【14-07】党中央財経領導小組の実体
2014年 9月 3日
田中 修(たなか おさむ):日中産学官交流機構特別研究員
略歴
1958年東京に生まれる。1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に1等書記官・参事官として勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信 州大学経済学部教授、内閣府参事官を歴任。2009年4月―9月東京大学客員教授。2009年10月~東京大学EMP講師。学術博士(東京大学)
主な著書
- 「2011~2015年の中国経済―第12次5ヵ年計画を読む―」(蒼蒼社)
- 「検証 現代中国の経済政策決定-近づく改革開放路線の臨界点-」
(日本経済新聞出版社、2008年アジア・太平洋賞特別賞受賞) - 「中国第10次5ヵ年計画-中国経済をどう読むか?-」(蒼蒼社)
- 「中国経済はどう変わったか」(共著、国際書院)
- 「中国ビジネスを理解する」(共著、中央経済社)
- 「中国資本市場の現状と課題」(共著、財経詳報社)
- 「中国は、いま」(共著、岩波新書)
- 「国際金融危機後の中国経済」(共著、勁草書房)
- 「中国経済のマクロ分析」(共著、日本経済新聞出版社)
- 「中国の経済構造改革」(共著、日本経済新聞出版社)
これまで、共産党中央財経領導小組は、財政・経済政策の党の司令塔としてその存在がかねてより知られていたものの、その性質・構成員・組長・運営・権限といった組織の実体はベールに包まれていた。しかし、最近になって新華社・中央電視台・国際金融報等が相次いで中央財経領導小組の実体につき詳細に報道しており、その実体が次第に明らかになりつつある。
1.小組の構成員
6月13日と8月18日、中央電視台は中央財経領導小組会議の模様を報道した。2回の報道映像を比較すると、8月18日の報道(時間は5分10秒)では、中央電視台は会議の現場映像を報道せず、全て文字形式で会議の内容を報じた。しかし6月13日の報道(時間は4分51秒)では、会議の現場映像が報道された。その結果、出席者が誰であるかが明らかになったのである。
(1)政治局常務委員の出席者
6月13日の第6回会議では、中央財経領導小組の構成員に3名の政治局常務委員、習近平・李克強・張高麗がいることが明らかになった。8月18日の第7回会議では、上記の3名に加え、劉雲山が中央財経領導小組の構成員に任じられていることが確認された。
6月13日の会議には劉雲山は出席していなかったが、これは彼がフィンランドを公式訪問していたためである。
(2)その他の出席者
中央電視台の6月13日の映像では、習近平・李克強・張高麗以外に、円卓会議の丸テーブルに座っている人物は、劉延東・汪洋・馬凱各副総理、中央政策研究室王滬寧主任、中央弁公庁栗戦書主任、楊潔篪国務委員、楊晶国務委員兼国務院秘書長、中央銀行周小川行長、解放軍房峰輝総参謀長、肖捷国務院副秘書長、国家発展改革委員会徐紹史主任、工業情報化部苗圩部長、国土資源部姜大明部長、住宅都市農村建設部姜偉新部長、水利部陳雷部長、中央財経領導小組弁公室劉鶴主任、外交部王毅部長、科学技術部王志剛副部長・党書記、財政部楼継偉部長などである。
2.組長
これまで、中央財経領導小組の組長については、総書記か総理か様々な憶測があった。しかし、6月13日の新聞報道において習近平総書記が中央財経領導小組組長を兼任していることがはっきりした。
このため、再び一部で習近平総書記の「李克強はずし」の一環ではないかとの観測が流れたが、6月18日、「人民日報海外版」傘下の大衆向けブログ「学習小組」は、「薛渓組」という署名の「総書記が財経小組の組長を担当するのは中国共産党の伝統である」という文章を発表し、「調べによれば、財経領導小組組長は総理が兼任するという海外の伝聞は決して正確ではなく、財経領導小組組長はずっと最高指導者が自ら担当していた」と指摘した。
「学習小組」が引用した資料によれば、1989年、江沢民が総書記を引き継いだとき、中央財経領導小組組長の職も引き継いでいる。1997年の15回党大会以後、官製メディアは財経小組の構成員に関する情報を公開しなくなった。当時、メディアによっては、朱鎔基・温家宝両総理が前後して組長になったと報道したものもあった。しかし、これらの報道は正確ではなく、中央財経領導小組組長は、ずっと最高指導者が自ら担当しており、江沢民は2002年まで財経小組組長を担当していたのである。
また「南方週末」は、かつて中央財経領導小組弁公室で重要な職務にあった人物の話の引用として、胡錦濤が中央財経領導小組組長を引き継いだのは2003年3月――2002年16回党大会閉幕から半年後、新政府誕生のときであり、18回党大会の後習近平は慣例に従いこの職務を兼任したが、実際の引き継ぎが終わったのは2013年3月であったとしている。
3.運営の歴史
1958年6月10日、党中央は「財経・政法・外事・科学・文教小組に関する通知」を出し、これにより中央財経領導小組が設立された。2013年1月、中国社会科学院当代中国研究所の張金才研究員が発表した「陳雲と中央財経領導機関の変遷」によれば、1958年に設立された中央財経領導小組は、国家の経済政策を統一的に指導する機関ではなく、一諮問機関であった。
文革の期間中は、中央財経領導小組は活動を停止した。
1980年3月17日、党中央政治局常務委員会は、国務院財政経済委員会を廃止し中央財経領導小組を設立することを決定した。
1984年、莫干山会議で価格政策が議論されたが、これをきっかけに中央財経領導小組は政策決定に関わるようになった。
1989年7月28日、党中央は中央財経領導小組を廃止したが、1992年12月28日に至り小組は復活した。これ以降、中央財経領導小組は組織として定着したのである。
4.機能
1999年7月、当時党中央政治局常務委員であった胡錦濤は、「領導小組は計画・政策決定・政策指導の参謀・助手であり、各方面の情況を上から下に伝達する中心・枢軸である」と指摘した。
中央財経領導小組の機能は、現在、5ヵ年計画・国務院政府活動報告・中央経済工作会議等の重大活動、及び経済情勢の調査研究・分析とマクロ政策研究等の方面において、中心的役割を果たしている。
最近数回の中央財経領導小組の会議の内容も明らかになっている。中国新聞社の3月の報道によれば、習近平総書記は中央財経領導小組会議と中央政治局常務委員会会議を主催し、都市化計画の本文を審議した。中国水利網6月13日によれば、今年3月習近平総書記は中央財経領導小組第5回会議において、中国の水の安全問題について重要講話を発表し、国家の水の安全を保証する基本的考え方を提起した。第6回会議ではエネルギー安全を強調し、第7回会議では科学技術強国を強調した。
また1年に1度の中央経済工作会議の前、7・8月から国務院各構成部門と直属機関は会議関連の材料を大急ぎで収集し、各部門が上申した材料は全て中央財経領導小組弁公室が統一的に企画している。
5.中央財経領導小組弁公室の陣容
中央財経領導小組の下に設けられた中央財経領導小組弁公室は、経済政策に責任を負う最高議事機関であり、部レベルの機関である。
1980年以降、前後して中央財経領導小組弁公室主任を担当した者は、少なくとも6名いる。李智盛は1981年から1985年の間中央財経領導小組弁公室主任であり、その後、蒋冠庄・曽培炎・華建敏・王春正・朱之鑫が前後してこの職位を担当した。曽培炎から始まり以後数名の中央財経領導小組弁公室主任は、いずれも同時に国家発展改革委員会(国家計画委員会)副主任の職に任じられている。このことから、国家発展改革委員会は中央財経領導小組に強い影響力を有していることが想像される。
党の議事協調機関として、中央財経領導小組の人事異動は一般に対外的に公表されておらず、海外メディアは関係者が領導小組責任者の身分で公開活動を行ってはじめて、人事異動の内容を知ることができる。公開報道により、現在の弁公室主任は国家発展改革委員会の劉鶴副主任、弁公室副主任は楊偉民・易綱・陳錫文等であることが明らかとなった。劉鶴は習近平総書記と個人的に親しい人物といわれ、楊偉民は長年5ヵ年計画の策定に携わった行政のベテラン、易綱は金融の改革派であり、陳錫文は農業問題の専門家である。
2013年3月、中国発展ハイレベルフォーラム2013年経済サミットにおいて、これまでずっと国務院発展研究センター党組書記・副主任であった劉鶴が、はじめて中央財経領導小組弁公室主任・国家発展改革委員会副主任の身分で関連活動に参加したことにより、中央財経領導小組で新たな人事異動があったことが明らかとなった。
「福建日報」の報道によれば、4月25日、福建省党委員会の中心グループが特別学習会を挙行した。中央財経領導小組弁公室副主任・中国人民銀行副行長・国家外貨管理局局長の易綱は、招請に応じ「18期3中全会精神を貫徹実施し、金融分野の改革を全面的に深化させる」という特別報告を行った。これは、易綱がはじめて中央財経領導小組弁公室副主任であることをメディアで明らかにしたものであった。楊偉民・陳錫文は留任である。