【17-04】南シナ海行動規範
2017年 8月30日
富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授
略歴
1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。
著書
- 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
- 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
- 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数
北朝鮮がICBM発射実験を強行したことを受け、国連が新たな制裁決議案を採択し幕を開けた8月は、月末に米韓合同軍事演習が予定されていたこともあり、アジアの話題は依然として朝鮮半島一色に染まっているようにも見受けられる。
だが、朝鮮半島で高まる〝危機〟ばかりがクローズアップされるその裏側では、米中間の深刻な火種である南シナ海で、大きな変化が起きていた。
舞台となったのは毎年行われているASEAN外相会談など一連の会議であった。新たに外相に就任した日本の河野太郎大臣も参加した同会議は8日、フィリピンの首都・マニラで閉幕した。
閉幕と同時に会議に出席していた中国の王毅外相は記者の前に現れ、「10ヵ国の外相と会談(10プラス1)し、双方が重要な合意に達した」ことを自信に満ちた表情で報告している。
中国・ASEANの外相は閉幕に際し共同コミュニケを出しているが、そのなかで双方が南シナ海行動規範(以下、規範)に関して、その「枠組みの合意」にも至ったことを会議の成果として発表していた。
南シナ海行動規範の合意とは、南シナ海の対立を深刻な紛争に発展させないため「全ての当事国が緊張を高めるような行動を自制し、国連海洋法条約を含む国際法に基づき、問題の平和的解決を追求すべき」とした合意である南シナ海行動宣言を法的拘束力を持つ規範に格上げするための合意を目指すというものであるが、実際にはそれぞれの国のエゴがぶつかり遅々として進んでこなかった。
それだけに「枠組みの合意」という表現ながらも進展を得たことに、王毅外相が自信満々に会見に応じたと考えられる。
興味深いのは会議の成果としたこの「枠組み合意」を内部文書として、具体的な内容を非公開と位置付けたことだ。そして、その理由を、「これから始まる交渉に際して穏やかな政治環境を整えるため」としたことである。
このなかで触れられた「穏やかな政治環境」とは、つまり各国のエゴのことで、交渉に国民の感情が入り込めばまとまるものもまとまらないとの判断があるのだろう。これはつまり、中国ASEAN双方に「まとめたい」という意思が働いたという積極的なシグナルとも考えられるのだ。
同時に中国は、ASEANとの協力に関し「7つの提案」(「一帯一路における各国とのマッチング」や「貿易の拡大」や「人的交流のさらなる推進」など)、規範に至るまでの「3つのステップ」を提案し、いずれも「合意を得た」と発表している。
前者は、中国が新たな経済協力をASEAN側に約束したことを意味し、後者は規範の交渉入りまでにある程度具体的なロードマップ――まず11ヶ国の外相が規範への移行を確認し、年内に次の段階の協議を始められるよう準備。次に8月末までに交渉の方向と原則、計画を話し合い、3段階目として南シナ海問題に当事国以外の干渉がなく同海域が安定していることを前提として中国・ASEANサミットを11月に開催して規範の具体的な交渉を進める宣言をする――を描いたことをうかがわせた。
来年は中国とASEANが戦略的パートナーシップの関係を築いて15周年目にあたる節目の年である。だから、来年には規範に絡み大きな一歩を踏み出そうということだ。
驚かされたのは中国と、この問題で中国と最も激しく対立する国の一つであるフィリピンの、それぞれ外相の会見の内容だ。
まずは王毅外相だが、彼は南シナ海の埋め立てについて訊かれ、「中国はすでに2年前、この地域での埋め立てを終えている。つまり、いま埋め立てがあるということであれば、それは中国以外の国のことである」と答えたことだ。これは中国が今後はもう埋め立てを行わないという意味にもとれる。
王毅外相が言及した「以外の国」について中国のメディアはご丁寧に米シンクタンクCSISの資料を引いてベトナムの行為であることを報じていた。
一方、フィリピン側はどうだろうか。会見場でフィリピンメディアの記者との質疑に応じたカエタノ外相の発言は衝撃的であった。以下にできるだけ忠実に反映したい。
記者 「中国の行っている埋め立てや軍事化についてなぜ言及しないのか?」
外相 「あなたの質問の意図は何ですか? あなたは問題を大きくしたいのですか。それとも南海行動規範を前に進めたいのですか」
記者 「なぜ(昨年7月の)仲裁裁判の裁定について触れないのですか?」
外相 「触れても何の問題の進展につながらないからです。もし裁定に言及すれば、中国は対話のテーブルから降りるでしょう」
記者 「日米豪3カ国外相が『中国の一方的な行動に反対する』との声明を出したが?」
外相 「われわれは一つの主権国家です。だから自分のことは自分で決める。彼らの意見は尊重します。しかし、これはフィリピンと中国の領土紛争ですから、我が国と中国との間で問題を解決します。だから他の国にとやかく言われたくありません」
昨年、仲裁裁判所の裁定を巡り激しく対立した中比関係を考えれば信じられない変化だが、これもドゥテルテ大統領誕生後の中国の経済協力の状況を見れば明らかだろう。
ドゥテルテ大統領は2016年10月18日、500人の代表団を組んで訪中。計13通の2ヵ国間の文書に調印。そのなかで200億ドルの契約を結び、対中輸出を一気に加速させている。
今年7月24日、国会において2回目の一般教書演説を行ったドゥテルテ大統領は「中国から援助を得た」と語り、「フィリピン国会にお金がなければ中国が貸す」、「パシッグ川に二本の橋をただで架けてくれる」とまで述べている。
南シナ海における中比紛争の象徴であった漁民たちも、いまは中国との問題は抱えていないところを見ると、ここでも何らかの譲歩を勝ち得たのであろう。
今年6月28日に元々米空軍基地であったクラーク空軍基地内で中国が贈った5000万元分の武器(対テロ用)を受け取るパフォーマンスはさすがにやり過ぎと思われたが、いずれにせよきっちり「フィリピンファースト」を中国から勝ち取っている点が際立つ外交である。