南轅北轍(なんえんほくてつ)
意味
「轅」(ながえ)は馬車や牛車の車体の左右両側からでている二本の梶棒で、前進する方向に向けられているものである。「轍」(わだち)は車が通ったあとに残る輪の跡で、車が通った道を指す。「 轅は南で轍は北」は、志と行動とが矛盾していることのたとえである。
類語
北轅適楚(ほくえんてきそ)
物語:
戦国時代、魏の大臣である季梁が魏王に策を献じたときに使われた。魏の国王は天下をとるべく、先に趙の首都である邯鄲を攻め落とし、趙を従属下に置こうと考えた。こ のとき魏の大臣である季梁は国外にいたが、これを知ると、ただちに帰国し、急いで魏の王に会いに行った。魏王は趙の国を攻める計画を練っている最中だった。慌てた様子の季梁を見た魏王は不思議がり、「 そんなに慌てて、わしにどんな急用があるというのか?」と聞く。そこで、季梁は「陛下、先ほど私は帰る途中で不思議なことに出くわしましたので、それを早く陛下にご報告しようとやって参りました」と答えた。こ れには魏王が興味をもち、どんなことかと聞くと、季梁は、早速次のようなことを話した。「私は、帰る途中で道を北へ向かっている馬車を見かけたので、その馬車に乗った人にどちらへ行かれるのか?と聞いたところ、そ の人は “ 楚の国に行く” と答えました。“楚の国は南方にあるのに、何ゆえ北方に向かわれるのか?”と驚いて聞きますと、その人は、私の“馬は優れており、どう向かおうと必ず楚の国へと行き着くんですよ”と 気にかける様子もなく答えたのです。不思議に思った私は“貴殿の馬がいくら優れた馬でも、そちらは楚の国の方向ではありませんぞ”と申しますと、相手は“心配には及びません、私は路銀を多く持ち歩いています”と こたえるのです。私はどうしても納得が行かず、“いくら多くの金を持ち歩いても、その道は楚の国へ通じてはいませんぞ”と忠告すると、その人は大笑し“それがどうしました?最 高の腕前の御者が運転をしているのですよ”。陛下、彼は私の忠告を聞かずに馬車に乗ってそのまま北方へ向かってしまったのです。」
これを聞いた魏王は「この世にそんな愚かな人間がいるものか!」と噴出してしまったが、季梁は「陛下は各諸侯の首領となりたいでありましょう?ならば、まず人々の信頼を得ることが先決だと存じます。し かし陛下は、我が国が趙よりいくらか土地が広く、兵隊がいくらか強いことだけを頼みにして、他国を征服してご自身の威信を高めようとされています。それでは、陛下の目指される目標とは遠くなる一方で、あ の馬車に乗る人のように、南方にある楚の国に向かうのに、北方を目指してしまい、結局は楚の国からどんどん離れていってしまいのですよ」と話した。 季梁がわざと遠回りして自分を説得しようとしていることを魏王はやっと悟った。魏王はこれを聞いてしばらく考え込んだのち、季梁の話には理があると思い、趙を攻める計画を取り消したのである。