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第129回中国研究会「中国の社会保障改革にみる福祉ミックスの動向」(2019年7月26日開催)

「中国の社会保障改革にみる福祉ミックスの動向」

開催日時: 2019年7月26日(金)15:00~17:00

言  語: 日本語

会  場: 科学技術振興機構(JST)東京本部別館1Fホール

講  師: 澤田 ゆかり 東京外国語大学総合国際学研究院 教授

講演資料:「 第129回中国研究会講演資料」( PDFファイル 17.4MB )

講演詳報: 後日掲載予定

新興企業、NPOも相次ぎ参入 澤田ゆかり氏が中国の社会保障改革を紹介

小岩井忠道(中国総合研究・さくらサイエンスセンター)

 中国・香港のさまざまな社会問題を研究対象とする澤田ゆかり東京外国語大学総合国際学研究院教授が7月26日、科学技術振興機構(JST)中国総合研究・さくらサイエンスセンターで講演し、国民皆保険を志向し、社会保障制度改革に挑む中国の現状を詳しく解説した。加速化する少子高齢化に加え経済成長の鈍化という新たな状況の中で、新興の電子商取引企業が新しいタイプの"健康保障"サービスを開始するなど、最新の具体例も多数、紹介された。

胡錦濤政権で本格化した多元主義

 澤田教授によると、中国の社会保障改革は胡錦濤政権〈2002~2012年)時代に本格化した。中国には、1978年に改革開放政策がスタートする前は、年金を含む社会保険料は全て雇用主である国の負担。個々の国民が保険料を負担するという仕組みは全くなかった。胡錦濤政権の改革のキーワードとして澤田氏が挙げたのが、多元主義。「商業保険との共存」「社会保障事業の民間委託」「民間からの資金調達」を並行して進めるというものだ。

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 一方、一人っ子政策が国策として本格化したのが1980年。これによって少子高齢化が加速され、労働力不足と介護者需要の増大がもたらされた。社会保険の改革による大きな変化は、それまで全て国が負担していた基礎年金の保険料が従業員と使用者の双方で支払う形になったこと。現役世代には、将来の自分のためだけでなく高齢者の過去分の保険料を積み立てるという二重の負担がのしかかることになった。

 少子高齢化が急速に進むという点では、日本とよく似た状況にも見えるが、中国は社会の変化が激しく、また社会保険の歴史が相対的に浅いことから、中国の社会保障改革は日本以上に難しい問題を抱える。都市で働く企業就労者と自営業者基礎年金を対象にした企業従業員基礎年金と、都市戸籍の非就労者と農村住民を対象にした住民基礎年金のいずれも保険料の収支が悪化、2016年には合わせて4,000億元を超す赤字に陥っている。基礎医療保険の方も、企業従業員基礎医療保険こそ黒字を維持しているものの住民基礎医療保険の赤字額は2016年で4,000億元に上る。

広がる地域格差

 国民皆保険を目指す胡錦濤政権の政策で農村住民を対象にした「新型農村合作医療制度」(2016年に「都市・農村住民基本医療保険」に統合)の加入者数は、2004年には1億人に届かなかったのに、2011年には8億人を超え、加入率も90%以上となった。一方、制度全体の財源構成は個人の負担率が15%以下と2004年の半分以下に下がっており、その分を国が負担する構図となっている。こうしたグラフを示した上で、澤田教授は、社会保険料の負担構造で地域間の格差が急激に増大している現状に注意を促した。

 地域間格差は、発展が遅れている内陸部に加え、早くから重工業が発展した東北地区で基礎年金の赤字が深刻となっている。経済発展が著しく基礎年金収支が大幅な黒字となっている広東省や北京のような沿海部の省、大都市との二極化が激しい。大慶油田を抱え、重工業基地として栄えた黒龍江省は、基礎年金の対象となる在職者が今でも年々増え続けている。しかし、定年退職者の数が在職者を大幅に上回る速度で増えており、定年退職者の数は在職者の7割を超すまでになっている。この結果、省の企業従業員基礎年金の保険料収支は赤字に転落し、2016年にはついに基金の積立金が底をついた。これに対し昔は大きな投資がなく、最近になって深圳のような急激に発展した都市を抱える広東省のような地域は、黒龍江省などとは全く異なり基礎年金での大幅な黒字を記録している。

 さらに黒竜江省との比較を行うために、ほぼ同じ人口規模でありながら保険料収支が大幅な黒字である地方として澤田教授が紹介したのは、福建省。この省も計画経済時代からの国有企業が少ないため年金受給者の比率が低い。さらに改革開放政策で最初の経済特区に指定された四つの都市のひとつである厦門がある。省全体の労働年齢人口も増え、基礎年金の拠出者である在職者は、2016年時点で850万人に増えている。これに対し、定年退職者は在職者の5分の1くらいしかおらず、2016年の省の年金余剰積立金も700億元にまで増えている。

 黒龍江省の基礎年金収支は2017年はさらに悪化し、赤字は290億元を超えた。基礎年金収支が急激に悪化した省はほかにもある。同じ東北部に位置する遼寧省は2002年には広東省に次いで黒字額が多かったのに、2017年には黒龍江省よりさらに多い340億元を超す最大の赤字額を抱える省となっている。

 反対に2002年に赤字額が最大だった上海は2012年に省市の中で上から5番目に大きな黒字を持つ地域に浮上し、上海に次ぐ2番目の赤字額だった北京も急激な収支改善を達成し、2012年に4番目、2017年には3番目の黒字省・市になっている。

基礎年金調整制度を新設

 こうした格差を中央政府も放置できなくなり、国務院は2018年5月に「企業従業員向け基礎年金基金における中央調整制度の設立に関する通知」を出す。同年7月1日から基礎年金調整制度が動き出し、各省・市の被用者の平均賃金の90%に現役の保険加入者数と上納比率3%を乗じた額を拠出することになった。基礎年金調整制度は、基礎年金収支が黒字のところから赤字のところへ黒字分の一部を移すというものだ。澤田教授によると基礎年金収支の黒字が多く、2019年の中央調整金予算で赤字地域への持ち出し(拠出額)が最も多い省・市は、広東省を筆頭に北京市、浙江省、江蘇省、上海市、福建省、山東省の順。逆に受取額が最も多いのは遼寧省、黒龍江省、四川省、吉林省、湖北省、湖南省、内モンゴル自治区の順となっている。

 こうした中国政府の政策が問題なく進んでいるというわけではない。澤田教授は、上記の中央調整制度に対する不満を上海の専門家から聞いたことを明かした。赤字の省は地元への投資を呼び込みたいという意図や、省内の企業の負担を削減するための措置として、きちんと基礎年金の保険料を徴収していないというのが、上海市の不満の理由という。

 こうした保険料徴収の違いが出る理由のひとつは、税の徴収業務が社会保険局と税務局に分かれていたことがある。中国政府は2018年7月に税務局に一本化することを決めた。しかし、急に過去の滞納分まで精算するよう税務局から圧力を受けた企業からの悲鳴により、2カ月後には李克強首相は現状維持を認める演説をせざるを得なくなる。中国は相続税もなく所得税も内需喚起のために軽減する方向に舵を切っている。このような状況下で、納税に対する中国国民の意識を変えるのは難しい、との見方を澤田教授は示した。

 さらに社会保障改革にからむ中国と日本の違いを示すデータとして澤田教授は、国立青少年教育新興機構と青少年教育センターによる4カ国の高校生意識調査の結果を紹介した。親の老後の世話について見方に大きな違いが見られるという興味深いデータだ。「どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい」と考えている日本の高校生は37.6%にとどまるのに対し、中国では87.7%に上っている。この違いの原因として、親世代の蓄財の差が考えられる。文革時代に成長した中国の親の世代と日本の親の世代との裕福度は、持ち家率、貯蓄率からも明白。親を何としても自分で世話しなければならないという思いの差となって現われている、と澤田教授はみている。

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中国型の福祉ミックス。

 澤田教授は、中国の社会保障制度改革の歩みを詳しく紹介したあと、講演の本題である「社会保険の多元主義」という特徴を持つ中国の最新の動きをいくつか紹介して講演を締めた。

 介護保険は、当初台湾系民間企業が投資向け理財商品として売り出した。これは介護だけでなく生命保険を含む。介護費用を調達するという目的から乖離していたことと、高齢化による介護ニーズの高まりから2011年に国務院弁公庁が「社会高齢者サービス体系の構築に関する計画」を公表した。この中で介護手当てと介護保険に言及している。2012年に民間の保険会社を想定した介護保険の実験が青島市で行われ、2016年からは15の都市でモデル実験が始まった。

 実験は、医療保険を財源としているのが特徴。7都市は都市部の企業従業員医療保険の加入者のみを対象として、残る8都市は住民基本医療保険の加入者もカバーしている。南通市の実験を例にとると、都市と農村をカバーし、財源は、一人当たり個人30元、医療保険30元、政府補助40元となっていた。1日1人当たりの給付額は在宅の重度介護者で1日15元など、在宅、施設、病院、重度、中度に分けてそれぞれ金額が設定されている。運用については設計を国有保険会社が担当し、民間の介護関連企業に応札させるやり方だ。

 アリババグループのオンライン決済サービス「アリペイ」は、「相互宝」という新しいサービスを2018年10月に始めた。何かあったときのために保険金を支払い続けると言う保険の考え方とは全く異なる。アリペイ独自の信用ポイントが一定以上という条件で会員になることができ、病気になるとお金を受け取ることができ、そのお金は会員が均等に負担するという仕組みだ。保険ではなく、会員サービスの一つという位置づけだ。わずか半年強で5,700万人の加入者を集めている。

 このほか、ボランティアの医師たちに自宅にいる患者を往診させる、家から出られない要介護者たちに必要な品を配達するといったサービスも、NPO(民間非営利団体)によって始まっている事例も紹介された。澤田教授は中国で進むこうした動きを「中国型の福祉ミックス」と呼び、次のような特徴と課題を挙げた。

 親孝行を強調し、「高齢者権益法」の改正や、在宅介護に家族手当の支払いを導入する政策にみられるように「家族主義を基盤」としている。

 国有金融企業とのパートナーシップ、民間組織への管理監督や「あいまいな」自立性を重視している。

 IoT(モノのインターネット)による社会のビッグデータを活用しており、プライバシーとデータの安全性をどう確保するかという問題も抱えている。

(写真 CRSC編集部)

澤田ゆかり

澤田 ゆかり(さわだ ゆかり)氏:
東京外国語大学総合国際学研究院 教授

略歴

1986年、東京外国語大学大学院地域研究科卒。1986年、アジア経済研究所に入所。香港大学アジア研究センター客員研究員、神奈川大学外国語学部助教授を経て、現職。専門は、中国・香港の社会保障、ジェンダー、労働問題。
著書に『高まる生活リスク ―社会保障と医療 (中国的問題叢書10)』(岩波書店、2010年、飯島渉氏との共著)。編著『『植民地香港の構造変化』アジア経済研究所、1997年。『ポスト改革期の中国社会保障はどうなるのか』(ミネルヴァ書房、2016年、沈潔氏との共編)ほか。