富坂聰が斬る!
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【18-02】精日

2018年4月4日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 日本に旅行に来る中国人が増えた影響なのか。いまや中国国内の多くの地域でも桜の開花に合わせて花見が行われるようになっている。

 なかでも今年、話題を呼んだのが桜で有名な武漢大学キャンパス内での花見だった。

 といって良い話題としてではなく、不名誉なニュースとしてであった。

 花見のためにキャンパスに押し寄せた人々のなかに木に登って揺らしたり、枝を折るといったマナー違反が横行したのだ。

 それにしてもいつのまに花見が......、という感想を持つ日本人は少なくないはずだ。

 考えてみれば2000年を越えて以降、中国の話題といえば〝反日〟だった。2012年には尖閣諸島の国有化――この表現が不適切との指摘はあるが――をきっかけに両国国民が激しく対立し、中国では大規模な反日デモが暴徒化する事態にまで陥った。

 だが、その記憶も冷め切らない2015年には、中国人観光客による〝爆買い〟が大きな話題をさらうようになり、あれよあれよという間に、日本に対する中国の人々の評価が和らいでいったのである。

 やはり自らの目で現実の日本を見て、日本人と直に接することの重要性がここでも確認されたといえるだろう。

 一方、今年はそうした動きとはまったく違うアプローチから日本への親しみを表現する若者が出現し中国社会を動揺させている。

 精神日本人を略して「精日」と呼ばれる人々である。

 中国のメディア関係者は、「この春節(旧正月)の最大の話題といってもよいのではないでしょうか」と語る。

 何をもって「精神日本人」なのか。それは「自分はたまたま中国籍に生まれたのだが、精神は日本人である」と考える(または考えようとする)一群のことだ。

 と説明しても不得要領だと思われるが、彼らは具体的に行動する一群でもある。

 その代表的なものが、昨年8月、4人の若い男性が抗日戦争における記念トーチカの前で旧日本軍の軍服を身に着けて撮影した写真をSNSに堂々とアップしたもので、その前年の12月、わざわざ南京大虐殺記念行事の前日、2人の若者が武士のかっこうをして記念撮影をし、やはりSNSにアップしたというものだ。

 彼らは日本精神への憧憬を示すために、中国が主張する歴史観を真っ向から否定してみせたのである。

 これは褒められた当の日本人までもが戸惑ってしまう話かもしれないが、中国ならなおさらであろう。

 前出のメディア関係者が語る。

 「乱暴な例えをすれば、ユダヤ人がナチの軍服を着て、虐殺のあった場所で記念写真を撮るような話です。怒りを通り越して、呆れてしまって反応できないといった感じです。

 ただ彼らの行動は、火遊びが過ぎたという程度の話ではないことは、彼らがよく過去のことを調べて行動を起こしていると思われる点からもよくわかります」

 ある意味、本当の日本人よりも深く純粋に日本精神というものを追及しているかもしれないというのだ。

 それは軍服一つにしても簡単に手に入るレプリカではなく、彼らが「原品」と呼ぶ本物を大金をはたいて入手し、いまでは何もない過去の抗日戦の激戦地址をたどっていたりするのだ。

 散発的にニュースで取り上げられた「精日」現象が、この春節に大きな話題となったのはどうしてなのか。

 「実は、南京の紫金山抗日戦跡地で撮影を行った22歳と25歳の二人の『精日』を南京の警察が15日間の行政勾留をしたのです。その理由は、彼らの行動を告発した人間を逆にネットで攻撃する、いわゆるプライバシーをネット上にさらす人肉攻撃をして、さらに脅したという疑いです。人々が驚いたのは、彼らには強い攻撃性もあったということです」

 と語るのは別のメディア関係者だ。

 「全人代では彼ら『精日』を取り締まる法律が提案されましたし、また王毅外相がその問題を問われて『中華民族の恥さらし』と吐き捨てました。しかし、一説にはネットを通じた予備軍も含めれば国内に5万人いるともささやかれ、決して軽視できる動きでもなく、話題は尽きません」

 中国の学術界でもいま、なぜ彼らのような人々が出現したかで議論が百出している。

 そのなかで多くの識者が触れているのが「金儲けの自由しかない」中国社会に対するアンチテーゼではないかということだ。もちろん入り口は日本のアニメなどを通じた親和からだろうが、そこから独自に発展する過程では、複層的な厚みを失った現在の中国社会への不満が作用しているというのだ。

 それにしても彼らが今後、中国社会でどのように位置づけられてゆくのかは、非常に興味深い。