【14-08】夏季ダボス会議における李克強総理の演説
2014年10月 2日
田中 修(たなか おさむ):日中産学官交流機構特別研究員
略歴
1958年東京に生まれる。1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に1等書記官・参事官として勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信 州大学経済学部教授、内閣府参事官を歴任。2009年4月―9月東京大学客員教授。2009年10月~東京大学EMP講師。学術博士(東京大学)
主な著書
- 「2011~2015年の中国経済―第12次5ヵ年計画を読む―」(蒼蒼社)
- 「検証 現代中国の経済政策決定-近づく改革開放路線の臨界点-」
(日本経済新聞出版社、2008年アジア・太平洋賞特別賞受賞) - 「中国第10次5ヵ年計画-中国経済をどう読むか?-」(蒼蒼社)
- 「中国経済はどう変わったか」(共著、国際書院)
- 「中国ビジネスを理解する」(共著、中央経済社)
- 「中国資本市場の現状と課題」(共著、財経詳報社)
- 「中国は、いま」(共著、岩波新書)
- 「国際金融危機後の中国経済」(共著、勁草書房)
- 「中国経済のマクロ分析」(共著、日本経済新聞出版社)
- 「中国の経済構造改革」(共著、日本経済新聞出版社)
9月10日、李克強総理は天津で開催された夏季ダボス会議において開幕演説を行った。この演説は現在の中国のマクロ経済政策の基本方針をよく示しており、そのエッセンスを紹介する。
1.経済情勢
(1)経済情勢判断
まず、李克強総理(以下敬称省略)は「今年に入り、世界経済情勢は錯綜し複雑であり、先進国経済の回復は困難で曲折しており、新興市場国の経済成長率が鈍化し、中国経済の下振れ圧力が増大している。我々は安定の中で前進を求めるという政策の総基調を堅持し、冷静さを維持し、主動的に成果を挙げ、強い刺激を行わず、金融も緩和せず、改革を強力に推進し、構造調整に力を入れ、民生改善に力を入れ、経済の平穏な運営を維持した」とする。
上半期、中国の経済成長は7.4%(年間目標は7.5%前後)であり、消費者物価上昇率は2.3%(年間目標は3.5%以内)であった。1-8月期、31の大中都市の調査失業率は5%前後を維持し、都市新規就業増は970万人余り(年間目標は1000万人以上)で、前年同期比で10万人余り多く増加した。消費者物価と雇用が目標範囲におさまっており、7.4%の成長率は「7.5%前後」といえるので、経済は合理的な区間内におさまっていると判断しているのである。なお、調査失業率は、都市登録失業率に代わる指標として新たに開発された指標である。
もっとも、7・8月の各経済指標は低迷しており、一部では景気対策を求める声が出ている。これに対して李克強は、「これは避け難いものであり、想定内でもある。なぜなら、内外経済情勢は依然複雑で変化に富んでおり、昨年下半期の我々の発展のベースも高かったからである。中国経済を見る際には、眼前のもの・局部・単体のものだけを見てはならず、動向・全局・総体をもっと見なければならない」、「また、中国経済には巨大な強靭性・潜在力・挽回の余地があることを見てとらねばならない。我々が採用している措置は、当面に利するのみならず、長期にも恩恵が及ぶものであり、大きな起伏の出現を防止する能力があり、ましてや『ハードランディング』は発生しない」とし、指標の毎月の変動で一喜一憂することを戒めている。
このように強気の姿勢を示しつつも、「しかし、このことは決して我々が発展において困難・試練がないと言っているのではない。むしろ、我々が遭遇している困難・試練は依然として容易ならざるものである」と情勢の困難さをも認めている。
(2)方向を定めたコントロール
李克強は「経済は総体として安定し、安定の中で質を高めている」とし、「重要なことは、我々が区間コントロール下での方向を定めたコントロールを実施し、経済社会発展のカギとなる分野・脆弱部分にしっかり取り組み、改革・イノベーションの手法を更に多く運用し、『活力を奮い立たせ、不足部分を補い、実体を強化する』ことに集中して、精確に力を発揮し、方向を定めて施策を行ったことである」と強調する。
この「方向を定めたコントロール」という表現は、最近頻繁に使用されているが、李克強は「これは実際のところ、一種の構造的コントロールであり、改革のみならず調整を包括しており、①資源配分において市場に決定的役割を発揮させるよう努力し、市場の障害打破に力を入れるものであり、②政府の役割を更に好く発揮させ、社会の公平の促進に努力するものである」と解説する。つまり、マクロ・コントロールと同時に、構造調整をも併せ進めようとするものである。
したがって、マクロ経済政策も単なる財政資金のバラマキではなく、対象が絞られることになる。演説では、「我々は内外の要求について積極的にバランスを図り、地域の発展の協調を図り、都市・農村の格差を縮小し、農産品の供給を安定させる。我々はまた、中西部の鉄道、バラック地区の改造、汚染対策等の民生と発展に係るプロジェクト建設を強化する。拡大するのは、いずれもバランスのとれた発展を長期に成約してきたボトルネックの部分であり、新しいタイプの都市化を力強く支援し、公共財の供給を有効に増やすものである」とされている。
2.当面の経済政策
(1)基本的考え方
次に李克強は、「内外経済に新たな常態が出現している下で、我々は冷静さを維持し、深くにまで力を入れ、構造調整等の長期的問題に更に注意を払い、決して単体の指標の短期・小幅な変動につられて舞い踊りはしない」とする。この「新たな常態」は習近平総書記が演説でしばしば用いており、「方向を定めたコントロール」と並ぶ中国経済のキーワードとなっている。即ち、経済成長が高速成長から中高速成長へと減速するなかで、もはや単純に成長の速度を追い求めるのではなく、成長の質・効率の向上を重視しなければならないとし、経済構造調整・経済体制改革・経済発展方式の転換の推進に政策の重点を移すべきだとする考え方である。
この「新常態」の考え方に基づき、李克強は「我々は区間コントロールという基本的考え方を堅持する。経済成長率が7.5%前後を維持してさえいれば、多少高かろうと低かろうと、いずれも合理的区間に属しているのである。とりわけ、安定成長は雇用を維持するためのものであり、コントロールの下限は比較的十分な雇用であることを見てとらねばならない。総量の拡大、とりわけサービス業の発展が迅速であることに伴い、経済成長の雇用容量は拡大し、変動への許容度も高まっている」とし、大型の景気刺激策の発動を否定している。かつては8%成長が雇用確保のデッドラインと言われたこともあったが、第3次産業の発達に伴い、それほど高い成長率は必要なくなったわけである。
そして李克強は、「今年あと4ヵ月、我々は安定成長・改革促進・構造調整・民生優遇・リスク防止を統一的に企画し、マクロ・コントロールの基本的考え方・方式を不断に整備・刷新し、区間コントロールの基礎の上に方向を定めたコントロールを強化し、構造の改革・調整を推進し、壮士が腕を断つ覚悟・背水の陣の決意を抱いて、小さな部分から全局にまで影響が及ぶような重点改革を推進し、長期にわたる問題の解決に着眼しなければならない」というマクロ経済政策の基本方針を示している。
(2)具体的政策
李克強は当面の政策を大きく3つにまとめている。
① 引き続き政府自身の革命から始める
- 行政の簡素化・権限の開放を更に強化する。
- 財政・税制改革を深化させ、予算管理制度改革を推進することにより、公共資金を公平・有効に使用する。サービス業とりわけ研究開発型企業の発展を支援するための「営業税を増値税に改める」テストを引き続き拡大する。
- 金融改革を深化させ、民営銀行のテストを推進し、金融業の参入制限を整理・規範化し、様々なレベルの資本市場の発展を推進する。
- 国有企業改革を深化させる。
- 価格改革を推進し、エネルギー産品・薬品・医療サービスの価格形成メカニズムを整備する。
- 投資体制改革を深化させ、政府のサービス購入・公私協力モデル・特許経営制度を推進する。
② 引き続き深層レベルの構造的矛盾の打破を軸とする
- 公共財の有効な供給を更に増やし、有効需要の牽引により、投資の不足部分を補い、個人消費を拡大し、新たな成長分野を開拓する。
③ 引き続き財政・金融のフロー・ストック資金をうまく用いる
- 実体経済・新興産業・新興業態への支援を更に増やし、「三農」、小型・零細企業、サービス業等に更に多く恩恵を与える。
以上の政策を挙げたうえで、李克強は、「我々の努力を通じて、『改革のボーナス』を『発展のための新たな機能』・『民生のための新たな福祉』に転化する。中国は不断に困難を克服し、今年の経済社会発展の主要予期目標を実現する自信・能力・条件を有する」と結んでいる。
このように李克強総理は、7・8月の指標が落ち込むなかで、大型景気刺激策を発動せず、現行の方向を定めたマクロ・コントロール政策の継続を訴えている。しかし、7-9月期の成長率が大きく落ち込み、7.5%の年間成長率目標達成に黄信号がともった場合、10月に開催される党4中全会で景気刺激策を求める声が噴出するおそれもあり、予断を許さない。