第32号:食糧の持続的生産に関する研究
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日本における海水魚養殖の来歴と現状

2009年5月29日

村田 修(むらた おさむ):近畿大学水産研究所所長・教授

 1940年5月生まれ。1966年近畿大学水産増殖学専攻、農学博士。
研究分野:海水養殖魚の品種改良に関する研究(特にマダイの選抜育種および交雑育種)。最近ではクロマグロ、クエなどの人工孵化種苗生産と養殖に関する研究。著書:海産魚の養殖(マダイ・ヒラメ)熊井英水編著、湊文社、2000.水産増養殖システム 海水魚(ブリ・ブリヒラ・ヒラメ)熊井英水編、恒星社厚生閣、2005.など。

はじめに

日本の海水魚養殖の主なものにはブリSeriola quinqueradiata(英名Yellowtail)、カンパチSeriora dumerili ( 英名greater amberjack)、マダイPagrus major (英名red sea bream)、ヒラメParalichthys olivaceus (英名bastardhalibut)、シマアジPseudocaranx dentex (英名striped jack)、トラフグFugu rubripes ( 英名tiger puffer)などがあり、さらに、最近では特に注目されている魚種としてクロマグロThunnus orientalis( 英名northern bluefin tuna)、クエEpinephelus bruneus Block ( 英名kelp grouper)などが挙げられるであろう。筆者が勤めている近畿大学では先に記述した魚種について野生のものを人間の手で育て上げること(家魚化)を先駆け、それらの親魚育成を計り、その親からの人工孵化種苗生産の技術開発を行ってきた。そして養殖用種苗は天然産に依存するのではなく、全て人工種苗であるべきとの信念のもとに開発を行ってきた。さらに、養殖効果を高める手段の一つとして欠かすことのできないのは優良種苗の作出である。そこでそれらの品種改良を行い、中でもマダイのそれは日本の養殖産業に大きな革命をもたらしたといっても過言ではなかろう。ここではそれらの一部について紹介することにする。

海水魚類養殖の来歴

 海面魚類養殖の歴史は、野網和三郎が香川県引田の安戸池で始めたブリ養殖によって幕を開けた。しかし、養殖漁業の将来を見据えた時に池中養殖(築堤式・網仕切式)では生産に限度があることから、1954年より近畿大学水産研究所白浜実験場において原田輝雄は海面に筏を浮かべた網生簀養殖試験を開始した。そして、ブリ養殖が産業としての形態を成すようになったのは網生簀養殖法の開発が端を発した1955年以降のことで、その養殖生産量が農林統計に掲載されるようになったのは1960年、1,524トンであった。カンパチ、シマアジなども1955年ごろか天然種苗を採捕して養殖されていたが、統計に現われるようになったのはシマアジが1974年で、カンパチは統計上ブリに包含された。トラフグは養殖物としてはじめて出荷されたのは1970年であるが、蓄養は1933年ごろから行われていた。マダイの養殖研究は1910年頃に始まったが事業としては1965年以降のことで、1970年に初めて統計に539トンと記載された。民間でヒラメの養殖が始まったのは1980年のことで、1970年に初めて統計に539トンと記載された。

 因みに2005年における主要4魚種の養殖生産量および養殖業の占める割合はそれぞれマダイで76,081トンおよび83.7%、ブリ類で159,741トンおよび74.4%、ヒラメで4,591トンおよび43.0%、フグ類で4,582トンおよび42.2%である。海産魚の全漁獲量の中に養殖生産量の占める割合は、1995年が17.9%であり、その後漸増し、10年経過した最近2005年のそれは21.4%に増加している。一方、魚種別漁獲量のなか中で養殖生産量の占める割合はマダイが最も大きく83.7%、次いでブリ類の74.4%、ヒラメが43.0%およびフグ類が42.2%と続き、養殖魚生産の重要性が理解できるであろう。

マダイの増養殖史

 海産魚の増養殖に関する研究は、マダイでの歴史が最も古い。マダイの人工孵化・仔魚飼育を最初に試みたのは北原多作で、その後、1928年、梶山らが海面に浮かべた木箱の中で稚魚までの飼育を行ったが、陸上水槽で稚魚までの飼育に初めて成功したのは1962年で、観音崎水産生物研究所が、全長15〜20 mmの稚魚22尾を飼育したのが最初である。種苗としての量産については、瀬戸内海栽培漁業センター伯方島事業場が、初期餌料に初めてシオミズツボワムシを用いることによって1965年にその道を開いた。しかし、採卵用親魚はすべて天然親魚であったが、養成マダイ親魚からの採卵・人工孵化飼育は、1964年に近畿大学水産研究所白浜実験場で最初に行われた。

 養殖については、ブリ養殖の創始者である野網和三郎が創業2年目の1928年、産卵後の痩せたマダイ成魚700尾を蓄養したのが最初であろう。近畿大学水産研究所では1955年、兵庫県明石沿岸で採捕した約8,200尾(平均体重1g)のマダイ稚魚を和歌山県白浜へ輸送し、試験養殖を開始し、1965年頃から本格的にマダイ養殖が行われるようになった。さらに、近畿大学が1964年から取り組んできた成長の早い、姿の美しい魚体を選んで親魚とする選抜育種法の研究を取り入れた。その結果、3~4世代(12~16年目)頃から魚体の成長が早くなった。例えば、マダイの体重が1kgになるには天然産種苗の場合では3~4年を必要としたが、品種改良した種苗は1年8ヵ月~2年で同様な大きさに成長するようになった。

 成長が速い人工生産マダイ種苗が開発されたことに加え、体色改善技術の開発が進んで市場価格も上昇したことや、ハマチ養殖の過剰生産による低迷などを受けて、1980年頃からマダイ養殖が急増した。さらに、品種改良の一環として、異なる種類の魚を人工交雑して、両親魚種の良い形質を受けた新しい魚種が作出するために1964年からは交雑育種法を取り入れた。その結果、マダイ×クロダイ(マクロダイ)、マダイ×ヘダイ(マヘダイ)、マダイ×チダイ(マチダイ)、イシダイ×イシガキダイ(キンダイ)、ブリ×ヒラマサ(ブリヒラ)など20種に近い新魚種を作出してきた。こうれらの交雑種の中で全てが有用とはいえないが、何種類かは養殖対象種として実用化に向かっている。

表1. 完全養殖達成と初出荷まで37年間の経緯
1970年(0)* 研究開始(水産庁プロジェクト「マグロ類養殖技術開発試験」参画)
1974年(4) 天然幼魚ヨコワからの養殖に初めて成功
1979年(9) 世界初自然産卵-孵化-仔稚魚飼育に成功
1982年(12) これまでの最長飼育記録 57日齢、全長98 mm
1983~1993年 産卵せず(11年間の仔魚飼育実験不能)
1994年(24) 人工稚魚の沖出しに初成功(1,872尾);246日齢 全長42.8 cm、体重1,327g
1995年(25) 養殖用実用種苗の生産に始めて成功
1997年(27) 1995年産9尾生残、1996年産19尾生残
2002年(32) 1995年産人工親魚6尾、1996年産人工親魚14尾産卵:世界初完全養殖達成
2004年(34) 完全養殖-人工孵化飼育-初出荷達成
2007年(37) 人工孵化3世代誕生(完全養殖第2世代)、人工種苗として初出荷
*括弧の中の数字は研究開始からの積算年数

クロマグロの増養殖史

図1. 4年養殖クロマグロ体重125kg

図1. 4年養殖クロマグロ体重125kg

 筆者らのクロマグロ増養殖への取り組みは、1970年に水産庁が開始した3ヶ年のプロジェクト研究「マグロ類養殖技術開発試験」が切っ掛けとなった。

 近畿大学水産研究所は開設以来、有用海産魚の養殖技術開発を行ってきたが、養殖用種苗は人工生産すべきとの考えから、最終目標は人工孵化から始めた完全人為管理下の養殖であり、完全養殖技術の開発が重要である。筆者らは、天然種苗入手の調査から初めたが、漁業者からは「マグロの網生簀への活け込みなど無理!」といわれた。そこで躊躇したが、であればこその課題に向かって串本町大島に新実験場を開設し研究に着手した。

 1974年には引縄釣りで得られたヨコワ(クロマグロ幼魚)を漁師から購入し、網生簀に活け込み飼育を開始した。ヨコワは休むことなく泳いでいないと、酸素が欠乏して呼吸ができなくなる。また、皮膚が非常に弱く、手でつかむと、そこから腐るといわれるぐらいで、扱いが非常に難しい。しかし、それらを克服して、満5歳を迎えた1979年に世界で始めての自然産卵が確認され、その時の感動は忘れることができない。その卵を用いて孵化および飼育を試みた結果、孵化後47日目(全長5.9cm、体重2.3g)までの飼育には成功したが、以後は全部斃死した。この親魚群の産卵は、年が経過しても再び認めることはなく稚魚の長期飼育もできなかった。このように、採卵・人工孵化の成功と稚魚育成での挫折に追いやられ、ヨコワを活け込み養成していた別親魚群からの産卵もなく11年間の空白期を迎えた。しかし、挫折することなく養殖実験を続けた結果、1994年7月3日から自然産卵を開始し、これまで稚魚にまで育てながら実用種苗を得るに至らなかった以前の結果を踏まえ、改めて飼育技術再構築の重要性を認め、研究所挙げてのプロジェクトを発足させた。その結果、全長5〜6cmの稚魚1、800尾を生産し、世界で始めて網生簀に沖出しを行うことができた。さらに、世界で始めて人工孵化稚魚の放流実験も実施することができた。しかし、網生簀に沖出しした稚魚の1ヶ月後の生残数は僅かで、外傷が目立ち、その後は次々に斃死し、1年以上の飼育が困難であった。

 この異常な減耗状況は、今までの魚種では例がなく途方に暮れたが、観察の結果その死因が衝突死であることを確認した。クロマグロの発育過程には、初期減耗や共喰いなど様々な課題があるが、先ずはこの原因究明と対策が最優先課題であった。そこで、1994年以降は、沖出し生簀の大きさについて検討した結果、稚魚であっても親魚養成と同じ直径30mの大型円形生簀に沖出ししたほうが、その後の生残率を高めることがわかった。

図2. 完全養殖の概念図

図2. 完全養殖の概念図

 次いで、人工孵化クロマグロ幼魚を養成して親魚とし、それから採卵・人工孵化仔魚飼育する完全養殖達成に向かった研究を実施した。その結果、飼育してきた親魚が満7および6歳を迎えた2002年には体重110〜150および70〜120kgに成長し、6月から8月にかけて自然産卵した。卵は真円形で直径1mm内外の良質なもので、孵化仔魚は全長約3mmとなり、それを飼育した結果、17、000尾の稚魚を沖出しすることができた。このようにして、32年の歳月を要したが、夢であったクロマグロの完全養殖が達成された。なお、この稚魚(人工2世魚)は、2004年9月には体重20kg前後に成長し、試験出荷を行ったところ完全養殖マグロとして高評を得た。

 さらに、2007年には、人工孵化第3世代稚魚1、500尾を養殖種苗として養殖業者へ販売した。完全養殖のクロマグロの稚魚をこうした形で出荷するのは世界で近畿大学が始めてである。

 完全養殖の達成によって、養殖用種苗の確保は天然資源に頼らず、その生活史の全過程の人工生産が可能となった。そうすることによって、健全な種苗を安定的に生産確保でき、その結果、クロマグロ養殖を産業として計画的に推進することが可能となろう。また、養殖用種苗を天然資源に手を付けずに人工で賄うことによって、ワシントン条約締約国会議の取引規制や国際自然保護連合などの議論の対象になることもない。マグロの資源が世界の海で枯渇しつつあるため、漁獲規制が強化されるようになった中で、天然産に依存しない世界のマグロ養殖に貢献できればと考えている(表1、図1・2)。

おわりに

 しかし、養殖産業の現状は経営的に非常に厳しいものが拭い去れない。それは魚価の低迷、養魚飼料の高騰、人件費の高騰および消費者の魚離れなどに起因して、養殖業界の低迷期が延々と続いている。それらを打開するには、生産量の調整、ブランド化を図りながら食の安全・安心をモットーにしたトレ-サビリテイ(養殖履歴)システムの構築に努めて、消費者へのイメージ回復への啓蒙が大切であろう。そして、多くの魚類において人工孵化種苗生産した稚魚からの養殖システムが開発された現在、養殖産業は海産魚介類の自給率の向上と天然資源の枯渇防止、さらには持続的な養殖環境を目指すべきであろう。