中国の体細胞クローン及びiPS技術研究の展望
2008年11月
高 紹栄(Gao Shaorong):北京生命科学研究所研究員
2000年中国科学院動物研究所にて博士学位取得後、英国ロスリン研究所Ian Wilmut教授研究室にてポスドク研究を行い、英国で最初のクローンマウスの作製に成功することによってロスリン研究所年度優秀成果賞を獲得。
2002~2004年米国テンプル大学医学院にてマウス体細胞核移植再プログラミングのメカニズムの研究を行い、2004年に教授補佐として米国州立大学再生生物学センターにて体細胞核移植再プログラミングのメカニズムの研究を行う。
2005年9月帰国後、北京生命科学研究所にて研究室を立ち上げ、体細胞核移植再プログラミング研究に従事。『Nature Genetics』等学術雑誌に20数編の体細胞再プログラミングに関する学術論文を発表。
要旨
ここ十年来、哺乳動物体細胞再プログラミングの研究は、世界的な範囲で画期的な意義を有する重大な進展を遂げている。成年体細胞クローン羊「ドリー」の誕生は、高度に分化した哺乳動物体細胞が卵母細胞によって脱分化され、これにより全能性を有する胚性細胞に再プロぐらミングし得ることを示している。この重大な進展は、高度に分化された体細胞の運命が逆転可能であると証明している。その後、核移植胚性幹細胞の系樹立の成功は、治療性クローンが実行可能なことを証明した。ここ二年の間には、別の重大な進展があった。即ち、ウイルスを逆転写することにより、4つの転写因子Oct4、Sox2、c-Myc、Klf4を高度に分化した体細胞に転入後、体細胞を類似胚性幹細胞に再プログラミングし、これによって全能性が回復することを証明した。本編においては、哺乳動物体細胞クローン及びiPS分野における中国科学者の研究の進捗状況を紹介する。
1 哺乳動物体細胞クローンの中国における応用と発展
(1)生殖性クローン(Reproductive Cloning)
英国の科学者が1977年、雑誌ネイチャーに成年羊の乳腺細胞を利用した体細胞核移植を行い、クローン羊「ドリー」を作製した研究成果を発表した後、中国の科学者は、この分野において積極的な探究を開始した。実際に、中国は細胞核移植研究分野において優れた研究の伝統を有しており、童第周・中国科学院院士は20世紀の60~70年代に、すでにフナの核移植の研究を開始していた。哺乳動物体細胞クローンの成功後、中国科学院、中国農業大学などの科学者は、大型動物体細胞クローン分野において多くの精力を注ぎ込むとともに、短時間で研究成果をあげた。中国科学院動物研究所陳大元研究員の研究室は、長期に亘った努力の結果、中国では最初の例である体細胞クローン牛の作製に成功した。この後、中国農業大学の李寧中国工程院院士が率いる研究チームが、遺伝子組み換え体細胞クローン牛を作製することに成功した。その後、体細胞クローン羊、体細胞クローン豚が相継いで中国で誕生した。これらの研究成果は、中国が大家畜体細胞クローンの分野において、すでに世界の先頭をいく水準に達していることを示している。中国の科学研究部門では、すでに体細胞クローン技術を利用した家畜の品種改良を試みており、この試みが中国の農業生産に対し積極的な推進作用をもたらすと確信している。各種の家畜体細胞クローンの研究以外に、中国の科学者たちは絶滅危惧動物のクローン分野においても積極的に探究を進めている。周知のとおり、ジャイアントパンダは中国の国宝であるが、ジャイアントパンダの繁殖力低下がその個体数の少なさをもたらしている。陳大元研究員の研究室は、1998年から異種クローン・ジャイアントパンダの可能性を研究しており、彼らはジャイアントパンダの体細胞を、遺伝物質除去後のウサギの卵母細胞に移植させ、異種クローン胚胎が胞胚に発育したのを観察することに成功している。また、移植後に胚胎が着床したのも観察することができた。異種クローン・ジャイアントパンダの作製は出来なかったが、彼らの研究は今後の研究のための参考になると信じている。
(2)体細胞核移植再プログラミングメカニズムの研究
十数種の哺乳動物のクローンが成功裏に作製されるにともない、人々の体細胞クローンに対する研究は、単純なある種の動物のクローンを作製することから、卵母細胞がいかにして体細胞の運命を再プログラミングするのかを研究する方向に一歩一歩移っている。体細胞核移植再プログラミングのメカニズム解明のみが、体細胞クローンの成功率を高める可能性があることから、農業生産と再生医学のために利用されるのである。周知のように、現在体細胞クローンの成功率は極めて低く、最後まで発育できる体細胞クローンは僅か5%以下である。その上、クローン動物には異常が普遍的に存在している。マウスは科学者たちが体細胞クローンのメカニズムを研究する上で最も良好なモデル動物であるが、マウスの体細胞核移植は、技術的に大型動物のクローンと比べ非常に困難であり、1998年にハワイ大学の柳町教授の研究室が初めて体細胞クローンマウスに成功したという報道があった後は、世界でもマウス体細胞核移植実験に成功している研究室はごく少数である。中国においては、マウス体細胞核移植技術は、中国科学院動物研究所の周琪研究員がフランスから帰国した後に初めて成功した。現在同氏の研究室と私が所属する北京生命科学研究所の研究室は、すでに中国において体細胞クローンマウス(図1に示す)の作製に成功しており、さらに、我々の研究室は創設後すぐに精力を集中して体細胞核移植過程における再プログラミングのメカニズムに対して研究を行ってきた。我々は、体細胞核移植胚胎は遺伝物質上において供与体の体細胞となんら区別がないことを知っている。では、なぜ体細胞が核移植を経て卵母細胞に入った後に、改めて全能性を獲得できたのであろうか。その中では、見かけの遺伝が修飾する再プログラミングが決定的な役割を果たしている。見かけの遺伝の修飾には、主としてDNAメチル化修飾及びヒストン修飾が含まれ、ヒストンの修飾にはまたメチル化、アセチル化、リン酸化等の修飾が含まれる。DNAメチル化修飾は、遺伝子の沈黙とブロット遺伝子の表現に対して極めて重要な役割を果たすが、DNAメチル化修飾が十分に安定しているため、現在まで哺乳動物には、DNAメチル化修飾を自発的に除去できる酵素が発見されていない。哺乳動物の卵母細胞受精の過程においては、父本ゲノムが主動的に脱メチル化するという観点が一貫して存在しているが、胚胎割球分裂を通じてもたらされる受動的脱メチル化から見てみると、核移植胚胎DNAの脱メチル化の過程において主な作用を果たす。DNAメチル化と比較すると、ヒストン修飾の再プログラミングは体細胞核再プログラミングの過程において主要な役割を果たさなければならない。我々の以前の研究では、体細胞核を脱核卵母細胞に移植した後に、極めて速やかに体細胞の連結ヒストンH1が卵母細胞特有の連結ヒストンH1FOOによって取って代わられることをすでに発見しており、体細胞は核移植を経た後にそのヒストンに確かに変化が生じ、この連結ヒストンの取り替えが、核移植胚胎をして正常胚胎にさらに類似させるようにしていることを証明した。同時に、我々の最近の研究でも体細胞核中核心ヒストンのメチル化とアセチル化修飾は核移植胚胎の中においても、再プログラミング現象が発生したことを発見しているが、我々は一種の核心ヒストンの修飾が、核移植胚胎と正常な受精胚胎に巨大な違いが存在することを驚きの思いで発見し、これによって、我々は該種の核心ヒストン修飾の異常再プログラミングと体細胞クローン胚胎の発育率低下に一定のつながりが有るものと推測した。しかし、現在我々が採用しているところのヒストン修飾を研究する方法には、まだ巨大な壁が存在しており、具体的なある遺伝子のヒストン修飾に的を絞って研究を行うことはまだ不可能である。
(3)治療性クローンの研究(Therapeutic Cloning)
体細胞核移植の研究が人々の注目を集める研究となったその焦点は、その再生医学における応用の前途と密接につながっていて不可分であることにある。胚性幹細胞は一種の全能性を有する細胞であり、体外で自己更新を維持することができるという能力を有する以外に、配向誘導を経て異なったタイプの細胞に分化し、その後に細胞移植を経て毀損を受けた組織器官を修復する作用を果たすこともできるが、胚性幹細胞が臨床に極めて迅速に応用することができないのは、主として現有の胚性幹細胞がいずれも正常な胚胎を出所としているためであり、病人の体内に移植した場合に免疫拒否が発生することがあるからである。体細胞核移植の成功は、核移植を通じて特定の病人の体細胞を全能性幹細胞に再プログラミングすることが可能であることを意味しており、こうして得られた核移植胚性幹細胞には免疫拒否の問題が存在しなくなり、これによって各種の組織退行性疾病、例えばパーキンソン症候群と多くの遺伝性疾病を治癒する可能性がある。しかし生殖性クローンの研究結果は、我々に体細胞核移植胚胎に多くの見かけの遺伝修飾再プログラミングの欠陥が存在していることを示しており、従って、核移植胚性幹細胞応用の安全性問題は、我々が必ず最初に考慮しなければならない問題となっている。我々の研究室は、百余株のマウス体細胞核移植胚胎幹細胞系の樹立に成功しており、我々はその内の10数株の細胞系に対して全能性分析を行い、四倍体胞胚注射を経た後、複数の核移植胚性幹細胞系がいずれも生存が可能であるマウスを得ることができ、この結果は、これらの核移植胚胎幹細胞が良好な全能性を有していることを示している。これらの核移植胚性幹細胞のmicroRNAと蛋白の発現に対して我々は更に研究を行った。我々の結果は、核移植胚性幹細胞と正常の受精を出所とする胚性幹細胞は、microRNAの発現水準とヒストンの発現水準に明らかな違いがないことを示しており、これによって核移植胚性幹細胞の転写後の水準が正常な胚性幹細胞と相似することを証明した。我々は、これらの核移植胚性幹細胞が体外において心筋細胞と造血細胞に配向分化され、心筋梗塞のラットの心臓に移植した後に心筋機能を回復することができ、放射線照射を経たマウスの骨髄に移植された後、核移植胚性幹細胞が再度造血機能を示したことを一歩進んで証明した。以上のすべての実験結果は、いずれも核移植胚性幹細胞が再生医学において応用の前途を有していることを説明している。我々は広州医学院付属病院と協力して、ヒト核移植胚性幹細胞系樹立の可能性を一歩進んで研究した。我々は、すでに核移植胞胚を得ることが可能となっているが、現在に至るまで核移植胚性幹細胞系は獲得していない。しかし、最近の霊長類アカゲザル体細胞核移植胚性幹細胞系の樹立成功は、ヒト核移植胚性幹細胞系の樹立が実行可能であると証明している。
2 iPSの中国における応用と発展
(1)マウスiPS細胞系の樹立
2006年、京都大学の山中博士の研究室は、ウイルストランスフェクション体細胞の逆転写を経て、4つの転写因子であるOct4、Sox2、c-Myc、Klf4を体細胞に導入した後、20日近くの培養を経て、少量の細胞が全能性を回復し、これによって類似胚性幹細胞に再プログラミングすることができたと明らかにした。この突破性の進展は、我々が培養皿中において特定因子の作用を通じて分化した体細胞を全能性細胞に、再プログラミングすることが可能であることを証明しており、こうすることによって、卵母細胞利用の倫理問題を避けることとなった。iPS細胞は、体細胞再プログラミング分野における一つの里程標的な進展である。ウイルス逆転写の整合及び原発性ガン遺伝子の応用が、現在生み出されているiPS細胞の臨床への応用をまだ不可能としているが、これらの問題は、科学者の努力を経て必ず解決されるであろう。最初に得られたiPS細胞のその全能性には、まだ極めて大きな問題が存在するものの、2007年、山中研究室及びマサチューセッツ工科大学のJaenisch研究室は、4つの転写因子による誘導を経て形成されたiPS細胞が、生殖系中に嵌合できることを同時に証明しており、これによって、iPS細胞が胚性幹細胞に類似する全能性を有することを証明した。中国では、科学者たちがこの全く新しい分野における積極的な探究を開始した。中国科学院広州健康与医薬研究院の裴瑞卿研究院研究室は、率先して中国において4つの転写因子が誘導したマウスiPSを単独で作製するとともに、実験において、彼らは通常利用される薬物スクリーニングの方法を採用しなかった。さらに進んで、裴瑞卿研究院研究室と我々の研究室が協力して、マウスの髄膜細胞再プログラミング後のiPS細胞を作製するとともに、胞胚注射の後に極めて高いキメラ率を表現した。我々の研究室も繊維芽細胞による再プログラミング後に、キメラ能力を有するiPS細胞(図2に示す)を単独で作製した。現在、我々の研究室は誘導可能iPSシステムを樹立しているところであり、すでに我々は誘導可能なiPS細胞を得ており、我々は生殖系伝達のマウスをできるだけ速やかに作製し、これによって体細胞を培養することを目指している。こうして我々はiPS細胞形成過程における動的再プログラミングの事柄をきめ細かく研究することが可能となった。我々は体細胞核移植を対照として、2種類の体細胞再プログラミングのメカニズムが同じであるかを比較研究することにしている。
(2)ヒトiPS細胞の樹立
前記の治療性クローンの研究から、特定の病人の体細胞核移植胚性幹細胞を作製することは、理論の点から言うと実行可能ではあるものの、倫理学における制限により科学者が数量の十分に多いヒト卵母細胞を手にして核移植の研究を行うことは極めて困難であり、従って、現在までにヒト体細胞核移植胚性幹細胞の獲得に成功したという報道は見られない。科学者たちは4因子が誘導するマウスiPS細胞の獲得に成功した後、極めて迅速にヒトiPS細胞の研究に力を入れるようになった。マウスiPS細胞が成功して1年余の時間の中で、山中研究室とThomson研究室は、マウスのiPSを発生する同じ4つの転写因子、または一部同じ4つの転写因子が、いずれもヒト体細胞を全能性のiPS細胞に誘導することができることを同時に発見した。同年、中国の科学者たちもヒトiPS細胞の研究を行うことを開始した。中国科学院上海細胞・生物化学研究所の蕭磊博士の研究室は、極めて迅速にヒトiPS細胞を作製し、我々の研究室もヒト及び特定病人のiPS細胞系の獲得に成功した。現在、我々はヒトiPS細胞の配向分化について研究を行っており、同時に、特定病人を出所とするiPS細胞系を利用して、我々は薬物スクリーニングを行うことが可能となった。しかし、iPS細胞は臨床応用までにはまだ程遠いものであり、ウイルス整合及び原発性ガン遺伝子の使用を避けることを解決して、始めてこれを再生医学に応用する可能性が出てくるのである。
(3)その他の動物iPS細胞系の樹立
周知のように、現在ヒトとマウスに胚性幹細胞系があるのを除き、その他の動物にはまだ胚性幹細胞系の存在はない。前に述べているように、現在牧畜業生産において、科学者たちは遺伝子組み換えクローンの方法を利用して現有品種に対して品種改良を行うことを開始しているが、体細胞の体外培養の代数に限りがあるため、遺伝子ターゲットは比較的困難であり、従って成功率はまだ非常に低い。家畜がマウスと同じように胚性幹細胞を有していれば、こうしたことはすべて容易なことに変わることになる。以上の原因に基づき、中国の科学者は大型動物体細胞再プログラミング後のiPS細胞を獲得できるかどうかを一歩進んで研究することを開始している。異なった品種の大型動物のiPSを獲得することができた場合、遺伝子ノックアウトまたは遺伝子組み換えの方法を利用して、現有品種に対して改良を行うことが可能となる。
3 展望
体細胞クローンとiPS技術は、昨今、最も行われている体細胞を効果的に誘導し、全能性細胞に再プログラミングする方法として、ますます多くの注目を集めている。中国政府もこの研究分野に大量の人力、物力を投入しており、再生医学研究の分野において世界の前列を歩むことを期待している。科学者として、我々は現有の方法を更に改善し、それによって2種類の方法の再プログラミングの効率を一層向上させ、再生医学の発展と農業生産の向上のために、しっかりとした理論的基礎を打ち固めていく。