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【08-02】第3の目で日本の科学技術を見る

裘 涵(東京大学大学院「博士課程大学院生共同養成プロジェクト」国費留学生)  2008年1月20日

 人間の2つの目が身の回りの物事を観察するためにあるのだとしたら、第3の目は思弁の目線でこの社会を見据えるためにあるものにほかならない。私は 2007年4月に「博士課程大学院生共同養成プロジェクト」の国費派遣留学生として日本を訪れ、現在東京大学に留学している。留学生活はまだ1年足らず で、日本の社会を論評する資格はないかもしれず、ましてや高度で奥深い科学技術を批評する資格などないように思う。しかし、このよく知らない、また、よく 知っている土地に来た以上(よく知らないと言うのは、この土地に初めて足を運んだからであり、よく知っていると言うのは、中国と日本との空間距離が一衣帯 水であり、文化面でも融合しているからだ)何かを言うべきであるような気がする。私は学歴も経験もまだ浅いが、自らの第3の目による観察を通じ、浅薄なが ら日本の科学技術に対する認識を簡単に述べてみよう。

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1 日本の社会に入る:まずは秋葉原から

 今回の留学の主な目的は2つあり、1つ目は専門知識を学び、日本の同業者と専門分野の交流を行うこと、2つ目は日本の社会と文化を体験することである。 この2つの目的は決して相反せず、両者は補い合う関係にある。学習と交流の過程では必ず日本の教師や学生と付き合い、そこでは日本人の心理的メカニズムと 文化的基因を理解することができる。また、様々な社会的活動を行い、日本独自の社会文化を体験するのも専門分野を学び考えるのに役立つ。なぜなら、いかな る知識もその土地の社会環境から生まれるものだからだ。この2つの基本目的を胸に、私は日本での学習と生活の新たな旅を始めた。

 では、私がどのようにして日本の社会に入ったのか、また、日本の科学技術に初めて接し、どう思ったかについて秋葉原から話を始めよう。 

 私はずっと技術製品に強い関心があり、このため、東京に来ると、まず日本最大の電器集散地である秋葉原に駆け付けた。秋葉原は確かに電子製品がかなり豊 富にあり、ヨドバシカメラのような大型店舗の他、特色のある小さな店舗(ウェアハウス)が林立している。何度か見て回るうちに、秋葉原の技術製品及びその 市場には2つの鮮明な特徴があることに気付いた。第1の特徴は秋葉原の技術製品が基本的に日本本国のブランドで統一され、ソニー、松下、キャノン、NEC 等の老舗メーカーの各種製品が市場に溢れていること。これは少なくとも電子製品の分野では日本のメーカーが市場の競争優位性を確保しており、日本の電子製 品製造業の技術革新能力、プロセス設計能力が世界をリードする地位にあることを物語るものだ。第2の特徴は多くの中国人が秋葉原の繁栄に貢献しているこ と。聞くところによれば、秋葉原は一時期不景気に見舞われ、多くの店が休業・廃業したが、中国人観光客が大挙して来日し、大量の商品を購入するのに伴い、 息を吹き返したという。私達のような長期又は短期の留学生で、日本の電器製品を買わない人がいるだろうか。買い物中の本国の人に無作為に取材した結果、中 国人が日本の電器製品に夢中になる理由は主に次の3点であることが直にわかった。(1)日本製電器の技術の先進性。先進的技術を搭載した製品が人々に多く の楽しみと便宜を与えることに疑問の余地はない。(2)日本の電器製品の素晴らしい生産工程。「21世紀経済報道」紙に掲載された記事によれば、ある日本 人が上海の高級品店でショッピングしていた時に不注意からガラスで手の指を傷付け、日本だったらこのようなガラス製品が生産ラインから出てくることはあり えないと嘆いたそうだ。日本の生産工程と管理システムには確かに中国が学ぶのに値する多くの長所がある。(3)日本製品のブランド効果。多くの中国人が電 器製品を購入するのは親しい友人に贈るためである。日本製品の良好なブランド効果は先進的な技術と素晴らしい生産工程によるものであり、このため、親戚・ 友人へのプレゼントに打って付けだ。

 秋葉原は日本の社会の一部にすぎないが、それは日本の技術社会の1つの縮図でもある。私は秋葉原に足を踏み入れ、日本社会に足を踏み入れ、第3の目で日本の科学技術を見つめる旅路を正式にスタートさせた。

2 日本の社会に溶け込む:第3の目で日本の科学技術を見る

1.近代的な科学技術の要素で構成された日本社会

 現代人は今や完全に技術の結合体となっている。人の1日又は一生は 技術製品から離れることができず、もしその存在がなかったら、人は現代人となりえず、この現代社会で生きていくことができない。正に空気と水のように、私 達は携帯電話やインターネット等の技術品から離れられなくなったのである。

 日本は発達した工業国であり、社会の隅々に現代技術の痕跡が刻み込まれている。東京では家を出る時にSuicaを持っていれば、スピーディで便利な地下 鉄又はJR列車に乗ることができる。東京大学のキャンパスには無線ネットワークが張り巡らされ、知識が無意識のうちに素早く流動する。また、先進的なマル チメディア施設のお陰で、知識はより生き生きとし、直接的な形で現れる。1日の学習を終え、やや老朽化した寮に戻ると、寮内には至る所に自動誘導設備があ り、ここも先進的技術文明の産物なのだとわかる。

 日本の大通りや路地を歩くと、日本の社会が弱者に配慮していることを実感できる。東京は交通システムが世界で最も発達している都市の1つだと言えよう。 日本の人口は多くないが、東京には1千万の人口が集まり、人口密度は決して低くない。しかし、東京の交通は整然として秩序があり、また、交通資源がタイト な状況下でも、社会は弱者に対する配慮を忘れていない。たとえ狭い道路でも、視覚障害者専用の通路がある。多くの交差点には視覚障害者用の音響装置が設け られ、彼らがスムーズに大通りを渡るのを助けてくれる。また、JR駅では駅員が専用のスロープ板を持ち、車椅子の身障者のために平坦な乗車用通路を用意し ている姿をしばしば見掛ける。その他、一部の日用品においても、メーカーは規格に従って統一記号を刻み、触ればそれがどんな品物であるかが分かる......こう した類の事例はまだ沢山ある。こうした細かいところは技術応用面における日本のヒューマンケアを現しており、調和社会づくりを大々的に進めている中国が学 ぶのに値するものだ。

2.日本社会の科学技術イノベーション

 日本は80年代に欧米各国から技術分野で「便乗している」と非難されたため、基礎研究を重視し始め、技術立国の総合発展構想を確立した。90年代におけ る日本の「科学技術基本法」の公布・施行は、日本が「科学技術創造立国」への転換に着手したことを示している。しかし、その転換の道は決して順風満帆でな く、一挙に成し遂げられるものではない。日本はまだ相対的にイノベーションの意識に欠け、科学技術研究は依然として応用研究を導き手とする特徴を備え、 「改良は容易だが、革新は難しい」というジレンマにしばしば陥るようだ。

 日本社会の動きを身近で観察すると、知識や創造の研究に従事する科学技術者であれ、物品配送、交通整理等に従事する一般の勤労者であれ、平素からよく訓 練されていて、あたかも工業生産ライン上1本1本のネジのように、規範化され、整然と秩序立っているものの印象を与えてくれる。ある時、私は突拍子もな く、もし13億の中国人がこのように平素から訓練されているとしたら、どのような光景が現れるのだろうかと考えた。制度や法規がきちんと整備されていて、 制度を至上とする秩序整然としている社会では、秩序と平穏がもたらされる。だが別の側面から見ると、秩序があり過ぎて、平穏過ぎることによって、社会の技 術イノベーションが制約されることはないだろうか。結局の所、イノベーションは異質の衝突から生まれ、革新は現状を批判し、覆すことから生まれるのであ る。

 次に、東京大学に関係する2つの例から日本社会のイノベーション意識と日本人の革新精神を見ることにする。第1の例は2000年に設立された東京大学情報 学環・学際情報学府に関するもの。それは東京大学の組織構造の中でかなり特色があり、情報関連分野の研究と教育を行う組織である。この組織を設立した目的 とは既存の学問分野の限界を打ち破り、情報学分野の最前線における総合的な研究・教育活動を推進することであり、「環」の意味もここにある。情報学環・学 際情報学府を設ける必要性が校内の共通認識になっていたとはいえ、東大の既存の教育・研究組織体系を変革することは、必然的に既存の利益構造の調整と再構 築、及び人間関係の調和に関係してくるので、容易ではなかったようだ。聞くところによれば、当時、革新への抵抗を和らげるため、「借りる」方式を採用し、 既存の研究科、研究所等の組織から教員と研究者を引き抜き、新しい情報学環と学府の流動教員を担当させたという。これは日本人が人間関係の調和を重視し、 出しゃばることを避け、出来るだけ集団の衝突を回避しようとした妥協的な制度作りだったのではないか。第2の例は東大生の職業意識から日本人のイノベー ション精神を見たもの。私と一緒に講義を受けている4年生は間もなく就職先の選択に直面することになる。以前、彼らにどのような職業に就きたいのかと尋ね たことがある。公務員試験を受けるだろうと言った人、NHK又は朝日新聞社のような報道機関に入社できたらよいと表明した人、さらに三菱のような大商社で 仕事をする志を持っている人など様々である。その他、大学院に進んで引き続き研究することを選択する学生もいた。いずれにせよ、クラスメートが描く理想的 な職業は社会的な位置付けが高く、安定した収入が見込める大企業又は政府機関にほぼ限定されており、自分で事業を興すと言う人はいなかった。東京大学の学 生は日本のエリートであり、将来の日本社会の重責を担う人だが、彼らは一様に米国人のようなアドベンチャー精神に欠けている。

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 現在の中国人学生でも、彼らに比べればアドベンチャー精神を持っているのだ。最近、中国の有名なeコマース企業、アリババは香港での上場を果たし、多くの 若い富豪が生まれた。創業者の馬雲氏は普通の大学を卒業してハイテク事業を興し、大成功を収めた代表の1人であり、その成功はベンチャーへの夢を描く多く の学生に勇気を与えている。近年、中国の各大学では大学生ベンチャーコンテストが盛んに行われ、その中の幾つかのハイレベルのコンテストはベンチャーキャ ピタルの注目を集めた。現代の学生はこうしたことに強い刺激を受け、自らの夢に向かって前進しようと発奮している。では、科学研究陣の将来の主力となる理 工科博士課程院生の頭の中にある職業生活とはどのようなものか。米国の多くの理工科院生は企業の研究機関で科学技術の研究に従事する道を選択するが、東京 大学の優秀な理工科院生は有名大学の教授を目指す傾向が強いようだ。中国の現状を見ると、国内企業の力がまだ弱く、科学研究への投入があまねく不足してい るため、大学が養成した理工科院生は外資系企業に流れるか、そうでなければ大学に残り、又は国の関係研究機関に入ることになる。これに比べ、日本では大企 業が技術研究と製品開発を行う最も重要な場所となっており、中国企業よりも多くの研究開発人材を吸収することができる。

 科学技術への経費の投入は科学技術イノベーションの原動力の源であり、各プロジェクトへの経費の配分は同時に又、科学技術の方向を導く役割を果たしてい る。1945年、米国科学研究開発局(OSRD)のヴァネヴァー・ブッシュ局長は「科学:限りないフロンティア」を発表し、各国が基礎科学研究を国家間競 争の重要な資源とし、国家が基礎科学研究の担い手になる契機となった。世界各国は科学技術研究を国の政治日程に次々と組み入れ、科学技術研究が国家の意志 に変わったのである。日本は70年代から自主的技術を重視し、90年代になると科学技術創造立国の方針を確立しており、基礎研究分野に資金を投入する国の 役割が強化されつつある。しかし、日本の科学技術研究への経費投入ははっきりとした特徴が見られ、それは企業の投資が一貫して最も主要な部分を占めている ことだ。企業の製品重視と応用重視の姿勢は、応用タイプの収益を見込める技術プロジェクトに一段と力を入れる結果を招き、長期の科学技術発展にとって重大 な意義を持つが、短期的な経済効果を見込めない基礎研究は必然的に軽視されることになる。日本がハイテク大国であることは否定できないが、まだ科学大国と は言えない。中国の科学技術研究は基礎が依然として弱く、日本に比べればまだ大きな隔たりがあるが、自主的イノベーション又は基礎研究の分野に対する決意 は日本よりも固い。現在、「自主的イノベーション」と「自主開発」は既に国の政治的意志及び科学技術発展の最高指導方針となり、また、各大学、研究機関さ らには社会全体の共通認識となっている。

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3.科学技術の研究と競争における国の役割

 現在、中国の多くの優れた科学研究人材が日本の各研究分野で活躍しており、彼らとの交流を通じ、日本の科学研究機関の少なからぬ状況を理解できた。同時に 又、日本の企業が科学技術研究の中で中核的な地位にあることを強く感じる。前記の科学技術経費の投入面から企業の主体的役割が既にはっきりと分かってい る。一方、国の科学研究の重要な拠点である国立研究機関と大学研究機関はその研究経費の重要な投入先であり、企業の研究機関に比べ、理論レベルと基礎レベ ルの研究を一段と重視している。しかし現状を見るなら、大学の教授又は研究員の多くは科学研究成果の実用化を必ずしも重んじておらず、自分達の学術的な名 声を重視している。彼らが一層関心を寄せているのは理論面における科学研究の可能性と突破性、それに学術面で欧米の同業者とどう対話を行うかであり、企業 との協力への願いは強くなく、実質的な協力も多くない。日本政府もこの問題に気付き、新しい政策を次々と定め、変革を推進している。例えば、「技術移転機 関」(TLO)の設立と「大学構造改革計画」の策定はいずれも大学研究者の研究成果実用化への意欲を高めるためのものである。

 その他、私が現在関心を寄せている技術規格の分野からも、国と企業がその中で果たすそれぞれの役割を見てとることができる。俗に三流のメーカーは製品を 売り、二流のメーカーは技術を売り、一流のメーカーは規格を売ると言われる。技術規格の競争は今や競争で優位に立つためのカギとなっている。歴史的に見る なら、日本が技術の研究開発で歩んで来たのは導入し、追い付く道である。日本は欧米の先進的な技術を導入・消化し、それを超えようと努力し、その技術を活 用した製品を欧米と世界の市場に売り込んできた。そうして競争の優位性を確立した後、製品の技術革新を推し進めるのである。技術規格において、日本が最も 得意とするのは市場競争を通じ、「事実上の規格」(デファクト・スタンダード)を確定することであり、言い換えるなら、商品の世界での営業販売を通じ、市 場の覇権を握った後、おのずと当該技術を「事実上の規格」にしてしまう。しかし現在、ハイテク分野、例えば情報技術(IT)分野ではISO、IEC等の国 際標準化組織が制定する「公的な規格」(デジュレ・スタンダード)がますます増えている。多くの技術はまず規格があり、次にこれに見合う製品がある。従っ て、国際標準化組織の制定プロセスに参画してこそ、将来の市場競争の中で優位に立つことができるのだ。公的な規格の制定は企業が製品を売るように簡単なも のでなく、それには技術、制度、文化、国の意志、産業化の進度、国際組織における活動能力等の様々な要素が絡んでくる。東京大学の坂村健先生が言われたよ うに、日本企業は国際標準化組織の規格制定活動に参画するのが余り得意でないように思われる。このため、世界をリードする日本の技術の多くは国際規格の制 定において「麦城から敗走する」ケースが目立ち、例えば、NHKテレビは以前、日本の光触媒技術が国際標準化で惨敗した事例を報じている。従って、公的な 規格の重要性がますます高まることを見据え、日本政府は技術の国際標準化における認識と役割の位置付けを調整する必要があるのかもしれない。

 日本と異なり、中国政府は科学技術研究において絶対的な主導的地位を占める。中国は発展途上国に属し、科学技術の面で欧米や日本と大きな開きがあり、し かも企業は基礎的な科学技術研究面で財力が著しく不足している。「財力の不足−科学技術への投入不足−製品競争力の弱さ−経済的収益の低さ−財力の不足」 という悪循環を断ち切るため、国は基礎的な科学技術研究面でより多くの責務を担い、より多くの資金を投入しなければならない。中国政府は既に自力更生と自 主的イノベーションがあってこそ、国の真の富強を実現できることに気付いた。そこでOEMの方式を通じ、先進国のために働き、市場を通じて技術を獲得する という発展構想から全面的に脱却しようとしている。中国政府が一段と重視しているのは自主的イノベーション分野での蓄積であり、数年前に「国家イノベー ションシステム」の確立を力強く提唱し、「自立したイノベーション」、「科学技術イノベーション立国」の基本方針を徹底させてきた。技術規格の分野でも、 中国政府は「自国の技術的コアを有する技術規格」を確立するとの旗印をはっきりと掲げた。中国はDVD製造産業を興し、WAPIという無線伝送暗号化技術 の規格が無期限延期となり、TD-SCDMAが3G国際規格の1つとなり、IGRS規格(閃聯標準)が近くISO国際規格になるという道のりを歩んで来 た。中国政府は「独自の技術的コアを備えた技術規格を制定する」道を歩むとの決意を固めたのである。

4.「島国心理」が災い?

  日本の企業はなぜ中国の人材を引き留めることができないのか。日本企業は最も早く中国市場に進出した外国資本企業である。日本の製品が中国に入った時はか なりのブランド効果を持ち、その企業も中国の優秀な若者が憧れる会社となった。しかし現在、中国の優秀な人材は後からやって来た欧米の外国資本企業に次々 と流れている。中国の若者の間で日系企業が徐々に魅力を失ったのはなぜか。終身雇用制の特徴を持つ日本企業の中で、中国人の流動率がかなり高いのは不思議 なことだ。その原因は単に中国人の転職好きにあるのではなく、もっと大きな原因は中国人が日系企業の中でしかるべき価値を体現できないと感じているからで はないか。例えば、中国人が日系企業で受け取る給料は期待を裏切るケースが多い。日本企業のリーダーはややもすれば中国人に高い賃金を支給する必要などな いと考える。それは彼が中国人であり、欧米人ではないからだ。その他、中国人は等級が厳格な日系企業で重用されないケースが多く、どんなに努力しても基本 的には企業の重要な管理職に就くことができない。私が知っている中国から来た東大留学生は90年代中頃に中国の某大学を卒業した後、夢を胸に抱いて日系企 業に入り、3年間懸命に働いた。しかし、彼と一緒に入社した中国人は1人又1人と去って行き、気がついてみると、彼は会社の中国人従業員の中で唯一の古顔 となっていた。続いて彼も辞職し、日本を訪れ、留学生活を始めたのである。日本の企業は欧米の企業が中国に進出した後、徐々に輝きを失い、優秀な人材を引 き付ける力も徐々に弱まり、その製品の市場競争力も大きく落ち込んだ。これは日本の産業界全体の中国市場に対する位置付けと密接な関係がある。日本企業の 多くは中国を労働力が安い大国、製品販売の対象と見なす一方、中国企業に技術を盗まれることを心配し、このため、技術提携や技術移転の面で恐れおののき、 二の足を踏むのである。私は日本に来た後、テレビや新聞でこのような憂慮と不安を感じた。驚いたのは大学の教室でも教師が中国脅威論を盛んに唱えていたこ とだ。実のところ、こうした論調と不安は中国台頭の現状を変えられるものでなく、逆に中日両国の正常な交流に影響し、日本企業の中国での戦略的発展に影響 することになる。比較して言うなら、同じように中国に投資している欧米企業にははっきりとした戦略的な位置付けがあり、中国との協力を深めている。このた め、中国市場への進出が日本の企業よりも遅かったのに追い越してしまったのである。中国市場に対する日本企業のこのような位置付けと認識は、心の深部にあ る「島国心理」が災いしているのではないか。これは又、日本企業が中国の優秀な人材を引き留めることができず、中国市場での製品競争力が衰えた大きな原因 ではないのか。

5.民衆の目に映る科学技術

 日本は有権者の国であり、有権者又は世論が政治に対して重要な影響 を及ぼす可能性がある。このため、日本の民衆の生活の中に入り、彼らが何を話しているのかを聞き、彼らが何をしているのかを見ることは、日本の科学技術の 現状を別の側面から理解するのに役立つかもしれない。現在の日本メディアに少しでも関心を持つなら、「安全」と「安心」が出現頻度の最も多い言葉であるこ とに気が付く。「安全」と「安心」は政治家がしばしば口にする最も民衆に好感を持たれる、政治的リスクのない言葉となり、日本の民衆の心の中にも深く根を 下ろしている。日本は世界で最も安全と安心に関心を寄せる社会であり、これは誇張でも何でもない。東京大学の狂牛病(BSE)に関するゼミナールで、私は 日本が牛の全頭検査を行っている世界で唯一の国であることを知った。2005年、日本の食品安全委員会は20カ月齢以下の牛が狂牛病に感染する確率はかな り低く、また、小牛に対するBSE検査の検出感度も良くないとの考えを示した。これを受けて厚生労働省は全頭検査を緩和した。しかし、民衆の間で不安の声 が高まったため、世論の圧力に押され、各地では引き続き自発的に全頭検査を行っている。

 しばらく前に大きな騒ぎとなった中国国内の 「段ボール肉まん」虚偽報道事件が想起される。ある記者が報道効果を高めるため、腹黒い経営者が段ボール箱を使って肉まんを作ったとのニュースをデッチ上 げたのである。この報道は全くの捏造だが、日本のメディアも中国の肉まんは段ボールを使っていると報じたため、社会に大きなショックを与えた。多くの日本 人は「ないと信じるよりも、むしろあると信じた方がよい」気持ちを抱くようになり、中華まんに対する恐怖感と拒絶感が生まれ、中華まんの日本での販売に直 接的な影響が及んだ。以前は多くの日本人が研究室にいる中国人の同僚を通じ、後楽寮内の食堂で中華まんを買っており、このため、食堂ではしばしば中華まん が供給不足となり、「購入は1人4個まで」の掲示を出すことになった。しかし、「段ボール肉まん」事件が起きた後は、この掲示も必要なくなった。なぜな ら、研究室の日本人が安全でないと考え、買うのを止めたからである。捏造報道であり、しかも科学技術とは無関係だが、この事件から日本社会における安全と 安心の重要度を見てとることができる。要するに、日本の民衆の目に映る科学技術とは、この技術(製品)は安全なのか、安心してよいのかと問うことが先決で あり、その機能がどれくらいの楽しみ又は効果をもたらしてくれるのかは二の次なのである。このため、日本と貿易取引又は科学技術協力を進めている中国の企 業又は組織は、「安全」と「安心」という最高至上の準則が極めて重要であることを銘記しておかねばならない。

3 中国と日本:留学生としての使命

 国費派遣留学生として日本に来た私達は祖国と人民の重い付託を担っており、この点は各留学生の心に刻み込まれ、いささかも怠ることはない。私達は専門分野 で先進的な知識と技術を学ぶ一方、中日両国の友好事業の橋渡しとなり、その伝承者とならなければならない。日本人は島国心理に災いされ、強烈な集団意識と 排他意識を持ち、留学生と外国人を永遠によそ者と見なしており、このため、日本人と真の良き友となるのは非常に難しく、永遠に隔たりがある、と言う人がい る。しかし、私は決してそのように考えておらず、こちらから胸襟を開いて交流すれば、多くの日本人と真の良き友になることができると思う。日本に来た私は 東京大学で学友と一緒に1学期の講義を受けたが、終了後はほとんど交流がなく、日本の友人は1人もいなかった。しかし2学期になると、東京大学での学習生 活に徐々に慣れ、講義の後、学友との交流も増え、皆で雑談し、食事をし、お酒を飲み、遊ぶようになり、急速に親しくなったのである。また、日本の学友が 困っている時は進んで友情の手を差し伸べるべきだ。私達は異郷の地におり、一層多くの困難にぶつかるかもしれないが、日本の学友にも同じように困り事又は 悩みがあり、その時は勇敢に立ち上がって、一声掛け、微笑み掛けること。そうすれば、不思議な効果が生まれると思う。最後に、日本の学友に各種の中国文化 活動に参加してもらい、中国の文化と現状をより多く知ってもらうことは、文化面と心理面での隔たりを縮めるのに役立つ。折しも今年は中日国交正常化35周 年に当たり、両国は中国と日本で多くの非常に有意義な記念活動を行った。私は日本の多くの学友を誘って盛大な閉幕式の公演を観賞し、その日の素晴らしい中 華文化の文芸公演は彼らに大きな感動を与えたのである。文化を媒体とした交流を通じ、日本の学生は中国と中華文化に対する理解を深めることができ、1回の 交流活動で彼らの中国に対する見方が根底から変わるかもしれない。

 中国の現在の科学技術水準はまだ日本と大きな隔たりがある。多くの技術分野における日本の成功経験は私達が真剣に学ぶのに値するものであり、日本も無論、 中国の科学技術の発展に強い関心を寄せている。このため、中日両国は二国間の科学技術交流を繰り広げ、両国の科学技術協力を推進することが大いに必要とな る。JSTが今年11月に開催した「日中R&D連携シンポジウム」は有意義な活動であり、中日両国の科学技術情報の交流を力強く促した。欧州連合 (EU)の一体化プロセスが進み、グローバル化のプロセスが加速している現在、一衣帯水の間にあり、優位性の相互補完が多く、共通の利益も多い中日両国は 科学技術の共同プラットフォーム構築であれ、科学技術の情報交流であれ、また、科学技術の共同研究等であれ、いずれも非常に大きな潜在的協力の余地を残し ている。

 私は一介の博士課程院生にすぎないが、今回、世界でも一流の東京大学に留学し、研鑽を積む機会を与えられたことは、国家と人民の信頼を得たことに他なら ず、このため、私は絶対に祖国と人民の負託に背くことができない。多くの在日留学生と同じように、私はこの上なく神聖な気持ちを胸に抱き、祖国の繁栄・興 隆を誇りに思い、国の洋々たる前途に心が沸き立つのである。もし国内にいたなら、真の愛国とは何かをまだ本当に理解していなかったかもしれない。しかし、 今や愛国の真の道理がわかり、自らの使命もはっきりした。それは専門の知識と技術の学習に努め、帰国後、国のためにしかるべき貢献をし、祖国の発展のため に微力ながら尽くすことである。

裘涵

裘涵:東京大学大学院「博士課程大学院生共同養成プロジェクト」国費留学生

略歴

中国浙江大学科学技術・社会研究センター及び浙江大学言語・認知国家イノベーション基地の博士課程大学院生。
中国浙江大学経済学部公共管理学科を卒業し、学士と管理修士の学位を取得。2005年から浙江大学人文学部科学技術哲学学科で博士課程を学ぶ。2007年 4月〜2008年4月の期間中、「 博士課程大学院生共同養成プロジェクト」の国費派遣留学生として、日本の東京大学に留学し、著名な科学哲学者、村田純一 教授に師事することになる。研究分野は科学技術政策、新技術と社会、技術経営である。博 士論文のテーマは「技術の標準化及びその戦略研究:RFID技術規 格を例に」である。これまでに「農村経済」、「中国信息導報」、「中国広播電視学刊」、「中南大学学報」、「現代伝播」等の雑誌に「 農民の市民化における 現実の苦境及びその突破」、「政府情報センターの変革の動きについての研究」、「バーチャル・コミュニティーの内在的要素及びその構築の組織的な道筋」、 「 わが国のデジタルテレビ地上伝送技術の標準化についての思考」、「日本メディアの素養の探究と参考」等の多くの論文を発表。