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【18-05】崔富章「版本目録論叢」を読む

2018年8月21日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09--2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09--2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09--2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11--2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11--2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03--2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09--現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授
2016.09-2017.08 早稲田大学文学研究科 客員研究員

 「礼記·学記」に次のような言葉がある。「先河而後海、或源也、或委也。此之謂務本。((夏・殷・周三代の王たちは、水を祭るにあたっては、)まず河川を祭り、その後に海を祭った。これは一方が根源であり、他方は末流の集積であるからであって、この祭りかたこそ、根本を重んずるものというべきである。)」。学術研究にも、これと同様のことが言えるだろう。中国の伝統的な文献学の主な機能は「弁章学術、考鏡源流(学術を系統的に分類し、その「源流」をつきとめ、考察する)」である。具体的な実践のプロセスにおいて、理論ばかりを強調しすぎると、文献学研究が「空中の楼閣」になってしまう。かといって、考証ばかりを重視しすぎると、文献学研究が細々とした雑多な内容になりがちだ。ゆえに、伝統的な文献学の理論と実践をいかにして効果的に組み合わせるかという問題は、現在の中国古典文献学界の研究者らが直面する大きな課題であり、彼らの目指す最終目標でもある。崔富章氏はこれを身をもって体験し、実行に努めた。崔氏の著書である「版本目録論叢」は、まさにこの目標を実際に行ったものであり、深奥な道理を探求し、隠れた事跡と真実を探り、先人の後を受けつつ、新しく発展する端緒を開いたものであり、顕著な成果を上げた。古典文献学の理論と実践を効果的に組み合わせた模範とも言える作品である。同書は版本(はんぽん)学と目録学を理論的根拠とし、『四庫全書総目』、『楚辞』、『楽律全書』、『訄書』などの個々の研究にこれを応用し、正本を明らかにし、学術の「源流」をつきとめ考察し、根源を追求し、上述の個々の研究に存在した多くの重要な学術的問題を正し、『四庫全書総目』、『楚辞』などの研究を正しい道に戻し、より深いレベルの研究へと推し進めた。

一、正本清源(正本を明らかにする)

 崔氏は同書の中で、「中国の伝統的な文献学の3つの支柱である、版本学、目録学、校勘(こうかん)学という3つの学問の中でも、版本の研究は前提であり基礎である」と指摘している。『四庫全書総目』は、中国の古典目録学の最後の作品であり、その学術的価値に関しては、学界ではすでに幅広い共通認識となっている。例えば余嘉錫は『四庫提要弁証·序録』の中で、『四庫全書総目』について「源流を解析し、古今を照らし合わせ、学術を分類し、多くの文献を収録している...(中略)...ゆえに、幅広く天下に恩恵を与え、非常に大きな利益をもたらした。清の嘉慶・道光年間以後に通儒(学識豊かで学問に精通している人)が多く輩出されたが、誰もがこの書を手引きとし、指南として尊重した。その功績は非常に大きく、用途は実に幅広い」と称賛している。しかし、崔氏の考えでは、現在の学界の『四庫全書総目』に対する認識には依然として2つの重大な過ちがある。一つは『四庫全書総目』の版本の源流に今なお根本的な間違いがあるという点だ。約一世紀にわたり、傅以礼や洪業、郭伯恭、王重民、昌彼得などによる『四庫全書総目』の版本系統の研究が相次いで行われてきた。しかし彼らは浙江で刊行された「浙本」と、武英殿で出版された「殿本」の関係性について、明らかにしていない。中でも大きな影響を及ぼした間違いは、乾隆六十年(1795年)の「浙刻本」を「翻刻武英殿本」と見做したことだ。この問題をはっきりさせなければ、深いレベルでの『四庫全書総目』研究が制約されてしまう。崔氏は「『四庫全書総目』版本考弁」、「『四庫全書総目』の定名およびその最も早い刻本について」、「『四庫全書総目』殿本刊竣年月に関する実証的考察」、「『四庫全書総目』伝播史におけるひとつの事案」などの論考の中で、古い資料を再度読み解き、新たな資料を発掘した結果、『四庫全書総目』の3つの版本の系統をまとめ、明らかにした(浙本系列、殿本系列、その他)。さらに、浙本が殿本よりも早く、殿本が後に出されたもので、最も成熟していると結論付けた。この実証的な結論は、学界の『四庫全書総目』への誤った認識を根本から覆した。

 もう一つの問題は、現在多くの研究者が『四庫全書総目』と『四庫提要』を同列に論じ、それが通説となってしまっている点だ。これは、研究者の目録学知識の欠乏を意味している。この問題を整理して明確化しなければ、我々は『四庫全書』と『四庫全書総目』の成立過程に対する基本的で正確な認識すらできないことになる。崔氏は「『四庫全書総目』の定名およびその最も早い刻本について」の中で、『纂修四庫全書檔案』中にある「『提要(摘要)』をつけ、『総目(総目録)』を編集し、経・史・子・集の四部に分類し、『四庫全書』と名付けた」との記載を引用し、「いわゆる『提要をつける』とは、1万種類あまりの書籍の副頁(本文の前にあるページ)の右側に、それぞれ1篇の『提要』を貼りつけるということである。また、いわゆる『総目を編集する』とは、1万種類あまりの書籍の提要を書き写し、これを劉向の『別録』と同じ形式で、一部の『総目』に編集することを指す」と指摘している。崔氏はこのほか、「『総目』は大きなビルに、『提要』は建物のレンガに例えられる。このほかにも、総序、小序、案語(編者や著者などがつける注釈)などが梁構造の役割を果たしている」と指摘している。この結論は、崔氏の目録学への深い造詣を土台にしたものである。この重要な論述によって、これまでの学界に存在した誤った認識が一掃され、学界が『提要』や、『総目』の成立過程を認識する重大な後押しとなった。崔氏はこれをベースに、諸本の提要を弁別し分析したうえで、『四庫全書総目』の提要は、四庫提要の最高水準を代表するものであるという、信頼できる結論を導き出した。これは提要の利用者に方向性を指し示した。

 このほか、「『楚辞補注』汲古閣刻本およびこれから派生した諸本」も、氏が版本学と校勘学の知識を駆使して「正本を明らかに」した典型的な例と言える。崔氏は、1983年3月に北京・中華書局が組版印刷した『中国古典文献学叢書·楚辞補注』の点校本(古書に校訂を施し、句読点を加えた本)で使用された底本(基となった本)が、康熙元年(1662年)の毛晋汲古閣原刊本ではなく、同治十一年(1872年)の金陵書局の重刊本であったことを指摘した。こうした分析・指摘は、現在行われている古書整理作業の良き指針となるだろう。これはまた、崔氏が強調する「修学好古、実事求是(事実に基づいて物事の真相、真理を求めたずねる)」という古書整理の真髄でもある。

二、考鏡源流(学術の「源流」をつきとめ、考察する)

 張之洞は『書目答問略例』の中で、「読書は要領を知らなければ、苦労しても効果はなく、その書を読もうとしても、精校・精注の書(校勘の行き届いた本)を得られなければ、仕事が倍になり効果は半減する」と指摘している。姜亮夫氏は1961年に『楚辞書目五種』を出版した。崔氏はこれを基礎として、この事業を引継ぎ更に発展させ、1993年に『楚辞書目五種続編』を出版した。2003年、崔氏が主筆を務めた『楚辞学文庫』が完成、上梓された。さらに2005年には、『楚辞書目五種三編』を完成させ、これをベースとして『楚辞書録解題』を編集した。これにより、楚辞研究に関する版本・記録・記載はほぼ網羅された。崔氏は1980年代より、『四庫全書総目』提要の補正(欠点を補い、まちがいを訂正する)作業に取り掛かり始め、『四庫提要補正』を出版、「総目」に対する多くの是正を行った。

「記事者必提其要、纂言者必鈎其玄(事を記す際は必ずその最も大切なところを取りあげ、論説・言説を集める際は必ずその奥深い道理を鈎で引き出すように明示する)」という言葉がある。古書の版本の確定は、必ず校勘・実証を基にしている。喬秀岩氏は「古書整理の出発点は版本である。現存する様々な伝本を調査し、それらの間の関係性を分析することは、版本学の任務である」と指摘している。同氏はまた「文献学の趣旨は、合理化・統一を防ぎ、歴史のありのままの状態を保存することである。校勘学の出発点は、書面として残っているものを疑う事にある。何が間違っていて、何が正しいのか、その基準は、多くの『例』にならうほかない」とも指摘している。崔氏は学術の源流という角度から『楚辞』の版本、文献などに対して詳しい調査と訂正を行い、楚辞の校勘文献には▽善本(学術的価値のある古典の版本・写本)▽校勘著作▽四部の典籍が引用した『楚辞』の本文および王逸の注釈――の3種類が含まれることを明らかにした。

 これをベースに、崔氏は大陸、台湾、日本などに存在する楚辞典籍の蔵書を中心とし、楚辞の版本、文献の伝播および流布について省察に考察を行った。まさに崔氏の言葉のとおり、「読書・学習する際にはまず版本を明らかにする必要があり、研究・著述する際には版本を明記する必要がある。誰もが『誠実な態度』を貫き、これを身をもって実現するため努めて実行する必要がある」のである。崔氏は東アジアの学術圏という高みに立ち、学術史という角度から明確な『楚辞』文献の伝播の地図を描いた。この地図は、我々が「屈騒(屈原の詩文)」の精神の要点と歴史的な変化を理解するうえで重要な意義を持つ。また、この文献伝播の地図は、現代に生きる我々が「屈騒精神」を利用して中華民族の偉大なる復興を後押しするために重要な参考の価値を含んでいる。『楚辞』の版本から楚辞の文献の流布、そして「屈騒精神」の継承と発展にいたるこの視点は、新世紀における楚辞研究の新境地を開き、新世紀における楚辞研究に大きな示唆を与えた。

三、追根溯源(根源を追及する)

 「版本」という言葉は、早くから中国の古典文献学者の間で良く知られているが、その本来の意味を探求しようとすると、往々にしてうやむやになってしまいがちだ。崔氏は、実際の所、「版本」という言葉の本来の意味は、木版印刷の書籍を指すとの見方を示している。しかし、これは「版本」という言葉の強大な生命力を妨げるわけではない。木版印刷より以前の簡策の写本や伝抄本、木版印刷より後の活字印刷本、写真製版印刷本、組版印刷本なども「版本」の範疇に入れるべきである。ゆえに、崔氏は狭義と広義の両方の角度から「版本」の意義について探究し、木版印刷と「版本」という言葉の関係性を正確に確定したばかりでなく、「版本」の意義の時間性と空間性にも配慮し、「版本」という言葉に対する認識を深めた。

 文献の版本の源流を探究するには、言うまでもなく、まず広く諸本を集める必要がある。しかし、古い本ばかりに限定しては十分ではない。版本の歴史的な変化の過程について考慮し、そこから版本の系統を導き出す必要がある。版本の系統が確定すれば、後に研究者が文献を利用する際、細目がおのずとはっきりするという利点が得られる。版本の系統が確定した後、版本の優劣をいかにして確定するかは、研究者が直面しなければならない課題である。ゆえに、研究者は「善本」という概念に注目するようになった。蔵書家や読書家、不法売買を行う人の着眼点はそれぞれ異なり、評価基準も異なる。崔氏は「善本釈名」の中で、「善本」の歴史的変化の特徴に立脚し、各学者の「善本」の概念を整理統合した上で、善本の重要な要点は「善書」、すなわち、本文の内容と形式がいずれも「善」である書のことであると結論付けた。善本は時代の変遷に伴い重視される点が変わり、それぞれ「善書」、「足本(削除や欠落のないテキスト)」、「精本(上製本)」、「旧本」と、変遷をたどっている。崔氏の「善本」の歴史に対する考察は、善本研究をより深め、時代とともに発展するという学術的視野でもって、新たな時期における古書整理作業、善本作業に方向性を指し示した。

 以上をまとめると、『版本目録論叢』の中で体現された中国の古典文献学の三位一体、および古い世代の学者たちの学問の精神と学術的視野こそが、同書の真髄であると言える。まさに清代の学者・章学誠が『文史通義』の中で述べたように、「博学にして雑駁にならず、抜かりなく要を得ることで、学術を収めることができる。それが先人の後を受け、新しく発展する端緒を開く道」なのである。

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崔富章『版本目録論叢』中華書局,2014年