【18-03】習近平VS共青団2
2018年6月18日
富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授
略歴
1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。
著書
- 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
- 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
- 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数
およそ二年前、私はこのコーナーで、習近平国家主席による共産主義青年団(共青団)への攻撃が、本格化しつつある問題を取り上げた(参考記事) 。
この傾向は、昨秋の十九大(中国共産党第十九期全国代表大会)と今春の全人代(全国人民代表大会)を経て、より顕著になったといえるだろう。
人事の面においても共青団冷遇が露骨になったからである。
北京で大きな話題をさらったのは、秦宜智の処遇である。
秦宜智といえば共青団の第一書記から国家質量監督検験検疫総局の7番目の副局長に転じたことで知られる人物だ。共青団の第一書記は、いうまでもなく一九七八年十二月の十一期三中全会以降(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議)、党中央への人材輩出を担ってきたエリート集団のトップだ。
胡耀邦元総書記を筆頭に、胡錦濤元国家主席や李克強総理などの名前がすぐに思い浮かぶが、胡啓立や王兆国など、天安門事件がなければ中国のトップに立つ人材であったとされる実力者もいれば、李源潮前国家副主席や劉延東前国務院副総理など、そうそうたる顔が並ぶ。
だが、秦宜智は前述したように国家質量監督検験検疫総局の7番目の副局長と、冷遇が明らかな扱いとなった。
全人代を経ても国家市場監督管理総局副局長に据え置かれるという、厳しい人事となったのである。
このことにより共青団の第一書記は、もはや党中央指導部入りを前提としたポストではなくなったとの声が、北京を中心に高まったのである。
つまり、習近平が共青団という組織に対し強い不満があることは間違いないと考えられるようになったのである。
習政権下で明らかになる共青団への冷淡な扱い。習の動機はどこにあるのだろうか。
気をつけなければならないのは、この問題の肝は、日本のメディアが好んで取り上げる「太子党VS共青団」の構造では説明できないという点だ。
前回の原稿でも指摘したように、これを「太子党VS共青団」、もしくは二つを代表する「習近平VS李克強」で描こうとしても、矛盾が尽きない。
例えば、人事である。
習近平にとって、自ら設立し、また自らトップにも就いた重要組織がいくつかあるが、そのなかでも力を入れた中央全面深化改革領導小組や中央軍民融合発展委員会という組織において、そのナンバーツーに必ず李を入れているのは偶然ではない。
なかでも中央軍民融合発展委員会は、トップ以外の党幹部が軍との接点を持つことを嫌う体質にあって、わざわざ序列二位の李を軍に近づけるような人事なのだ。
力の拮抗するライバルであれば考えにくい人事といえよう。
つまり素直に考えれば、習の共青団出身者への冷遇は、単純に共青団というエリート組織への攻撃と受け止めるべきだということなのだ。
そのことは、習政権下で共青団が批判の的にされるときに決まって使われるフレーズからも読み解くことができるのだ。
いわゆる「機関化、行政化、貴族化、娯楽化」に陥っているという批判だ。
分かりやすく翻訳すれば、特権意識を持ち、大衆を見下し、お役所仕事に陥っているといったところだろう。
長く苦しい「下放」の経験を持ち、泥臭いエピソードに彩られた習近平が、いかにも嫌いそうな組織であり、また反腐敗という名の〝官僚たたき〟で大衆の心をつかんだ習の政治手法から考えても、ターゲットにされるべくしてされた存在だったといえよう。
だが私は、この問題にはさらに根深い意図があるのではないかと考えている。
それは、何か。
ずばり、習近平による鄧小平への挑戦、もしくは鄧小平の功績への否定である。
鄧小平が三度目の復活を遂げて以降、中国は指導者選出には一つの暗黙のルールが備わっていた。
それは「鄧小平の指名」である。江沢民は自らの権力を形成しながら、このルールを忠実に守り、胡錦涛に権力を移譲した。
だが、この指名が届かない指導者が登場する。その最初が習近平である。
習近平はこれまで、改革開放は否定しないまでも、党員の規律違反や風紀の乱れには容赦のない対応をしている。「政治は左に、経済は右に」という流行語が示すように、政治では時代を逆行させている。
個人崇拝を嫌った鄧小平が敷いた集団指導体制も破壊した。
そして今度は、歴史教科書の書き換えである。六月上旬、旧教科書の文化大革命に関する記述から、錯誤という二文字が削除されたことが話題となった。旧教科書では、「毛沢東は党中央が修正主義に陥り、党と国家は資本主義復活という危機に直面したと誤って認識した」という表現であったのが、そこから「誤って」を取り、単に「認識した」と表現されたというのだ。
こうした動きは、上を見て忖度する中国社会の問題である可能性が高いが、それにしても忖度の方向が、鄧小平否定であることは間違いないのだ。