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【16-06】人事の一年

2016年12月12日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 習近平指導部の折り返し地点となる来年の「十九大」(中国共産党第19回全国代表大会)を前に、それまでの4年間を総括した「六中全会」(第18期中央委員会第6回全体会議)では、習近平総書記が「核心」と位置付けられたことが大きく報じられたが、その習氏の最大の成果として強調されたのは、やっぱり反腐敗キャンペーンであった。

 国内では「やり過ぎ」との不平は聞こえてくるものの「看板倒れ」と評する声は皆無である。党中央規律検査委員会(中規委)の発表を受けて『人民網』が11月30日付で配信した記事、〈「十八大」以来、44人の〝大トラ〟に刑事罰が下され、うち5人の収賄額が億を超えていた〉は、まさに中国の政官界を上から下まで破壊し尽したかがよく理解できるものであった。

 興味深いのは、反腐敗キャンペーンの入り口となった2013年から2014年までが最も激しく取り締まりが行われた印象だったが、トラ退治と名付けられた大トラの捕獲が進み、彼らに実刑が下されるという流れは、むしろ15年から16年へと増えていることが分かるのだ。

 事実、大トラへの判決が下されたのは2014年がたった4人であったのに対して、翌15年には16人、そしてその次の年には24人へと膨らんでいるのである。

 反腐敗キャンペーンは、年を追うごとに大衆の感覚もマヒしてしまい、ちょっとやそっとの金額や大物の逮捕では驚かなくなったといわれるが、それは外国人として見守る側も同じである。

 今年、重い刑罰を言い渡された大トラのなかには元党中央軍事委員会副主席で軍のドンとまでいわれた郭伯雄上将(7月25日 無期懲役)がいたり、元党中央弁公庁主任の令計画(逮捕時は全国政治協商会議副主席、党中央統一戦線部部長)にも同じように7月4日、無期懲役の判決が下されているのに、メディアはそれほど大きな反応を示さなかったのである。

 全44人の〝大トラ〟のうち、1人に死刑。2人に執行猶予付き死刑、そして9人に無期懲役を言い渡しているのだから、中国の官僚や政治家に与えた影響は計り知れないというべきだろう。

 この最前線に立ってきた中規委を頂点とした各地の規律検査委員会(規委)は、激務の上に地元の有力者を敵に回すことも多く、有形無形のプレッシャーにさらされてきたことは想像に難くない。

 同時に、家族や親せきなどをはじめとして地縁も大切にする中国社会にあって、地元の規委を本格的に機能させようとすれば、その濃密で強固なしがらみを個々の検査官たちに乗り越えさせなければならないのだが、それは、中国社会においては決して簡単なことではないのだ。

 習近平の下でこれが機能した理由は、これまで中規委のトップとして辣腕を振るった王岐山書記(政治局常務委員)の存在によってのみ説明されてきたのだったが、もちろん、それだけが理由ではない。

 2017年から中国が「人事の一年」に突入するのを機に、人事という視点にも人々の関心は向けられ始めているからだ。

 反腐敗キャンペーンの実行部隊である規委の人事に変化が表れるようになったのは、三中全会(中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議)後に出された党の「規律検査体制改革」以後のことである。

 忘れてはならないのは、三中全会において規律検査体制改革が全面深化改革の重要な構成要素と位置付けられていることだ。習近平国家主席はこのとき、「党の規律検査体制の改革と反腐敗の指導体制と組織の健全化」の必要性を強調し、これをうけていくつかの決定が出されている。

 2014年6月30日には党中央政治局会議において「党の規律検査体制改革実施法案」が審議され、2015年10月18日には「中国共産党規律処分条例」が頒布されるというように規律検査の中身が具体化されてゆく流れができてゆくのである。

 こうした規律検査の思い切った改革を受けて、それを指導する規委のトップ人事も大きく変容することになる。

 その大きな特徴の一つが、「空降(落下傘)」と呼ばれるものだ。

 落下傘はそのまま日本でもよくみられるものだが、地域色の強い中国では、本来なら抵抗の強い人事となる。それを次々と実行していったのである。

 その代表例とされているのが、中規委の第十規検監察室主任から山東省規委書記に抜擢された陳輻寛。また現在、山西省党委副書記の黄暁薇は、二年前に監察部副部長のポストから山西省規委書記へと配置されている。

 江西省党委副書記の姚増科も、やはり監察部副部長から天津市規委書記を経て現職に就いている。

 このほか、吉林省規委書記の崔少鵬、遼寧省規委書記の陳小江、山西省規委書記の任建華、広西チワン族自治区規委書記の于春生、湖南省規委書記の傅奎、寧夏回族自治区規委書記の許傳智、チベット自治区規委書記の王擁軍などが、みな中規委での職務を経て地方のトップへと落下していっているのだ。

 習近平指導体制下の規委における人事の特徴は、「落下傘」だけではない。これと同じくらい目立っているのが、他部署・他業種からの人材登用であり、また他部署・他業種への抜擢である。

 以下にいくつかの実例を示してみると、内モンゴル自治区政法委員会書記から安徽省規委書記になった劉惠、国家糧食局局長から河南省規委書記となった任正暁、貴州省党委秘書長から内モンゴル自治区規委書記となった劉奇凡、上海市副市長から江蘇省規委書記になった蒋卓慶、海南省海口市党委書記から江西省規委書記となった孫新陽、江西省副省長から甘粛省規委書記になった劉昌林という具合である。

 こうした動きから見えてくるのは、規律検査の現場が日々複雑化し、専門知識を問われる作業になっていることである。だが、これと同時に規律検査委員会を経由して、出世する人材が増えてきているということ。つまり、規律検査部門はいまや明らかに一つの出世コースに位置づけられてきているという事実である。

 この視点から見ても、習近平の中国とは、やはり規律検査の十年と見て間違いないのだろう。