【09-003】大と小の間

周少丹 (早稲田大学大学院社会科学研究科)   2009年3月5日

 日本との縁について話すには高校時代まで遡らなければならない。そのころは毎月、節約してためた10数元のお金でカセットテープを買ったものだ。当時はまだインターネットがなくて、入っているのがどんな曲なのかは買ってみなければ分からず、カセットを買うことはリスクを伴う投資のようだった。だから買う前にはいつも時間をかけて情報を集めなければならなかった。日本についての私の最初の理解は、カセットにあった『東京ラブストーリー』の主題歌を歌う小田和正から始まった。

 縁とは不思議なもので、大学受験で私はひょんなことから外国語学院に入り、日本語専攻になった。それ以降、日本語の学習を通じて日本についての体系的な理解が得られるようになった。7年はあっという間に過ぎ去り、修士課程修了後は日本語で食べていくことが最終目的ではないと思うようになった。そこで日本の先生と連絡をとり、東京でさらに社会情報学を学ぶことにした。これはメディアを通じて社会現象を研究する新しい分野で、しばらくして私は、研究対象をメディア産業の中の人と人との関係におくことにした。このように、私の日本に対する理解も研究を進めるにつれて一歩ずつ深まっていった。

本を読むだけの大学時代

 大連外国語学院に入ったのも運だろう。この学院は周恩来総理の指導の下、とくに日中交流のための人材を育成する目的で1964年に設立されたもので、外国語の実際の運用能力を重視した大学だ。ここでは言葉を学ぶというよりは、日本に関するあらゆる事柄を学ぶと言った方がよい。日本の歴史、地理から経済、日本の飲食、風俗から建築様式、それにさまざまな礼儀、服装から文学に至るまで学ぶ。これらテキストの知識を全部まとめたら、各方面から導き出せる結論はひとつ――日本という単一民族国家は、その単一性のために団結し、またその単一性のために繊細で内向的になったという点だ。

 文学研究の先生方は、日本人は微細な点から入ることが好きで、詩歌の表現からもそれがはっきり見出せるという。一方中国の詩人にとって詩は、白居易のいう「文章は時に合いて著し、歌や詩は事に合いて作す」ものでなければならない。全ての詩は一人の一事だけを描写するものではなく、それにはさらに大きな背景がある。日本近代文学の形式のひとつに俳句というものがある。その長さはわずか17音しかない。俳壇で最も有名な俳人は松尾芭蕉を置いてほかにない。中国にも日本古典文学を研究する学者は多く、芭蕉の俳句と中国の古代詩とがよく比較される。例えば誰もが知っている松尾芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」。2000年ころに対外経済貿易大学が発行した『日本語学習と研究(日语学习与研究)』にはこの句の境地をとくに分析した文章があり、文中これに対応する中国の古い詩が紹介されている。この俳句は、動によって静が際立っている情景を表現している。大意は、蛙が人気のない古池に飛び込んだ、その単純で当たり前なぽちゃんという音が天地に響いた、というものだ。この学者はその手法を非常に高く評価し、これは「蝉噪がしくして林逾いよ静かに 鳥鳴いて山更に幽なり」と肩を並べるもので、そこに描かれた境地には陳子昴の「幽州の台に登る歌」に異曲同工の点があると述べている。確かにそう言われれば、小さな蛙が軽く飛び跳ね、そのとき知らずと出た音には、「前に古人を見ず 後に来者を見ず 天地の悠々たるを念い 独り愴然として涕下る」のような空しさとうら寂しさがあるようにも思える。

 大学時代はこのように、多くの本を読んだとはいえないものの、日本の社会・科学・文化についての論述を通じて、日本についてのある体系的な理解得ることができた。ときには本で読んだとおりにその内容を人に言って聞かせたりもしている。

初めての日本

 2005年9月30日、飛行機は雨の中、重なる雲を突きぬけて1万メートルの上空へ飛び立った。気のせいか、それともその日の雲がいく重にも重なっていたせいか、飛行機が上昇し続ける間漠然とした考えが頭から離れなかった。「ひょっとしてこれが古人の言った九重天だろうか。」

 3時間の飛行を終え、飛行機は時間どおり着陸した。大連にいたころも日本人との付き合いは長かったとはいえ、日本についての知識はやはり「紙に書いてあったもの」や「伝え聞いたもの」がほとんどだった。なので、飛行機を降りてすぐに起きた2つのできごとは私にとってとくに目新しく感じられ、いまだに記憶に新しい。

 まず一つ目は、日本人の礼儀である。それは私が飛行機を降りて、ターミナルと駐機場の間の旅客送迎をするシャトルに乗ったときのことだ。すべての注意を周りの欧米人やきれいな日本の客室乗務員の姿に注いでいるうちに、シャトルはいつの間にか静かに駅に到着していた。目の前のドアが突然開いたそのとき、私は無意識に足を踏み出した。それと同時に、同じ駅で降りるためドアの前に立っていた日本人客室乗務員も、一歩前に出た。シャトルのドアは特に大きいというわけではないけれど、二人が同時に通ることはできた。しかしどういうわけかその客室乗務員はすぐに足を引っ込めてもどった。私はとくに多くを考えず、ドアを出ると荷物を引っぱってまっすぐに歩みを進めた。しばらくすると、おそらく空港の屋内設計と行き過ぎる人たちに注意を奪われたせいだろう、知らず知らずに歩調をゆるめていた。そのときどこからかタッタッタッというハイヒールの音が聞こえてきて、さきほどの客室乗務員が荷物を引きながら私のそばを歩いて行こうとした。彼女は振り返って私を見ると、それはまるで私の意表をつくことだったが即座に足を止め、荷物を手放して私の目の前に立ち、「先ほどは失礼いたしました。」と深々と頭を下げた。そのときの全てが突然すぎて、すぐには訳が分からず、どう答えたらいいか分からなかった。 日本は礼儀の国の名に恥じない。日常生活の中で、他人を邪魔することをしていないかということを一番気にしている。だから街なかでいちばんよく聞かれる言葉は、「すみません」である。誰かの足を踏んでしまったときは言うまでもなく、人を追い越して先を歩くときにさえ、申し訳ない気持ちをあらわす。その後の3年間、私は些細な理由で口げんかしている人を町で見たことはなかったし、ましてや殴り合う場面などに出くわすことは一度もなかった。そのほかに、日本が礼儀の国だというのは、日本人が出張や旅行に行くと、必ずかわいらしいおみやげを買って帰ってきては同僚や友達に贈ることからもわかる。

図1

 2つ目の目新しさは、さまざまな禁止事項や警告がいたるところに見受けられることだった。飛行機を降りてすぐ、空港の税関窓口の前には人目を引くこんな表示板がある――「取締り強化中」。ここでとたんに気持ちが引き締まる。そして電車に乗って住まいへ向かうと、電車の窓に「通話は禁止されています。優先席付近では携帯電話の電源をお切りください。」と大きな字で書いてあるのを目にする。日本は携帯電話の普及率が最も高く、携帯電話の通信網が最も発達した国だ。それなのにこの国では、携帯電話の地位は少し低いようだ。会社では携帯電話で私用電話を受けている人をほとんど見ない。あるとき自分の名刺ホルダーを整理していたときふと気づいたのだが、日本では外回りの営業担当者以外は、誰も自分の携帯番号を名刺にのせたりしない。しかし中国で生活している日本人は、中国人と同じように携帯番号を名刺の目立つ位置にのせている。そのときから私は、日本人にとって携帯電話とは一体何なのかを意識するようになった。日本では携帯電話は全くプライベートな通信ツールで、携帯での通話は私的な連絡に限られている。だから会社では自分の携帯電話を使って話している人をほとんど見ないのだ。 

 いくつかの公共スペースでは、私的な行為が禁止される。例えば中国の場合、図書館内での携帯電話の使用はできないが、廊下やトイレなどの人に影響を与えないような場所に行けば少しは許される。しかし日本では、公共スペースはあくまでも公共スペースであり、私的スペースは私的スペースである。グレーゾーンはほとんどなく、たとえ人に迷惑をかけない場所であっても携帯電話の使用は明文で禁止されている。街なかでバドミントン、縄跳び、サッカー練習、ヤンコ踊り(秧歌)、太極拳をするなどといったことも、明文規定がないとはいえ、誰もがよく分かっている禁止事項である。

 日本では、規範の力がはっきりと目にはできないものの、それが人を強く深く制限している。誰もそれに触れることはできず、まして反することなどできようもない。

図2

やはり電車内での携帯電話使用の例を挙げてみよう。「車内での通話は禁止されています。優先席付近では携帯電話の電源をお切りください。」なぜ通話が禁止されているのかについて、ここで得られる回答は、「車内での通話はほかのお客様のご迷惑になる」からである。優先座席付近で携帯電話の電源を切らなければいけない理由は、「携帯電話の電波が妊娠中のお客様の赤ちゃんや心臓ペースメーカーをつけているお客様に影響がある」からである。ほかの客の迷惑になるという説明は曖昧すぎると言っていいだろうし、胎児と心臓病の患者に影響を与えるのは、まさかその数平米の優先区域内の携帯電話だけではないだろう。その他の座席にはしきりとメッセージを打つ大群がいるが、彼らの携帯の電波が優先区域を避けるようにできるのだろうか。ときどき理屈に合わないと思えるルールもある。しかしルールはルールだ。試しに電車の中で電話をかけてみると分かる。そんなルールを忠実に守っている人たちの視線は、あなたの勇気を一瞬にして消し去りその行為を諦めさせるには十分だから。

 日本の規範を利用すれば日本ならではのサービスモデルを開発することができる。例えば、日本の3大移動通信業者のひとつソフトバンクは、2006年に「ホワイトプラン」という料金体系サービスを始めた。申し込めば深夜1時から21時の間は無料通話ができ、逆に21時から深夜1時の間は毎分40円という高額の通話費用がかかるというものである。この料金体系は、名目上は毎日20時間の無料通話サービスを提供するもので、これによって他の業者の利用者をソフトバンクへ引き込んでいる。しかし実際には、高齢層は携帯電話そのものにあまり関心がなく、若年層は毎日仕事に忙しい上に、勤務時間中に携帯電話を使うことはほとんど不可能だ。さらに日本の会社といえば残業で有名で、仕事を終えて帰るころにはソフトバンクの無料時間帯はとっくに過ぎている。つまり、この業者は利用者を引きこむことができ、また無料サービスによって日中の通信混雑を招くこともなく、その上通信収入を確保することができて、まさしく一石三鳥なのである。ここには規範の力が存分に生かされている。

 こうした規範の枠の中で過ごす期間が長くなると、発想もゆっくりと型にはまっていく。これは海外市場の開拓には不利だ。2006年前後には、日本の高性能の高級携帯電話は中国では冷遇され、世界市場でのシェアを減少させた。ソニー・エリクソンが国際市場で今も奮戦している以外には、NEC、松下などのメーカーは次々と国際市場から撤退している。その原因の一つは携帯電話の使用習慣にある。日本では、携帯電話は個人的な用事を連絡するためのプライベートな通信ツールとして位置づけられている。また日本人のこまかいことへのこだわりから、まるで個人の「宝の箱」のようになっている。撮影機能を使って興味がある情報や広告を記録し、携帯でスケジュールを管理し、込み入った都会の町なかではGPSと地図代わりにし、電車の中ではインターネット機能を使ってブログを書いたりホテルの予約をするというように。しかし中国やそれ以外の多くの国では、高速移動通信網が整備されていないため、携帯電話はつまり無線電話にほかならない。中国国内の市・県の局長たちによる携帯電話での通話はほとんどが業務の用事で、一般市民が携帯電話を使うのは、人に連絡するのが便利だったり、人が自分を探すのに便利だからだ。携帯電話の電池が切れたときに、友達の携帯電話を借りて電話をするという光景は中国ではよく見られる。だから中国人は、電波が強くて十分な待機時間と通話時間を保証できるヨーロッパの携帯電話の方が好きなのである。

人間関係から見た中国と日本の違い

 日本に行って以降、その発達したインターネットと移動メディアが私にはとても新鮮に感じられた。そこで私は、言語から人と人との関係を考えることから、日中の人と人との関係に見られる新たな特徴と変化を、メディアとメディア言語を通じて考えることに、自分の研究対象を絞った。

 現在、人と人との関係を研究するためのネットワーク分析(network analysis)という手法がある。簡単に言えば、ネットワーク内の個体と個体との関係を、数学的計算によって分析し、個々の点のネットワーク全体における役割の重要さを説明するものである。

図3

 東京大学の七丈直弘先生は、この方法により映画制作スタッフのデータベースを通じて、日中両国の映画業界内のプロデューサー、監督、脚本家、カメラマンの間の人間関係網を視覚的に示した。図の中の点はそれぞれ上述の特定の人物を示しており、2つの点を結ぶ線は2人が知り合いであるか接触があったことを示している。面識のある人どうしを全て直線で結ぶと、上のようなイメージ図になる。これは映画界の人間関係イメージ図であり、日本社会と中国社会の人と人との関係についての一つの縮図でもある。直観から言えば、日本は一つの閉じた社会で、中国は開放した社会である。日本では、同一体系内部での交流は比較的広汎であり、この広汎な情報交流によってメンバー間の共感を強化することができる。個体の知識や経験がすばやく全体のものとなり、全てのメンバーが認めるものとなる。それによってこの体系はさらに歩みを統一し、集団の優位性を発揮しやすくなる。日本の明治維新と第二次大戦後という2度の急速な発展は、こうした集団的基礎に基づくものである。一方中国のこうした人間関係にははっきりとした階級区分が存在する。末端や周辺に分布する人は、一つ上に位置する人を通じてしか体系内のほかの人とつながることはできない。こうした系統においては、同階級どうしの間に熾烈な競争関係が存在し、上級者は下級者に対して絶対的な制約関係にある。こうした条件の下で個人の経験と知識を人と共有することは、自分を競争の中で不利な位置につけてしまうことであり、集団の統一的な力よりも、競争面での個人の活発さがさらに発揮される。過去、一律待遇による効率悪化の背景のなか、中国が世帯(戸別)生産請負責任を個体の積極性にシフトさせ、経済の迅速な発展を促進したことは、その一つの証左である。

 個人の能力にだけ頼って複雑な環境と社会の中で生存していくことは困難だ。これは他人とつながって人間関係網を作ろうとする基本的な動機でもある。具体的に言えば、他人とつながるのは既存の資源をよりよく守り、新たな資源を得るためである。アメリカの著名な社会学者林南教授の指摘によれば、人は、同じ社会集団に属している人や階級制度組織上の位置が類似している人の、心理的サポートと物質的サポートを比較的容易に受けることができ、これが共同資源の保護にも役立つ。反面、自分と同じか似た属性の人たちとだけしか付き合わない場合、接触する新しい資源の種類があまり多くならない。自分と異なる属性の人と付き合うことで、全く新しい機会や収穫がもたらされることは多い。言い換えれば、異質な集団の中ではより容易に新しい資源を得ることができる。さらに考えてみると、中国は56の民族からなる社会であり、地域間の差異も大きい。「開拓創成、継続進取」は中国でよく見られるスローガンだ。日本は島国であり、単一民族で、地域間の差異は小さい。「生活を守る、日本社会を守る」といったスローガンの方が多い。これもその原因があり道理があることである。

 既存の資源を守るためには、ネットワーク内の個体間の関係をつなぐことと行動基準を統一することが最も重要な任務となる。だから毎年元旦に国中で年賀状を送りあうという現象も理解に難くない。人に対して礼儀正しくすることによって相互の連携を維持する、そしてあちこちで見られる注意事項によって行動基準を統一する。これらは私たち外国人から見ればやはり新鮮なことではあるが、日本人からすれば当たり前のことになっている。日本と比べると、中国では人は近い人と遠い人に分けられ、家族が第一だ。近いものは隙間もないほど近く、遠いものは単なる通行人と同じである。それは、こうした競争が激しい社会では何らかの資源や関係を保ち続けることが非常に困難なために、かえって攻めによって守りを固める、つまり常に開拓を続けて地位を守るほうがよいからである。

 したがって、大は国の統治から小は事物の処理まで、多くの面で中国人と日本人は行動様式が全く異なる。この言い方は大げさかも知れないが、議論の余地がない現実でもある。100年以上前の「公車上書」は、「明治維新」の強国化路線に習おうとしたものだが、その愛国の士たちは、日本が単一民族国家だということを見逃していた。しかも明治政府はその強硬な立場によって、政治的決定をしてそれをすばやく理想的な形で徹底実行することが容易だったのである。しかし当時の中国では、各利益集団に権利が集中していて政策決定が難しく、たとえ決定がされても徹底実施は困難だった。こうしてみると、両国はこんなにも違うのに交流する必要があるのか、交流は可能なのかという問題が浮かぶ。回答はイエスである。中国と日本の違いは全体的な差異であって、さまざまな階層ごとに見れば実に多くの共通点がある。こうした共通点を利用して交流を促進し理解を強めていくことができる。現在、私たちは日本の先進的経験を理解し学習しなければならないとよく言う。しかしその先進的経験を手にしたときに、それが中国の複雑な環境に適用できるのかといったことを私たちはまず考える必要がある。なんといっても、私たちは異なる尺度の上で行動していて、行動には大小の区別が必要なのだから。

 ここで私は芭蕉のあの俳句をまた思い出す。陳子昴の「幽州の台に登る歌」からこれを理解するのは適切なのだろうか。芭蕉は天地に響く音に思いを馳せたりなどしていないのかもしれない。ただ単純にそこで音を味わい楽しんだだけなのかもしれない。「蝉噪がしくして林逾いよ静かに 鳥鳴いて山更に幽なり」でも、「両箇の黄鸝翠柳に鳴き 一行の白鷺青天に上る」でもよい。中国人が何かをし、詩を書くときそれはどれも味わい深いものばかりだ。しかし詩をなし文をなすとき、その場に止まっているだけでは味わいは失われてしまう。だから作者たちは後ろに「此の地帰念を動かし 長年倦遊を悲しむ」や「窓には含む西嶺千秋の雪 門には泊す東呉万里の船」と続けるときに、「此の地」、「長年」、「千秋」、「万里」といった文字によって自分をさらに大きな空間と時間の尺度の中において思考したのだ。日中友好の架け橋になることは、日本の詩を読むことと同じだ。味わいを噛みしめるという日本の純粋な心を理解するとともに、さらに大きな思考の尺度を持たなければならない。私たちは大と小の間に存在しているのだから。


PROFILE

周少丹

周少丹(Zhou Shaodan):

中国遼寧省生まれ。
1998.9 - 2002.7 大連外国語学院日本語学院 学士
2002.9 - 2005.7 大連外国語学院 修士
2005.10 - 2007.4 東京大学大学院学際情報学府 研究生
2007.4 現在  早稲田大学大学院社会科学研究科


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