第129号
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ノーベル賞と日本人(3) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る

2017年 6月23日

馬場錬成

馬場錬成:特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、科学ジャーナリスト

略歴

東京理科大学理学部卒。読売新聞社入社。1994年から論説委員。2000年11月退社。東京理科大学知財専門職大学院教授、内閣府総合科学技術会議、文部科学省、経済産業省、農水省などの各種専門委員、国 立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センター長、文部科学省・小学生用食育学習教材作成委員、JST中国総合研究交流センター(CRCC)上席フェローなどを歴任。
現在、特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、全国学校給食甲子園大会実行委員長として学校給食と食育の普及活動に取り組んでいる。
著書に、「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社)、「大丈夫か 日本の特許戦略」(同)、「大丈夫か 日本の産業競争力」(同)「知的財産権入門」(法学書院)、「中国ニセモノ商品」( 中公新書ラクレ)、「ノーベル賞の100年」(中公新書)、「物理学校」(同)、「変貌する中国知財現場」(日刊工業新聞社)、「大村智2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)、「『スイカ』の 原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」(日本評論社)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞出版社)、「大村智物語」(中央公論新社)ほか多数。

自然科学3分野の受賞者数で日本人は22人

 ノーベル賞の価値は自然科学3分野の受賞者にある。客観的で誰もが認めるような研究成果でない限り、ノーベル財団は授与しないからである。また世界中の科学者もそれを認めている。

 別表は、これまで受賞した物理、化学、生理学・医学(医学)の3分野の日本人受賞者22人のリストである。このうち2008年の南部陽一郎、2014年の中村修二の二人は、米国に帰化しているが、生まれも育ちも教育もすべて日本で受けているので、日本人とカウントしている。

 また医学賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言にあったように生理学・医学賞とノーベル財団は表記することが多いが、ここでは医学賞と表記する。

 日本人受賞者は、2000年までの20世紀までは6人だったが、21世紀(2001年以降)になると急に増えて16人になっている。なぜ、このように増えたのか。その原因は何か。これがいつまで続くのか。そのようなことについても、このシリーズで書いてみたい。

自然科学分野の日本人ノーベル賞受賞者
  受賞年 名前 部門 大学 大学院 受賞理由
1 1949 湯川秀樹 物理学賞 京大 京大 陽子と中性子との間に作用する核力を媒介するものとして中間子の存在を予言
2 1965 朝永振一郎 物理学賞 京大 京大 「超多時間理論」と「くりこみ理論」、量子電磁力学分野の基礎的研究
3 1973 江崎玲於奈 物理学賞 東大   半導体・超電導体トンネル効果についての研究、エサキダイオードの開発
4 1981 福井謙一 化学賞 京大 京大 「フロンティア電子軌道理論」を開拓し、化学反応過程に関する理論の発展に貢献
5 1987 利根川進 生理学・
医学賞
京大 京大 「多様な抗体遺伝子が体内で再構成される理論」を実証し遺伝学・免疫学に貢献
6 2000 白川英樹 化学賞 東工大 東工大 「伝導性高分子の発見と開発」を行い分子エレクトロニクスの開発
7 2001 野依良治 化学賞 京大 京大 「キラル触媒による不斉(ふせい)水素化反応の研究」、有機化合物の合成法発展に寄与
8 2002 小柴昌俊 物理学賞 東大 東大 素粒子ニュートリノの観測による新しい天文学の開拓
9 田中耕一 化学賞 東北大   生体高分子の同定及び構造解析のための手法の開発
10 2008 南部陽一郎 物理学賞 東大 東大 自発的対称性の破れの発見
11 小林誠 名大 名大 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献
12 益川敏英 名大 名大 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献
13 下村脩 化学賞 長崎医大   緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と生命科学への貢献
14 2010 鈴木章 化学賞 北大 北大 クロスカップリングの開発
15 根岸英一 東大 ペンシルバニア大学 クロスカップリングの開発
16 2012 山中伸弥 生理学・
医学賞
神戸大 大阪市立大 iPS細胞の開発
17 2014 赤崎勇 物理学賞 京大   青色発光ダイオードの開発
18 天野浩 名大 名大 青色発光ダイオードの開発
19 中村修二 徳島大 徳島大 青色発光ダイオードの開発
20 2015 大村智 生理学・
医学賞
山梨大 東京理科大 抗寄生虫薬イベルメクチンの発見
21 梶田隆章 物理学賞 埼玉大 東大 ニュートリノに質量があることを発見
22 2016 大隅良典 生理学・
医学賞
東大 東大 オートファジーの仕組みの解明

エジソンのような発明家になりたい

 1973年、日本で3番目にノーベル賞受賞者になった江崎玲於奈は、企業出身者であり当時としても珍しい研究履歴をもつ科学者だった。

 ノーベル賞受賞者の多くは、大学の研究者である。大学や研究機関を2つ3つと異動していきながらレベルアップになっていくことが普通だが、企業を異動してノーベル賞を受賞した珍しい人がノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈である。

 江崎は、子どものころに蓄音機から音楽が流れてきたことに感動し、これを発明したアメリカのトーマス・エジソンのような発明王になりたいと思った。中学の受験に失敗したが、その後発奮して勉強をし、大学は東大理学部物理学科を卒業した。在学中に米軍による東京大空襲で下宿を焼かれ、焦土と化した東京を目の当たりに見ている。卒業後は、日本を復興する仕事をやりたい。そのためには工業に役立つ仕事をしたいと思って企業に就職した。

 1947年に東大卒業後、真空管を製造している神戸工業という小さな会社に入社した。しかし経営が不安定だったのでソニーの前身の東京通信工業に転職した。ここで江崎は、半導体を研究する技術者になった。半導体を作っているとき、素材のゲルマニウムに不純物が多くあるときは、電流が逆方向に流れることに気がついた。中国人の助手が測定したほんのわずかな異常電流に疑問を持ち、徹底的に追求を始めた。

 江崎は実験をしているうち、ある時点まで電圧を上げれば電流も増えるのに、電圧を上げても電流が減るという異常な負性抵抗現象があることを発見した。負性抵抗があれば、スイッチングや発振、増幅に利用できるので工業的価値は高い。江崎は量子力学から見たトンネル効果であることを理論的に証明し、エサキダイオードを作った。1957年、大学を出てちょうど10年目の32歳のときである。

 この業績で江崎は念願の博士学位を取得し、48歳のときにアメリカのゲイバー、イギリスのジョセフソンとともにノーベル物理学賞に輝くのである。

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江崎玲於奈博士(読売新聞提供)

IBMに異動してからも画期的発明をする

 江崎はノーベル賞を受賞する前に、ソニーからアメリカのIBMに異動している。江崎はIBMのワトソン研究所で次のステップの研究実験にとりかかり、ここで画期的な発見をしている。それは半導体超格子理論の創設であった。

 筆者が、その研究成果の重要性を初めて知ったのは、1991年に江崎に聞いてからである。1970年に発表した超格子理論の論文の引用回数が、90年代になってにわかに高くなり、半導体超格子の研究開発が急展開していると言うのである。

 そのころ江崎夫人からこんなことも聞いた。ヨーロッパの学会に出席した江崎は、そこに出席していた何人かのノーベル物理学賞受賞者たちから「レオ(外国人からは、江崎のファーストネームはこう呼ばれている)は、もう一回ノーベル賞をもらえるぞ」と言われていたというのである。

 半導体超格子とは、ガリウム・ヒ素とかアルミニウム・ヒ素など異なる複数の半導体の薄い結晶を重ねて層を作った構造を呼んでいる。超格子の作る物質の種類や膜の厚さを組み合わせると、さまざまな量子効果が出てくる。今ではこれを利用して共鳴トンネル効果トランジスタなどを作り、レーザー発振のダイオードなどに利用できるようになってきた。

 世界で初めて青色発光ダイオードの製品化に成功したカリフォルニア大学バークレー校教授の中村修二(2014年にノーベル物理学賞を受賞)も、この江崎理論を知り、発光層として薄いインジウム・ガリウム・窒素薄膜を多層に積み重ねた多重量子井戸構造を実現して成功したものだ。

 江崎は1970年に、世界で初めて超格子の基本理論をまとめ、国際半導体物理学会などで超格子理論を発表していた。その一連の論文が、1984年ころから世界中の研究者の論文に引用される回数が急増しはじめていた。

 1998年、第14回日本国際賞を江崎が受賞した。受賞理由は「人工超格子結晶概念の創出と実現による新機能材料の発展への貢献」である。この賞を受賞するとノーベル賞の有力候補になることが多い。江崎はこの受賞で2度目のノーベル賞受賞者になるのではないかと今でも注目されている。

筑波大学の学長として大学教育に情熱を燃やす

 江崎は、1992年に筑波大学の学長に選ばれ、6年間にわたって日本の大学の管理運営を経験する。自らの体験に基づいた日米の比較文化、比較教育論から発する日本のあるべき方向などについて積極的に発言している。

 江崎は、高校生、大学生らを相手にしたセミナーやシンポジウムで話をする機会が多い。そんなときに語る「ノーベル賞を取るための5か条」を紹介したい。

第1は、今までの行きがかりにとらわれてはいけない。

第2は、大先生を尊敬するのはいいが、のめりこんではいけない。

第3は、無用なものは捨て、自分に役立つ情報だけを取捨する。

第4は、自分を大事にし、他人のいいなりになる人間にはならず、ときには闘うことを避けてはならない。

第5は、いつまでも初々しい感性と知的好奇心を失ってはならない。

 この5か条には、日本の研究現場に根強く横たわる日本的な上下関係とその弊害の打破、独創性を発揮するための個人主義の勧めが織り込まれている。5か条について江崎は「成功への十分条件ではない、単なる必要条件である」と断っている。自分を向上させるというパラダイム(発想の枠組み)を確立させると、その人の生き方はいい方向へと進むと言うのである。

 江崎はまた「かつて教養ある人とは万巻の書をひもとき、そこから多くの知識や知恵を身に付けた市民を指していたが、いまこの時代は知識の量だけでは教養人とは言えない」と語る。常に新しい知識を吸収しながら、自分を改革していける人間こそ真の教養人と言えると語っている。