国での研究活動を考えている研究者 にアドバイスを。

 JSPSの日本人海外派遣プログラムでは、米国や先進西欧諸国への希望が多く、中国への派遣数は片手で余る状態が続いている。つまり、日本人研究者の目は、まだ中国に向いていない。しかし、既に述べたように、中国での研究環境は極めて充実している。

 また、現在ではインターネットが完備されていて、日本のTVも実質自由に見ることが出来、(画像付き)電話も24時間日本に自由にかけることが出来る。(政治問題などに深く関与しない限り)北京での生活は、東京よりもむしろ便利かつ安全である。

 ということで、中国での研究活動は、今がチャンスである。それを実施する上で、一つだけアドバイスをすれば、出来るならば「若いうちに中国語の勉強をやっておくこと」でしょう。