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【06-002】神なき人間主義社会中国の前途

2006年11月20日

寺岡 伸章(中国総合研究センター シニアフェロー、在北京)

寺岡

 中国の歴史を一瞥しただけで、中国文明の偉大さとそれを創出した中国の大地と中国人には敬服せざるを得ない。中国文明は、世界を代表する文明を建設してきたばかりでなく、周辺地域に大きな影響を与え、かつ東アジア地域を牽引してきたのである。ただ、もっと詳細にみると、司馬遷の史記がその後の中国の歴史の記述を決定付けたように、中国の歴史は皇帝や王朝中心の歴史観で彩られている。王朝が変わると全てが変わる。価値観も社会システムも貨幣も刷新される。つまり、革命思想の正当化が前提となっている。革命は前王朝の体制の全面否定でもあるので、創造と同時に破壊も徹底して行われる。王朝の崩壊は往々にして怒れる農民の反乱が引き金になり、戦乱の世となり、国土は破壊され、人口が激減する。

 この特徴は近代においても余り変わらない。新中国建設後も、大躍進、文化大革命、開放改革と中国人は政治運動に翻弄されてきた。人民が主人公となって、社会の改革に積極的にかつ建設的に参加したことはない。中国は権力者の意向で社会が規定される権力社会であるため、権力者の変遷が社会のシステムや人民の運命を握っている。

 では、何故そうなったのかという疑問が生じる。欧米社会や日本社会とかくも異なるものになった理由は何なのか。

 欧米社会を根本において規定しているのはキリスト教である。この世は全て神によって創造され、正義と悪の戦いが歴史の原動力であり、最終的には正義が勝利し、永遠の王国が訪れるという進歩史観である。人々は原罪を背負って生まれ、その罪を贖うために死ぬまで善を施し続けなければならない。そうしないと天国に行けないのである。隣人を愛することを強く求めている。原罪という恐怖観念が人間の持つ欲望を抑圧している。

 ここに近代の奇跡が起こる。西欧社会は教会が支配した中世の行き詰まりを打破するために、宗教改革を行った。本来の聖書の精神に戻れ。自然の法則を解明することは、万能の神の意図を理解することである。人は神からの呼び声に応じて職業につくため、一生懸命仕事することは使命であり天職であるのだと。当時としては過激な思想が人々の欲望に火を点け、金儲けという俗化した行為に正当性を与えることになる。つまり、近代化の曙だ。価値観のコペルニクス的転換によって、西欧社会は、産業革命、市場メカニズムの開発へと変貌し、その変化は進歩史観によって正当化されるようになる。但し、現在でもキリスト教の原則はひとびとの心に宿っており、金儲けした者は寄付を通じて社会への貢献、つまり隣人愛を実行しようとする。

 一方、日本社会はどうであろうか。稲作に代表される日本は稲作農村社会である。稲作は、強い集団の結束と自己の抑圧を要求する。農村全体が年間を通じて稲作に従事しなくては十分な量の米は生産できない。日本人が集団主義的であり、個性に乏しいと海外から指摘される原因には、このような歴史的環境的背景があると思われる。

 つまり、私の仮説では、西欧社会も日本社会も「人間の欲望を抑圧する因子が社会のなかにビルトイン」されているのに対して、中国社会は欲望の抑圧安全装置がそもそもないのである。そのために、歴史を形成するのは人間そのものであり、自己の欲望の実現が社会を衝き動かしていく。中国人はごく自然人の形で生きている。人間主義であるのだ。人間が世界の主人公であるため、あらゆることが可能で、怖れるものはなにもない。山も動かせるし、大河の流れも制御できるし、自然も社会も歴史も人間も改造だってできると信じているのではなかろうか。勝手に動く人々を纏め上げるために強い統治装置が必要であり、過去は皇帝が、現在は中国共産党がその役割を担っている。権力者達の欲望達成が中国社内を左右に翻弄してきたのだ。その基本構造は今でも変わらない。

「福が逆さまになっている」という中国語は、「福来る」と発音が似ている。「幸福」は中国人の人生の目標の一つ。

 近代社会とは、感情よりも理性が優先されるため、個々の欲望を制御し、人間の個性よりもその能力に基づいて成立する社会である。欲望を抑圧されるため、憂鬱が人々を襲う。個々の人間関係や心情よりも、能力と機能が優先されるため、人々は心の交流の場を失い、孤独感は深まる。西欧社会はその危機に直面し、活力を失いかけているが、中国は欲望剥き出しの食うか、食われるかの競争社会であるため、近代の憂鬱とは無縁であるとも言える。

 物事にはプラスとマイナスの両面がある。

 中国社会が大きく揺れ動くのは、人間の基本的な欲望や意識を是認しており、欲望制御装置がないからであるが、それ故に近代の罠に陥ることがなく、無秩序ながらも、驀進しているのである。中国は巨大であるが故に外から制御するのは難しい。彼らはこの改革が失敗しても、歴史の教訓のとおり、混乱と腐敗のいつか来た道に戻るであろう。

「酒を飲み、歌を楽しもう。人生はどれほどのものか」三国志時代の曹操の言葉。中国では人間的な曹操は再評価されつつある。

 でも、私は、この改革には紆余曲折はあるとしても失敗しないのではないかと思っている。神を信じないから怖れるものはない。集団を信じないから村八分も怖れることはない。自己とそれを取り巻く濃密な人間関係が中国人の原動力であるが、それは往々にして前近代的で、後進的とされ、近代社会の建設に向かないとみなされている。美しく整備された西欧社会や日本社会の機能美に隠された窮屈さとは、無関係に中国社会は突き進んでいくのではなかろうか。

 西欧文明は、自由と人権と民主主義という重要な価値観を人類にもたらした。日本は、近代工業化社会のモデルを世界に提示した。復活する中国は、剥き出しだが奔放な人間主義という新しいルネッサンスを興そうとしているのかも知れない。そのような新しいコンセプトを人類に提示できなければ、世界との共存の道はない。