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第12回研究会「孫樹建教授講演録」

孫樹建 (上海中医薬大学名誉教授 付属日本校教授) 2008.11.17開催

 上海中医薬大学日本校の孫と申します。よろしくお願いします。

 本題に入る前に、簡単に上海中医薬大学を紹介させてもらいます。上海中医薬大学は1956年に中国政府が設立した、中国で最も古い4つの中国医学大学の内の1つです。
1993年に上海中医薬大学に改名して、2003年に上海市の浦東のハイテクエリアに移転しました。
これは新しい上海中医薬大学の入口です。これは大学の中の研究棟と教室棟です。敷地面積が広く、西から東までで1.9キロです。
  これは大学の情報センターです。図書館も含まれています。ほとんどの中国古代の中医薬関係の文献と近代の医学関係の資料や書籍がここに収集、保管してあります。  ここは大学の中の国際教育学院です。上海中医薬大学は1975年にWHOの委託を受けて、上海中医薬大学の中に伝統医学合作センターと鍼灸トレーニングセンターをつくりました。過去33年間、世界88の国と地域の約1万人以上の西洋医師がここで中医薬と鍼灸の勉強をし、現在それぞれの国と地域の医療現場で活躍しています。
  これは大学の中の中国医学史博物館です。現在、上海だけでなく、中国すべての医科大学、中医薬大学の中における唯一の医史博物館です。この中に約1万4,000点の文物が展示してあります。
これは博物館のロビーです。奥の方はちょっと見にくいですが、壁に「気」「精」「神」という3つの漢字が書いてあります。これは中国医学が示す人体の3つの宝です。「気」「精」「神」があれば、万病にかからない。元気な体になるということです。
これは博物館の中の筆です。さっき私が言いました正面の「気」「精」「神」の3文字は中国医学の神髄でもあります。下の方には、大医署と書かれています。大医署は中国の唐の時代の教育機関であり、現在の国立医科大学にあたります。多分世界で一番古い国立医科大学と言えるでしょう。
その中の医療システムとしては、いわゆる医学博士1名、助教1名、その下は医員といったような構成であり、現在の大学のシステムと似ています。  右の方にあるのは鍼灸銅像です。これは原物ではなくて、現代の複製品です。原物は1001年、中国の宋の時代に造られた、中国で最も古い医療教具でした。当時、政府は2体つくりました。身長は現代人の平均身長とほぼ同じで1メートル69センチ。近くに行くとよく見えます。体中にすべての経絡とツボが表示されています。それぞれのツボには穴が開いており、中は空洞になっている。普段は学生が勉強に使っています。
実際にテストをするときに、これをよく使います。中に水を入れて蝋で全部封鎖して、ツボの名前を見えなくします。学生はツボのリストと鍼を持ってきて、正しいツボの場所を探します。正しく見つかったら鍼を差し込むことができます。それを抜くと、水が出ます。ツボの場所を間違えると、当然、鍼は差し込むことができません。これは非常にツボの教育に役立ちます。
上海中医薬大学は1996年に日本の大阪で分校をつくりました。主に日本の医師と薬剤師が正しく中医薬を使えるようにするための教育システムができました。  これは中国全国統一教材を日本語に訳して日本で教育に使っている教材です。書籍教材だけでなく、ビデオ教材やDVD教材もつくって、学生が家でも勉強できるようにしています。

 次に、私の今日の講演テーマである「中国医学と西洋医学の共通点、中国医学の研究の特殊性」について私個人の考えを話したいと思います。
第1部においては、いろいろな概念に対する再認識の話をしたいと思います。我々は中国医学の概念に関する一番古いものを調べました。「漢書・芸文志」の中に、「致中和」と「中庸之道」の記載があります。こうした記載から理解すれば、中国医学は医学の最高境地になります。
基本的な趣旨としては、体に「寒」という症状あるいは病症があれば、必ず「熱」を与えないといけない。逆に体に「熱」の症とか病があれば、「寒」を以って対処しないといけない。過労の場合は体を休ませ、栄養不良のときは、栄養を補助する。こういうふうにすべて異常の範囲から正常の範囲に戻す。このような医療活動がいわゆる「中和」という意味です。
しかし現在「中医」というのは、ほとんど「中国の医学」と理解されている。この概念は1936年に当時の国民政府が制定した「中医管理条例」の中で初めて、「中医は中国の国医、外来の西洋医学との比較のために管理する」という言葉が使われたことに由来します。
その後、WHOは「Traditional Chinese Medicine」をTCMと略称したため、現在の概念では「中医」といったら、皆さんは「中国の医学」「中国の伝統医学」と理解しています。実際には、もとの中医の意味はそういう概念ではなく、「中和」という概念です。いろいろな方法を用いて、体の病的な状態を中和させ、異常から正常に戻していく。これが本当の中医の概念です。
この概念から理解すれば、現代西洋医学のすべての治療行為と医学活動もまさに中医の範囲内にあると、私は思います。
それから「科学性」についての考え方ですが、医療機関だけでなく、民間でも大体こういう印象が持たれています。つまり、西洋医学は非常にエビデンス的な医学であり、科学性があるに対し、中国医学はノンエビデンスであり、非科学的な医学である。こういう考えに対して、私は反対意見を持っています。
まず科学性と正確性とはどのような関係にあるか。科学性と正確性は同じ意味かどうか。もう一つ、東方にも科学はあるかどうか。
私はいろいろ調べましたが、中国古代の文献には「科学」という言葉はなかったのです。これは西洋医学のScienceから翻訳された言葉です。我々は科学に対してどういうふうに認識するか。もし「科学的なもの」=「正確なもの」であるならば、この科学に対する概念は、多分間違っていると思います。
鍼灸学会などで交流して、特にヨーロッパの鍼灸師と話していると、「中国の鍼灸は古代の鍼灸で、科学的な鍼灸ではない。現在海外で科学的な方法論をもって研究と臨床がなされている鍼灸こそが科学的な鍼灸だ」と言われたことがありますが、こういう認識には、私は同感できません。
ここに書いてあるのは、卵の増産の話ですが、我々はそこから何を啓発されるでしょうか。皆さんが御存じのように、鳥は暗くなってからは卵がつくれない。昼間に産卵します。このような科学的現象を我々人間が知っているので、1日24時間、鳥の飼育場に光を当てると、鳥はたくさんの卵を産んでくれるわけです。
医学だけでなく、自然科学も進歩につれて、いろんなことが究明されています。我々人類は永遠に前の間違った概念を修正しながら進歩しています。実際、中国医学も、西洋医学も、このような道を歩んで来ています。
ここでお話したいのは、東洋医学のたくさんのテーマが今の科学技術によってまだ証明できないということです。しかしまだ証明できないから、科学性がないといってしまうのは正しいのでしょうか。それをもう一回認識してもらいたいと思います。
ここに一部分書いているのは医学的ないろいろな謎です。
例えば全身の血流はどういうふうに循環しているのか。もちろんテキストなんかに書いてあります。心臓の拍出の力で全身に血が出回っています。大事なことは、全身の血液はどういうふうに重力を克服し心臓に戻るのか。その中のすべてのメカニズムは、まだ完全には解明されていないということです。
また、我々の内臓が重力に抵抗して体の中に位置していることを皆さんは知っています。実際に解剖してみると、我々の内臓を支えてくれる特別な筋肉もなければ、ほかの解剖の構造もない。ではどうやって我々の内臓が重力を克服してその位置を維持しているのでしょうか。逆に病的な状態であれば、子宮下垂、胃下垂、脱腸などいろいろ病的な現象が現れます。
それから、我々の生命活動を維持してくれる本当の栄養素は、何でしょうか。私はいつも考えています。
2年前、私は奈良で行われたある栄養士研修大会に呼ばれて、中国医学の栄養学について講演しました。聴講したのは、管理栄養士の先生たち約500名でした。私は最初に一つ質問をしました。
「1人の人間が毎日必要としている栄養素はこのリストに書いてあります。しかしこのリストは、本当に正しいでしょうか。本当にこのリストに書かれている栄養素だけで、我々の生命活動は維持できるのでしょうか」
その質問にだれひとり自信を持って答えてくれる人はいなかったのです。
私の考えでは、我々の体が毎日必要としている栄養素は実際にはこれだけではない。未知のものがまだたくさんあると思います。私が言いたいのは、中国医学は歴史的なバックグラウンドがあり、2000~3000年前から積み重ねてきた経験を伝えているものです。それはもちろん科学技術を研究して出した結論ではなく、すべて臨床的な経験の積み重ね、あるいはいろいろな医学的、生命的現象に対する認識ですから、当然、今の科学技術レベルでは完全に解説できないと思います。
できない部分を我々はどういうふうに保留するか。否定ではなくて保留する。できる範囲内で解明する。それが多分一番正しい考え方だと思います。
逆に、今、ひとつの間違った社会的な現象は、証明されているメカニズムで解明できるところは正しいとする考え方です。解明できないものを全部否定してしまうというのは、非常に残念なことだと思います。

 第2部分では、私は、日本だけでなくアメリカの方、韓国の方、台湾もマレーシアも、いろいろな東洋医学関連の先生と交流をして、現在の中医と西医の現状を報告させてもらいます。
韓国では、中医のことを韓医といいます。まず韓医と西洋医学はどういう立場でやっているのかについて触れておきます。韓国の法律は非常におもしろいです。韓国の西洋医学と韓医学の間にきれいに線を引いている。西洋医学の薬、診断・治療方法、治療器具などは、韓医の先生は使うことができない。同じく韓医師の先生が使う韓医薬的なものは、西洋医師は使うことができない。日本の法律は違います。日本の医者は東洋医学の治療方法も、西洋医学の治療方法もともに使うことができます。
韓国はそのような法律ができていますから、実際、韓国の西洋医師と韓国医師の立場は、非常に対立しています。時々テレビに登場してけんかしています。もちろん、西洋医学と伝統医学との協力とか結合などの話はできないわけです。
日本の場合は、明治維新のときから西洋医学が政府公認の唯一の医学教育となりました。東洋医学の教育がまだ残されているとすれば、日本の鍼灸専門学校だけです。しかも日本の鍼灸専門学校で教えているのはほとんど西洋医学か西洋医学的な鍼灸学。東洋医学の内容は非常に少ないのです。
また、臨床診断・治療の場合、日本の医師、鍼灸師は鍼とか漢方薬などをよく使いますが、ほとんど西洋医学的な診断に基づき漢方を使ったり、鍼灸を行ったりしています。いわば、西洋医学の医理と漢方医学の薬の結合というものです。
一方、中国では現在29カ所の中国医学の大学があるが、こうした大学では、ほとんど西洋医学の方法論、あるいは研究手段を用いて中国医学のメカニズムを解明しようとしています。例えば生理学、病理学、あるいは基礎医学、バイオロジーなどを用いて、中国医学のテーマを研究しています。
実は、これに対して私は反対の意見があります。もともと、2つの理論の異なる医学なので、西洋医学の医理と方法論で解決できるものを正しいものとし、解決できないものを正しくないものとするやり方は非常に視野の狭いやり方だと思います。
次に私が話したいのは、中国医学の研究の特殊性です。この特殊性を無視して、全く西洋医学的な考え方を以って研究を進めると、必ず別の道に紛れ込んでしまいます。
この図は、中国の昔の図です。この図を見て、我々研究者はいろいろなことを教わります。目の見えない人たちが象を触っています。それぞれの人が象の体の違う場所を触っているので、得た感触が違います。象とは何ですかという問いに対する答えはそれぞれ異なるものになると思います。象のしっぽを触った人は、象は箒みたいなものだと答え、象の牙を触った人は、象はつるつるとして硬い大根のようなものだと言い、象の足を触った人は、象は柱みたいなものだと答えるでしょう。
しかしもし彼らが目を開けて見ることができたら、自分の答えが間違っていることに気づくでしょう。私はこの図をずっとオフイスに置いています。我々は今、一生懸命に何かを研究し、何かの研究成果も出し得ているかもしれません。でも我々の医学、生命現象に対する認識は、多分先の盲人たちとそれほど違わないのかもしれないと思います。
自然科学の進歩につれて、我々が今、一生懸命に苦労している研究も、あるいは間違えて出している結論も、いずれは真実が自然にわかるようになるでしょう。
ですから、私は学生さんに対して、こう言います。
「今、我々が出している結論は、全て正しいものとは限らない。我々はただ一所懸命に真実に近づこうとしているだけです。特にまだ解決できない課題については、それを否定するのではなく、それを保留して、真実が分かるまで探求し続けるのです。そして本当に間違っていると確認できたら、それを捨てればよい。多分それが正しい方法だと思います」
次に中国医学と西洋医学の相違点について比較してみたいと思います。
まず生命現象に対する中国医学と西洋医学の観察の重点が違うと思います。中国医学は整体観念(物事の全体を考える意識)を重んじ、生命現象の機能表現に対する認識に重きをおき、西洋医学は局部を重んじ、生命体の機能構造に対する認識に重きをおく。つまり全体をより重視するか、局部をより重視するかの考え方の違いです。
東洋医学では、さまざまな臨床治療方法を開発し、研究しています。メカニズムよりも臨床効果を追求しています。実際、今日まで発展してきて、治療の処方せんはすべて合わせて1万以上あります。生薬の種類は、中国の中医病院でよく使っているものは、400種類以上であり、全体では4000種類以上を数えます。
では、それぞれの薬とツボの効能効果、あるいはメカニズムはどうか。これに対する解明は、まだ非常に足りないと思います。
中国医学も西洋医学も、それぞれ完璧な医学ではなく、それぞれ足りないところがあります。例えば中国医学では、五臓六腑という言い方がありますが、五臓六腑の中の一つとされる脾はどこにあるかが問題です。現代解剖学にいう脾臓ではなく、すい臓でもない。
中国医学では、脾は、胃、小腸、大腸、肝臓、胆のうなどを統べる機能を持つものとされていますが、実際は架空の臓器であり、存在しません。これは何を意味するのかといいますと、機能は知られていても、具体的な構造が未知なものが多いということです。
西洋医学も同様に足りないところがあります。たくさんの解剖構造が知られていても、その解剖構造の器官、組織がどのような臨床的な役割をもっているか、まだ究明されていないところが多いです。
ひとつ、よく皆さんが知っているのは、盲腸です。盲腸はだれにもあります。盲腸が炎症を起こすと、手術で切らないと命に係わります。では、この盲腸の機能は何でしょうか。なぜ我々の体に盲腸があるのか。私はいつも考えています。絶対に、この盲腸には特別の機能があると思います。ただ我々の今の医学のレベルでは、まだそれを究明できないだけです。もしかしたら、盲腸は微妙な免疫機能かなんかを持っているかもしれないと、私は思います。
ですからこの比較を通じて、対立の立場ではなく、西洋医学と伝統的な中国医学を有機的にうまく結びつければ、それはそれで一つの医学的な進歩だと思います。互いに長所を取り入れ短所を補うのが、我々の中国医学と漢方研究の目的だと思います。
この図は、私が、ある先生のために作成した中国鍼灸経絡図です。多分、皆さんもよく知っている先生だと思います。新谷先生です。彼は、アメリカで30年以上、外科で活躍して、内視鏡を発明して、30年間に30万人以上の人の腸内を観察し、腸相という言葉までつくりまして、たくさんの本を出版しました。
彼は30年間、30万人以上の腸を見てから、一つのおもしろい現象を発見したという。それは、腸内がきれいな人は幾つかの病気になりにくいということです。がんとぜんそくとアレルギー性皮膚炎がその罹りにくい病気だそうです。
腸とぜんそくと免疫力と肺に密接な関係があるというのは、彼の新しい発見です。確かに今の西洋医学の解剖構造では、腸と肺、腸と皮膚とは直接的な関係がないです。また機能的に関連性があるとは、どのテキストにも見当たらないのです。ですからこれは新谷先生の発見だと思いました。
このことは、東洋医学、中国医学をよく勉強された人にはわかることだと思います。肺と大腸と皮膚の関係は、2000年前の「黄帝内経」の中に書いてあります。これは、中国医学の臓像学説です。
肺と大腸は経絡を通して、表裏関係にあります。表裏関係とは機能的に互いに影響するペア関係です。腸内が異常な場合は、肺も影響を受けます。肺の機能がいい場合は腸の機能もよくなります。それだけでなく、肺はまた皮膚とも密接な関係があります。
いろいろな皮膚病を治すのに、中国医学では、肺に対する治療を行います。臨床で非常にいい結果が得られます。これを我々は、外病内治といいます。
この現象と新谷先生の新しい発見は、実は同じことです。もちろん、ここで、新谷先生の研究は意味がないと言いたいのではなく、私が言いたいのは、もし東洋医学の情報と西洋医学の情報を互いにうまく伝えることができたならば、新谷先生は過去30年間「肺と大腸に関係がある」ことに対する研究ではなく、「なぜ関係を持ったのか」、そのメカニズムを解明する研究をしていれば、もっと意味のある仕事になったのではないでしょうか。
私は西洋医学の教育も東洋医学の教育も受けていますので、私にとっては、2つの医学は同じ研究目的、同じ研究対象です。同じ研究対象というのは、人間の体の生命現象と病理現象に対する研究です。目的も同じです。人が病気にならないように、あるいは病気が治るようにするのが目的です。
ですからこの2つの医学は、臨床の立場からいうと、たくさんの共通点があると思います。もう一つ認識があります。西洋医学の発展は、非常に速い。東洋医学の発展はまだそんなに速くない。古代から東洋医学の臨床診療では、四診を利用しています。四診とは、目で見る、手で触る、耳で聞く、口で患者さんと会話するということです。こうして、患者さんから情報を入手し、臨床症状を確認、分析してから薬を出します。非常におくれた方法です。
一方、現代の西洋医学では、直接目ではなくて、レントゲン、超音波、CT、MRIといった様々な診察手段を用います。しかし、私、いつも考えるのですが、東洋医学では2000年前から非常に簡単な物理検査しかしてこなかったのは、当時まだレントゲンもMRIもなかったからです。だからそのとき患者さんの情報を得るために、素朴な方法しか使えなかった。もちろん300年前に、西洋医学の医師も、主に触診と問診を用いて診療していました。
しかし、西洋医学は現代科学技術の優れたものを逸早く取り入れ、それを利用したことによって、非常に速い進歩を成し遂げました。
実際、東洋医学と自然科学との関係も同じだと私は思います。2000年前、中国の春秋戦国時代では、診察の場合、唯一四診という方法しかなかったのです。でも理論としては、陰陽五行というものがありました。陰陽五行で、中国医学のいろいろなメカニズムを解釈していました。
しかしながら、中国医学は決して中国の哲学から来たものではなく、臨床から来たものです。当時は、陰陽五行で中国医学を解釈していましたが、今の時代は陰陽五行のかわりに、近代科学技術で中国医学のメカニズムを説明しなければいけないと思います。そして臨床診断のとき、ただ手で触り、目で見るのではなく、西洋医学と同じように、先進的な科学技術手段を用いて診断し、それから正しく鍼と漢方薬を使えば、臨床の治療効果はもっと高くなります。 
実際、中国の中医大学の臨床では中医の先生は、西洋医学と同じ診断方法を使用しています。ただ最初の治療のときは、西洋医学の薬や手術療法ではなく、鍼灸や漢方を使っています。もちろんこの臨床治療の結果は、昔の中医よりもずっとよくなっています。
第3部では、私は、中医学の研究は正しくテーマを選ぶことが重要で、中国医学の特殊性を無視してはいけないということをお話したいと思います。
まず中医学を研究する目的は何でしょうか。これは非常に重要なことです。私の理解では、中医学の研究の目的は、まず臨床のためです。単純な理論研究だけでなく、臨床研究をしないといけないのです。
西洋医学もすべての病気を治せるのではなく、西洋医学なりの弱いところがあります。例えばfunctional diseaseに対して、なかなか治療方法がないのです。臨床検査で明らかに病理的な異常を確認できない場合、治療の方法がありません。あるいは非常に難しい病気、難病、例えば末期がん患者に対して、ただ家に帰って燃え尽きるのを待つようにというほかないのが西洋医学の弱いところです。こういうときこそ、中医学はその力、パワーを発揮できるのです。逆に西洋医学で治療できる病気を、我々も一生懸命に治療できるように研究するのは、私は意味がないと思います。
例えば肺結核は、ペニシリンとか抗生物質が発明されたお陰で、簡単に注射して治る病気となりました。もちろん古代の文献にも、たくさんの肺陰虚の症状の治療薬があります。肺陰虚とは何か、今の肺結核に似ている病気です。でも今は、もう何年も漢方薬を飲み続ける必要がなくなりました。
逆に西洋医学の弱い領域で、我々が一生懸命に漢方薬を研究するのが大事なことだと私は思います。それが一つ。
もう一つ、現在の中医学の治療方法についての見直しが重要だと思います。さっき私、言いましたが、中国医学は2000年の臨床実験、あるいは人体実験といってもいいが、その経験の積み重ねからきたものです。歴史的なバックグラウンドがあるため、正しいこともたくさんあれば、正しくないものもたくさんあります。
古代文献に載っているものがすべて正しいと信じて、それで薬を調合したり、人に教えたりするのは無責任なことです。したがって、我々は原点に立ち返って、もう一度考え直してみることが必要です。正しいもの、臨床に対して有効なものを残して応用したり、できる範囲の中で、そのメカニズムを解明します。明らかに臨床と関係のないもの、あるいは間違っているものを捨てないといけない。これはもう一つの研究の目的です。
実際、西洋医学と東洋医学は同じ目的、同じ研究対象ですから、必ずたくさんの共通語があります。この共通語は、病気に対する臨床での共通語だと思います。しかしながら、別々の医学理念で、別々の立場で話をすれば、さっきの象の話と同じ、なかなか意見が統一できないし、お互いに理解できません。
最後に、メカニズムの研究についてお話します。今の科学技術手段とレベルで解明できるテーマはありますが、まだ解明できないテーマもたくさんあります。解明できるテーマだったら研究して、最後に正しいか、正しくないかを証明する。今の技術でまだ全然できない場合は、無理やり研究するよりも、それはさて置いて後で研究すればいいと、僕は思います。

 これはまとめです。実際に中国医学に対する研究は、私の考え方としては、三つの分野が重要です。一つ目の分野は、いわゆる古代文献に対して、もう一回研究しなければいけない。古代から伝わってきたたくさんの書物の中の正しいものと正しくないもの、保留すべきもの、捨てるべきものを、もう一回分けなければいけない。
例えば古代文献を正しく解説できない、正しく読めない場合は、二つ目の分野の研究は進められないと思います。それはまた後でお話します。
二つ目の研究は、臨床研究です。臨床研究といえば、臨床の有効性を証明するものですから、どんなにすばらしい理論でも臨床で治療効果がなければ、医学的な価値はないと思います。したがって生薬に対して、あるいは処方に対して、臨床での有効成分を証明しなければいけません。もっと大事なのは、たくさんの処方が本当に臨床で病気を治療できるかどうか、本当にその病気のために出している処方かどうかについて、我々はもう一回検討しなければいけない。昔の本に書いている病気以外の治療に非常にいい結果が得られることもあります。このような研究にもっと力を入れたいと思います。
三つ目の分野は、実験室の研究。例えば薬の場合は、生薬の研究と処方の研究は分けて行うべきです。一種類の生薬の場合は、単一の標的の臨床有効成分を証明できますが、複雑な幾つかの薬を合わせる処方の場合、単一の標的の成分ではないから、これらの薬のどの成分が有効か確実に究明するのは今のところまだ難しい。この二つの研究を分けて行う方がいいと思います。
中国医学にはいろいろな概念があります。例えば、陰陽、経絡、ツボ、気とか。私の考えでは、このようなテーマは、今のところは、まだなかなかうまくできる研究テーマではありません。例えば陰陽は、もともと中国哲学の理論で、医学と関係がないのです。当時は、ほかの自然科学の理論がないから、医学者が陰陽五行の理論を用いて医学を解釈し、説明していました。もともと医学的な理論ではないから、陰陽五行を用いて臨床の研究をしても当然できません。
また、経絡とは何でしょうか。私が大学院生のとき、経絡の解剖構造は何か、このようなテーマを研究しました。実際、私だけではなく、中国では過去40年間、たくさんの生理学者、解剖の先生、あるいは中医の先生たちが経絡のことを研究しましたが、だれも経絡の構造を見つけることができません。では経絡は本当に存在しているかというと、私は存在していると思います。
例えば合谷に鍼術を施せば、歯の痛みを抑えることができます。足の三里のツボが刺激されると、胃の活動、腸の活動が明らかに変化します。その関連性は統計データに現われています。でも科学的に、合谷と歯、足三里と胃がそれぞれどう関係しているか、今の解剖構造ではまだ解明できません。
ちょうど昔、電子顕微鏡がなかった頃、だれも細胞の中の構造を見ることができなかったのです。でも細胞の中の構造は、確実に存在しています。今日、我々は科学技術が発達したお陰で、直接目で見ることができるようになりました。ですから、実際、経絡とは何であるか、多分、自然に解説できる日が来ると思います。また、ツボの科学構造はどうなっているか、ツボの深さはどのくらいかについて、今まですでに大量の研究が行われてきたが、結局、成功例とか本当に価値のある結果は出てないと思います。このようなテーマを今研究するには、まだ条件が熟していないと思います。
さっき、中薬の研究と方剤の研究は分けて行うべきだとお話しました。実際に臨床で見れば、西洋医学と東洋医学には、たくさんの共通語があります。例えば病名で言いますと、「黄帝内経」に記載されている痿症は、まさに今の筋無力症とか筋ジストロフィーに似ている病気です。ですから古代文献の痿症治療法をそのまま、筋無力症とか筋ジストロフィーに応用すれば、多分、臨床有効性はもっと高くなります。
また、痺症(ひしょう)と厲節(らいせつ)は実はリューマチのことで、消渇は糖尿病のことです。これは理解されやすいものです。しかしたくさんの古代文献は、現代人には解読できません。例えば乳余疾は中国の原文です。日本の本の多くは、乳腺の病気と翻訳しています。字面を見たら乳腺の病気と思われますが、本当は女性の出産後の病気です。本当の意味が分かっていれば、臨床の結果は完全に変わります。乳余疾の治療薬で乳腺炎を治療すれば、効果がないのは当然でしょう。
また目黄は、みな目が黄色い黄疸だと思います。でも本当の意味は鳥目、目がはっきり見えない病気です。
このような共通語は、もう一回研究しないといけない。漢字を見て、大体こんな意味と思い込むのが一番悪いことです。日本の翻訳は今、そういう間違ったところがいっぱいあります。これにはさらに研究が必要だと思います。

 例えば気の機能は何でしょう。なかなか説明が難しいです。気の機能は、全部で五つあります。その五つの機能にはそれぞれ西洋医学との共通語があります。

  • 気の推道作用、血流をプッシュしている動力がこれ。
  • 気の温煦作用、体温維持のエネルギー。
  • 気の防衛作用、免疫力。
  • 気の固摂作用、平滑筋の収縮力。
  • 気の気化作用、食べ物からの栄養素。

 このような共通語は、もう一回研究する必要があると思います。

 病理的によく瘀血ということばが使われます。瘀血とは何でしょうか。現代医学的には、梗塞、血栓、内出血のことを指しますが、臨床的記載では中国の医学は瘀血と書きます。ですから瘀血を治療する薬をそのまま臨床で、例えば梗塞、血栓、内出血のような病気の治療に用いれば、もっと臨床の有効性を高めることができます。
では血瘀はどうでしょうか。たくさんの本に血瘀は瘀血に同じと書いてありますが、実際には違います。
血瘀といったら、今で言う血液粘性が高く、血流のスピードがおそい病理変化です。それが血瘀の意味です。
認識を混同したら、もちろん臨床の治療に大きな悪い影響を与えてしまいます。
それだけではなく、治療的にもそういう共通語があります。


最後に私は、日本の漢方研究についてすばらしい論文もたくさん見ましたし、たくさんの先生のすばらしい研究も勉強させてもらいましたが、幾つかの個人的な意見をここで述べたいと思います。
ひとつは、漢方という言葉です。もちろん漢方は日本語で、中医は中国語です。漢方というのは、私は間違いだと思います。漢は漢民族で、中国固有のものです。漢方で日本特有の伝統医学を表すと、二つの言葉が矛盾します。中国から伝来のものと日本特有のものというのは矛盾する言葉です。
例えば、漢方という名称を和法、和医学に変えたらどうでしょう。韓国人は、それを間違わないために、韓医、韓医師と書いています。これが一つ。  次は「傷寒論」の文献に対して、もう一回検討してもらいたい。「傷寒論」は中国の2000年前の漢時代の医学の本ですが、160以上の処方が載っています。今の日本の製薬会社はほとんどその処方のままに薬をつくっています。薬はそれぞれ番号をつけて、病気に対応するように使われています。しかし2000年前の中国の処方は、そのときの植物、そのときの人の体質、そのときの薬の使う量などを記述したもので、今の我々の病気や体質に合っているのか、あるいはその処方せんが言っている症と現代医学の臨床的な病との関係が本当に一致しているのか。これをもう一回検討すれば、多分たくさんの新しい発見ができるのではないかと思います。
生薬だけでなく古代の処方による臨床適応症についてももう一回確認してもらいたいです。それから日本の漢方は、ほとんど処方を変えずに患者さんに薬を与えます。本来の東洋医学、または中国医学の特徴は、臨床的に患者さんを診療して処方せんを出し、しばらく薬を飲ませた後に、患者さんの症状に合わせて薬を加減する処方をしています。 同じ薬をずっと使うのは西洋医学の考え方ですが、臨床の有効性にも影響すると思います。
最後に、生薬の研究と処方の研究は混同しないようにしてもらいたいです。そうすれば日本の漢方の研究は、もっとレベルが高くなると思いますし、もっと臨床の有効性を高めることができると思います。

 御清聴、ありがとうございました。

第12回研究会全体のレポートへ (調査報告>各種調査レポートのページへ飛びます)

 


PROFILE

孫 樹建

孫 樹建(Sun Shujian): 
1963年1月8日 中国山東省に生まれる。 1985年 上海中医薬大学医学士学位取得。 1988年 上海中医薬大学大学院医学修士号取得。 1992年1月 日本政府・文部科学省の奨学金を受け、国費留学生として日本に赴く。 1992年4月 国立九州大学大学院医学院脳研臨床神経生理博士課程に入学。 1996年4月 九州大学大学院医学博士号取得。

現職 上海中医薬大学附属日本校教授、兼教務部長 上海中医薬大学客員教授 上海中医薬大学附属龍華病院名誉教授 上海中医薬大学附属龍華病院主任医師 世界中医薬学会聯合会、中・西医結合医療肛門大腸分科会常務理事