【13-06】留学ブームの裏にあるもの—「八〇後」以降世代の声を聞く(その1)—

2013年 6月 7日

牧野篤

牧野篤(Makino Atsushi):
東京大学大学院教育学研究科 教授
教育学博士(名古屋大学)

略歴

1960年 愛知県生まれ
名古屋大学教育学部・大学院教育学部研究科助教授、同大学院教育発達科学研究科助教授、教授などを経て、2007年より東京大学大学院教育学研究科教授。2013年、東京大学高齢社会総合研究機構副機構長兼任、現在に至る。 主な著書『中国近代教育の思想的展開と特質』(日本図書センター、1993年)、『認められたい欲望と過剰な自分語り−そして居合わせた他者・過去とともにある私へ−』(東京大学出版会、2011年)、『人が生きる社会と生涯学習—弱くある私たちが結びつくこと—』(大学教育出版、2012年)など。

 「もう、中国にいるとまわりがうるさいんです。全部親のいうとおりにしないといけない。そんなの嫌だ、っていっても、今度は親戚が出てくる。私たちってみんな「八〇後」だから、一人っ子だし、親が2人におじいちゃんとおばあちゃんが全部で4人いて、6人のおとなたちが、もう小さい頃からこれしちゃダメ、あれしちゃダメ、これしなさい、あれしなさいってうるさいの。それで、気がついてみたら、自分って何なんだろうって、わからなくなってしまっていて、どうしようって、もう泣きたくなった。そういう私たちにとって日本って、何だか救われる場所みたいに思えたんですよ。とにかくすぐに中国を離れることができて、それで中国人がいっぱいいて、みんな自分たちみたいな子がたくさんいるんだって思えると、もうすぐにでも行きたくなっちゃう。それに、大好きなアニメやキャラクターもいっぱいある。来てみてわかったんだけど、みんな、やっぱりあんまりはっきりしてないとか、自分って何のために生まれてきたのかとか、そういうことに悩んでいる感じ。日本に来て、やっぱりバイトとかがすごく勉強になる。ああ自分って、ここに生きてるって思えるんです。もう24歳ですよ。やっと自分を取り戻せたっていうのか、自分のことがわかったっていうのか、救われたっていう感じがするんです。」


 中国では若者たちの留学ブームが続いている。それは、ここ数年、若年化の傾向を強めながら、国内の大学進学者数の減少として騒がれている。2012年度の全国統一大学入試受験者数は約915万人、前年比18万人減、しかも受験者数は2008年の1050万人をピークに4年連続で減少(2009年に1020万人、2010年に957万人、2011年には933万人)している。しかも、受験資格のある高級中学(日本の高校)レベルの学校卒業者数と比較すると、この4年間で300万人が大学受験を放棄したことになるという[1]。大学受験者数の減少は少子化とのかかわりもあるが、それ以上に、受験放棄者の急増が社会の注目を集めている。2011年度の入試では、単純計算で大学進学率は72.3パーセントとなり、大学が狭き門の時代はすでに遠い過去の話となっている。

 受験放棄者の多くは学力不足で大学合格が見込まれないため、進学をあきらめて就職したのだと考えられてきたが、ここ数年、新たな動きが現れているようである。大学に進学せず留学する学生が増えているのである。たとえば、2010年の数字で、北京で受験放棄した者のうち21.1パーセントが留学を理由にしているという[2]。しかも従来、留学は国内の有名大学に進学した後、大学院で海外の有名大学に進学するいわゆるエリート学生か、学力はなくても財力があるため、国内の有名大学に進学できない学生が、親の力で国外の二流・三流大学に出て行くのが相場とされていた。しかし、最近の動向は、エリート学生が国内の大学に進学せず、直接海外の有名大学に進学する事例が多くなり、その上、年々若年化する傾向を強めているというのである。たとえば、エリート校の誉れ高い北京第四中学(中等学校)、第十一中学、北京師範大学附属実験中学などには、中等学校段階で留学するための「留学クラス」が開設され、大変な人気だという。北京第四中学の留学クラスはここ数年毎年30パーセントの勢いで定員拡大を繰り返している。この傾向は、中国の改革開放が加速した1990年代半ば以降に強まり、近年では高級中学だけでなく、初級中学(日本の中学校に相当)さらには小学校・幼稚園で海外とくに欧米に留学する子どもたちが出始めている。ある統計によれば、90年代の出国留学生の平均年齢は80年代に比べて約10歳低年齢化しており、出国留学生の約70パーセントが中等学校生だったという[3]


 「留学のエリート段階から平民化段階へ[4]」——2010年12月に公表されたある調査では、子どもを持つ親のうち86パーセントが子どもを将来留学させたいといい、そのうちの半数がアメリカ留学を希望しているという。その理由は、子どもによりよい教育条件を与えたいというもので、なかには幼稚園に上がる前から留学を計画している親もいたという[5]

 この留学ブームの背景には、中国のここ20年来の急激な経済発展による家計の富裕化がある。またリーマンショック後の先進諸国の経済停滞と相対的な物価下落は、中国の中堅層サラリーマン家庭にも子どもの留学を手の届くものとしたといわれる。筆者の研究室にも数名の中国人留学生がいるが、皆「八〇後」世代で、ほとんどの者はアルバイトをせず、親の銀行口座からカードで生活費を引き出して使っている。日本人学生よりも裕福だという感は否めない。

 ここにさらに留学先国の事情が彼らの留学を促す要因となっている。受入れ国の学校経営上の理由がそれである。日本をはじめとして先進諸国では少子化が進み、高等教育機関だけでなく中等教育機関も定員割れを起こす学校が多くなっており、それらが中国での学生募集を強化している実態がある。単なる学生募集だけではなく、中国の大学と合弁で新しい大学をつくり、優秀な学生を本国へ送り出すカリキュラムを売り物にしている大学や、また側聞するところによれば、独自の入試を課さず、中国の国家統一入試で優秀な得点を挙げた学生を優遇して留学させるヨーロッパの大学も出始めているという。

 さらに、各国で人材の獲得競争が激しくなっており、留学生を有望な労働力と見なす国々も増えている。たとえば、日本は1983年の中曽根政権下で「留学生受け入れ10万人計画」を提唱し、82年当時8116名であった留学生数を2000年までに10万にする政策を打ち出した。この計画は2003年に達成されるが、その目的は、友好促進・人材育成に加えて、相互の教育・研究水準の向上、国際理解・国際協調の精神の醸成・推進など、学術交流や国際交流における留学生受入れの利点が強調されるものであった。その後、2008年には福田康夫内閣が留学生受け入れ30万人計画を策定するが、その目的は、開かれた国の実現と優秀な人材の受入れとされることとなった。留学生を帰す政策から定着させる政策への転換である。こうした各国の留学生受け入れ政策の転換も、中国の若者の出国熱を煽ることとなったものと思われる。(つづく)


[1] 法制晩報、2012年6月7日付け

[2] 新京報の調査による。陳西金燕・劉詩萌・劇若翔「中国大陸低齢留学的現状分析與自費留学評估体系的建立」、『世界教育信息』、2011年1期。

[3] 同上論文。

[4] 同上。

[5] 同上。


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