【19-02】烏龍茶の誕生(福建省)―中国茶の舞台を訪ねる
2019年2月8日 棚橋篁峰(中国泡茶道篁峰会会長)/竹田武史(写真)
茶畑から下ろしたばかりの茶葉を天日に広げて1~2時間ほど乾燥させる。
多様な発展を遂げた中国茶武夷山に烏龍茶の起源を訪ねる
私たち日本人が最も親しんでいる中国茶は、烏龍茶といっていいと思います。しかし、烏龍茶の誕生については、伝説で語られることが多く、本当のことは分かっていないようです。今回はそんな烏龍茶の誕生について探りながら武夷山を再訪してみましょう。
神農の伝説によって、人類は約5000年前頃からお茶を飲み始めたとされていますが、当時のお茶は野菜として食べるか解毒剤として使用していたと思われます。お茶を嗜好品として飲んだ最初の記録は、前漢の蜀の国、今の四川省で王褒〔おうほう〕(生没年未詳)という人の『僮約〔どうやく〕』(使用人との間で交わされた契約書)に「茶を煮るのに道具を尽くす」「武陽(四川省彭山県)で茶を買う」とあります。それ以後、唐代には陸羽の『茶経』などにより嗜好品としてのお茶が飲まれるようになります。ただし、これらのお茶は基本的には緑茶でした。それでは、最初に登場した緑茶、つまり不発酵茶が、いつ、なぜ、烏 龍茶や紅茶のような発酵茶に変化したのでしょう。このことは、さまざまな地域で多様な発展を遂げてきた中国茶の歴史を知る上で非常に興味深い問題です。
写真①:武夷山風景区内の茶畑で栽培されている水仙種の古茶樹。
烏龍茶は、清代の初期に福建崇安〔すうあん〕(福建省武夷山市)地区から生まれたと考えられています。烏龍茶についての記述を最初に記したのは、武夷山天心永楽禅寺の超全〔ちょうぜん〕(1627~1710)という僧侶です。彼はかつて鄭成功〔ていせいこう〕と一緒に清王朝と戦って敗れ、明が滅んだ後、武夷〔ぶい〕山天心永楽禅寺で出家しました。当時、武夷山の茶産業は、明 代中期の荒廃から立ち直り、質の良いお茶が復興した時期でした。武夷山の各寺院も茶畑を所有し、茶の生産に従事していたため、僧侶たちもまた高い製茶技術を持っていました。それまでの緑茶から製茶技術を発展させて最初に烏龍茶を作ったのは武夷山の茶農家と寺院だったと考えられます。超全は天心永楽禅寺に来てから、烏龍茶の製茶技術を日々観察し、『武夷茶歌〔ぶいちゃか〕』を記しました。「穀雨の時期はどこも忙しく、睡眠も食事もできない。...平地は栄養が足りないが、幽谷や崖は霧や雨が多い。茶葉は北風が吹き晴れる天気を好む。...焙煎の時になると清らかな香りを発する。鍋 の中籠の上で乾燥し、炉の火は赤々と燃え、落ち着いて素早く手を動かし、手間ひまかけて上手につくる」。超全が天心寺に滞在していた時期が1680年代であったため、烏龍茶はこの頃作られ始めたと考えられます。
僧侶と茶農家たちが工夫を重ねて生んだ武夷岩茶の製茶技術
また、崇安県の役人・陸廷燦〔りくていさん〕も『続茶経』(1734)に、次のように記しています。「茶葉を採取したらすぐ広げて萎凋し、更に広げてから篩〔ふる〕って揺青〔ようせい〕をして、香りが出たらすぐ炒めて殺青する。炒め過ぎも炒め不足も禁物。炒めてから乾燥して、老いた葉や枝などを取り除いてから、均一に整える」。ちなみに、この製茶方法は現在とほぼ同様です。こ のように烏龍茶の製茶方法が詳細にまとめられていることから、当時、烏龍茶の生産が一定の規模に達していたことが分かるのです。ですから、烏龍茶は明代末期(1630~1640年頃)に武夷山で創製され、清代(1650年頃)から生産が広まり、『武夷茶歌』が記された1680年代には武夷山全域の茶農家と寺院にほぼ定着していたと考えられます。
写真②:竹笊の上で茶葉を揺らす伝統的な揺青技術。製茶作業は夜を徹して行われる。
写真③:炭火と竹籠を用いた伝統的な焙製技術。
それでは、なぜ、武夷山で烏龍茶という発酵茶が生まれたのでしょうか。それには武夷山の茶葉の特徴と地理、気象条件が大きく関係していたと思われます。いわゆる「武夷岩茶」と呼ばれる武夷山の烏龍茶の茶畑は、岩山に囲まれた山中深くにあります。そのため摘んだ茶葉は、険しい山道を人が竹籠に担いで運び、製茶場まで下ろします。烏龍茶特有の高い香りが出るのは、こ の運搬時の揺れと関係しています。つまり茶葉を揺らして、香りを高める今日の揺青法の原型と考えることが出来ます。また、武夷山周辺、つまり閩北地区の茶葉は、本来、緑茶の適性を持つ茶葉ではありません。私も、武夷山の茶葉で緑茶を作ったことがありますが、普通の緑茶とは少し違いがありました。そのうえ湿度の高い武夷山では、明代初期の緑茶の製法では十分な乾燥を得られないため、更 に焙製技術によって乾燥させる必要があります。この焙製技術が加わることで烏龍茶のもう一つの特性である深みのある濃い味わいが生まれるのですが、明代後期に松蘿〔しょうら〕茶の炒青〔しょうせい〕(炒めて酸化酵素の働きを止める)技術を導入したことによって、武夷山の茶農が得意とする焙製技術と合わせて先進的で全く新しい製茶技術が開発されたのです。『福建通志』に「崇安(武夷山)県令が黄山〔こうざん〕の 僧を招き松蘿茶の製法で建寧の茶を製茶させた」と記述していることからもそのことが分かります。
写真④:山中の茶畑で摘まれた茶葉は30分~1時間の道のりを人力で運ばれる
つまり、昔から武夷山に暮らす人々は、険しい岩山に囲まれた高温多湿な自然環境のなかで、どうすれば美味しいお茶を作れるかという難問と向き合いながら、様々な工夫を試み、新しい技術の導入を行ってきたのです。そのような努力が実り、それまでの緑茶とはまったく異なる、高い香りと濃い味わいを特徴とする発酵茶としての烏龍茶が生まれたのです。
写真⑤:香り高く濃厚な味わいが烏龍茶の特徴である。
また、同じように紆余曲折を経ながら更に全発酵茶である紅茶も、ここ武夷山で誕生することになります。今日、発酵茶類は全世界で最も親しまれるお茶になりました。その源を訪ねて世界自然遺産でもある武夷山の景色を眺めながら一杯のお茶を楽しんでみてはいかがですか。
写真⑥:夕暮れの飲茶のひと時が、肉体労働の疲れを癒してくれる。
※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.14(2019年1月)より転載したものである。