愛知大学と青海省社会科学院の共同研究:地理学・環境学分野を中心に(その2)
2015年 2月24日
高木 秀和(たかぎ ひでかず):
愛知大学非常勤講師
1983年,愛知県生まれ。修士(地域社会システム)。現在,愛知大学大学院博士課程,愛知大学非常勤講師。専門は地理学で,日本の漁村・山村研究,中国・東南アジアの地域研究をすすめている。
(その1よりつづき)
青海省のシンボルである青海湖は,中国最大の塩湖で,その面積は4,300km2あまり,標高は3,200mほどの場所に位置する。寒冷な高地に位置する塩湖であるため,その環境に適応した魚類は少なく,そのうちの湟魚(青海湖裸鯉)は青海湖に生息する固有種である。そのため,湟魚は500gの大きさに成長するまでに10年の歳月を要す。青海湖裸鯉の名のとおり,体表には鱗がなく,見た目はツルツルしている。
図3 湟魚の成魚
(パンフレット『青海湖裸鯉救護中心』)
この湟魚をめぐる歴史は,青海湖周辺地域の民族の歴史でもあり,漢代以降この地域に入り込んできた漢族やモンゴル族などが青海湖で湟魚漁業を行ってきた。とは言え,当時は漁業技術が未発達なため,湟魚を乱獲してもしばらく漁業を行わなければその資源は回復した。たとえば,18世紀前半(清)になると,もともとこの地域で生活を営んでいたチベット族が回帰してきた。チベット族は,山とともに湖沼やそこに生息する魚類を神聖視しており,それを食べることはないとされる。彼らは,伝統的に魚を食べれば罰が当たり,遊牧民が暮らすテントが突風で飛ばされるなど,自然災害に見舞われると考えている。そのため,チベット族がこの地域に戻ってくると,湟魚の資源量は回復したのである。
民国時代になると,漢族や回族が再び湟魚漁業を営むようになった。そして中華人民共和国の建国以降,漢族を中心とした入植者の食料不足を補うために湟魚が乱獲されるようになり,1950年代末には1万人以上が湟魚漁業に従事し,漁獲量がピークに達した1960年には3万t近くが漁獲されたという。湟魚の資源量が大幅に減少すると,乱獲が問題視されるようになり,いくつもの法規がつくられたが,部分禁漁が実施された1990年代まで湟魚の漁獲が続けられた。今世紀に入ると,湟魚の完全禁漁が実施されるようになり,稚魚の放流などの保護・繁殖活動が行われてきたが,その資源量の完全回復には至っていない。たとえば,湟魚の部分禁漁が行われた1990年代には年間約600tの漁獲量があり,完全禁漁と一連の保護活動が軌道に乗った2010年には約3万tの湟魚が生息していると推計されている。1990年代の湟魚の漁獲量に比べれば,2010年現在の推定資源量は大きく増加したといえるが,最大を記録した1960年の漁獲量とほぼ等しい。
その背景には,青海湖は寒冷な高地に位置する塩湖という過酷な環境条件にあるため,湟魚の成長は大変遅いということとともに,湟魚の密漁が後を絶たないという人為的な問題がある。そこには,青海湖名物として湟魚料理を求める観光客と,危険を冒してまで収入を得ようとする人々の存在があり,完全禁漁の措置をとり,青海省のシンボルでもある湟魚の稚魚の放流活動を行っても,密漁を根絶しない限り資源量の完全回復は困難である。また,湟魚が誕生する青海湖に注ぎ込む内陸河川沿いでの過開墾や過放牧と,都市化にともない周辺から流入する汚水などにより,その生息環境が悪化しているという問題もある。
図4 青海湖に放流される湟魚の稚魚
この地域の持続的な発展のためには,観光業に依存するよりも,環境負荷の小さい農牧業を推進し,付加価値をつけて出荷することのできる加工施設を建設するなど,地域産業を育成する必要があるだろう。青海湖の存在は観光業にとり大きな強みであるが,青海省には豊かな自然環境を売りにする観光地が乱立しており,自然を楽しむ観光だけでは観光地として生き残ることは難しい。たとえば,地質公園に指定されたある場所には,この4年間に観光施設が建設され,一部に人為的な地形の改変がみられたし,また別の自然景観区には人工的に造られたいくつかの滝に沿って遊歩道が設置されていた。青蔵高原の自然景観は,どこを切り取っても美しい絵になるが,今後は手つかずの自然景観を楽しむビューポイント以外にも,このような人工的に改変された自然を楽しむ観光地が数多く開発される可能性がある。青海湖と湟魚の問題に話を戻せば,自然生態環境に負担のかかる観光地化をすすめるのではなく,住民への環境教育とともに,自然環境に配慮した経済循環がみられるようになれば,湟魚の密漁や,無理な開発も行われなくなるだろう。
ところで,研究の中間まとめを行うために,2011年2月に日本へ青海省社会科学院から孫副院長を招いて,経済地理学会中部支部での研究報告会と,藤田先生と筆者が長野県飯田市遠山郷で地域住民とともに展開している,歴史的文化的資源を利用した地域づくりである「神様王国」の見学を行った。「神様王国」とは,遠山郷の集落内に点在する伝統的に地域住民により信仰されてきた石神仏を,地元ガイドとともにめぐるスタディツアーであり,あわせて土産品となる特産品の開発も行うことで,平成の合併により活力を失った山間地域に主体性を取り戻し,地域経済の活性化を図ることを目的とした取り組みである。孫副院長は,日本の学会で研究報告ができたことに感激するとともに,日本の中山間地域の豊かさや地域づくりの動きに強い関心を示した。中国では,「農家楽」のように農家風の建物で休日を過ごすことや,「民俗村」などのようなエスニック・ツーリズムも普及しているし,日本の「一村一品」運動のような内発的発展論にも関心がもたれている。孫副院長は,民俗学が専門の趙院長にも,遠山郷の豊かな歴史文化性と「神様王国」の取り組みを伝えると話していた。なお,前述した2011年8月に開催された国際シンポジウム以降は,青海省社会科学院と本学の間では特筆すべき交流事業はないものの,趙院長と孫副院長には本学ICCSの客員研究員を兼任していただいている。
日中共同研究というと,中国での調査研究が主となり,とかく一方通行になりがちである。日中両国で置かれている環境は大きく異なるだろうが,同じ土俵に立ちながら双方向で研究を推進していくことも必要であろう。
(おわり)