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北京の大気汚染の現状と原因分析(その1)

2014年 6月30日

彭 応登

彭 応登:博士、北京市環境保護科学研究院 研究員

略歴

1984.7-1986.8 湘潭市環保研究所 助工
1986.9-1989.6 北京市環科院 修士号取得
1989.6-1994.9 北京市環科院 工程師
1994.9-1997.7 北京師範大学 博士号取得
1997.7-2000.2 北京市環科院 高級工程師
2000.3.7-2002.5 北京市環科院 院長助理 研究員
2002.6.7-2009.10 北京市環科院 大気所所長 研究員
2009.11-2011.10 北京市環科院 副総工程師 研究員
2011.11-現在 国家城市環境汚染控制技術研究中心 研究員
1964年6月生まれ。湖南省湘潭市出身。
主に区域環境評価・企画、大気汚染コントロール研究等に従事する。国内外の学術雑誌および学術会議で発表した論文等は60件以上。そのうちSCI収録論文は6件、EI収録論文は5件にのぼる。 

1. 北京の大気汚染の変遷

1.1 古代の状況

 北京の地形は西、北、北東部の3方向を山々に囲まれ、南東はなだらかに渤海海岸に向かって傾斜する大平原である。大気は、普通であれば高度の上昇に伴い気温が低下するはずだが、逆に上昇するという気温逆転の現象を生じやすく、気象条件は極めて安定していながら、風が弱いため霧や靄が発生しやすい。

 元代以前は、北京地区には大きな都市が形成されていなかったため、人家は少なく、霧や靄が発生することは相対的に少なかった。

 それが、元代及び明代以降になると、商業、流通などの発達に伴い、人口も集中し、建物も増加、都市の機能が拡大したことで、空気の流れが弱まり、霧や靄の発生率が高まった。

 北京で最も古い大気汚染の記録は元朝まで遡る。『元史』によると、「天暦2年(1329年)3月、その前の年の冬に降雪がなく、この春も雨が少なかったため、空気が異常に乾燥し、雨土(後の黄砂)、靄が発生した。空気は澱み、太陽はうっすらとしか見えず、道行く人は皆顔を覆いながら歩いていた。」

 「至元6年(1340年)12月(旧暦)になると、都には霧が立ち込め、何日も陽がささない日が続き、城門は靄に霞んだ。靄が数日間都に立ち込めたことで、皇帝は天の神が怒っているためだと恐れ、礼部(中国の官制。祭祀、学校、外交を司り、時には宗教行政も管轄した)に香を焚かせ、神霊に靄を取り除いてもらうよう祈祷させた。」などと記されている。

 これら史籍に記載された靄による被害、影響は長く続き、視界が晴れることはなかったのである。

 明代になると、靄に関する記載はさらに増えていく。『明憲宗実録』には以下のように記されている。「成化4年(1468年)の初春、今年の春から夏にかけて気温は上がらず、靄が重く立ち込めた……この一両日、黄色い霧が陽を遮り、夜には星も見えない。」

 「成化17年(1481年)4月、連日激しい風が吹きまくり、ほこりや靄が空を覆う。」

 「成化21年(1485年)、正月14日、辰の刻より発生した靄は首都を覆い、その日は午の刻まで収まらなかった。3日後にはまたひどい靄が立ち込め、灰色で何も見えない状態が5日間も続いた。その影響で運河輸送は滞り、首都の米の在庫がひっ迫している。」

 「弘治10年(1497年)、礼部は皇帝に次のように申し上げた。首都(北京)は冬になっても雪が降らず、気温の高い日々が続いた……迎えた春は激しい風が吹き荒れ靄が重く立ち込めている。西直門外は靄とほこりにまみれ、道行く人の姿も疎らである。官軍は城門を閉じ、靄とほこりを避けている、と。」

 「万暦11年(1583年)、正月の辛酉(干支(えと)のひとつ)の日、閏2月の壬戌の日、首都に粉じんの嵐が吹き荒れた。」

 「4月の癸亥の日、空は低く垂れ、靄が立ち込めると、見る見るうちに黄砂が天を覆った」「5日間も西山の姿が見えないほど黄砂が続き、都に物乞いに来た飢えた人々に、寺院の僧侶が施しを与えていた。」

 これらの似たような靄による被害の事象は、明代の北京地区の記録には数多く残っている。

 さらに清代にも多数の靄による被害が発生している。いくつかの記録を紹介する。

 「康熙60年(1721年)、この日は会試(官僚登用のための試験のひとつ)の合格者発表であったが、黄色い霧が立ち込め、靄が陽を遮った。強風も吹き荒れ、合格者発表用の掲示板も壊れてしまっただろう。」

 「嘉慶15年(1810年)、首都は旧暦の12月に入り、連夜霧が発生、靄が重く垂れ込めたと、宛平、大興より報告があった。」

 「瓊島(現在の北海)は霧と靄に包まれ、その姿が全く見えない。煤山も同様である。役人は屋敷に身を潜め、時折外をうかがっている。」

 「咸豊6年(1856年)、冬に入り、雪は少なく霧が厚く立ち込める日が続く。首都もしばしば靄に覆われ、昌平、宛平での状況は極めてひどい。」

 とにかく、靄による甚大な被害は数年に一度北京を襲い、その多くは冬と春に集中していたのである。

 とは言え、全体的には古代北京の大気の状況は良好で、環境的にも問題なく、視界も開けていたのである。

 明代の『帝京景物略』によると、「晴天のときに、報国寺(盧溝橋から13km)の毘盧閣に登り、盧溝の方向に目を向けると、馬に乗る人や荷物を担ぐ人が大勢行き交う様子がはっきりと見える」とある。

 また、現在の建国門の南側の古い観測所は通州まで17kmの地点に位置するが、清代の『藤陰雑記』には、「観測所に登ると、通州市が目と鼻の先程の距離に見える」と記載されている。

 さらに、『天府広記』には「百花山は北京から60kmの距離にあるが、東の方向に首都をはっきりと眺めることができる」と述べられている。

1.2 新中国建設後の状況

 新中国建設後(1949年以降)、都市建設が大規模に進むと、エネルギー消費の大幅な増加に伴い、排出される汚染物質も増加した。汚染の程度が増すことで大気の質は低下していき、ますます事態は深刻化していった。

 1950年初頭、北京の市街地では石炭の燃焼により多量の大気汚染物質を排出した。石炭の使用量が増えるとともに、1970年代には都市の大気汚染問題が顕在化。暖房を使用する期間の二酸化硫黄の濃度は260~330μg/㎥と、暖房を使用しない期間に比べ1.8倍の数値を示した。

 1976年から1990年まで、都市近郊の空気中の二酸化硫黄の含有量は上昇傾向にあり、年平均値は53~124μg/㎥であった。80年代、都市の規模が拡大を続け、経済や流通などその機能が強化されるようになると、石炭を主とするエネルギー消費量は急激に増加。年々、大気汚染濃度も上昇を続けたのである。

 1979年から1983年まで、都市近郊の空気中の窒素酸化物の年平均値は59~70μg/㎥であった。それが1986年から汚染の状況は年を増すごとにひどくなり、環境基準を超過した割合も、それに伴い上昇傾向にあった。

 年平均値は77μg/㎥から、1990年には98μg/㎥まで上昇し、これは歴代の最高値となった。

 図1は、1954年から2012年までの北京地区におけるスモッグ(肉眼で識別できない浮遊物質の発生によって視程距離が10km以下までに制限される現象)と霧が発生した日数の推移を示したものである。この図から言えることは、スモッグと霧の発生日数に相関関係は全く見られないということである。つまり、スモッグが多く確認できた年に、霧が同じように発生している訳ではない。

 ここ60年の北京地区におけるスモッグと霧が発生した頻度を見る限り、スモッグが都市経済の発展と密接に結びついていると結論づけられる。

図1

図1 北京地区におけるスモッグと霧の発生経年推移

 50年代初頭から1968年までの間は、大錬鋼鉄期(鉄鋼の増産を目指し、製鉄が全国で展開された時期)以降、経済活動が停滞した文化大革命時期にあたり、北京のエネルギー消費量は大幅に減少、年間の汚染物質排出量も低下し、従って、スモッグの日数も下降傾向にある。

 70年代初頭から1980年代および1990年代にかけては、北京市の規模が急速に拡大、経済も発展を続け、石炭を主とするエネルギー消費量、汚染物質ともに大幅に増加。これにより、スモッグの日数は一気に増えたまま高い位置を維持している。

 1990年のアジア競技大会を迎えるにあたり、1987年から汚染源の管理を強化し、排出量の規制に乗り出すと、汚染物質の濃度は下がり始め、スモッグの日数も幾分減少に転じた。

 しかしながら1992年、鄧小平が南部を訪問し新たに改革・解放政策を打ち出すと、北京市の規模はさらに拡大、輸出志向型戦略を契機に経済は急速に発展し、一方で大気汚染の排出量は再び増加、呼応するようにスモッグの頻度も高まり、1998年にピークに達したのである。

 1998年末から2012年にかけて、北京市は断固たる決意を持って大気汚染の排出を統制し、全市において経済・社会の成長を促す傍ら、空気の質を14年間連続で改善。スモッグの日数も目に見えて確実に下がったのである。

 1998年から、北京市はSO2(二酸化硫黄)、NO2(二酸化窒素)、PM10(粒子状物質)の3種類の大気汚染物質を継続監視している。2013年、当市の年平均濃度はSO2が26.5μg/㎥、NO2が56.0μg/㎥、PM10が108μg/㎥で、それぞれ前年より5.4%下がり、7.1%上昇し、0.9%下がった。

 継続監視を開始した1998年当時と比べると、それぞれ78%、24%、43%低下したことになる。(図2参照)

図2

図2 近年における主要な大気汚染物質濃度の経年推移

その2へつづく)


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