【13-07】留学ブームの裏にあるもの—「八〇後」以降世代の声を聞く(その2)—

2013年 6月10日

牧野篤

牧野篤(Makino Atsushi):
東京大学大学院教育学研究科 教授
教育学博士(名古屋大学)

略歴

1960年 愛知県生まれ
名古屋大学教育学部・大学院教育学部研究科助教授、同大学院教育発達科学研究科助教授、教授などを経て、2007年より東京大学大学院教育学研究科教授。2013年、東京大学高齢社会総合研究機構副機構長兼任、現在に至る。 主な著書『中国近代教育の思想的展開と特質』(日本図書センター、1993年)、『認められたい欲望と過剰な自分語り−そして居合わせた他者・過去とともにある私へ−』(東京大学出版会、2011年)、『人が生きる社会と生涯学習—弱くある私たちが結びつくこと—』(大学教育出版、2012年)など。

 (その1より続き)その上、中国国内の要因も見逃せない。その最たるものは大学卒業者の就職難である。1990年代末からの高等教育拡大路線の影響(成果?)で、近年、毎年の大卒者は600万人ほどにふくれあがり、そのうちの20パーセントから25パーセントが就職できないといわれている。そのため、さらに上の学歴を求めて大学院進学者が急増し、オーバーエデュケーションが社会問題化していた。大学生自身の評価で46パーセントがオーバーエデュケーションつまり不必要な学歴を求めての進学だというのである 。[1]

 また就労できない「高学歴ワーキングプア」たちが北京や上海など大都市の郊外地区に集団で棲みついて、求職や起業活動などを行い、一つの共同体のような社会を築いている、つまり知的に高い蟻のような群生活をしているとして「蟻族」と呼ばれ、社会問題ともなっている 。[2]さらには、たとえば重慶市では2008年度には高級中学3年生2万人が大学に進学せず、出稼ぎ労働者として故郷を離れたという。大学に進学しても就職がないことで、大学を見限ったものとみられている 。[3]

 このような中国国内の事情も、若者たちの留学ブームを後押しするだけでなく、その若年化を促しているものと思われる。さらにそこには、親のメンツもかかわっていると、中国の知人や学生たちはいう。有名大学に進学できなかったり、就職できなかったりすると、親戚や近隣・同僚に顔向けができない。その点、留学しているといえば、メンツが立つ、しかも、子どもの留学を支える財力があることを誇示できる。子どもも留学して語学でも身につけてくれば、帰国後就職に有利かも知れない。こういう打算が働いているというのだ。こうした親の留学志向の高まりを、ブームに煽られた不見識だと批判する向きもある 。[4]


 しかし、留学ブームに乗っているのは、親のメンツで留学させられる子どもだけではなく、いわゆる国内の有名大学の上位合格者も同様なのである。そして、これらの留学ブームにかんする議論は、留学する当の若者たちの声を聞いているとはいえず、いわば彼らの周辺の議論をしているに過ぎないという面がある。

 筆者は日本教育学会の研究プロジェクトで、日本に留学している中国人学生に対するインタビューを重ねたことがある 。[5]そこで明らかとなったのは、有名大学留学者であろうと日本語学校就学者であろうと、多くの留学生に共通する一つの特徴があるということであった。ほとんどすべての留学生が「八〇後」さらには「九〇後」と呼ばれる一人っ子の新人類であり、その彼らの多くが、学業成績が優秀であろうがなかろうが、日本に「逃げて」きているという感覚を強く持っていることであった。

 彼らが「逃げて」きているのは、直接的には親からであり、親族からであるが、それはまた中国社会そのものからの退却という意味をも持っている。前稿冒頭のインタビュー記録はそのことの一端を物語っている。彼らはいう。

 「中国の生活から、日本に逃げて来たんです。逃げてきてよかったです。日本に来て一番感じたのは、頑張ればいずれ成功するということ。本当の自分を見つけました。ダラダラした毎日も嫌でしたから。最初は日本語学校に入って、一年間勉強して、それで専門学校に入りました。その後、いまの大学に入りました。生活は楽しいです。」

 「日本では裕福ではなくても、真面目に、勉強し、仕事をすると、尊敬を受けて、安定した生活ができます。これは私の価値観と合致しています。日本の社会的福祉、制度、法律などが健全で、天国のような感じがします。普通の人が、普通に頑張れば、誰でも無理なく食べていける。それも夢のようです。中国ではあり得ません。皆、自分だけがよければいいと思っている。日本社会にいると、なんていうのか、シルクでくるまれているような安心感があるんです。みんなはそれをまったりとかっていってますが、もう、逃れられないです。」

 中国から逃げてきて、日本から逃れられなくなる。彼らの多くは、中国で親や親戚から過干渉で、自我を持つことを阻害されてきたのだという。そして、思春期に入る頃、それにはたと気づくことで、自分とは何かを問い始める。社会は厳しい受験社会、また競争社会であり、そのなかで自分とは何かなどと問うていては、敗者になってしまう。しかし、彼らはそれを問わないではいられない。自分を自分として生きるために。


 インタビューを続けることで、まるで日本の若い世代を見ているような不可思議な感覚に襲われたことを覚えている。彼らは日本の若い世代と心性を共有して、今、私たちの隣にたたずんでいるのである。

 そして、この彼らは定着志向が強く、できれば将来、親を呼び寄せたいという。その上、日本には1978年以降全世界に散らばったといわれる100万人を超える中国人留学生の一部が、たとえば池袋などに、いわゆるニューカマー中国人街を形成している。そこでは日本語が使えなくても就職できる道があり、しかもインターネットの普及で、スカイプなどを通じて、本国ともごく普通に連絡を取り合い、日常生活を送れるインフラが整っている。下世話な話だが、知人の中国人コンサルタントの話では、池袋には、日本人や台湾からの旅行者向け以外に、当地の中国人向けの風俗産業までもがそろっているというのだ。

 中国人社会の世界的な拡大と改革開放以降の経済発展が生み出した豊かな都市中間層、そして国内の高学歴化と就職難、激しい競争、さらに受入れ国の少子化・人材獲得競争などの要因の狭間に、「八〇後」「九〇後」と呼ばれる一人っ子の若者たちが、自分を探し出そうと留学へとさまよい出ている姿が、見えてくる。小中学生や幼稚園で留学する子どもたちがそうだとはいわないが、高級中学卒で大学に進学せず、国外に出ようとしている若者たちは、自分が何者であるのかを探す焦燥感に囚われているのだといってもよい一面がある。そして、その彼らは皆、心優しい中国の新世代なのである。(おわり)


[1] 牧野篤「流動化する労働市場と成人教育—自己実現としての就労の萌芽—」諏訪哲郎・王智新・斉藤利彦編著『沸騰する中国の教育改革』、東方書店、2008年。

[2] 廉思著、関根謙監訳『蟻族—高学歴ワーキングプアたちの群れ』、勉誠出版、2010年。

[3] http://news.searchina.ne.jp/national.shtml (2009/04/06)

[4] 陳西金燕他、前掲論文。

[5] この成果の一部は、牧野篤「酒田短期大学、閉校す(二〇〇二年)—日中留学生交流秘史—」、園田茂人編『日中関係史1972-2012 Ⅲ社会・文化』、東京大学出版会、2012年、また日本教育学会特別課題研究「東アジアの教育—その歴史と現在—」委員会編『東アジアの教育—その歴史と現在—』(資料集)、2011年、および同委員会編『東アジアの教育—その歴史と現在—(最終報告書)』、2012年にまとめられている。


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