第111号
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中国の「食糧安全保障政策」の概要と実態(その2)

2015年12月24日

白石和良

白石 和良:元農林水産省農業総合研究所海外部長

略歴

1942年生れ
1966年 東京大学法学部政治学科卒、法律職で農林省入省
1978年~1981年 在中国日本大使館一等書記官
1987年 研究職に転職、農業総合研究所で中国の農村問題、食料問題等を研究
2003年 定年退職 以降フリーで中国研究を継続

その1よりつづき)

2.食糧安全保障政策の改正

 上述のように、食糧自給率が公約している数値を大幅に低下している問題、食糧省長責任制の制度的綻び、食糧生産補助に対するWTO等の外部からの圧力等、中国の食糧安全保障政策を巡って、中 国政府は多くの事態に直面し、その対応を迫られるようになってきた。そこで、中国政府が決定したのは、食糧自給の考え方や食糧省長責任制を抜本的に改めることであった。

 行政的措置としては、2014年の中国の農業政策の基本方向を定めた一号文件である「中共中央、国務院の農村改革を全面的に深化させ、農業の現代化推進を加速させることについての若干の意見」(以下、「 2014年一号文件」という)の中でこれらの改正を明示したことである。以下、食糧自給率の新たな考え方である穀物方式2段階制の導入と食糧安全保障省長責任制の新たな制定について紹介する。

(1)食糧自給率の穀物方式2段階制導入

 2014年一号文件では最初の柱として「国家の食糧安全保障体系の完全化」のための措置を規定しているが、その第1項として「新たな情勢の下での国家の食糧安全保障戦略の構築」を掲げ、その中で「 自力を主とし、国内に立脚し、生産力を確保し、適度に輸入し、科学技術を支えとする」食糧安全保障戦略を実施することを宣言し、その目標として、「穀物は基本自給、口糧は完全自給」の方針を提起した。その意味は「 穀物は95%以上の自給、うち口糧(直接消費される米と小麦)は100%自給」を達成するということでる。

 つまり、「中国の特色を持った」食糧ベース方式の自給率は放棄し、世界標準の穀物だけの自給率を議論することになったということである。これで、普 通なら食糧自給率のダブルスタンダードの問題は解消されるはずである。しかしながら、「穀物ベース」の自給率で議論される建前にはなったが、「穀物全体」と穀物の一部である「口糧(直接消費される米と小麦)」と を区分して取り扱う姿勢は維持されており、一抹の胡散臭さは残されたままである。

(2)食糧安全保障省長責任制の制定

 ア.新食糧安全保障省長責任制の国務院通達の制定

 2014年一号文件は、上記の食糧自給率算定方式の改正に続いて、食糧安全保障制度の円滑な推進のために「食糧省長責任制の履行を徹底し、中 央と地方の食糧安全保障に対する責任と分担を更に明確にするとともに、食糧消費省も食糧作付面積の最低線の設定及び直接消費食糧の一定程度の自給率を保持しなければならない」と規定した。前述したように、中 国政府は、食糧安全保障制度の円滑な推進のために、中国の31の省を食糧主産省、食糧消費省、食糧均衡省に分類し、それぞれの役割分担を行わせているが、この制度によって、最も「割りを食わされている」の が食糧主産省であり、最も「フリーライダー的便益を享受している」のが食糧消費省であるとされている。

 このため、食糧主産省をなだめるうえからも食糧消費省に一定の義務を課し、彼らにも汗をかかせることが明記されたのである。2014年一号文件のこの規定を受けて、同年の年末には、「 食糧安全保障省長責任制を設立し、健全化させることについての国務院の若干の意見(国発〔2014〕69号)」(以下、「国務院通達」という)が制定されている。

 イ.国務院通達の概要

 食糧省長責任制が開始したのは1994年であるが、単独の政策文書として制定されることはこれまでは無かった。したがって、今回制定された国務院通達は、政策文書としては最初のものである。従 来の食糧省長責任制は当該省の食糧需給にのみ責任を負うことと理解されており、作付面積の確保、単収の向上、備蓄の増加、需給調整、価格安定に主眼が置かれていた。

 今回の国務院通達で規定された食糧安全省長責任制は、従来に比べるとその対象範囲は非常に拡大されていて、食糧の生産、備蓄、流通、消費にわたって詳細に規定されており、食 糧安全保障に対する省政府の権限と責任も一段と明確にされている。国務院通達は、①食糧安全保障に対する意識と責任の強化、②食糧生産能力の安定化と向上、③食糧生産意欲の保護、④ 地方ごとの食糧備蓄の良好な管理、⑤食糧の流通能力の向上、⑥食糧産業の健全な発展、⑦地域的な食糧市場の基本的安定化の保障、⑧食糧の品質、安全の確保、強化、⑨食糧浪費の回避と健全な消費の推進、⑩ 制度推進のための保障措置と監督、検査の強化の10項目についてかなり詳細に規定している。

 例えば、②の「食糧生産能力の安定化と向上」では、農地面積の最低死守ラインの確保、高水準農地の建設の加速化、食糧生産科学技術水準の向上、新たな食糧生産経営体系の確立、食糧買上げの的確化、食 糧生産の比較収益性の向上、食糧作物作付意欲の保護について規定されている如くである。なお、厳密に言えば、食糧安全保障の範疇に入るのか?と思われることまで規定されているが、そこまで中国政府は“意欲的”で あるとの見方もできよう。

(3)国務院通達の実施状況検査制度の制定

 これまでの中国政府のやり方は、政策文書を制定、下達すると、そこで“一件落着”という形が多いという印象を筆者は持っているが、今 回の食糧安全保障省長責任制の推進の場合は異例とも思われるほどのフォロー措置が講じられている。即ち、国務院通達の施行のほぼ1年後のこの11月3日付けで、国務院弁公庁が「 食糧安全保障省長責任制実施状況検査弁法」(以下「検査弁法」)を公布したことである。

 検査弁法の骨子は、①毎年、各省に対して国務院通達の実施状況検査を実施、②検査は、発展改革委員会、農業部、国家食糧局が中心となり、財政部、国土資源部、環境保護部、水利部、国家工商行政管理総局、国 家質量監督検験検疫総局、国家食品薬品監督管理総局、国家統計局、農業発展銀行等で構成される工作組が実施、③検査対象は、食糧の持続的生産能力の増強、食糧作物作付意欲の保護、地方の備蓄能力の増強、食 糧市場への供給保障、食糧の品質、安全の確保、政策推進保障措置の実施の6項目(付表ではそれぞれが詳細に規定されており、細目総数は27項目に達している)、④100点満点制で行い、90点以上は優秀、8 9~75点は良好、74~60点は合格、59点以下は不合格、⑤不合格だった省は1ヶ月以内に改善計画提出、⑥改善期限内に改善しない場合は、発展改革委員会、農業部、国家食糧局が当該省の責任者を問責〔約談〕す る。必要な場合は国務院の指導者が省の主要責任者を問責する、というものである。

 さらに注意を引くのは、細目27項目のそれぞれの評点が食糧主産省と食糧消費省とではほとんどが変わっていることである。例えば、農地保護に関しては、食糧主産省では5点満点だが、食 糧消費省では3点満点となっている。これほどの詳細な実施状況検査が果たしてどのように運用されるのか、大いに気になるところである。なお、「約談」は、辞書にも無い新語で、取り敢えず「問責」と訳しておいた。 

おわりに

 以上、中国の食糧安全保障政策の概要と実態について、最近行われた2つの大きな改正、即ち、食糧自給率の算定方式の改正と食糧省長責任制の改正を中心に紹介した。中国政府は、現 在も2004年~2015年まで12年連続の食糧増産達成!と喧伝しているが、実態は手放しでは喜べない状況であるはずである。国内生産量は増大したが、在庫量も増大し、輸入量も増大するという好ましからぬ“ 3増”の継続に警鐘が鳴らされており、また、トウモロコシの333万haの生産調整については若干触れたが、これも大きな問題であり、さらに大豆の奇形的大量輸入は今年も継続しているからである( 今年1~10月の大豆の輸入量は6518.1万吨で、前年同期比14.7%の増)。

 なお、本稿では触れられなかったが、袁隆平院士が主導するスーパーライス〔超級稲〕の育成・実用化の問題、農業部が力を入れている馬鈴薯の主食化の問題は、食糧需給上重要な意味を持つものであるので、機 会があれば紹介したい課題である。

 (了)