アレルギーワクチンの研究開発
2010年 7月8日
石井保之:
独立行政法人理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターワクチンデザイン研究チーム チームリーダー
1962年5月生まれ。1988年東京工業大学大学院総合理工学研究科生命化学専攻修了、博士(理学)。
キリンビール株式会社医薬探索研究所、米国ラホヤ・アレルギー免疫研究所(石坂公成博士 研究室)、(旧)通産省工業技術院大阪工業研究所、独立行政法人産業技術総合研究所、千葉大学大学院医学研究院免疫制御講座准教授を経て現職。著書:「花粉症のワクチンをつくる!」(岩波科学ライブラリー)
要旨
アレルギー応答は、特定のアレルゲン(抗原)に対する過剰な免疫応答と定義される。免疫応答は、本来自己を細菌やウイルス等の外敵や体内で発生する癌細胞等を排除する生体防御機構のひとつである。しかしながら、アレルギー応答は花粉や食物など、からだに無害な抗原に対して反応していることになる。アレルギー応答を伴うアレルギー疾患には、喘息、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎や結膜炎等が知られているが、主たる治療はアレルギー応答の後期を抑制する薬剤投与による対症療法であるため、完治させることは難しい。唯一、根本的な治療効果が期待できる減感作療法でも、抗原注射後のアナフィラキシーショック誘発の危険性があるため、低濃度の抗原注射から段階的に投与量を高めていく長期間の通院治療が余儀なくされる。今後さらに、アレルギー疾患に苦しむ患者さんの数が増大することが予想されることから、予防と根本治療を目指した安全かつ簡便なアレルギーワクチンの研究開発が急務になっている。
アレルギーワクチン研究の背景
アレルギー疾患は、アレルギー応答が全身に起こるものと局所に起こるものに分けられる。まず全身に起こるアレルギー疾患の代表は、全身性アナフィラキシーで、牛乳、卵、大豆、そば、ピーナッツ等の成分が抗原となる食物アレルギーや、ペニシリン等の薬物、ラテックス製手袋等の医療用具に含まれる物質に対する薬物アレルギーなどが知られている。一方、局所に起こるアレルギー疾患には、眼ではアレルギー性結膜炎、鼻ではアレルギー性鼻炎、肺では喘息、皮膚ではアトピー性皮膚炎がある。現在、患者数が急増している花粉症は、アレルギー性結膜炎とアレルギー性鼻炎を主症状とする複合型アレルギー疾患である。以上のようにアレルギー疾患は、それぞれ病変部位や病状が様々であるが、発症の主たる原因は、抗原によって誘発される過剰な免疫応答、特にIgE抗体産生である。
図1に示すとおり、まず抗原提示細胞が抗原を取り込み、次にアレルゲンの一部を認識するヘルパー2型T(Th2)細胞が分化増殖する。さらにTh2細胞が産生するサイトカイン、インターロイキン(IL)-4が、アレルゲンに特異性を持つB細胞に作用することにより、B細胞はIgE抗体を産生するB細胞に分化する。次に抗原特異的IgE抗体は肥満細胞や好塩基球のIgE受容体に結合した状態で保持される。その後体内に侵入する抗原が肥満細胞や好塩基球表面上のIgEに結合すると、肥満細胞は脱顆粒を起こし細胞内化学伝達物質であるヒスタミンやロイコトリエン等を放出し、血管透過性の亢進に伴う鼻水や自律神経系を刺激することによるくしゃみ、鼻づまりを引き起こす。これをI型アレルギー応答という。以上のように、IgE抗体が引き金となってアレルギー症状が惹起されることから、IgE抗体産生を抑制するアレルギーワクチンは、アレルギー疾患全般に渡る予防と根本治療を実現できる可能性が高いと考えられる。
図1:IgE抗体産生とI型アレルギー応答
アレルギーワクチンの標的
アレルギー応答の開始点から以下の4つの段階がアレルギーワクチン研究開発の標的となり得る。
第1の標的:抗原提示の阻害
抗原提示細胞が抗原を取り込まないか、取り込んでも抗原をプロセスしてペプチド化しないか、さらにペプチドを主要組織適合複合体(MHC)上に提示しなければ、Th2細胞の分化・増殖は阻害されることになる。しかしながら、今日までこの標的を狙ったアレルギーワクチンに関する報告は見当たらない。例えば抗原特異的に抗原提示細胞の機能を阻害する薬剤がアレルギーワクチンの候補として考えられる。
第2の標的:Th2細胞の分化・増殖の抑制
既存唯一の根本治療法である減感作療法の標的になっていることが予想されるが、作用メカニズムが解明されていないため、尚不明である。抗原提示細胞が抗原特異的にTh2細胞に免疫不応答(アナジー)や細胞死(アポトーシスやネクローシス)を誘導するアレルギーワクチンは、有効な治療法となり得ることが予想される。さらに制御性T(Treg)細胞を抗原特異的に分化・増殖させることができれば、長期に渡る免疫寛容を誘導することが期待できる。
第3の標的:B細胞のIgE抗体産生の抑制
B細胞からのIgE抗体産生だけを抑制することができれば、根本治療につながる可能性が高い。それを実現するためには、膜結合型IgEを発現するB細胞特異的に細胞死を誘導する抗体療法等が考えられる(参考文献1)。またIgE産生B細胞に特異的に細胞死を誘導するサイトカイン、例えばIL-21などを誘導するワクチンの設計が有効であると考えられる(参考文献2)。
第4の標的:IgE抗体のFcR I結合阻害
仮に血中のIgE抗体濃度が高値であっても、肥満細胞や好塩基球細胞表面上のIgE受容体FcRIに結合しない限り、アレルギー症状が重篤化することはないはずである。根本治療ではないが、IgE中和抗体の投与によって、重篤な喘息患者さんでの高い治療効果が認められている。もし自己の免疫システムを使って、IgE中和抗体を産生し続けられることが達成できるならば、IgE抗体価が高い状態でも症状を軽減されることが可能になるかもしれない。
アレルギーワクチンの設計1
花粉症を例とると、皮下注射による減感作療法や舌下免疫療法には、通常花粉エキスが用いられる。特に欧米の減感作療法では高濃度の抗原を含有したエキスを持いることによって最終維持量を可能な限り高めて、有効性を上げようという狙いが感じられる。その一方で、天然抗原の濃度を高めれば高めるほど、アナフィラキシーショックを誘発する危険性が高まることが大きな問題とされている。それを解消する一つの手段として、組み換え抗原の利用が考えられる。
アナフィラキシーショックを誘発しない安全な組み換え抗原を設計する場合には、花粉症患者血液中のIgE抗体と結合しないことが条件となる。また、高い有効性を発揮するためには、限定されたT細胞エピトープの連結ペプチドでは不十分であり、全ての花粉患者T細胞エピトープの配列を包含する必要がある。スギ花粉症の場合では、主要抗原であるCry j 1蛋白質とCry j 2蛋白質の成熟領域全てのアミノ酸配列が必要となる。安全性と有効性という二つの条件を満たす組み換え抗原の設計として、Cry j 1とCry j 2のそれぞれの全成熟領域を直接結合させた組み換えCry j 1/2融合タンパク質が考案された。この融合タンパク質は、Cry j 1とCry j 2が介在配列を含まず直接結合する構造になっているため、それぞれの領域の立体構造が天然型に戻ることができない。その結果、天然型Cry j 1 やCry j 2の立体構造を認識するIgE抗体が結合できなくなり、肥満細胞や好塩基球の脱顆粒が起こらなくなることが予想される。このような組み換え抗原を減感作療法に用いた場合、アナフィラキシーショックを誘発する危険性を低下させた結果、高濃度の抗原を投与することが可能になり、有効性を高められる可能性が大きい。
アレルギーワクチンの設計2
もう一つの組み換え抗原を用いたアレルギーワクチンは、免疫寛容を誘導するメカニズムを利用したリポソームワクチンである。近年、免疫制御システムの研究が進み、免疫寛容に関与する(制御性)Treg細胞が同定され、さらにそれらを体内に戻すことで免疫抑制が起こり、免疫異常疾患のモデル動物で治療効果が認められている。このTreg細胞を抗原特異的に体内で分化・増殖させることができれば、長期に渡りに免疫寛容を維持させることが可能になる。例えば花粉症では、花粉抗原特異的なTh2細胞の活性化を、Treg細胞が抗原特異的に抑制することが予想される。我々は、体内で効率よく花粉抗原特異的Treg細胞を増やすアレルギーワクチンとして、ナチュラル・キラーT(NKT)細胞のリガンドであるα-ガラクトシルセラミド(α-GalCer)と組み換え花粉抗原を封入したリポソームを考案し、研究開発を進めている。以下、アレルギーワクチンの一例として、α-GalCerリポソームについて紹介する。
アレルギーワクチンの作用メカニズム
アレルギーワクチンが、抗原提示細胞に取り込まれると、α-GalCerはCD1d分子上に同時に組換えスギ花粉抗原は細胞内でプロセスされてペプチドとなりMHC分子上にそれぞれ提示されることが予想された。つまり一つの抗原提示細胞よって、NKT細胞とナイーブT細胞が効率よく活性化されることになることになる。次に、NKT細胞と抗原提示細胞との会合で産生されるIL-12やIL-10の働きにより、ナイーブT細胞がTh1細胞やTreg細胞に分化・増殖することになる。
アレルギーワクチンをマウスに投与すると、脾臓中の樹状細胞の他に、ある種のB細胞に選択的に取り込まれ、さらにNKT細胞との会合により大量のIL-10が産生されることを認めている。一方、アレルギーワクチンを取り込んだ樹状細胞とNKT細胞との会合ではIFN-γの産生が優位になるが、脾臓中では、アレルギーワクチンを取り込むB細胞の細胞数が、樹状細胞数の数十倍以上あることから、脾臓中ではIL-10産生がIFN-γ産生をはるかに上回る環境になっていることが示唆されている。
また、アレルギーワクチンを複数回投与したマウスの脾臓CD4陽性T細胞を、天然型抗原で感作したマウスに養子移入し、同じ抗原でチャレンジをした結果、IgE抗体価の上昇を有意に抑制することを認めている。この抑制効果が、リポソームに封入した抗原と異なる抗原で感作したマウスには、認められなかったことから、リポソームワクチンで誘導される脾臓中CD4陽性T細胞中には、抗原特異的Treg細胞が含まれていることが示唆されている。
おわりに
アレルギーワクチンは、感染症に対するワクチンと同様かそれ以上に高い安全性が要求されることは、アナフィラキシーショックを誘発する危険性を考えれば異論はないであろう。一方、その高いハードルを克服しつつ、高い薬効をもつ医薬品を開発することは決して平坦な道のりではないことも確かであろう。しかし、今後も患者数が増え続けることが予想されるアレルギー疾患に対して、対症療法での治療には限界が見えてきている。アレルギーワクチンの研究開発を今推進しなければ、将来アレルギー疾患によって生ずる様々な社会での機会損失の拡大を未然に防ぐことは難しいであろう。今後、アレルギーワクチンの開発スピードや成功確立を高めるためには、アカデミアやバイオテックが創出するワクチン開発を前臨床試験段階から製薬企業が参画し、パートナリングするスキームが望まれる。
主要参考文献:
- Antibodies specific for a segment of human membrane IgE deplete IgE-producing B cells in humanized mice. Brightbill HD, Jeet S, Lin Z, Yan D, Zhou M, Tan M, Nguyen A, Yeh S, Delarosa D, Leong SR, Wong T, Chen Y, Ultsch M, Luis E, Ramani SR, Jackman J, Gonzalez L, Dennis MS, Chuntharapai A, DeForge L, Meng YG, Xu M, Eigenbrot C, Lee WP, Refino CJ, Balazs M, Wu LC. J Clin Invest. 2010 Jun 1;120(6):2218-29.
- 2.IL-21-induced Bepsilon cell apoptosis mediated by natural killer T cells suppresses IgE responses. Harada M, Magara-Koyanagi K, Watarai H, Nagata Y, Ishii Y, Kojo S, Horiguchi S, Okamoto Y, Nakayama T, Suzuki N, Yeh WC, Akira S, Kitamura H, Ohara O, Seino K, Taniguchi M. J Exp Med. 2006 Dec 25;203(13):2929-37.