中国の大学発ベンチャー企業(科学技術型)について(その5)
2015年11月16日 陳 強(同済大学経済・管理学院管理科学与行程系教授)、
余 偉 (同済大学経済・管理学院博士課程)
(その4よりつづき)
三、中国大学科技型企業の発展典型事例
3.1 東軟グループ
東軟グループは、東北大学の派生企業であり、大学実験室から出発・発展したハイテク企業の典型例である。その誕生は比較的早く、すでに20年余りの発展史を持つ。規模と生産額で中国の大学科技型企業のトップレベルにある。東軟グループは現在まで、東北大学と多層的で緊密な連携を保っており、その関係は、研究開発や研究成果転化、人材蓄積、指導者など多くの範囲に及んでいる。東軟グループの発展プロセスや主要な特徴、発展の経験の総括は、中国の大学科技型企業の進化のプロセスや特徴、直面する主要問題を理解し検討するのに大きな意義を持つ。
3.1.1 東軟グループの発展史
東軟グループは現在、中国最大のITソリューションとサービスの提供元であり、ソフトウェア技術を中心として、産業ソリューションや製品デザインソリューション、関連する製品、プラットフォーム、サービスを提供している。このうち産業ソリューションは、電信・エネルギー・金融・政府(社会保障、財政、税務、公共安全、国土資源、海洋、品質検査、工商、知的財産など)、製造業、商業貿易流通業、医療衛生、教育、交通などをカバーしている。製品デザインソリューションでは、独自ブランドの医療・ネットワークセキュリティ製品を持つ。さらに世界の一流グローバル企業とも協力を展開し、デジタル家電やモバイル端末、車載情報製品、IT製品などの組み込み型ソフトウェアの開発とサービスを提供している。サービス分野では、包括的なアプリケーションの開発とメンテナンスサ―ビス、ERPの実施とコンサルティングサービス、専門測定や性能工学のサービス、ソフトウェアのグローバル化と現地化のサービス、ITインフラサービス、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)、IT教育・トレーニングなどのサービス業務を提供している。
東軟グループの発展プロセスは、企業創設のシード期、初期のインキュベーション段階、急速発展段階、国際化段階に分けることができる。
1.企業創設のシード期(1988—1990年):技術開発の初期的な商業化
東軟グループの創設は時代の波によってもたらされたと同時に、東北大学とそのサイエンスパークのイノベーションを促す環境、冒険心に富んだ聡明な先駆者たちによって促された。
東軟グループの総裁である劉積仁氏の指導教授は、東北大学の副学長を務めた李華天教授である。李教授は1950年代にはすでに、電子計算機が将来、重要な役割を演じることになることを見越し、教育研究室の人員を率いてシミュレーションコンピュータの開発に乗り出した。1980年代初め、米国から帰国した劉積仁氏は李教授の指導の下、「ローカル・エリア・ネットワーク」(LAN)の研究のために国家自然科学基金と「863プロジェクト」を申請し、東北大学は全国に先駆けて同分野の研究をスタートさせた。
東北大学は1988年、有限的な資源の条件下、教室と大倉庫を劉氏に提供し、コンピュータソフトウェア・ネットワーク工学研究室(1990年にコンピューターソフトウェア研究・開発センターと改名)を設立させた。研究室はソフトウェア開発を目的とし、研究成果は企業に移転されることとされた。劉氏は同年、撫順のアルミニウム工場のネットワークシステム開発の契約にこぎつけ、最初の資金となる3万元を獲得した。東北大学はさらに、国際交流と渉外活動が多いという特徴を活用し、ビジネスパートナーとの商談の機会を劉氏に積極的に与え、日本のアルパイン社との協力関係の成立を促し、東軟グループ創業の土台となる資金とプロジェクトを確保した。
2.企業創業初期のインキュベーション段階(1991—1996年):研究ユニットから派生企業へ
1990年代、東軟グループは創業初期のインキュベーション期を迎えた。1991年3月、「オープンソフトウェアシステム開発公司」を登録し、同年6月には「瀋陽アルパイン・ソフトウェア研究所」(有限公司)を設立し、東軟グループの原型を作り、東軟とアルパインとの協力が正式に始動した。東軟はこの時期、自動車模擬試験環境ソフトウェアの開発と設計を担当し、車載音響システムや自動車ナビゲーションシステム、情報通信システムなどのソフトウェアの開発と設計の分野でもアルパインと協力を展開した。東軟は国際協力を通じて国際標準に基づく製品開発を創業初期から実施し、「ISO9001」「CMM」「CMMI」などの標準を率先して導入した。協力のプロセスでは人材も養成され、ソフトウェア技術だけでなく、ソフトウェア開発のプロセスにおける管理方法も学ばれた。日本向けのソフトウェア・アウトソーシング業務で得られた収入は、東軟のその後のITサービスやソフトウェア製品の開発のための重要な資金源となった。
東軟は発展を続け、1993年には株式制を導入し、瀋陽東大アルパイン・ソフトウェア株式有限公司を設立し、全国で販売ネットワークの設立を開始した。1995年、東北大学のソフトウェアパークの建設が始まり、同大学のコンピューター映像センターが東軟に合併され、東軟はCTなどの医療システムの分野に参入していった。1996年、東大軟件(ソフトウェア)集団有限公司、つまり「東軟グループ」が設立され、上海証券取引所に上場した。東軟グループは中国で初めて上場を実現したソフトウェア専門企業となった。
3.企業の急速発展段階(1997—2008年):産業ソリューション分野の「デジタル・エンクロージャー」
東軟グループの発展に伴い、産業イノベーションの環境にも変化が生じ、東軟グループは戦略思考と調整を重視するようになった。同グループは、産業のニーズに積極的に呼応し、企業の位置付けをさらに明確化し、産業チェーンとバリューチェーンにおける合理的な位置を模索した。
1990年代中期、中国の各産業と政府部門は情報化建設に着手したところで、ITソリューション市場は急成長の段階にあった。東軟グループはこのチャンスを敏感に察知し、1997年から、ソフトウェア製品の開発を中心としていた企業の位置付けを変更し、国内のITソリューション市場へと大規模参入し、「デジタル・エンクロージャー(囲い込み)」戦略を始動し、各産業・部門のデジタル分野で「領土」を拡大し、電信・電力・社会保障・金融・医療・交通・製造業などの産業に次々とITソリューションを提供するようになった。例えば社会保障分野では、東軟グループは1999年、国家労働・社会保障部の「社会保険管理情報システム核心プラットフォーム」の開発事業に中心的な役割を演じ、総体技術とプロジェクト管理を担当し、社会保障情報化の土台となる規範と標準の制定にもかかわった。2000年にシステムが正式に打ち出されると、東軟グループは、全国各地の100カ所近くの社会保険関連クライアントに核心となるプラットフォームを提供した。また電信産業では、1995年、郵電部電信総局が「市内電話業務コンピューター総合管理システム」(九七プロジェクト)の開発を打ち出すと、東軟グループは、一部の試行都市での業務の実施を担当した。東軟グループはソリューション提供の業務に進出すると同時に、ソフトウェア製品の研究開発も放棄せず、プラットフォーム構築の大量の技術と経験を蓄積し、開発能力の伸長と製品のイノベーションに堅固な土台を築いた。
東軟は2001年には、ブランド統合戦略を実施し、社のブランドを「東軟/Neusoft」に統一した。「東大アルパイン」の名は「東軟株式」に改名され、CMM3級の認証を得た中国初のソフトウェア企業となった。2003年には戦略再編を実施し、「東軟ソフトウェアパーク産業発展有限公司」が設立された。2005年には新たなロゴを発表し、「Beyond Technology」のブランド理念を掲げた。2008年には、完全なる上場の計画を達成し、新たな発展戦略を発表し、世界的に優れたITソリューションとサービスのプロバイダーとなるとの目標を掲げた。
4.企業の国際化の段階(2009年-現在):開放式イノベーション
企業の急速発展段階を経て、技術開発・イノベーション管理・市場開拓などの様々な経験を蓄積した東軟グループは、企業の位置付けや発展の方向、手段を改めて真剣に検討し、国際化という発展戦略を明確化し、開放式のイノベーションネットワークの構築に着手し、研究開発や販売のネットワークを世界に広げ、バリューチェーンのハイエンドへの移行を進めた。
2009年、東軟グループ欧州公司が設立された。東軟はフィンランドSesca社の株式購入合意を締結し、同社の保有するスマートフォン高級ソフトウェア開発業務を買収した。2010年、東軟グループはドイツのハーマン・インターナショナルとの戦略協力関係の締結を正式に発表し、共同技術開発センターを設立して自動車や消費電子機器などの先端技術の共同開発を進めることを明らかにした。さらに同社の子会社であるISGを買収した。NECとその傘下のNEC(中国)有限公司、東軟グループとその傘下の東軟情報技術サービス有限公司は、中国市場でのクラウドコンピューティングサービス業務の共同展開について合意を達成した。東軟医療システム有限公司の中東における子会社もアラブ首長国連邦のドバイに正式に設立された。2011年、東軟は、イスラエルのAerotel Medical Systems Ltd.と米国のAppconomy Inc.への投資を行った。東軟とNECは、「日電東軟情報技術有限公司」を共同設立し、中国市場でのクラウドコンピューティング業務を共同推進した。東軟と東芝ソリューションズは、「瀋陽東芝東軟情報システム有限公司」を合弁設立した。2013年、東軟グループの完全子会社「東軟医療」は、フィリップスが保持していた「東軟フィリップス公司」の25%の株式を買い入れ、同社の親会社となった。
(その6へつづく)