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【11-06】15年ぶりのハルピン

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2011年 7月14日

 15年前、名古屋での留学を終え、銀行系のシンクタンクに入り、最初に行った調査は中国の金融制度改革の進捗に関するものであり、中国での現地調査で最初に訪れたのはハルピンであった。真夏にハルピン空港を降り立って、空港と市内を結ぶ道路の両側は白樺の街路樹がまっすぐに聳え立っていた。北国の人々は真夏の暑さに弱く、道路両側の街路樹の木陰の路上で昼寝していた。タクシーの運転手は慎重に道路の真ん中を走るしかなかった。

 今から振り返れば、当時のことがもっとも印象深く残っているのは、レストランに行って食事したとき、そのお皿のサイズだった。北京の研究者と二人でレストランに入ったが、料理4品、スープとご飯を注文したが、出てきた皿をみて絶句だった。一皿の料理の量は軽く4人前あった。4品の料理を注文したが、出てきたのは16人前の料理という計算だった。スープは中ぐらいの洗面器に入っていた。ご飯は富士山のような山盛りであり、10人前あったはずだ。

◆ロシア文明のロマン

 中国で、ハルピンといえば、「老毛子」(ロシア人)の影響を強く受けた辺境都市という印象が強い。事実として、ハルピンの北を流れる松花江に通じる「中央大街」(中央大通り)はロシア占領時代の石畳みのもので、目をつぶれば、トルストイが馬車に乗って走ってくるのではないかと錯覚までする。

 レストランで食事のときのことを思い出したが、ビールを注文したら、大きなジョッキしかなく、みんなが豪快にビールで乾杯し、途中で現地の人々は突然立ち上がり、ロシア風のダンスが始まった。

 15年前のロシアはソ連邦が崩壊した直後で経済は難しい状況にあった。当時の中ソ国境貿易はもっぱらロシア商人と中国商人が中国で洋服などを買い占め、ロシアで販売していた。中央大通り両側の古いロシア風建物は両国関係と歴史を証明するように聳え立っていた。しかし、冷戦終結後のロシアはそのなかになかった。

 今回の出張で15年ぶりハルピンに行き、びっくりしたのは中央大通りの両側の建物はきれいになったことだ。同行のハルピン工業大学の教授に尋ねてみたら、中央大通りの両側の建物がきれいなのは古いものを全部取り壊し、古いものを真似して復元した新しい建物といわれた。何ともいえない気持ちになった。幸いなことに、中央大通りの石畳みの道は昔のままである。

 ハルピンの街中を歩いてみると、一つ大きな変化があったことに気が付いた。それはハルピンの主要な商業施設や商店街のあちらこちらに「俄羅斯(ロシア)商品店」がたくさん見受けられる。中に入ってみると、軍用の双眼鏡などがたくさん陳列されているほか、ロシア製のチョコレートや魚の缶詰も販売されている。ロシアは中国から商品を輸入するだけでなく、中国に食品などを輸出する力が徐々に出てきたのである。

◆経済発展と多元化文化の復活

 ハルピンは多民族の大都市である。しかし、住民の8割は山東省から移民してきた者である。通りに、ハルピンの住民の多くは体格的に山東省の住民とよく似ており、背が高くて、性格も実直的である。残りの2割の住民は少数民族であるが、その多くは満州族やモンゴル族である。あとは、ロシア人との混血やユダヤ人との混血も少なくない。

 戦争のとき、ヨーロッパから逃れたユダヤ人は多数ハルピンに辿り着いた。今でも、毎年イスラエルから墓参りに来るミッションが多いといわれている。

 これまで、ハルピン経済の発展が遅れ、財力が不十分だったため、これらの少数民族の文化は十分に保護されていなかった。ここ10年来、ハルピン経済は急速に発展し、同時に、ロシアとの領土問題も概ね解決したこともあり、平和と繁栄のなかで少数民族の文化も急速に復活するようになった。

 今回のハルピン出張で現地の研究者に満州族の料理屋に連れて行かれた。満州族の料理といえば、もっとも有名なのは満漢全席がある。しかし、ハルピンの満州料理は皇族が食べる料理ではなく、かつて満州族のミドルクラスが食べていた料理といわれている。満州族は狩猟民族だったため、その料理も基本は牛や羊および豚がほとんどだった。

 しかし、驚いたのはその満州料理屋の家具などはほとんど昔のものである。建国後の度重なる政治運動にもかかわらず、これらの古い家具や写真はどのようにして保存されてきたのか、不思議である。また、店の店員は若い娘たちだが、その言葉も漢語(標準語)ではなく、満州語なまりの中国語ようだった。

 一般的に、経済発展とともに、少数民族のアイデンティティは徐々に薄れていくといわれているが、ハルピンでは、満州族は経済発展の波のなかで自らのアイデンティティを守り、漢民族と上手に共存を図っている。

◆極東の中心を目指すハルピンのさらなる経済発展

 地理的にハルピンは中国の最北端に位置する大都市であり、極東の経済発展の中心を目指している。ハルピン経済の発展はその産業基盤と密接に関係している。ハルピンの産業基盤の生成は戦前日本から受け継いだものに加え、戦後、旧ソ連からの経済援助を受けて、重工業の技術を受け継いだ。

 今日、ハルピンの産業といえば、重電を中心とする重工業が柱になっている。ハルピン電機は中国の三大電機メーカーの一つであり、三峡ダムに水力発電機を納めるなどの実績がある。もともと、中国の重電の技術基盤は「改革・開放」政策以降、日本やアメリカの重電メーカーやエンジニアリング・プラントメーカーからの技術供与を受けて成長してきたものである。近年、中国メーカーは従来の技術をもとに研究・開発を重ね、技術レベルは飛躍的に進歩している。

 ハルピンで重電が飛躍的に発展している背景に、豊富な理科系の人材を育成する大学がある。それはハルピン工業大学を中心とする中国屈指の理科系大学の存在である。たとえば、ハルピン工業大学は大学院生を含めれば、4万人以上の在校生を抱え、その卒業生のほとんどは地元の重電メーカーに就職するといわれている。

 15年ぶりのハルピン訪問の印象といえば、都市基盤のインフラ整備は大きく躍進し、人々の生活も明らかによくなっている。問題は、一歩市の中心部を離れると、昔ながらの街並みが見受けられ、経済発展が遅れている地域である。ハルピンは大都市の一つだが、中国そのものの縮図のようなものである。持続的な経済発展を目指すには、貧困層のボトムアップが必要不可欠である。