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【16-007】双務的状況の例―信訪

2016年 5月18日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

信訪とは何か

 前回のコラムの最後で、現代中国法と付き合うことは、あらゆる場面において双務的状況を前提とした対応が必要で、この双務的状況を理解することが重要であると指摘しました。今回のコラムでは、この一例として信訪(制度)を取り上げたいと思います。

 まず「信訪」とは何かが問題となります。日本では差し当たり陳情と訳しておきましょうということになっているためか、「現代中国における独特の陳情制度」とする言動が大勢を占めています。この独特の陳情制度という言い回しが厄介で、日本の陳情に類似するがやや違うものと想像されがちです。信訪を正確に言い直すと、(主権者でない人々も含む)中国社会の構成員が、公的機関に対して、問題の実情を陳述して善処を求め、それを受けて対応する窓口が日本の苦情処理のように事実上の対応を行なうのではなく、正式な法律上の対応を行なう制度であるということになります。

 そもそも日本語の陳情は問題の実情を陳述して善処を求める行為を言うだけですので、陳情する主体に制限はないですし、陳情する対象も公的機関に限られません。また、請願法のように制度化されていません。請願法とは日本国憲法16条が規定する国民の権利を制度化した法律です。とはいえ、請願法は請願者が文書で請願する(2条)と規定するだけですので、日本国民でなくとも請願できます。ポイントは、日本においては公的機関に対して善処を求める行為を「請願」と呼んで陳情と区別する点です。つまり、日本における陳情は、請願のような法律上の対応が要求されないのです(独特という形容は言い得て妙にも思えますが、無垢の人々を欺罔しそうで本当に厄介ですね)。

双務的状況の例としての信訪

 現代中国における信訪はまず制度化されています。信訪条例がこれにあたります。但し、信訪条例がすべての信訪を対象としているわけではありません。次に、制度化の際に行使する主体が制限されました。日本のような陳情を模倣するならば、(前回の復習になりますが)「公民」、外国人および無国籍者を信訪の行使主体として規定することが適当でしょう。しかし、信訪条例は、公民などとは別の、「信訪人」という独立した概念を規定しました。先ほどの独特を説明しておくと、制度化された陳情であること、陳情する主体に制限があることにおいて独特なのです。

 そして、信訪の制度化と信訪人概念の承認が、双務的状況を形成しています。中華人民共和国の主権者は人民ですので、人民が主権者として信訪を通じて自らの意思を国家権力に反映させることは当然です。しかし、信訪条例は、信訪人のみ信訪を行なえるという建前をとるので、人民も「信訪人として」行動しなければなりません。人民にも信訪人に課す義務(信訪条例20条など)が当然に課されるわけです(人民以外の人々は勿論課されます)。また、制度化されたために、応対する職員は否でも応でも法律上の対応をせざるを得ないのです。

 ではなぜ、信訪条例は信訪人という概念を規定したのでしょうか。信訪条例1条が信訪秩序を維持するために制定したと立法の目的を言明していますので、信訪が秩序だって行われなくなったためであると考えることもできます。これは私の後悔の1つなのですが、信訪研究が日本で俄かにブームとなったとき(2010年頃から活発に議論されるようになりました。それ以前にも紹介する等の論考は散見されますが)に、信訪の現場が騒乱に近いと紹介され、扇情的な声に圧倒されて「KY(空気が読めない)」的発言を控えたことがありました。正直、研究・学問の視点で見ると、秩序回復を制度化の目的とするのは大悪手です。なぜなら、秩序回復という回答は非常に力学的で、研究・学問の回答として落第ものだからです。一言だけ申し上げておくと、「秩序だって行われるようになれば信訪条例は廃止されるのか」を自問されればお分かり頂けると思います。

研究・学問としての信訪

 研究・学問することは、不変的な因果関係=論理を解明し、それを過去から現在(および近未来)を射程に入れて論証することです(当然、法律用語や解釈の暗唱は研究でも学問でもありません)。研究・学問としての信訪も例外ではありません。つまり、「信訪研究」は、信訪秩序全体の論理とその整合性を、過去から現在そして近未来を射程に入れて論証することです。少なくとも、上記の時間帯において不変的な因果関係を担保できるあらゆる法的論理から適切なものを特定して論証することが、研究・学問の名に値することになります。

 現代中国の過去から現在までに通用する法的論理のうちで、本コラムで取り上げてきたものは、人民主権の法秩序という論理です(もう1つ大事な法的論理があるのですが、それは次回紹介する予定です)。そうすると、信訪は人民主権の法秩序を維持するために現代中国に組み込まれた仕組みの1つですので、信訪は、公的機関に対して自らの権利利益の保全を求める人民の行動と、この行動に対応するための手段から構成される法構造を、制度化する以前から備えていたことになります。このあたりのお話については、信訪研究や毛里和子=松戸庸子編『陳情』東方書店2012年で若干紹介してあるので割愛します。

 人民主権の法秩序に照らして信訪を研究するならば、次の3点が重要です(前回のコラムで述べたことを参照しつつご覧ください)。まず第1に、信訪人と規定することによって行使できる主体が人民に限定されないので、信訪には民主選挙で取りこぼした民意の補てんを期待できます。第2に、信訪は公民自らの法的権利や法的利益を拡充するための、または社会の発展から新たに保護すべき権利利益を公的機関へ認知させて権利化することによって、法治国家化を進めるための社会構成員の手段となることを期待できます。そして第3に、信訪には社会構成員に対する公的機関の不当な侵害に対する抑制効果を期待でき、その結果として権力を制約すべきとする制約原理が担保されることを期待できます。

信訪制度の法的特徴

 以上の視点から信訪条例を中心に現代中国における関連法令を分析すると興味深い特徴が見えてきます。ここでは、対応する窓口の細分化について指摘しておきたいと思います。なお、「対応窓口の細分化」というのは信訪を受け入れる範囲を個別具体的にしていることを強調するために、私が独自に使う言い回しです。

 信訪条例は国務院が制定したものなので、上位法と下位法の関係からすれば全国津々浦々で通用すると考えがちですが、所管する範囲の信訪しか対応しません。そして、信訪条例は、各級の人民政府の指導の下で属地管理、分級負担、責任分担を現場となる部門・職員に要求し、かつ、現地での解決と教育指導を組み合わせるよう言明し(4条)、また、信訪業務を担う機構・組織を確定するように規定する(同6条)ので、地域や問題によって細分化することが元々認められています。さらに国務院管轄下の組織が対応する事柄を具体化し、かつ、信訪人は行政機関(とその従事者)、公共事務職能の管理組織(とその従事者)、公共サービスを提供する組織(とその従事者)、国家機関が任命・派遣した者および村民・住民委員会(とその構成員)の職務行為に限って信訪できます(14条)。

 それでは、信訪条例が対応しないその他の信訪についてどうなっているのかというと、信訪条例を公布する前後から他の国家機関や各地の人民政府が同様の条例を制定し、それぞれが所管する範囲内に限り信訪を受け入れることを、それぞれの法令が言明しています。当初(80年代からと考えて結構です)の状況は、信訪人からすれば対応窓口が必要以上に細分化されて、正しい途を探し出すだけで一苦労も二苦労もせざるを得ない酷なものだったと言えます。信訪人は、信訪を規定する法令に照らして応対してもらえる事柄かどうかを自ら判断し、応対してもらえると考えるときに、この事柄を受け入れる窓口を再び自ら探し出したうえで信訪する必要があったからです。

 対応窓口が細分化されているので、どの機関・部門の信訪業務を担う機構・組織が受け入れてくれるのかも精確であることが信訪人に対して要求されました。これが、「ウチの所管ではない」として門前払いされる受理難であったり、「あそこの窓口ではないか」と盥回しにあったりした原因でした。折衝コストを信訪人に押し付ける制度化だったと言ってよいでしょう。それゆえに、信訪現象と認識される社会の不満が噴出し、その結果である信訪現象を私たちは目にしているわけです。

信訪条例の意義

 窓口の細分化による信訪制度の問題が深刻な社会問題となったことを受けて、旧信訪条例の改正の必要性が高まり、2005年に信訪条例を制定しました。信訪条例では、信訪人が信訪秩序を乱さないこと(そして、乱した場合には処罰すること)と引き換えに、陳述を受けた事柄を所管する機関へ転送するとしたり、件の事柄を収受した後15日以内に受理するかどうかを決定して信訪人に「書面で」告知するよう要求するなどの改善が見られます(このあたりの仕組みは日本の行政指導における書面要求(行政手続法35条2項)に似ています)。

 現代中国における独特の陳情すなわち信訪は以上の次第で、思ったよりも面倒なのです。対応窓口の細分化という特徴を考えると、裁判を利用する方が簡単に思えます。現代中国も本人訴訟が基本ですし、(訴額によりますが)金銭などのコストの面から考えても大した差はないので、猶更そう思えます。しかしながら、このような方法選択の自由を現代中国法は認めていません(ここが現代中国における裁判の特徴で、勝訴するはずの裁判が敗訴してしまう大きなポイントです。いつかの回でお話したいと思います)。

労使紛争における信訪と裁判

 救済・法的保護を求める側に方法選択の自由がないとはどういうことなのでしょうか。ここでは、労使紛争における信訪と裁判を例にして説明しておくことにします。

 結論から申し上げると、労使紛争をどのように処理するかについて働く人全員に対して信訪と裁判の2つの選択肢を法理論として確立していないのです。通常、私たちの常識からすれば、労働者が労使紛争に遭遇する場合、使用者との間で「協議」を通じて解決を図り、協議が上手くいかなければ第三者を加えた「調停」を通じて解決を図ります。それでも上手くいかない場合に「仲裁」を申請して公的な救済を求め、その判断でも解決しない場合に、「裁判」で決着をつけてもらうべく訴えを提起します(喧嘩別れ上等!と、いきなり裁判という選択もありえますね)。勿論、現代中国も基本的に協議→調停→仲裁→裁判という4つの段階を経る労使紛争処理制度があります(仲裁前置主義を採るので、いきなり裁判というわけにはいきませんが)。この制度が取り扱う労使紛争を講学上「労働争議紛争」と呼んでおきましょう。

 実は、現代中国法は、働く人を労働者と「そうでない人」とに分けて、それぞれの権利利益を保護しています。簡単に言うと、現代中国法が規定する労働権が侵害される場合、労働者の労使紛争なので、労働争議紛争として労働権をめぐる法的処理すなわち、労使紛争処理制度の途となります。その一方で、現代中国法が規定しない労働権(これを講学上「事実上の労働権」と呼びます)が侵害される場合、その労使紛争は働く人ではあるが、「労働者でない人」との間の労使紛争なので、「労働争議事件」として扱い、それに見合う法的処理の途に回されます。そして、これが労働信訪なのです。なお、労働信訪において現代中国法の規定する法的な問題が確認されるときに限り、裁判への途が開かれます(但し、それは労働争議紛争とは別の法的紛争として扱われます。ちなみに、日本法の場合は当事者間の契約が労働契約かどうかで法的処理の途が基本的に分かれます)。

 要するに、現代中国における労使紛争は、労働争議紛争と労働争議事件に分けられ、法的救済を受ける選択の自由がありません。この例から明らかなように、私たちは貧者を喰らう社会のように現代中国を描きがちですが、その貧者が何者なのか、何者の訴えなのかを見定めよという明文の圧力が対応窓口の現場に纏わりつくと同時に、自らの法的身分(属性)を自覚して自制的な行動をとれという不文の圧力が、訴える側にも纏わりついているのです。言い換えれば、双務的状況とは関係者全員に対して行動の抑制を強要する精神的緊張を与える空間なのです。

 この精神的緊張を緩和するには、行動を根拠づける法的事実という「処方箋」が必要です。しかし、私たちは、この処方箋の作成が私たちの権利論とは別の権利論に基づいていることを敵視または無視して悪手を指し続けています。つまり、私たちが作る処方箋すなわち、理想の現代中国(法)に照らして対応できるという特定の思想を無批判に前提とする現状は、正にビーカーの中の茹で蛙のようなものです。彼の国で法的に後手を踏み続けることは当然の帰結かもしれません。