第79号
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中国の宇宙開発事情(その10)回収式衛星

辻野 照久(科学技術振興機構研究開発戦略センター 特任フェロー)  2013年 4月12日

 中国の多くの衛星の中で、回収式衛星は長い歴史と多様なミッションを持つ興味深い存在である。中国は、米国・旧ソ連に次いで世界で3番目の回収式衛星打上げ国となった。なお、有人宇宙船「神舟」も 回収式衛星の類であるが、有人宇宙飛行の項で紹介済みなので、それ以外の回収式衛星23機について一覧表を付した。中国はなぜこれほど回収式衛星に精力を注いだのか。現 場の技術者はどんな気持ちでこのプロジェクトを推進したのか。回収式衛星が落下してくる地域ではどんな事件が起こったのか。今回は中国における回収式衛星の実績とともに、米ロとの対比、回 収にまつわるいくつかのエピソード [1] を紹介する。なお、日本はこれまで洋上で回収する「USERS」衛星を1機打ち上げただけである。

旧ソ連と米国の回収式衛星

 中国の回収式衛星を理解する上で、米国や旧ソ連の同種衛星と対比しておく必要がある。米ソという宇宙二大国においては、宇宙開発の初期から回収式衛星が多数打ち上げられてきた。ただし、い ずれも初期は失敗率が高く、どちらかというと旧ソ連の方が先に安定した運用体制を確立した。それに対して、米国は回収式をやめて画像データ伝送方式へ切り替えた時期が早かった。

 米国の宇宙開発は1958年から始まったが、初期は、航空宇宙局(NASA)による宇宙科学衛星と、米空軍(USAF)によるフィルム回収式偵察衛星がミッションの大部分を占めていた。偵 察衛星の運用期間は3日から9日程度で、宇宙から地上の様子を銀板フィルムで撮影し、そのフィルムを地上で回収することにより画像を入手する。

 USAFはフィルム回収式の偵察衛星の実現に向け、1959年から再突入技術や回収技術の試験衛星及びカメラ搭載衛星「Discoverer」(途中から「Key Hole(KH)」の名称を併用)の 打上げを開始し、1960年8月までに13機を打ち上げた。その間、打上げ失敗や衛星の不具合、回収失敗などのトラブルが続き、フィルムの回収に13回連続で失敗し、14回目にようやく成功した。

 以後のシリーズでは特殊装備の航空機で落下してくる衛星を空中でキャッチするという米国らしい回収方式を採用し、ようやく回収成功率が5割程度になった。「KH-6」までの試行錯誤の末、1 964年頃には「KH-4」・「KH-5」・「KH-7」など比較的安定した運用が確立された。

 「KH-9」はカプセルを4回発射できるような長期運用型となり、重量は11トン以上もあった。1976年からようやく「KH-11」(最大17トン)で極軌道のデータ中継衛星「SDS」を 介して画像データを地上へ伝送する方式が開始された。

 一方、旧ソ連は1961年から回収式偵察衛星の打上げを開始した。1962年の「Kosmos 4」(Sputnik 14)は打上げ時重量4.6トンで、内蔵バッテリを電源とし、3 日後に再突入させて撮影した写真フィルムを回収した。このようなフィルム回収型の偵察衛星の衛星バスは「Zenit」型や「Yanter」型などがあり、2012年までに734回(旧ソ連時代674回)も 打ち上げられ、打上げ失敗を除いて「Kosmos XXXX」という衛星名が付けられ、700機以上に及ぶ一大勢力となっている。

 現在も時々打ち上げられる「Kosmos」衛星の累計数は2,500機近くになるが、回収式偵察衛星がそのうち約3割を占めている。現在では民事用の「レスルス(Resurs)」衛 星でデータを電波で送信する方式も用いられるようになったが、依然として短期間の回収式偵察ミッションも実施されている。

中国の回収式衛星の打上げ状況

 中国では、1974年に初めて回収式衛星(中国語では「返回式衛星=Fanhui Shi Weixing=FSW」)を打ち上げ、最初の失敗を除いて1975年から14回連続で回収に成功した。偵 察ミッションにおける「回収成功」とは、搭載カメラが撮影した画像が露光することなく写真化できたことを意味する。ただし、中国首脳部は当初、中国の領土内で衛星が回収できれば成功と考えていたようである。1 990年ころまではロシアの偵察ミッションと同様に写真フィルム回収を行っていた。その後1992年からは微小重力実験がミッションの中心となった。

 図表10-1に、中国が30年間にわたって打ち上げた22機の回収式衛星の打上げ記録を示す。衛星の開発・製造はすべて中国空間技術研究院(CAST:China Academy of Space Technology)が行った。

 射場はすべて酒泉である。着陸場は四川省の山中にある遂寧市が選定されたが、予定地点を大きく外れたことも何回かある。1993年打上げの第15回目の回収式衛星「FSW-15」のみ回収に失敗し、太 平洋東部のペルー沖合に落下した。

 2004年打上げの「FSW-20」は回収には成功したものの、民家の屋根を突き抜けて室内に落下したため、搭載した実験生物(アリ)が死んでしまった。

 2006年、CASTは宇宙育種をミッションとする「実践8号」(SJ-8)を打ち上げた。偵察ミッションを伴わない初の微小重力実験専用の回収式衛星である。宇宙育種(宇宙環境を利用した品種改良)は ライフサイエンス実験の一種であるが、経済的な有利性をもたらすビジネス目的の宇宙育種も行われた。今後、同じシリーズの育種衛星として「実践10号」の打上げ計画があるが、打上げ時期等は発表されていない。 

図表10-1 中国の回収式衛星の打上げ記録
注:FSWのタイプは主に周回可能日数によって5種類に分類できる。 FSW-0(3~5日、9機)
FSW-1(8日、5機) FSW-2(15~17日、3機) FSW-3(18日、3機)、FSW-4(27日、2機)
衛星名 打上げ日 回収日 日数 ミッション ロケット 落下場所 備考
FSW 1974/11/5 地球観測 長征2A 打上げ失敗
FSW 1 1975/11/26 11/29   3日 地球観測 長征2A 貴州省六枝 回収成功
FSW 2 1976/12/7 12/10 地球観測 長征2A 四川省遂寧市 回収成功
FSW 3 1978/1/26 1/29 地球観測 長征2A
FSW 4 1982/9/9 9/14   5日 地球観測

長征2C

FSW 5 1983/8/19 8/24 地球観測

長征2C

FSW 6 1984/9/12 9/17 地球観測

長征2C

四川省内江市 回収成功
FSW 7 1985/10/21 10/26 地球観測

長征2C

四川省遂寧市 回収成功
FSW 8 1986/10/6 10/11 地球観測

長征2C

FSW 9 1987/8/5 8/10 地球観測

長征2C

FSW 10 19879/9 9/17   8日 地球観測

長征2C

FSW 11 1988/8/5 8/13 地球観測

長征2C

FSW 12 1990/10/5 10/13 地球観測

長征2C

FSW 13 1992/8/9 8/25 16日
(+1日)
地球観測
微小重力実験

長征2D

FSW 14 1992/10/6 10/13 7日
(-1日)
地球観測
微小重力実験

長征2C

FSW 15 1993/10/8 地球観測

長征2C

太平洋東部 回収失敗
FSW 16 1994/7/3 7/18 15日 地球観測
微小重力実験

長征2D

四川省遂寧市 回収成功
FSW 17 1996/10/20 11/3 地球観測
微小重力実験

長征2D

FSW 18 2003/11/3 11/21 18日 地球観測
微小重力実験

長征2D

FSW 19 2004/8/29 9/25 27日 地球観測
微小重力実験

長征2C

FSW 20 2004/9/27 10/15 18日 地球観測
微小重力実験

長征2C

FSW 21 2005/8/2 8/29 27日 地球観測
微小重力実験

長征2C

FSW 22 2005/8/29 10/17 49日 地球観測
微小重力実験

長征2D

SJ-8 2006/9/9 9/24 15日 宇宙育種実験 長征2C 四川省遂寧市 回収成功

 

回収の裏話(1号機)

 回収式衛星の着陸目標は四川省遂寧市大英県であるが、実際の落下場所は逆噴射エンジン点火のごくわずかな時間差で大きく変わってくる。

 1975年に初めて回収に成功した回収式衛星の場合、落下場所は目標から直線距離で420kmも離れた貴州省六枝地区の小さな炭鉱の入り口付近であった。落 下予定時刻が来ても四川省内ではどこからも衛星が落下したという報告がなく、回収部隊は行方不明の衛星の捜索に焦っていた。

そこへ貴州省から、炭鉱労働者が火の玉となって落ちてくる物体を目撃したという連絡が入った。目撃した4人の炭鉱労働者は落下直前に坑道に避難したが、落下後1人が報告に走ったという。彼らは「衛星」と は何かも知らなかった。一方、回収部隊が連夜の移動で六枝地区に到着し、ミッションの成否を分ける最も重要な写真フィルムが入った暗箱を、露光させることなく回収することができた。これまで、1 号機の回収については「貴州省の特別地区(六枝特区)に着陸し、ミッションは成功した」という何気ないような情報があったが、詳しい状況を想像すれば、「予定外の地区に着陸し、捜索は難航したが、奇 跡的にミッション成果の回収に成功した」という冷や汗ものの成功であった。

回収の裏話(6号機)

 1984年9月17日に落下した回収式衛星6号機は、四川省内江市内の幅100mほどの川の中ほどに落下した。パラシュートのひもが切れ、衛星は川底へ沈んでしまった。ヘ リコプターだけでなく潜水士なども動員され、7日もかかってようやく引き上げに成功した。この時この付近の2隻の船の漁民が活躍し、6 日後の10月1日に北京に招待されて建国35周年の祝典に参加したとのことである。成果物である写真フィルムは、水に濡れることなく回収できたので、表面的には「回収成功」であるが、落 下場所が川底であったために回収に大変な苦労をしたことを知る人は少ないであろう。

回収の裏話(13号機と14号機)

 1992年は2機の回収式衛星が短い間隔で打ち上げられた。8月の打上げはFSW-2型衛星の初飛行で、予定の飛行期間は15日間であった。衛星には高度を維持するためのエンジンがあって、長 く軌道を周回すると徐々に高度が低下するのを補っている。衛星の軌道制御は11日目までは順調であったが、12日目に突然通信不能となり、軌道高度が低下し始めた。

当時の国防科学技術工業委員会(COSTIND)が開催した対策会議で、計画通り15日間の飛行後に落下させると、森林地帯に着陸し、捜索や回収が困難であることが判明した。会議2日目に出た案は、回 収を1日遅らせることだった。この対策のおかげで回収は成功した。

 続いて10月に打ち上げられた14号機は、13号機よりも旧型のFSW-1型衛星で打ち上げられた。この打上げは、スウェーデンの科学衛星「Freja」と 同時打上げであることから世界的にも注目されていた。今度は打上げ時にロケットがわずか5秒間暴走したために、回収式衛星の軌道高度が少し高くなってしまった。そこから8日後の落下地点を計算すると、大雪山( 中国紅軍第一方面軍が長征で踏破した山)になった。衛星管制センターは、1日早く回収する方策を提案した。前回の1日遅れとの決定的な違いは、ミ ッション達成を1日短縮してもできるのかどうかを考慮しなければならない点である。地上からの指令で撮影や試験などのミッション遂行に必要な作業を7日目までに完了し、衛星は正確に予定地域に着陸した。

 中国が着実に回収成功を積み重ねる間には、以上のような秘話があった。やや精神的な感想になるが、予想外の事態に遭遇したときに諦めずに冷静に対処した姿勢は、不断の修練の賜物であろうと感じられる。 


注釈: