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【09-007】世界一流大学~中国人の世紀の夢~

2009年6月19日

劉宝存

劉宝存:
北京師範大学比較教育研究センター 国際・比較教育研究院長

1964年生まれ。中国共産党員。北京師範大学国際・比較教育研究院院長。教育部人文・社会科学重点研究拠点である北京師範大学比較教育研究センター長。教育学博士、教授、博士課程担当教員。2007年に教育部の新世紀における優秀人材支援計画に入選。

比較教育学と高等教育研究を専攻。「地域における高等教育の構造調整と高等教育機関の役割設定に関する比較研究」、「世界一流大学の形成過程およびメカニズムに関する国際比較研究」、「創造型国家の建設における中国の高等教育の地位と作用」、「国家直属の高等教育機関と市所属の高等教育機関による資源共有に関する研究」、「研究型大学における学科間連携に関する比較研究」といった国家レベルや省・部レベルの科学研究を主宰。Chinese Education and Society、『比較教育研究』、『外国教育研究』、『学位・大学院生教育』、『中国高等教育』といった雑誌において100以上の学術論文を発表。『大学理念に関する伝統と変革』、『世界一流大学の形成と発展』、『国際的視野で見る大学の革新教育』、『中国における教育改革の30年:高等教育編』、『現代における高等教育原理』などの著書を多数出版。

 1998年5月4日、江沢民は北京大学創立100周年記念大会において「近代化を実現するため、中国は世界先端水準の一流大学を有しなければならない」と宣言した。1998年12月24日、教育部は『21世紀に向けた教育振興行動計画』を正式に発表し、「世界先端水準の一流大学および一流学科をつくり上げる」ことを提起した。その後、世界一流大学をつくり上げることが、中国の高等教育改革の課題となるとともに、有名な高等教育機関の努力目標にもなった。新中国成立後の重点大学整備から、20世紀90年代の「211プロジェクト」および「985プロジェクト」の実施を通じ、世界一流の高等教育機関をつくり上げるという夢は国内にくまなく浸透した。

1. 新中国成立から改革開放初期における中国の重点大学整備

 新中国成立後、中国の高等教育は新しい1ページを開き、新たな歴史的時期に入った。だが、中国の高等教育はかなり多くの困難に直面した。それらは、(1)高等教育機関全体の規模が小さく、新中国成立当初では全国の高等教育機関は205校、うち公立大学124校、私立大学81校であった。(2)高等教育の地域的発展が極めてアンバランスで、全国の高等教育機関は華東地区が最多で73校、西南地区は42校であった。(3)学科設置が繁雑で、学科の構成が合理的でなかった。(4)教師の数が不足し、教育機関設立条件が悪く、教育水準が玉石混交である、などの問題があった。新中国成立後、中国の社会主義建設事業を進めるにつれ、旧ソ連に全面的に学んで政策を決め、重工業を優先的に成長させることにしたが、関連産業に必要な技術面の人材が非常に不足していた。この問題を解決するため、急速に一群の重点大学を整備し、人材の育成を加速したが、これは中国社会経済の発展にとって極めて意義があった。中国の重点大学は、新中国成立以前から存在していた高等教育機関を基礎とし、旧ソ連の経験を全面的に学び、大国への経済成長戦略と高等教育の回復・成長戦略を背景として徐々に成長してきた。

(1) 20世紀50年代における中国の重点大学の整備

 1951年から1953年にかけてのの学部・学科整備を経て、1954年、中国の高等教育は旧ソ連的特色を持つ高等教育機関運営モデルをほぼ確立した。これは中国の高等教育がほぼ旧ソ連に対する全面的学習段階に入ったことも意味している。高等教育機関の管理経験をさらに模索し、旧ソ連の先進的な経験をより深く学ぶため、当時の高等教育部は全国の高等教育機関の中から一群の重点機関を認定し、これらの高等教育機関には国が制定した方針・政策の徹底、旧ソ連の先進的な経験の学習、教育改革の実施、行政的指導の強化等の各分野で一歩先を進ませ、経験を蓄積させた。高等教育部は適時その経験をまとめ、それらを普及してその他の高等教育機関を共に成長させるようにした。1954年10月5日、政務院文化教育委員会の承認を経て、高等教育部が『重点高等教育機関および専門家業務範囲に関する決議』を発布した。同『決議』では「重点教育機関の主要任務は以下の3つである。1つ目は質の高い各種の人材と科学研究人材を育成すること。2つ目は 高等教育機関のための教師を育成すること。それには大学院生と研修教師からなる研修クラスを設けたり、多くの本科卒業生を高等教育機関の教師として学校に留めるようにする。3つ目は教師育成、教育業務、教育資材等でその他の高等教育機関を支援すること。このほか、高等教育部に協力して必要な主要実験の実施、大きな課題の解決、外国人留学生の受け入れ、通信教育クラスの創設等を行わなければならないこと」[*1]とした。『決議』ではさらに重点高等教育機関認定の条件と原則を示した。それらは「(1)教師・設備等の条件が良いこと。(2)旧ソ連の専門家の指導と支援があること。(3)行政的指導が整っていること。(4)教育改革に顕著な成果と経験を有すること。重点高等教育機関は多すぎないようにし、指導を強化しやすいようにすること」[*2]であった。当時の高等教育機関の状況に基づき、『決議』では暫定的に、中国人民大学北京大学清華大学、哈爾濱工業大学、北京農業大学、北京医学院の6校を全国レベルの重点大学に認定した。これは新中国成立後、中国で最初の重点大学の確立であり、国は教師の配置転換や、外国人研究者の招聘、インフラの整備、学科設置等によって重点大学を支援した。数年の成長を経て、上述の重点大学は教師陣の充実および、キャンパスインフラの整備、教育水準、人材育成などが向上し、旧ソ連高等教育をよく学び、重点大学の総合的実力は高まった。

(2) 20世紀60年代における中国の重点大学の整備

 1958年から1960年まで、中国の経済政策の「大躍進」に伴い、高等教育も「左」の思想的影響を深く受け、盲目的発展の現象を生んだ。盲目的発展のため、多くの大学では必要な物資や教師・設備が不足し、教育の質が確保できないばかりか、国家経済はその重い負担に耐えられなくなっていった。こうした状況に対応し、国は1959年1月に北京で教育業務会議を開いた。会議では教育業務の方針は主に「強化および調和、向上」であり、さらにこれを基礎として重点を設けた成長を目指し、重点教育機関の質を確保し、重点教育機関への支援を弱めることなく一般の大学にも配慮しなければならないと指摘した。1959年5月17日、国は『高等教育機関の中から一群の重点教育機関を指定することに関する決定』を通達した。同『決定』では、高等教育を発展させ、平均的に資源投入するによって高等教育の質の全般的低下をもたらさないようにし、高等教育の質を今後次第に高めようとするという観点から、既存の比較的基礎条件を備えた高等教育機関の中から少数の大学を指定し、現時点から措置を講じ始め、教育の質を重点的に高めることが必要だ、と指摘している。これにより、この時に指定された全国の重点高等教育機関16校は、北京大学中国人民大学復旦大学中国科学技術大学、上海第一医学院、哈爾濱工業大学、清華大学天津大学上海交通大学西安交通大学華東師範大学、北京工業学院、北京航空学院、北京農業大学、北京医学院、北京師範大学である。この16校の指定効果を確保するため、『決定』では以下の要求を提起している:(一)上述の重点教育機関は、現時点から直ちに質の向上に重心を置き、中央の同意を経なければ学校の規模を拡大してはならず、また在校生の増加と学部・学科の増設を行ってはならない。学生募集では新入生が良好な政治的条件、文化水準および健康条件を備えていなければならない。学校運営では機構の合理化と倹約運営の原則を守らなければならず、浪費は許されない。(二)上述の重点教育機関は、必ず大学院生を募集して真剣に育成し、高等教育機関教師の研修任務を適度に支援し、他の教育機関との教材交換と教育経験の交流等を行うことで、全国の高等教育業務の質を高める。(三)上述の重点教育機関では、その指導者関係は従来通りで変化はない。『決定』の精神に基づき、教育部は重点高等教育機関16校の学科設置、学生募集数および成長規模を定めた。[*3] その後、国は中国医科大学、哈爾濱軍事工程学院、第四軍医大学および通訊工程学院の4校も全国重点高等教育機関に追加した。

 1960年10月22日、国はさらに『全国重点高等教育機関追加に関する決定』を発布し、吉林大学南開大学南京大学武漢大学中山大学四川大学山東大学、山東海洋学院、蘭州大学、大連工学院、東北工学院、南京工学院、華南工学院、華中工学院、重慶大学西北工業大学合肥工業大学、北京石油学院、北京地質学院、北京郵電学院、北京鋼鉄学院、北京鉱業学院、北京鉄道学院、北京化工学院、唐山鉄道学院、吉林工業大学、大連海運学院、華東水利学院、華東化工学院、華東紡績工学院、同済大学、武漢水利電力学院、中南鉱業学院、成都電訊工程学院、北京農業機械化学院、北京林学院、北京中医薬学院、中山医学院、北京外国語学院、国際関係学院、北京政法学院、北京対外貿易学院、中央音楽学院、北京体育学院の44校を全国重点教育機関に追加し、全国重点高等教育機関は合計64校となった。1963年にはさらに浙江大学厦門大学、上海外国語学院、南京農学院の4校を重点教育機関に追加した。これで全国の重点高等教育機関は合計68校となり、そのうち総合大学が14校、工業大学33校、医・薬科大学5校、農・林業大学4校、政治・法科・経済大学3校、師範大学2校、外国語大学2校、芸術大学1校、体育大学1校、軍事大学3校である。

 重点大学に関する業務のため、教育部は1960年に重点高等教育機関業務会議を2回開催し、重点高等教育機関の目標および任務、規模、学科設置、管理について討論し、4月12日には『全国重点高等教育機関の学科設置および発展規模に関する意見(草稿)』を発表した。10月22日、教育部の『全国重点高等教育機関に関する暫定管理規則』を配布した。1961年1月26日~2月4日、教育部は北京で全国重点高等教育機関業務会議を開き、「調和、強化、充実、向上」の方針を徹底的に実施し、重点高等教育機関に対して「規模、任務、方向、学科の決定」を行い、さらに調和を通じて教育秩序を整備し、教育の質を高め、全国重点高等教育機関の集中管理を強化することを重点的に検討した。9月、教育部は『教育部直属の高等教育機関業務に関する暫定条例(草案)』(略称:「高等教育機関六十条」)を発布した。その後、一連の条例による規制と指導により、中国の重点大学の構築に関する切迫した問題は解決され、次第に安定した成長軌道を歩み始めた。

(3) 20世紀70年代から改革開放初期における中国の重点大学の整備

 1966~1976年、中国では「文化大革命」が起こり、極「左」路線の影響を受け、一部の重点大学は取り消し、合併、運営停止、または農村、内陸部への移転となり、多くの校舎が占用され、計器、図書、設備が大量に破壊され、党政指導幹部と教師は深刻な打撃を受け、多くの教師は教育と研究を中断せざるをえず、少なからぬ人々は高等教育の場から去り、中国の高等教育の成長に極めて大きな影響を与え、一世代の人々の育成と成長が遅れてしまい、一定期間各専門分野の人材不足をもたらし、中国の経済社会の発展に深刻な影響を与えた。

 「文革」終息後、党中央の指導の下、特に鄧小平が自ら指導して大きく推進したことで、高等教育分野は真っ先に混乱から正常にもどり、回復・再建の新段階に入った。1977年7月29日、鄧小平は教育部の業務報告を受け、「一群の重点大学を重視しなければならない。重点大学は教育の中心であり、科学研究の中心でもある」と指示した。1977年8月8日、彼は科学・教育業務座談会において『科学・教育業務に関する幾つかの意見』を述べた。彼は、「高等教育機関、特に重点高等教育機関は科学研究において重要な兵力であり、あらためてその認定をしなければならない。重点高等教育機関にはこの能力があり、人材を有している」[*4]と指摘した。

 1978年1月27日、教育部党組織は党中央、国務院に『全国重点高等教育機関の回復と実施に関する報告』を提出し、同報告は2月17日、国務院の同意を得て配布された。報告に含まれる『全国重点高等教育機関の回復と実施に関する意見』の中で、教育部は全国重点高等教育機関を認定する際の原則を示している。それらは(1)すでに教師、設備、校舎等の学校運営条件が比較的整い、育成能力を速やかに拡張し、教育の質を高め、科学研究を実施し、四つの近代化のために大きな貢献ができること。(2)手薄な部分と手薄な地区の強化、辺境少数民族地区の高等教育事業の整備に役立つこと、等である。

 最初に認定した88校の全国重点高等教育機関のうち、従来の指定を回復したのが60校(当時は未再開の中国人民大学、北京政法学院、国際関係学院、南京農学院、中国医科大学の5校を除く)、新規追加が28校:雲南大学西北大学、湘潭大学、新疆大学内蒙古大学、広東化工学院、長沙工学院、南京航空学院、西北電訊工程学院、河北電力学院、大慶石油学院、阜新煤鉱学院、東北重型機械学院、湖南大学、鎮江農業機械学院、西北軽工学院、湖北建築工程学院、長春地質学院、南京気象学院、武漢測絵学院、江西共産主義労働大学、大寨農学院、四川医学院、西南政法学院、中央民族学院。これら全国の重点高等教育機関は合計88校で、当時の全国高等教育機関総数405校の約22%を占めた。その後、「文革」中に運営停止であった5校が相次いで再開され、従来通り全国重点高等教育機関となった。国務院はさらに、西北農学院、西南農学院、華中農学院、華南農学院、瀋陽農学院、山西農業大学も全国重点高等教育機関として承認した。その後、広東化工学院が華南工学院に吸収合併され、大寨農学院が取り消されて、1979年末時点で全国の重点高等教育機関は合計97校となった。[*5]


  • [*1]中央教育科学研究所編:『中華人民共和国教育大事記(1949-1982)』、北京教育科学出版社1984年版、第114ページ。
  • [*2]羅雲:『中国重点大学と学科の整備』、中国社会科学出版社2005版、第66ページ。
  • [*3]羅雲:『中国重点大学と学科の整備』、中国社会科学出版社2005版、第66ページ。
  • [*4]何東昌主編:『中華人民共和国重要教育文献(1949-)』、海南出版社1998年版、第1055ページ。
  • [*5]中央教育科学研究所編:『中華人民共和国教育大事記(1949-1982)』、北京教育科学出版社1984年版、第510ページ。
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