服部健治の追跡!中国動向
トップ  > コラム&リポート 服部健治の追跡!中国動向 >  【14-03】安倍総理の靖国神社参拝に想う(下)

【14-03】安倍総理の靖国神社参拝に想う(下)

2014年 6月13日

服部健治

服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授

略歴

1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職

(中)よりつづき

 安倍総理の靖国神社参拝に関する論考の継続だが、アメリカの考えにも触れておきたい。ご承知のとおり、安倍総理の参拝直後に米政府が初めて「失望」という表現を含めてコメントを表明し、その前には国務長官と国防長官が揃って千鳥ヶ淵墓苑を参拝している。明確に安倍政権に対する牽制である。柔らかい言葉でいうとサジェスチョンである。

 日本のナショナリズムが昂じて、A級戦犯の名誉回復、極東軍事裁判の否定、「大東亜戦争」の肯定まで世論が突き進んだとき、アメリカは黙っていない。アメリカも太平洋戦争で多くの犠牲者を出している。米国史での最大の悲劇は南北戦争であるが、米兵の太平洋戦線での死者はその南北戦争で戦死した北軍兵士を上回るといわれている。日本をアジアにおける最良の同盟国と思っているアメリカは、日本がアジア隣邦とうまく付き合えない能力に心配を抱き始めている。このことは今世紀に入ってから顕著である。

 米国にとって東アジアの最大の懸念事項は北朝鮮の核拡散防止であり、そのために中国、韓国、日本の協調体制を渇望している。そして2番目の憂慮すべき問題は中国の海洋進出である。中国は「新型大国関係」をアメリカにもちかけているが、東アジアをどのような状況に持っていきたいのか曖昧である判断をしている。本質は米国支配に代わる覇権と見抜いている。そのような緊張が強いられる時代に、日本が過去のことにこだわって何をしているのかと言い出した。

 2006年にコロンビア大学にいた時、ある討論会で私も質問した。当時は小泉総理の靖国参拝問題が話題に上っており、日本と戦った米国の在郷軍人会(Veterans)は日本に文句はないのかと尋ねた。靖国神社には、米国にとって敵将である東条が祀ってあり、そこに現職の政治リーダーが参るということには不満であるが、アメリカも戦争体験者が減ってきており、世論形成には弱いとの事であった。

 靖国神社参拝にまつわる歴史認識問題では、当時の連合国の一員を自負する中国は最大限にその立場を活用し、日本批判を強めている。米国、EUもこの点に関しては、中国の振舞いに坐視せざるをえない。中国の意図は、日本は歴史を反省しないと非難する中で、戦後の経済発展過程で日本がアジア諸国に与えた好意的評価にダメージを与え、総じて日本の地位を貶めようとすることにある。その意味でも、靖国問題は、鋭敏な外交問題であり、国益がかかっているのだといった緊張した認識が問われている。

 最後に3つの論点について述べておきたい。第一は日中戦争と太平洋戦争を区分する考えである。真珠湾攻撃後、当時の日本政府は2つの戦争を統合して「大東亜戦争」と呼称した。しかし、日本の識者の中には、日中戦争は侵略戦争であったが、太平洋戦争は植民地解放戦争であったと区分する論評もある。果たして詭弁ではないのか。

 確かに私にも次のような経験がある。1980年代初め、スリランカから来た年配の学者と食事をしながら話をしたことがある。彼がなぜ日本に興味を抱き、日本留学を決意するようになったか。彼がまだ7~8歳のある日、上空に今まで見たことがない戦闘機が多数飛来し、英国の軍艦、基地を爆撃した。これまで偉そうにふるまっていたイギリス人が恐れをなして逃げ惑う哀れな光景を目のあたりにして、白人は肌の色が黒いセイロン人(以前はセイロンと呼称した)の上位にいる優秀民族であり、自分たちは下等人種だと卑下していた劣等感が、いっぺんに解消するのを感じたという。白人をやっつける民族がいると。どこの国の飛行機か。これまで聞いたことがない国、日本だという。彼にとってそれが初めて日本という国を知り、初めてみる日本の戦闘機だった。そして少年の彼は日本に興味を抱き、先々日本へ行って勉強しようと決意するのである。

 あとで調べてみると、昭和17年春に真珠湾攻撃のあと南雲艦隊(空母5隻)はインド洋ベンガル湾に進出、4月5日から9日かけてセイロンの軍港トリンコマリー、首都コロンボを爆撃し、英空母ハーミズ、重巡2隻はじめ多数の艦船を撃沈させている。

 また、インド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボース指揮下の自由インド国民軍4万の将兵も、日本軍とともに「進め!デリーへ」の合言葉のもとにインパール作戦を戦った。日本の敗戦後、自由インド国民軍にはせ参じた将兵は、英軍の捕虜になり軍法会議にかけられるが、インド国民の暴動をまじえた巨大な反対運動に直面してイギリスは全兵士を解放せざるを得なくなった。彼ら将兵たちは英雄とみなされるまでに至った。

 ミャンマーのアウンサン・スーチー女史の父であるアウンサンも日本軍とともにビルマ進攻で軍功を立て、インドネシアのスカルノ、ハッタも日本軍に協力した。

 事実として「大東亜戦争」に植民地解放の様相はあった。だが、そのことだけを強調することは「大東亜戦争」のもつ本質を曖昧にすることになる。太平洋戦争は日中戦争の延長上にあり、泥沼化した戦局を打開せんがために東南アジアに戦線を拡大したのである。欧米列強の植民地解放はその副産物であり、本質はやはり侵略戦争である。

 第2の問題は、侵略戦争だから“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”の流儀で戦時中のすべての事象を否定的に見る観点である。私はこの観点に組みできない。まず個々の戦闘において勇敢に戦った日本の兵士に対する哀悼の念は強い。個々の作戦、戦闘という「戦記」は史実として歴史の記憶に留めておく必要がある。つまり古今東西の歴史にあって幾多の有名な「戦記」「会戦」「戦い」はあった。それと同じ意味で、「戦記」として後世に残る戦いは率直に認めたい。いくつか挙げると、コタバルからジョホール水道までマレー半島を一気に南下した銀輪部隊の戦い、シンガポールのブキテマ高地の戦闘、シンガポール陥落をもって大英帝国は史上二度とアジアにその栄光をかざすことはなかった。そして最大の推奨は、サイゴンの陸軍隼航空隊と海軍潜水艦隊の連携で英国東洋艦隊の旗艦、巨大戦艦プリンス・オブ・ウェールズと僚艦レパルスをマレー沖で瞬時に壊滅させた航空作戦である。チャーチルはアジアにおける大英帝国のたそがれを感じ愕然としたという。

 そしてまた、戦前の日本が築き上げた軍事技術能力の高さを軽んじるつもりはない。大艦巨砲主義と揶揄されているが、戦艦大和、武蔵の造船能力。世界に冠たる航空機、軽くて速くて、小回りがきき持続距離が長く、速射力が高く燃料の消耗が低いゼロ式戦闘機。さらに主翼折りたたみ式戦闘機を3機も内蔵できパナマ運河爆撃に向かおうとしたイ号400潜水艦、アメリカ人はそれを見て“Marvelous”を連発したとのこと。これらの技術は戦後の日本の経済成長を支えた原点である。新幹線、自動車、造船、家電、精密機械、工作機械等々。戦艦大和とゼロ戦は日本人の誇りである。70年も80年も前に日本はこんなすばらしい技術と設備、技術者と職工を持っていた。

 第3に歴史認識問題の基底にある日中両国民の意識を考察してみたい。日中両国の間には日中戦争、太平洋戦争をめぐって「被害者と加害者」、「勝者と敗者」の2つの関係がある。両国民はその関係のもとで互いに相手の国民に対して感慨を抱いている。中国人民は、「勝者」の意識は希薄で、むしろ「被害者」の意識、感情が強い。今でもその気持ちは持続している。だからこそ「加害者」のトップが祀ってある靖国神社への参拝は、感情として許さないわけある。中国共産党はその国民感情に敏感であり、40数年前の日中国交正常化の時は、周恩来自らが国民を説得し慰撫したと言われている。江沢民時代からはその国民感情を逆に刺激して「愛国教育」を推進し、さらに「勝者」の意識を高ぶらせるために共産党軍の英雄的な戦いを宣伝する、いわゆるTVの「抗日番組」が増加してきた。

 ひるがえって日本は「加害者」の意識も「敗者」の意識も希薄である。戦後教育の影響かもしれないが、悲惨な戦争体験が強調され、反戦意識は根付いたものの、「加害者」の意識が直視されなかった。さらに多くの日本人には太平洋戦争はアメリカに負けたが、中国、ソ連、イギリスなどには負けていない、特に中国には負けていないという観念が強く持続した。ましてや戦争の相手は蒋介石の国民党軍であり、現政権の共産党とは負けていないという感覚も強い。そこに中国のいら立ちが生まれる理由がある。

 いま大事なのは、「勝者と敗者」の関係よりも、むしろ「被害者と加害者」の関係を直視し、宣伝することが重要であると思える。その意味で中国人の被害者感情を逆なでする行動、行為には抑止が必要である。靖国参拝はその最大の逆なで行為であり、中国共産党は権力維持のためにそのことを喧伝する。

 結論として中国、韓国、そしてアジアを重視し、また、米国との関係も強化する上からも、総理の靖国参拝は中止し、外交的比較優位を確保し、精神的桎梏を解消すべきである。そして台頭する日中双方のナショナリズムを拡散させ、日本のよさをアピールすべきである。そのためには戦場でなくなった日本軍の兵士、空襲で死んだ市民、日本軍として戦い死んだ韓国、台湾の元兵士、軍属を哀悼する巨大モニュメントの建立を提案したい。そこには天皇・皇后両陛下も参拝できるようにしてもらいたい。同時にあとひとつ、日本の侵略で亡くなった中国人民はじめアジアの人々、そして連合国軍の兵士を悼む外国人のモニュメントも建立すべきである。

 靖国神社は趣味の人だけに任せるべきだ。夜郎自大、我田引水、唯我独尊、誇大妄想、頑迷固陋、時代錯誤の神社は歴史的使命が終わっている。靖国神社が戦没者と刑死者の区別を行い、「大東亜戦争」の侵略性を直視し、天皇陛下はもとよりだれでも参拝できる神社に脱皮することを切望する。多くの外国人が明治神宮に毎年初詣にでかけるように、靖国神社も中国、韓国の人々が気軽に観光できるように進化すべきである。靖国神社の桜はそれを望んでいるように思える。