日本におけるCO2地中貯留技術開発の取り組み
2009年7月9日
薛 自求(せつ じきゅう):(財)地球環境産業技術研究機構CO2貯留研究グループ・主任研究員
1963年8月生まれ。1993年北海道大学大学院・資源開発工学専攻・工学博士。
日本初の国家プロジェクトである長岡CO2地中貯留実証試験は、地質構造が複雑な日本でも、CO2地中貯留が安全に実施できることを示している。薛氏は長岡実証試験の計画段階から参加し、室内の基礎的研究から野外の現場計測までプロジェクト全般に貢献した。最近5年間(2004-2008)、国内外の学術雑誌に計20編の論文を投稿している。その功績が認められて、2007年から発行されている地球温暖化対策の専門誌「International Journal of Greenhouse Gas Control」のAssociate Editorとして、CO2挙動モニタリング関連論文の編集を担当している。この国際専門誌は英国のElsevier社より出版されており、薛氏は4人の編集者のうちのひとりとして、アジアと豪州地区の責任者となっている。
1. はじめに
1997年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP3)では、温室効果ガスの排出削減数値目標とスケジュールを定めた京都議定書が採択された。京都議定書では、2008年から2012年の間に温室効果ガスの排出量を先進国全体で1990年比5.2%削減すること、またその中で日本は同年比6% の削減が義務付けられている。今年6月政府はポスト京都議定書の国際動向をにらんで、2020年時点の温室効果ガス排出削減の中期目標について、2005年に比べてCO2などの温室効果ガスを15%削減すると発表した。この中期目標は今後の国際的枠組み交渉で日本の基本的な立場となり、12月にコペンハーゲンでの国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)を経て、温室効果ガス削減の数値目標が正式に決まる。15%削減は実現可能な目標と考えられ、達成すれば2030年には05年比で約25%減、50年には約70%減と試算されている。
環境省がまとめた2007年度の温室効果ガス総排出量は13億7,100万トンであり、京都議定書基準年の1990年度比では8.7%の増加となった。このうち、エネルギー起源は15%の増加となった。原子力発電所の利用率の低下や渇水による水力発電量の減少に伴い、石炭などの化石燃料を利用する火力発電量が大幅に増加した影響が大きかった。このように、政府や産業界の努力にもかかわらず、国内の温室効果ガス排出量は京都議定書採択後も増え続けている。CO2を大量に排出するのは、火力発電所、製鉄所、セメント工場及び化学プラントである。このような「大規模発生源」から分離回収したCO2を地中に貯留する(CCS: Carbon Dioxide Capture and Storage)技術が、大気中の温室効果ガス濃度の増加を緩和する有効な方策として期待されている。国際的な専門家でつくる気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は2005年にまとめた報告書の中で、2030年までの中長期的温室効果ガス排出緩和策としてCO2地中貯留の実施を各国に推奨している。
CO2地中貯留は再生可能エネルギーの利用促進、エネルギー効率の改善及び燃料転換といった他の緩和策と並行して実施される効果的な地球温暖化対策技術として注目されている。1996 年10 月より始まったノルウェー沖合いにある北海油田Sleipner サイトでのCO2 地中圧入事業を機に、CO2地中貯留は地球温暖化対策の即効的技術として期待され、各国で盛んに研究開発が行われている。2003 年7 月より新潟県長岡市の帝国石油株式会社の岩野原基地では、日本初の国家プロジェクトとなるCO2地中貯留の圧入実証試験 ( 以後、長岡実証試験と呼ぶ) が実施されるようになった。長岡実証試験は経済産業省の補助金を受けて、財団法人地球環境産業技術機構(RITE) の主導の下で2000 年度から進められてきた。財団法人エンジニアリング振興協会 (ENAA) の協力を得て、2003 年7 月から約1 年半をかけて、計10,400 トンのCO2 を地下約1,100m の塩水性帯水層に圧入した。地中貯留技術は、国または民間において取り組まれるべき重要度が高い/持続的な効果が期待できる技術の一つとして位置付けられている。本稿では、長岡実証試験の概要を紹介しながら、日本におけるCO2地中貯留ポテンシャル(貯留可能量)や国内でのCO2地中貯留事業化の課題を議論する。
2. 日本のCO2地中貯留ポテンシャル
1996 年10 月より始まったノルウェー沖合いにある北海油田Sleipner サイトでは、天然ガス精製時に分離したCO2を海底下約1000 m の帯水層に圧入しており、その事業規模は年間約100 万トン(ノルウェーの年間排出量の約3 %相当)となっている。帯水層は主に多孔質砂岩からなっており、経済的に利用価値がほとんどない塩水(化石海水)が含まれている。砂岩層の上部には、難透水性の泥質岩の地層(キャップロック)が覆っており、砂岩層に圧入されたCO2を長期にわたって安全に貯留できる有望なサイトと期待されている。
キャップロックとなる泥質岩の地層がドーム構造(背斜構造)を伴う場合は構造性帯水層と呼ばれ,石油や天然ガスの貯留層と似た構造となっている。現在確認できている構造性帯水層に限定しても、日本におけるCO2 地中貯留ポテンシャルは約301 億トンに達している(表1参照)。これは2007年度の温室効果ガス排出量の約23年分に相当する。一方、ドーム構造を伴わない非構造性帯水層をあわせた試算では、帯水層貯留のポテンシャルが約1,460 億トンと試算している。
地質データ | カテゴリー A | カテゴリー B | |
油ガス田 | 坑井・震探データが豊富 | A1 35 億トン CO2 |
B1 275 億トン CO2 |
基礎試錐 | 坑井・震探データあり | A2 52 億トン CO2 |
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基礎物探 | 坑井データなし・震探データあり | A3 214 億トン CO2 |
B2 885 億トン CO2 |
合 計: | 301 億トン CO2 | 1,160 億トン CO2 |
また、2005 年に発行された地中貯留に関する特別報告書(IPCC Special Report)では、塩水性帯水層(saline aquifer)へのCO2 地中貯留を「大気中の温室効果ガス濃度を安定化させるための主要な対策の一つ」と位置づけている。その主な理由の一つは、帯水層貯留のもつポテンシャルが世界全体で約2 兆トンと試算されていることである。
3. 日本初のCO2地中貯留実証試験
北海のSleipnerサイトが世界初の海域帯水層貯留であるのに対し、新潟県南長岡ガス田で行われたCO2圧入実証試験(長岡実証試験)は世界初の陸域帯水層貯留である。経済産業省の補助金を受けて、地球環境産業技術研究機構(RITE)がエンジニアリング振興協会(ENAA)の協力を得ながら、計10,400 トンのCO2を地下約1,100 m の帯水層に圧入し、地質条件が複雑な日本でもCO2地中貯留が可能なことを示した。長岡プロジェクトでは陸域帯水層貯留の利点を生かした綿密なCO2挙動モニタリングが行われた。以下では長岡実証試験の概要を紹介する。
1) 実証試験サイトの概要
CO2圧入実証試験サイトは地下の状況がよく調査されている国内の油ガス田地域の複数の有力な候補地点の中から、新潟県南長岡ガス田の帝国石油株式会社の岩野原基地が選ばれた。岩野原基地は長岡市中心から約9 kmの信濃川支流となる渋海川左岸に位置する(図1参照)。ここでは地層が北北東-南南西方向を軸とする顕著な褶曲構造を形成し、背斜構造部分は石油や天然ガスの重要なトラップ(集積構造)となっている。このように,すでに流体を閉じ込めている背斜構造の帯水層は、地中貯留の長期安全性が期待できる。CO2は地下約1,100 m の灰爪層の砂岩卓越部(Ic 層)に圧入され、CO2圧入によるガス採掘への影響はなく、ガス採掘によるCO2貯留への影響もないと考えられる。
図-1 長岡CO2 圧入実証試験サイトおよび地質構造の概念図
2) 坑井掘削とCO2圧入
長岡実証試験サイトでは、圧入井(IW-1)の周囲に3 本の観測井(OB-2,OB-3,OB-4) が掘削された。図2は貯留層深度における坑井の水平位置関係を示す。観測井OB-2 とOB-4 を結ぶ直線は圧入井を含み、地層が東南東に約15°傾斜している。観測井OB-2 とOB-4 は圧入井に対して、それぞれ地層傾斜の後方と上方に位置する。超臨界CO2の密度が地層水より小さく、地層傾斜の上方へ移動すると予想されるため、両観測井の位置はCO2 の広がりを捉えるのに都合がよい。また、観測井OB-2 とOB-3 の間では弾性波速度の異常領域(速度低下域)を調べるための坑井間弾性波トモグラフィ測定が実施され、圧入されたCO2の挙動や貯留層内のCO2の分布を2 次元断面上で把握できる。
図-2 長岡実証試験サイトにおける貯留層上部での圧入井と観測井の配置
長岡実証試験サイトでは、2003 年7 月7 日よりCO2圧入を開始した。圧入期間中、CO2 製造設備の定期点検や中越地震の影響による圧入停止があったものの、2005 年1 月11 日までに計10,400 トンのCO2が圧入された。図3は試験期間中の圧入量と圧入レートの変化と物理検層や弾性波トモグラフィの実施時点を、圧入後のモニタリングを含めてプロットしたものである。
図-3 物理検層と坑井間弾性波トモグラフィによるCO2 挙動モニタリングの実施スケジュールと圧入レートや累積圧入量との関係
小さい四角は物理検層の実施時期を示しており、緑色とピンク色はそれぞれCO2到達前とCO2到達後を示す。星印は坑井間弾性波トモグラフィの実施時期を示す。
3) CO2 挙動モニタリング
帯水層に圧入されたCO2は貯留層孔隙内の地層水を幾分押しのけながら、圧入井から周辺へ広がる。その際、貯留層中の地層水飽和率は減少し、CO2飽和率は増大する。このようなCO2と地層水との置換プロセスによって、貯留層を伝播する弾性波速度は低下し、比抵抗は増大する。長岡プロジェクトでは、このような物性変化を検出するための物理検層(音波検層、比抵抗検層および中性子検層)、坑井間弾性波トモグラフィが定期的に実施されたほか、圧入サイト周辺地域(2 km× 2 km)を対象とする反射法地震波探査も実施され、貯留層に圧入されたCO2の挙動がモニタリングされた。とくに、物理検層と坑井間弾性波トモグラフィは、世界でははじめてとなる圧入後のモニタリングも行われた。
図-4 CO2 圧入期間中および圧入後の比抵抗検層結果
左枠の青線はCO2 到達前の1~13 回の比抵抗検層結果の平均値を示している。右側は14 回以降の検層結果で、比抵抗値の変化領域が拡大している。
物理検層の一例として、比抵抗検層の結果を図4に示す。この図の左枠にある太い青線はCO2到達前の13回の検層で得られた比抵抗の平均値である。第14 回以降の比抵抗検層結果は左枠で重ねて示した後、右枠には相対的な変化量を実施順に示している。第17 回以降は深度1,116 m を中心に比抵抗増大域が大きく成長したほか、深度1,113 m~ 1,114 m の間にもCO2の存在を示唆する比抵抗の増大が認められた。このような比抵抗増大域は、圧入井の坑井テストで確認された高浸透性の区間とよく対応しており、CO2圧入終了後も広がっている。最終的には2つの増大域がつながり、深度方向に約4 m(1,113 m ~ 1,117 m)にわたる高比抵抗領域が形成された。
図-5 CO2圧入期間中に得られた坑井間弾性波トモグラフィMS1~MS4の解析結果
音波検層が観測井近傍の微小区間の速度を検出するのに対し、坑井間弾性波トモグラフィは複数の観測井の間の弾性波速度分布を2 次元で把握できる。長岡実証試験サイトでは、観測井OB-2、OB-3 にそれぞれ発信機と受信機を設置し、圧入井を挟むこれらの坑井間の速度異常域(CO2浸透によって生じた速度低下域)を検出した。図5はCO2モニタリング測定MS1 ~ MS4 で得られたCO2の分布域を示している。弾性波トモグラフィ測定では、2 次元断面上の速度異常域をもとに圧入されたCO2の広がりを知ることができる。
4. 国内の動きとCCS 実施に向けた課題
図-6 基礎物理探査より得た日本列島における背斜構造の分布図
+ は背斜構造が存在する位置を示す
長岡のプロジェクトはCO2 圧入量としては小規模であるが、多方面にわたる貴重な科学的データが取得された点で世界的にもユニークなプロジェクトである。地中貯留の対象となる帯水層は日本の陸域と海域に広く分布するが、Sleipnerのような商業規模の地中貯留を実施する場合、圧入サイトと排出源の間の距離も考慮しなければならない。両者の距離は地中貯留事業のコストに大きく影響するからである。とくに、圧入サイトが海域となる場合は、離岸距離と水深も重要な検討要素となる。図6は基礎物理探査より得られた国内の貯留層構造の分布と水深を示している。この図では主に海域の帯水層、かつ水深が300 m 以浅の貯留層の分布に限定している。北海道、新潟県および秋田県に分布する貯留層近傍では、地質調査のための基礎試錐も行われており、これらの調査結果は圧入サイト選定にとって重要な情報となる。
図-7 日本全国の11 地域におけるCO2 大規模排出源の分布図
赤点: 火力発電所、紫点:一貫製鉄所、緑点:セメント工場。紫色の円は地域ごとのCO2 排出量を示す。
一方,図7は国内の火力発電所、一貫製鉄所、セメント工場のような大規模排出源の分布を示しており、図中の数字は年間CO2排出量の推定値である。大規模排出源と帯水層の分布関係をみると、本格的な地中貯留を実現するには、貯留ポテンシャルの大きい非構造性帯水層(背斜構造を有しない帯水層)を視野に入れた検討が必要である。ただし、貯留ポテンシャルはある種の仮定に基づく手法によって試算されたCO2貯留可能量である。個々の圧入サイト選定の段階では、ボーリング調査などを実施し、貯留可能量を精査しなければならない。
このように地中貯留技術には、コストの削減、圧入したCO2の漏洩、環境への影響、安全性評価手法の確立、海洋生態系への影響、法制度の整備、国民の理解など解決すべき課題は多い。しかし、地球温暖化が世界的に問題視されている状況下で革新的な解決策がない現状を考えると、地中貯留はCO2 排出量削減の有効な技術の一つである。とくに深部帯水層でのCO2 貯留メカニズムに関する科学的研究と関連技術の開発はCCS 実現の鍵を握っていると言えるだろう。