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会稽之恥(かいけいのはじ)

 

意味

敗戦の恥辱。他人から受けたひどいはずかしめ。

表現

「会稽(かいけい)を遂(と)げる」 → 会稽の恥をそそぐ。復讐する。

「会稽(かいけい)の恥を雪(すす)ぐ」→会稽の屈辱を晴らすこと。または名誉回復。

物語:

 中国の春秋時代後期、呉王闔閭(かいりょ)(?~前496年)は呉を一大強国へと成長させたが、隣国の越王勾践(こうせん)(?~前465年)に破れ、息子である夫差(ふさ)(?-前473年)に 復讐を誓わせた。夫差は常に薪の上に寝て復讐の志を奮い立たせた。

 三年の間、夫差は日夜兵を鍛えて復讐に備えているという報せは勾践の耳にも届いた。勾践はこれに先んじて呉を討とうと兵を挙げたが、鍛え上げた呉軍の前に惨敗し、会稽山に逃げ込んだ。こ の会稽山で勾践は降伏して夫差の臣下になり、妻を妾として差し出すという屈辱を受け入れたのであった。

 勾践はひたすら呉に恭順を装い、野良仕事をし、妻には機を織らせていた。そばには、苦い肝を置いて、その肝を嘗めながら言った言葉が「会稽の恥を決して忘れはしない。」 このことから、前 述の夫差と合わせて「臥薪嘗胆」という言葉、つまり目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること、が生まれた。

 その後、勾践は努力を重ねて越の力を蓄え、とうとう呉をほろぼし覇者となった。これが「会稽の恥」の故事である。

 
出典:『史記』「越王勾践世家」