【16-14】『淮南子・兵略篇』と先秦兵家の関係について(二) ―『淮南子・兵略』と『孫子兵法』を中心に

2016年10月31日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 前編で論じたように、『淮南子』は、戦争の策略や計略などに特に注目したものでおり、その多くは『孫子兵法』から取られている。「この書は呉と斉の二つの種類がある。孫武は呉国で名をなしたが、原籍は斉国であり、その兵法は、孫臏が整理・伝授して初めて斉国に伝わったものであるとも考えられ、斉の系統に入れて考えるべきである」[1]。筆者はこのことから、『淮南子・兵略』と『孫子兵法』『孫臏兵法』の間の関係を並べて論じる。論述においての便宜を得ることができるだけでなく、それらの間の内在的な関係を見出すことにも有利となる。

 『孫臏兵法』と『孫子兵法』における戦争の策略や技巧に関する文献で『淮南子・兵略』において引用されているものとしては主に、次のいくつかの面にかかわる。

  1. 戦争の起源。『孫臏兵法・勢備』は孫子を引用し、「夫陥歯戴角,前蚤后鋸,喜而合,怒而鬬,天之道也,不可止也。故無天兵者自為備,聖人之事也」[2]と記している。『淮南子・兵略』はこう記す。「凡有血気之虫,含牙戴角,前爪后距,有角者触,有歯者噬,有毒者螫,有蹄者趹。喜而相戯,怒而相害,天之性也」[3]
  2. 兵家の「道」。『孫臏兵法・威王問』は、「威王は九つ問い、田忌は七つ問うた」とし、孫臏は彼らについて「兵をわきまえているがいまだ道に達していない」とした。この「道」(道理)に関して孫臏は論述を続けなかったが、『淮南子・兵略』においては、兵家の『道』が次のように詳しく説明されている。「所謂道者,体圓而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明,変化無常,得一之原,以応無方,是謂神明」[4]。さらに「所貴道者,貴其無形也。無形則不可劫迫也,不可度量也,不可巧計也,不可規慮也」[5]「兵以道理制勝,而不以人才之賢」[6]との記載もある。『兵略』が説く「道」とは、『淮南子』が先秦以来盛んであった兵家の「道」と『老子』の言う「道」との結合の産物である。形而上的な意味も加わっているものの、兵家の道について大まかな解釈を加えたもので、『孫臏兵法』の言う「兵道」に対する筆者の注釈とみなすことができる。
  3. 古代の兵家は多くが人間に着目し、とりわけ戦争に対する民心の擁護と離反を重視した。『孫子・行軍』はこう記している。「卒未親附而罰之,則不服,不服則難用。卒已親附而罰不行,則不可用。故合之以文,斉之以武,是謂必取」[7]。『淮南子・兵略』では次のように記している。「兵之所以強者,民也;民之所以必死者,義也;義之所以能行者,威也。是故合之以文,斉之以武,是謂必取;威儀并行,是謂至強」[8]
  4. 民心の擁護と離反は、戦争の决定的な要素となる。だが「天の時」「地の利」などの戦争の補助手段としての重要性にも目が向けられた。例えば『孫臏兵法・月戦』はこう記している。「間于天地之間,莫帰于人。戦□□□□不単,天時、地利、人和,三者不得,雖勝有央」[9]。『淮南子・兵略』はまたこう記している。「明于星辰日月之運,刑徳奇該之数,背向左右之便,此戦之助也,而全亡焉」[10]。つづけて「加巨斧于桐薪之上,而無人力之奉,雖順招揺,挾刑徳,而弗能破者,以其無勢也」[11]と記している。
  5. 具体的な戦争の手段としては主に、兵士の士気、賞罰の明確化、「兵不厭詐」(兵はいつわりを厭わず)、戦機を把握すること、「廟戦」(実戦のシミュレーション)、「奇正」の説、将軍の責任などが挙げられる。

 戦場では兵士の士気が非常に重要となる。『孫臏兵法・延気』は、戦場での士気の重要性をとりわけ重視し、次のように記している。「復徙合軍,務在治兵利気;臨竟(境)近啇(敵),務在癘(励)気;戦日有期,務在断気,今日将戦,務在(延)気」[12]。さらにこう記している。「気不利則拙,拙則不及,不及則失利」[13]。孫臏の言う「気」は、『淮南子・兵略』では「気勢」として主張されている。「将充勇而軽敵,卒果敢而楽戦,三軍之衆,百万之師,志厲青云,気如飄風,声如雷霆,誠積逾而威加敵人,此謂気勢」[14]。さらにこう記している。「故良将之用卒也,同其心,一其力;勇者不得独進,怯者不能独退;止如丘山,発如風雨;所凌必破,靡不毀沮;動如一体,莫之応圉」[15]。『呉孫子・軍争』はこう記している。「夫金鼓旌旗者,所以一民之耳目也。民既専一,則勇者不得独進,怯者不得独退,此用衆之法也」[16]

 兵士の士気を高めるためには、彼らの積極性と闘志を十分に引き出さなければならず、賞罰の明確化はその有效な手段となる。『孫臏兵法・威王問』において、田忌に「賞罰が兵を用いるに最も重要なことであるか」と聞かれ、孫臏は次のように答えた。「非。夫賞者,所以喜衆,令士忘死也;罰者,所以正乱,令民畏上也,可以益勝,非其急者也」[17]。孫臏は、賞罰は兵士を奨励して戦闘を行う必要条件であるが、兵家の根本ではないと考えた。『淮南子・兵略』はこの観点を継承し、次のように記している。「夫人之所楽者生也,而所憎者死也。然而高城深池,矢石若雨,平原广沢,白刃交接,而卒争先合者,彼非軽死而楽傷也,為其賞信而罰明也」[18]

 「兵不厭詐」(兵はいつわりを厭わず)は、兵家の思想において重要な地位を占めており、戦争のプロセスや結果を左右するものとさえ考えられている。『孫臏兵法・擒龐涓』は、斉と魏の桂陵の戦いについてこう記している。斉の将軍の忌子は平陵を攻めたがこれを得ることができず、斉城と高唐の両邑を失うこととなった。そこで孫臏に教えを請うと、孫臏が出した答えは、敵を欺くことだった。「請遣軽車,西馳梁郊,以怒其気,示之以寡」[19]。忌子はこの計略に基づいて行動し、最終的に龐涓を仕留めた。ここで言う「以怒其気,示之以寡」は、『淮南子・兵略』で言う「分人之心,疑人之兵」に呼応している。また『孫臏兵法・客主人之分』は次のように記している。「能分人之兵,能安(案)人之兵,則錙銖有余;不能分人之兵,不能案人之兵,則数負(倍)而不足」[20]。『淮南子・兵略』はこう記している。「兵静則固,専一則威,分决則勇,心疑則北,力分則弱。故能分人之兵,疑人之心,則錙銖有余;不能分人之兵,疑人之心,則数倍不足」[21]。さらにまた『呉孫子・計篇』は「攻其不備,出其不意」[22]と記している。『淮南子・兵略』は以下のように記している。「兵貴謀之不測也,形之隠匿也,出于不意、不可以設備也」[23]。さらにこう記す。「故用兵之道,示之以柔而迎之以剛,示之以弱而乘之以強,為之以弱而乘之以強,為之以歙而応之以張,将欲西而示之以東;先忤而后合,前冥而后明,若鬼之無迹,若水之無創」[24]。『呉孫子・計篇』はこう記している。「兵者,詭道也。故能而示之不能,用而示之不用,近而示之遠,遠而示之近」[25]

 戦争においては、戦機を把握することは、軍人の臨機応変な能力を試すだけでなく、戦争のプロセスに対してカギとなる影響を持つ。『淮南子・兵略』はこう記している。「静以合躁,治以待乱」[26]。さらにこう記す。「善用兵者,当撃其乱,不攻其治,是不襲堂堂之寇,不撃填填之旗」[27]。『呉孫子・軍争』はこう記している。「以治待乱,以静待嘩,此治心者也」。さらにこう記す。「無要正正之旗,勿撃堂堂之陣,此治変者也」[28]。また『孫臏兵法・善者』はこう記している。「倍道兼行,卷(倦)病而不得息,饑渇而不得食,以此薄適(敵),戦必不勝矣。我飽食而侍(待)其饑也,安処以侍(待)其労也,正静以侍(待)其動也」[29]。『淮南子・兵略』はこう記している。「因其饑渇凍,労倦怠乱,恐惧窘歩,乘之以選卒,撃之以宵夜,此善因時応変者也」[30]。また『呉孫子・形篇』はこう記している。「勝者之戦,若决積水于千仞之渓者,形也」[31]。『勢篇』はこう記す。「故善戦者,求之于勢,不責于人,故能択人而任勢。任勢者,其戦人也,如転木石。木石之性,安則静,危則動,方則止,圓則行。故善戦人之勢,如転員石于千仞之山者,勢也」[32]。『淮南子・兵略』はこう記している。「是故善用兵者,勢如决積水于千仞之堤,若転員石于万丈之渓」[33]。さらにこう記す。「易則用車,険則用騎,渉水多弓,隘則用弩,昼則多旌,夜則多火,晦冥多鼓,此善為設施者也」[34]。『呉孫子・軍争』はこう記している。「故夜戦多金鼓,昼戦多旌旗,所以変人耳目也」[35]。『孫臏兵法・八陣』はこう記す。「易則多其車,険則多其騎,厄則多其弩」[36]。『陳忌問壘』はこう記す。「夜則挙鼓,昼則挙旗」[37]。『勢備』はこう記す。「昼多旗,夜多鼓,所以送戦也」[38]。さらに『呉孫子・軍争』はこう記している。「故用兵之法,……帰師勿遏,囲師必闕,窮寇勿迫,此用兵之法也」[39]。このような兵の用い方について、『淮南子』は明確には反駁していないが、『淮南子』の論述から見ると、このような兵の用い方には反対で、一気に攻め、戦争の勝利をできるだけ早く実現することを強調していることがわかる。『淮南子・兵略』はこう記している。「故善用兵者,見敵之虚,乘而勿假也;追而勿舎也,迫而勿去也」[40]

 廟戦(実戦のシミュレーション)説は、戦争の動員と戦闘凖備に対する『孫子兵法』の主要な観点を代表している。双方は交戦する前、自らの実力を総体的に評価する。実力が相手よりも強く、十分な実力があり、凖備ができていると考えて初めて戦闘に入り、戦争の勝利を得ることができる。『呉孫子・計』はこう記している。「校之以計,而索其情,曰:主孰有道?将孰有能?天地孰得?法令孰行?兵衆孰強?士卒孰練?賞罰孰明?」[41]。さらにこう記す。「夫未戦而廟算勝者也,得算多也;未戦而廟算不勝者,得算少也。多算勝少算,而况于無算乎!吾以此観之,勝負見矣」[42]。『淮南子・兵略』はこう記している。「凡用兵者,必自廟戦:主孰賢?将孰能?民孰附?国孰治?蓄積孰多?士卒孰精?甲兵孰利?器備孰便?故運籌于廟堂之上,而决勝乎千里之外矣」[43]。さらにこう記している。「廟戦者帝,神化者王。所謂廟戦者,法天道也;神化者,法四時也。修政于境内,而遠方慕其徳,制勝于未戦,而諸侯服其威,内政治也」[44]

 「奇正」(奇襲・正面攻撃)の説は、中国の軍事学説における重要なカテゴリーの一つである。『呉孫子・勢篇』はこのように記している。「凡戦者,以正合,以奇勝。故善出奇者,無窮如天地,不竭如江河。……戦勢不過奇正,奇正之変,不可勝窮也。奇正相生,如環之無端,孰能窮之?」[45]『孫臏兵法・奇正』は次のように記している。「形以応形,正也;無形而制形,奇也。……発而為正,其未発者奇也。奇発而不報則勝矣。有余奇者,過勝者也」[46]。「正」は、戦争の総体的な指導方針から言えば、「人和為本」(人の和を基本とする)と「上順天時,下知地利,委任賢能,節制厳明」(上においては天の時に順じ、下においては地の利を知り、賢能に任を委ね、厳しく節制する)などの基本原則を正しく把握・貫徹することを指す。戦闘の指揮の技術から言えば、整然とした部隊を用いて正面から攻撃するか敵を防ぐことを指す。「奇」は、相手の不意をついて攻撃することを指すこともあれば、孫臏の「減竃誘敵」(かまどを減らして敵を誘う)のような予測できない奇抜な戦法を指すこともある。「奇」と「正」は、相反しながら、一体をなしている。このため将たる者は、戦略を考える際、「奇正」の方法を総合的に運用し、「奇正」の双方を成功させ、その土地に合った方法で戦争の勝利を実現する必要がある。このような「奇正」の説の精神の実質は、戦争における有利と不利の両面の客観的な条件を運用することにある。軍将は、両者の関係をうまく処理し、合理敵に運用し、最終敵に戦争の勝利を得ることとなる。『孫臏兵法・奇正』はこう記している。「刑(形)之徒,莫不可名。有名之徒,莫不可勝。故聖人以万物之勝勝万物,故其勝屈。戦者,以刑(形)相勝者也」[47]。『淮南子・兵略』はこう記している。「制刑而無刑,故功可成。物物而不物,故戦不屈。刑,兵之極也;至于無刑,可謂極之極矣」[48]。さらにこう記す。「夫有形者,天下訟見之;有篇籍者,世人伝学之,此皆以形相勝者也,善者弗法也」[49]。また『孫臏兵法・奇正』はこう記している。「同,不足以相勝也,故以異為奇。是以静為動奇,失(佚)為労奇,飽為饑奇,治為乱奇,衆為寡奇。奇発而為正,其未発者,奇也」[50]。『淮南子・兵略』はこう記している。「同,不足以相治也,故以異為奇。両爵相與闘,未有死者也,鹯鷹至,則為之解,以其異類也。故静為躁奇,治為乱奇,飽為饑奇,佚為労奇。奇正之相応,若水火金木之代為雌雄也。善用兵者,持五殺以応,故能全其勝;拙者処五死以貪,故動而為人禽」[51]。これらの文献から見ると、『淮南子』は、『孫子兵法』と『孫臏兵法』における「奇正」の説を直接受け継ぎ、「奇」と「正」を弁証法的な観点から論述していると言える[52]

 これまで述べてきた戦争の策略と手段は、兵を率いる将軍が、実際の戦場においてそれぞれの土地や時期に合わせた運用を行う必要がある。兵を率いる将軍には、高い総合的な軍事的な素養が必要となるだけでなく、戦争に対する強い責任感も不可欠となる。『淮南子・兵略』は、君主の命令を受けた後の将軍の戦場での心構えについて次のように記している。「乘将軍車,載旌旗斧鉞,累若不勝。其臨敵决戦,不顧必死,無有二心。是故無天于上,無地于下,無敵于前,無主于后,進不求名,退不避罪,唯民是保,利合于主,国之宝也,上将之道也」[53]。『呉孫子・地形』は、将軍の「道」について次のように指摘している。「故進不求名,退不避罪,唯民是保,而利于主,国之宝也」[54]。将軍に対する要求については、銀雀山漢簡の『将敗』と『将失』も合わせて参照する価値がある[55]。これは、軍事リーダーに対する当時の兵家の普遍的な要求だったと言える。

 『孫子兵法』『孫臏兵法』『淮南子』の文献考証から考えると、戦争の手段や技巧、謀略の運用を高く重視する『淮南子』の観点は、『孫子兵法』と『孫臏兵法』を直接受け継いだものと考えられる。淮南王・劉安の門客の中には、軍事に通暁した伍被や毛被などの学者がおり、これらの人々が、『淮南子・兵略』篇を執筆した主要な学者であったと推測される。


[1] 李零『簡帛古書與学術源流』,390ページ。

[2] 『孫臏兵法校理』,78ページ。

[3] 『淮南子集釈』,1043ページ。

[4] 『淮南子集釈』,1049ページ。

[5] 『淮南子集釈』,1067ページ。

[6] 『淮南子集釈』,1080ページ。

[7] 『十一家注孫子校理』,203-204ページ,中華書局,2008年。

[8] このような民心の擁護と離反を重視する観点は『淮南子·地形』の中にも反映されている。『地形』はこう記している。「視卒如嬰儿,故可與之赴深渓;視卒如愛子,故可與之倶死。愛而不能用,厚而不能使,乱而不能治,譬如驕子,不可用也」。

[9] 『孫臏兵法校理』,59ページ。

[10] 『淮南子集釈』,1057ページ。

[11] 『淮南子集釈』,1082ページ。

[12] 『孫臏兵法校理』,94ページ。

[13] 『孫臏兵法校理』,95ページ。

[14] 『淮南子集釈』,1073ページ。

[15] 『淮南子集釈』,1079ページ。

[16] 『呉孫子発微』,78ページ。

[17] 『孫臏兵法校理』,27ページ。

[18] 『淮南子集釈』,1088ページ。

[19] 『孫臏兵法校理』,2ページ。

[20] 『孫臏兵法校理』,157ページ。

[21] 『淮南子集釈』,1071ページ。

[22] 『呉孫子発微』,30ページ。

[23] 『淮南子集釈』,1093ページ。

[24] 『淮南子集釈』,1086ページ。

[25] 『呉孫子発微』,30ページ。

[26] 『淮南子集釈』,1076ページ。

[27] 『淮南子集釈』,1078ページ。

[28] 『呉孫子発微』,78ページ。

[29] 『呉孫子発微』,78ページ。

[30] 『孫臏兵法校理』,163ページ。

[31] 『呉孫子発微』,57ページ。

[32] 『呉孫子発微』,63ページ。

[33] 『淮南子集釈』,1083ページ。

[34] 『淮南子集釈』,1095-1096ページ。

[35] 『呉孫子発微』,78ページ。

[36] 『孫臏兵法校理』,65ページ。

[37] 『孫臏兵法校理』,43ページ。

[38] 『孫臏兵法校理』,80ページ。

[39] 『呉孫子発微』,78ページ。

[40] 『淮南子集釈』,1069ページ。

[41] 『呉孫子発微』,30ページ。

[42] 『呉孫子発微』,30ページ。

[43] 『淮南子集釈』,1066-1067ページ。

[44] 『淮南子集釈』,1052ページ。

[45] 『呉孫子発微』,62ページ。

[46] 『孫臏兵法校理』,194ページ。

[47] 『孫臏兵法校理』,193ページ。銀雀山漢簡の『奇正』には類似した記述が見られる。参照:『銀雀山漢墓竹簡』(貳),154ページ。

[48] 『淮南子集釈』,1052ページ。

[49] 『淮南子集釈』,1067ページ。

[50] 『孫臏兵法校理』,194ページ。

[51] 『淮南子集釈』,1093ページ。

[52] 銀雀山漢簡の『地典』にも類似の記述が見られる。兵家の「陰陽の道」にかかわる部分も合わせて参照のこと。『銀雀山漢墓竹簡』(貳),147ページ。

[53] 銀雀山漢簡の『地典』にも類似の記述が見られる。兵家の「陰陽の道」にかかわる部分も合わせて参照のこと。『銀雀山漢墓竹簡』(貳),148ページ。

[54] 銀雀山漢簡の『地典』にも類似の記述が見られる。兵家の「陰陽の道」にかかわる部分も合わせて参照のこと。『銀雀山漢墓竹簡』(貳),149ページ。

[55] 銀雀山漢簡の『地典』にも類似の記述が見られる。兵家の「陰陽の道」にかかわる部分も合わせて参照のこと。『銀雀山漢墓竹簡』(貳),150ページ。


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