SF映画『オデッセイ』を地で行く「月宮365」プロジェクト
2018年5月17日 李明子(『中国新聞週刊』記者)/神部明果(翻訳)
いまや宇宙開発大国でもある中国で、地球外環境での自給自足による長期生存の可能性を探る「月宮365」プロジェクトが昨年から進行中だ。S F映画ばりのプロジェクトの中身を紹介しよう。
火星の荒れ地にぽつりと設置された太陽電池アレイにより、ハブ内の温度と湿度は保たれている。宇宙飛行士はヒドラジンを利用して水をつくり、火星の土と排泄物で栽培したジャガイモを糧に、救 援までの400日を過ごす――。
映画『オデッセイ』で描かれたこんな光景が、北京航空航天大学(以下、北航)の宇宙基地模擬実験施設「月宮一号」で目下繰り広げられている。1 月26日には第二班の4名が200日に及ぶ閉鎖隔離生活を終え、「生物再生生命維持システム(BLSS)」を後にした。入れ替わりにもうひとつの班が船内に入り、合計365日の実験を完了させる。これにちなみ、プ ロジェクトは「月宮365」とも呼ばれる。
施設内ではジャガイモ、キュウリ、イチゴ、ミニトマト、さらに小麦、大豆、レタスも栽培している。「肉」でさえ自給自足で口にすることができる。
写真1:船内の植物の生長状態を確認する褚正佩。写真/取材先提供
とはいえ、月宮一号は映画からヒントを得たわけではない。「プロジェクトは2004年にスタートしました」。月宮一号の総設計者・劉紅(リウ・ホン)北航教授は言う。
プロジェクトの目的は、地球から遠く離れた宇宙環境において自給自足による長期生存の可能性を探ること。専門用語では「自給率」ともいい、閉鎖環境での循環や再生水準を意味する。ヒ ト1人が消費する10㎏の物質のうち、BLSSにより生み出される物質の比率が高いほど自給率も高くなる。
これまでの最高記録は、ロシアの連続180日、自給率95%だが、「月宮365」が完了すれば連続365日、自給率98%の新記録が誕生する。実験の成果は月、火星、宇宙ステーションに限らず、地 下空間や高地、極地にも応用が可能だ。
人―植物―動物―微生物の人工「ユートピア」
1月26日午後5時、月宮一号の気密式ドアが開いた。第二班の4名は外で待ち構えていた研究者たちにスターのように取り囲まれ、その後、すぐに医学観察のため病院に移送された。
メンバー交替はこれが2度目。昨年7月9日の交替日から数えると、第二班4名の施設内での生活は連続200日に及び、ロシアの記録を破った。医学観察の結果、4名の生理・心理状態はともに良好だった。
「記録更新が叶い、最高の気分」。劉光輝(リウ・グアンフイ)船長は喜びをあらわにした。
月宮一号は北航キャンパスに設置されたコの字型の閉鎖実験室。内壁はSUS304ステンレス鋼材製で、電力供給を除き、外部と完全に隔てられている。
月宮一号の研究開発の歴史は、劉紅氏が北航で教鞭をとることになった13年前にさかのぼる。
劉氏はそれまで環境保護と自然資源の合理的活用を専門としていたが、北航着任後に航空宇宙分野へと研究の枠を広げ、きわめて自然な成り行きで「宇宙生存」における「生物再生生命維持」を研究テーマとした。
当時、中国は「神舟五号」の打ち上げに成功し、すでに有人宇宙船技術を確立させていた。月周回衛星「嫦娥一号」の打ち上げ準備も着々と進んでいた。劉氏は当時をこう振り返る。「 宇宙ステーションへの補給方式として、地球からの輸送がベストではないことは、世界の科学者の間ですでに議論になっており、地球外での生命維持技術の研究が始まるのは時間の問題でした」
最も早い宇宙生命維持システムは、1970年代に旧ソ連が開発したBios–3だ。宇宙船内の生態系は限定的で、水や食物の大半は外部から提供された。とはいえ、180日に及ぶ実験により、生 態系の原理に沿った定量計算と設計ができれば、人工の生態系が実現可能であることが実証された。
その後、アメリカ、ヨーロッパ、日本も次々と同分野の研究を開始したが、動物と微生物を初めて同時に取り込み、「人–植物–動物–微生物」という人工生態系をつくり上げたという意味で、月 宮一号の実験は最も高度な内容となっている。
動物を導入したのは、動物性タンパク質摂取のためだ。また、微生物に固体・液体廃棄物を処理させることで、システムのより安定的な運行が維持され、自立性も高まる。
動物については、食用に心理的抵抗がない、人が食べない植物廃棄物を餌とすることなどの基準を満たす必要があった。
そこで白羽の矢が立ったのが意外にも「ミールワーム」だ。
さらに、食物、酸素、水の供給源となる植物は、栽培が簡単でなければならない。微生物は植物の生長を促進し、廃棄物を分解するなど、複数の役割を果たす必要がある。
こうして、動物1種、植物21種と複数の微生物、北航の学生・教師3名からなる初代月宮一号が2014年に完成した。内部には人が活動する総合室と植物室があり、植 物は光合成により二酸化炭素を酸素に換える。また、植物の蒸散作用により発生する水蒸気は、冷却・浄化を経て一部が人の生活に利用され、それ以外は植物の栽培に再利用される。植物は収穫・加工され食物となり、シ ステム内の空気と水は電力により循環が保たれる。
3名の志願者は、105日間に及ぶ中国初の完全閉鎖実験を無事成功させた。
この実験により、中国が自主開発した生態系の自給率と有効性が実証され、酸素と水の循環再生率は100%、食物循環再生率は55%、システム全体の自給率は97%に達した。
2016年には月宮一号の技術と設備がアップグレードされ、植物室は2室に拡張、植付け面積は120㎡に、種類も35種に増え、バリエーションに富んだ食事が可能となった。
写真2:月宮一号内の3分の2は植物室が占める。居住スペースは42㎡の総合室内で、寝室、洗面所、廃棄物処理室、リビング、キ ッチン兼作業場のコミュニケーションルームがある。
とはいえ、最も重要なのは、生命維持の対象のみならず、システムの運営や何十項目もの実験を任されている人だ。長期にわたり外部と隔絶されることから、屈強な忍耐力と意志が求められる。このため、実 験志願者は非常に厳しい選抜を受ける。なかでも6つの精神(夢、情熱、大胆さ、勇気、意欲、責任感)と良好な健康状態は必須条件だ。基礎項目はすべて子細に測定されるほか、心 理テスト後に15日間の仮閉鎖実験をクリアする必要もある。
今回の実験では、最終的に8名が選出された。男女各2名の計4名ずつが2班に分かれ、第一班が第1期と第3期、第二班が第2期を担当する。代 謝レベルの異なる宇宙飛行士の滞在と交替をいかに安定的に実施できるかが研究の中心テーマだ。
現在は、第一班が第3期の実験中だ。船外では劉紅氏と30名の研究員が24時間体制で彼らを見守っている。
農作業や虫の世話――「月宮一号」内の日常
午前9時。褚正佩(チュー・ジョンペイ)は朝食後作業服に着替え、マスクと手袋を身につける。彼女の毎日の仕事は第2植物室から始まる。午前中は植物に栄養剤を与え、熟した野菜の収穫、昼 の休憩後は植物の生長をチェックする。ときには小さなスピーカーを持ち込み、音楽を聴きながら論文を書いたり、王偉(ワン・ウェイ)を誘って絵を描いたりする。静かだが生気に満ちた植物室は、さ ながら秘密の花園のようだ。
麦の栽培を担当しているのは高寒(ガオ・ハン)。「半日働くと、くたくたです」。小麦はシステム内の最重要植物だ。志願者の食糧となり、生存に必要な酸素を提供する。
スペースを節約し、単位面積あたりの生産量を増やすため、月宮一号チームは立体栽培技術を採用している。矮性小麦は計60㎡の3層の植物棚に植えられ、LED光源を使用した一定の温度と湿度のもと、わ ずか70日で収穫可能となる。だが、光合成による船内の二酸化炭素と酸素のバランスを保つため、小麦は週3回、かつ毎回一部のみを収穫し、新たな植付けをおこなうようにしている。「地球のお手入れ」と しばしば呼ばれる農作業は、月宮一号にとっては「日々のメンテナンス」だ。もともと農業に特別の思い入れのなかった志願者たちも、ここに来ると愛情をもって作物と向き合うようになる。
劉佃磊(リウ・ティエンレイ)は、丹精込めて「ミールワーム」の餌の調合をしている。乾燥させた野菜の葉に藁くずを加えるのだが、生物処理を経た藁くずには微生物が発生しており、こ れがミールワームのタンパク源となる。
ミールワームの生育は難しくない。気温28℃、湿度70%の環境で急速に成長、50日ほどで食用可能な2~3㎝の幼虫になる。
「虫を食べるのは意外と平気です」と劉慧(リウ・フイ)。食用前は給餌せず、体内の排泄物をすべて排出させる。その後粉末にして小麦粉に加え、蒸しパンにしたり野菜と炒めたりする。「 食べるのはずばりタンパク質摂取のため。よく炒めるとカリカリ香ばしく、美味しいんです」
第二班の劉光輝船長の任務のひとつが、目には見えないが生態システムの要になっている微生物のモニタリングだった。実験開始前に隅々まで消毒された月宮一号内部に持ち込みが許されるのは、こ の微生物のみだ。微生物は動植物の成長や大きさ、活発さに影響するだけでなく、二酸化炭素濃度、湿度、固体廃棄物の分解速度などにも深くかかわっている。
2014年の実験では、腸内環境と自律神経に密接な関係があることが証明された。「私たちは宇宙でも1人では生きられない。菌との共生が必要なのです」
月面探査機や火星探査機へのシステム搭載が将来の目標
一年を通じて一定の温度・湿度が保たれる月宮一号での生活は、風雨や都市の喧噪とも無縁で、表面的には快適にみえる。
しかし、実際はまったく異なる。高寒の言葉を借りれば「生存以上、生活未満」。実験対象でもある志願者は、その行動のすべてが実験計画に沿ったものでなければならない。しかも、科学データ採取のため、2 4時間測定され、記録され、統計化され、分析される。
測定は毎朝目覚めた瞬間から始まる。ベッドの中で体温を測り、起床後に体重、血圧、血中酸素濃度を測定する。これを就寝前にもおこなう。さらに毎週3回の検体検査とアンケート記入に加え、心 理カウンセラーとのテレビ通話や睡眠テストもこなさなければならない。
メンバーにとって最もハードなのが6週間の「窓無実験(船内のすべてのガラス窓が覆われる)」だ。自然光を遮断され、外がまったく見えない環境で、バイオリズム、新陳代謝、情緒、行 動などがどう変化するかを測定する。
王偉によると、慣れ親しんだ自然光や景色を奪われると、人は誰しもバイオリズムが乱れ、情緒不安定になるという。しかし、緑色植物が心理ストレスをおおいに緩和してくれるそうだ。
伊志豪(イー・ジーハオ)の場合は、これにエアロバイクが加わる。ストレスを感じると、植物室に置かれたエアロバイクを30分こぐのだ。そうすると、植物の癒し効果と運動によるドーパミンの分泌で、汗 とともに心も体も軽くなるという。
「窓無」期間中は測定や検査の頻度も引き上げられる。週3回の検体検査は2日に1回に増え、歯科、心電図、呼吸、睡眠、飲食などの検査も加わる。また、志願者には知らされていないが、窓 上部にカメラが設置されており、見えるはずのない窓の外を眺めようとした回数が記録される。
写真3:第2植物室でエアロバイクをこぐ劉慧。(写真は取材先提供)
検査、測定、収穫、植えつけ、サンプル採集......と、閉鎖環境で規定通りの生活を長く送っていると、同じことの繰り返しにどうしても倦怠感が生じてくる。
伊志豪はこの過程をマラソンにたとえる。初めは高揚感もあるので仕事の効率もいいが、ほとぼりが冷めると能率が下がり始める。情緒も不安定になり、やがて「デッドゾーン」と 呼ばれる状態に近い疲労感を感じるようになる。それを越えると今度はすべてが習慣化され、不適応が克服される。その後は、再び軽やかな心で生活に励むようになる。
長期にわたり閉鎖環境で生活をともにすると、メンバーの間には家族のような感情が芽生える。年上の船長2人は率先して料理を受け持った。劉慧は花巻(渦巻き状の蒸しパン)の作り方を覚え、劉光輝は「 月宮ケーキ」「月宮肉まん」などの新メニューを施設内で編み出した。
写真4:船内で収穫した小麦で作った餃子や野菜を囲み、旧暦の大晦日を過ごす志願者たち。(写真は取材先提供)
春節時点で「月宮365」の実験はすでに4分の3を終えた。研究の蓄積が功を奏し、前回の実験時にはなかった気体バランス、光、栄養剤の自動調整が実現した。ただし、無 重力状態や放射線環境の再現は今後の課題だ。
「月面探査機や火星探査機へのシステム搭載を目指しています」と劉紅氏は語る。しかし、いまのところその条件は整っていない。まずは小型のBLSSの搭載から始め、最終的に「月宮一号」ク ラスの大型システムの搭載が可能になるよう、絶えず設定を調整していく必要がある。「ゴールはまだまだ先ですね」
人のかわりにロボットが作物を育て、料理もこなすアップグレード版「月宮一号」を劉紅氏は思い描いている。未来の月面基地では、ボタンひとつで熱々の料理が目の前に運ばれてくるかもしれない。そ うすれば宇宙飛行士は栽培作業から解放され、より多くの時間を未知の宇宙の探求に注げるようになるだろう。
※本稿は『月刊中国ニュース』2018年6月号(Vol.76)より転載したものである。