第150号
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ゲノム編集「悪魔のハサミ」への憂慮

2019年3月20日 張田勘(特別寄稿)/李明子 楊智傑(『中国新聞週刊』記者)/江瑞(翻訳)

 体細胞へのゲノム編集よりもリスクの高いヒト受精卵へのゲノム編集に対しては厳格な倫理およびガバナンス規定が設けられている。

 遺伝子の「ハサミ」CRISPR-Cas9の不確定性が指摘される中、倫理上の問題や社会的な影響など議論が噴出している。

 世界エイズデーを目前にしたその日、南方科技大学准教授の賀建奎は、露露(ルル)と娜娜(ナナ)と名付けられたデザイナーベビーが11月に中国で誕生していたことを明らかにした。この双子の遺伝子を改変し、先天的にHIVに対する抵抗力を持たせたという。双子は、世界初のHIV耐性を持つデザイナーベビーとなった。

 その直後、賀建奎に協力した深圳和美婦児科医院は報道に答える形でこう回答した。「この件は事実ではなく、当院は関連情報も把握していない。なぜこの件がネットで騒がれているのか、現在調査中だ」

 ネット上に流出した「深圳和美婦児科医院医学倫理委員会審査申請書」によると、実験の期間は2017年3月から2019年3月まで。CRISPR-Cas9という技術を利用してヒト受精卵のゲノム編集をおこなったCCR5遺伝子除去済みの個体に対し、母親の子宮に戻す前からコレラや天然痘、HIVに対する耐性を持たせることを目的としていた。

 この臨床試験的治療のプロセス及び結果の真偽はさておき、「デザイナーベビー」は突如として人々に現実を突きつけ、またたく間に全世界で大論争を巻き起こすに至った。

生殖細胞のゲノム編集技術は確立されているのか

 ゲノム編集は生物医学における先端技術で、ヒトや生物の標的遺伝子を除去、転位、挿入、改変など、文字通り「編集」するものだ。ゲノム編集には遺伝子の「ハサミ」が必要だが、目下最高とされている編集ツールが、上述のCRISPR-Cas9だ。

 ゲノム編集技術を用いてヒトの遺伝子を改変することは遺伝子治療と呼ばれ、現時点では、体細胞を対象としたものと、精子や卵子、受精卵を含む生殖細胞を対象としたものの2つに大きく分けられる。従来の遺伝子治療、即ち体細胞を対象とした遺伝子治療は、正常な外来遺伝子を標的細胞に導入し、欠陥や異常のある遺伝子が原因となる疾患を治したり補ったりして、治療目的を果たすというものだった。現在はこの方法を用いて、血友病、嚢胞性線維症、家族性高コレステロール血症などの遺伝子疾患や、悪性腫瘍、心臓血管疾患、HIV、リウマチといった疾患を治療することができる。

 今回誕生した双子の露露と娜娜の場合は、受精卵にゲノム編集をおこなったため、一般的な体細胞の遺伝子治療ではなく、生殖細胞に対する遺伝子治療となる。CCR5遺伝子の改変により、HIVウイルスが人体の免疫系のT細胞に侵入するのを阻止することが可能になるとされていることから、理論上は、露露と娜娜が今後HIVウイルスに感染することはない。

 実際、露露と娜娜が誕生する前から、世界各国の科学者は似たような実験を試みていた。中国でも突出した研究がおこなわれており、その筆頭が、2015年に中山大学准教授の黄軍就(ホアン・ジュンジウ)のチームがおこなったヒト受精卵のゲノム編集だった。

 彼らが使用したのは、流産して廃棄予定の受精卵だったが、当事者の同意を得て寄贈を受けており、受精卵を必要以上に成長させたり、ましてや女性の子宮に着床させ、分娩に至らせたりなどはしていない。

 黄軍就のチームの実験では、86個の廃棄受精卵のうち、最終的にゲノム編集に成功したのはわずか28個で、成功率は約33%だった。この数字では、ゲノム編集が安全に成功する保証は到底得られず、この技術に対する不信感もぬぐえない。

 そして賀建奎のチームは、発表によれば、44%の受精卵に対するゲノム編集が有効だったとのことで、成功率50%にも達していない。つまり、ゲノム編集ツールCRISPR-Cas9にはかなりの不確定性が存在し、意図せず標的以外の遺伝子を編集してしまう「オフターゲット」が生じる可能性も否めず、人体を著しく損なう危険性もあるということだ。

 だが、受精卵中の病原遺伝子を改変したり、正常な遺伝子を直接受精卵に導入して欠陥遺伝子を修正したりできれば、今生きている人の遺伝性疾患を治療できるだけでなく、新しい遺伝子を患者の子孫が受け継がせ、後世で遺伝性疾患を根絶させることもできる。

 まさにこの一点を根拠に、研究者たちは、生殖細胞に対する遺伝子治療が今後さらに重要になり、現在の人々のみならず、修復された健康な遺伝子を子孫が受け継がせることで後世にも幸福をもたらすことができると信じているのだ。

 現時点では4000種を超える遺伝性の単一遺伝子疾患が知られており、全世界の1%を超える新生児がその影響を受けて生まれる。理論的には、生殖細胞のゲノム編集をおこなうことで、こうした疾患を予防する助けになり、すべての家庭で健康な赤ちゃんを迎えることが可能になる。これは新型出生前診断よりも明らかに先進的な方法だ。新型出生前診断の場合、胎児の遺伝子に異常が見つかれば、できることは中絶以外にないが、ゲノム編集ならば、見つかった病原遺伝子を改変したり、あらかじめ精子と卵子の病原遺伝子を編集し、健康な子孫が生まれるようにしたりすることも可能になる。

 ただし、受精卵のゲノム編集は体細胞のゲノム編集よりリスクも副作用も大きいため、いったん問題が生じた場合、患者本人だけでなく、それが遺伝することで後世にも危険が及ぶ可能性がある。そこで、国際社会でも中国国内でも、受精卵のゲノム編集に対しては厳格な倫理及びガバナンス規定が設けられている。

 北京大学生命科学学院教授の饒毅(ラオ・イー)氏は次のように指摘する。「体細胞遺伝子の編集は患者及び家族への影響のみを考えればよいが、生殖細胞遺伝子の編集は、他者、ひいては全人類への影響を議論しなければならない、体細胞遺伝子の編集は各家庭が決めればよいことだが、生殖細胞の場合は家庭に決めさせてはならない」

 実際には、体細胞遺伝子の治療であっても、独自の倫理原則がある。それは、どんな治療法を試しても効果が得られなかった場合にのみ、遺伝子治療を考えるというものだ。過去に、遺伝子治療技術が未成熟な段階で患者を死亡に至らせてしまったケースがあったことから、米FDA(アメリカ食品医薬品局)は非常に慎重な対応を取っている。

乳児のエイズ予防にはより安全で効果的な方法がある

 2018年11月27日午前、世界の華人HIV研究者100人が、賀建奎の進めている「HIV耐性を持つデザイナーベビー」の臨床試験に反対する声明を共同で発表した。音頭を取った清華大学HIV総合研究センター主任でアフリカ科学院院士の張林琦(ジャン・リンチー)は、「HIVウイルスが人体に侵入するルートは多数あり、CCR5はその中で非常に重要な受容体であるに過ぎない。HIVウイルスはこれを素通りし、他の方法で細胞に侵入する可能性もある。よって、仮にCCR5遺伝子を徹底的に除去したとしても、HIVウイルスの侵入を完全に防ぐことはできない」と指摘する。

 張林琦氏によると、科学界は、CCR5という遺伝子の機能について、まだ完全かつ徹底的に理解しているわけではないため、CCR5を除去するリスクはかなり大きい。現在入手可能な文献を見ると、この分子には非常に重要な働きがあり、抗ウイルスだけでなく抗腫瘍の機能を持つ。正常な人体におけるCCR5の重要性を考えると、これを除去することで免疫機能に大きな影響が生じることは確実だ。

 さらに、現在は新生児のHIV感染を予防する極めて効果的な方法が確立されており、体外受精であるならば、精子と卵子のHIVウイルスを完全に除去することができる。妊婦がHIVに感染した場合でも、妊娠及び出産の過程で効果の高い薬を使用することにより、胎児が感染する確率を1%以下に抑えることが可能だ。それゆえ張林琦は、両親が本当にHIV患者だとしても、ゲノム編集以外の方法を用いて感染を予防することは可能であり、なぜわざわざタブーを犯そうとするのか分からない、と疑問を呈す。

 賀建奎はゲノム編集を理解していないためこの件はフェイクではないかとの疑惑について、張林琦は、CRISPRによるゲノム編集技術は海外ではある程度実績があり、現在では最適化・簡略化され、比較的扱いやすい技術になっている、と指摘する。ただ、この技術そのものにまだ限界があり、オフターゲット効果という副作用以外にも、効果や長期的安全性に関して十分な確証が得られていないという側面がある。賀建奎は成果を急ぐあまりヒトの受精卵で研究を展開するという禁じ手に出てしまった。これは科学の発展ルールを無視すると当時に、道徳・倫理にも背くものだ。

ゲノム編集の倫理原則

 体細胞であれ受精卵であれ、ゲノム編集は人体に対する実験であるため、人体実験に関する一連の原則と規定を遵守しなければならない。国際社会では、世界医師会の「ヘルシンキ宣言」、国際医学団体協議会(CIOMS)の「人を対象とする生物医学研究の国際的倫理指針」など、早くから厳密な規約も制定されている。

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写真1:(資料写真)ヒトにゲノム編集実験をおこなう際は、人体実験に関する一連の原則と規定を遵守しなければならない。国際社会では、厳密な規約も制定されている。 写真/視覚中国

 受精卵のゲノム編集については、ヒトゲノム計画(1990年~2003年)の段階で、善行・無危害、インフォームド・コンセント、差別防止、プライバシー保護、ヒトゲノムの多様性保護、生物兵器の防止など関連する倫理原則が打ち出された。その核となる原則は、ヒトへの安全保証だ。

 中国でも、ヒト受精卵の操作を伴う科学研究に対して、詳細かつ厳格な規定や規範が定められている。たとえば2003年の「ヒトES細胞研究倫理指導原則」では、「取得し、すでに研究に用いられたヒトの初期胚(受精卵)を、ヒトまたはその他の動物の生殖系に着床させてはならない」と規定され、2017年の「生物技術研究開発安全管理弁法」では、「重大なリスクが存在するヒトゲノム編集等の遺伝子工学研究開発活動」をハイリスク研究に指定し、各科学研究機関に対し、厳しく管理するよう求めている。中国のゲノム編集関連分野の研究者らも、「現段階で生殖を目的とするゲノム編集の臨床実験をおこなうことには断固反対する」という認識を共有している。

 2015年12月初頭、全米科学アカデミー、全米医学アカデミー、中国科学院、英国王立協会はワシントンDCで第1回ヒトゲノム編集に関する国際会議を開催した。この会議では、ヒト受精卵のゲノム編集に関する基礎研究の実施を認めるというコンセンサスに達し、適切な法規範と倫理基準による規制の下、ヒト細胞のDNAシーケンス技術の研究や、臨床応用がもたらす潜在的利益とリスクに関する研究などの面から基礎及び前臨床研究を掘り下げることが可能になった。

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写真2:ゲノム編集技術を応用し、DNAを抽出する研究員。 写真/新華社

 基礎研究の実施は認めたものの、出席者らはこれまで同様、ゲノム編集をおこなった初期ヒト受精卵及び生殖細胞を妊娠に用いてはならず、現段階でこの技術を臨床に用いるのは「無責任」であるとの認識で一致した。これはまた、受精卵のゲノム編集研究における超えてはならない「デッドライン」を初めて国際的に規定するものでもあった。

 生殖技術で世界のトップを走るイギリスは事あるごとに研究の制限を取り払おうと試み、研究に用いるヒト受精卵は14日以内のものに限るというそれまでの規定を、全段階の受精卵の研究及びゲノム編集が可能になるよう変更することを求めていた。2018年7月、英ナフィールド生命倫理評議会は報告書で、科学技術とそれが与える社会的影響を十分考慮した上で、ゲノム編集技術によりヒトの受精卵、精子、卵細胞の細胞核中の遺伝子(デオキシリボ核酸)を改変することは「倫理的に受け入れられる」と発表した。

 だが、この団体ですら、ゲノム編集をおこなった受精卵を子宮に着床させ成長させてはならないと認識している。英国保健省とヒトの受精及び胚研究認可局〔HFEA〕も、受精卵遺伝子の研究及び編集は認めているが、ヒト受精卵にゲノム編集をおこなった後、子宮に着床させることは認めておらず、ましてやデザイナーベビーを誕生させることは禁じており、法的にも当然違法だ。しかも14日目になったら、編集及び研究をおこなった受精卵は必ず廃棄しなければならない。

 こうした限定条件を設けるのも、他ならぬ安全のためである。だが、最高とされるゲノム編集ツールCRISPR-Cas9ですら、オフターゲットというかなり大きな不確定性が存在している。

 研究者たちは、「悪魔のハサミ」の異名を持つCRISPR-Cas9が実は精度に欠け、オフターゲット率が高いことに早くから気づいていた。2018年7月16日、英科学誌『ネイチャー・バイオテクノロジー』オンラインに発表された英遺伝子研究機関ウェルカム・サンガー研究所のアラン・ブラッドリーらは、CRISPR-Cas9はターゲット付近でDNAの欠失や再配列などを引き起こすとし、その結果はこれまで考えられていたより深刻で、細胞の機能を変えてしまう可能性があると指摘した。

 このことは、HIVに耐性を持たせるためCRISPR-Cas9でCCR5遺伝子を改変したとしても、オフターゲット効果が生じ、胎児が深刻な遺伝病を患ったり、映画『ハルク』のような「超人」を作り出したりしてしまう可能性があることを意味している。それゆえ、ゲノム編集技術に100%の精度がないのであれば、臨床で「人間製造」をするべきではない。

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写真3:両親が本当にHIV患者だとしても、ゲノム編集以外の方法を用いて感染を予防することは可能だ。なぜわざわざタブーを犯そうとするのか。2018年11月27日、第2回ヒトゲノム編集に関する国際会議が香港大学で開幕した。 撮影/『中国新聞週刊』記者 張煒

 では、CRISPR-Cas9で改変されたCCR5遺伝子を持ってこの世に生を受けた露露と娜娜には、将来何らかの危険が生じる可能性があるのだろうか。この点は誰にも予測できないし、万一危険が生じたとして、それが次世代に遺伝するかどうかはもっと分からない。

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写真4:ゲノム編集は生物医学における先端技術で、遺伝子の「ハサミ」として目下最高とされているのがCRISPR-Cas9だ。 写真/視覚中国

 ただ、1つ言えることは、遺伝子の改変により、オフターゲット効果や遺伝子再配列、遺伝子欠失といった問題が生じた場合、最善の結果はそれが次世代に受け継がれないことであり、最悪の結果は、生まれた次世代がフランケンシュタインより奇怪で恐ろしい、ギリシャ神話に出てくるキメラ(Chimera)のような怪物になってしまうこと、つまり、ゲノム編集により異なる遺伝子が混在し、「ヒトでもウマでもなく、ウシでもブタでもない」嵌合体が誕生してしまうことだ。

 もちろん、デザイナーベビーは遺伝子改変により、後世に期せずしてより強靭な体と高い知能を持つ可能性だってある。しかも、将来受精卵にゲノム編集を施すのは、病気の治療ではなく、超人を作り出して一般人を支配することが目的になるかもしれない。ホーキング博士が生前懸念していたのはまさにこの問題だった。

 張林琦は言う。現在、科学界は、倫理道徳やヒトという種の生存と発展に関する問題で議論が止まっているが、実際問題として、ヒト遺伝子、特にヒト胚・受精卵遺伝子に施した編集は、その個体及び子孫の体に永遠に残り、元に戻すことはできない。これは、個体保護というよりは、遺伝子地図を著しく踏みにじる行為だ。ヒトの遺伝子地図は、数十万年から百万年以上もかけて進化・最適化された結果であり、ほぼ完璧な状態になっている。いかなるゲノム編集も、命に対する理解と畏敬の念を持っておこなわれなければならず、さもなくば、こうしたあまりに軽率で論理性に欠けるゲノム編集は、将来ヒトへの計り知れない損失を生むことだろう。


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年4月号(Vol.86)より転載したものである。