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【16-012】中国的権利論②

2016年 8月10日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

現代中国法の選択

 中華人民共和国すなわち現代中国は、その成立当初より主張型権利論に基づいた旧法をリニューアルするか、それとも異なる権利論に基づいた秩序作りを新規に行なうかの選択に迫られていました。そして、現代中国法における権利論の変遷を振り返ると、前者から後者へと傾いていったことが分かります。なお、この歴史の中で主張型権利論が鶏肋であることを彼の国の指導者らが理解していた節もあるのは興味深いところです。

 現代中国法の講義を聞くと、その始めの頃に旧法すなわち中華民国法との断絶という論点を学びます。そこで紹介される例はほぼ間違いなく「国民党の六法全書を廃棄し、解放区の司法原則を確立することについての指示」です。この指示によって、中国共産党は自らが統治する地域から旧法を駆逐したとされます。ところが、国共内戦の終盤、中国本土をほぼ統治することになった段階で、華北人民政府は新たに「国民党の六法全書及び一切の反動的な法律の廃止に関する訓令」を発布します。この訓令でも旧法との継承性を否定するという基本のトーンは変わりません。しかし、「旧法の中で反動的でない法令については容認する」という含みを残した部分が面白い。まさに大して役に立たないかもしれないが、捨てるには惜しい何かが旧法にあったことを彼らが理解していた証左でしょう。

ソ連法の継受とその意義

 また、現代中国法における権利論の変遷を振り返る中で外せない事実としてもう一つ、ソ連法(理論)の継受があります。ここでのポイントは、現代中国の人々がソ連法の制度や理論をどのように国づくりに活かしたかです(原典に当たるのが適切かもしれませんが、私はソ連法の継受の中で、その知識や論理をどう吸収したかに注目しています)。この点を考える上で参考となる史料が「ソビエト国家と法律の基礎講座[蘇維埃国家和法律底 基礎講座]」です。これは『中央政法公報』の第2期から22期までに収録されたもので、その内容はソ連から招聘した法学者の講義録です。憲法に関するものから六法のそれぞれを講義し、その後に国家制度やソ連の状況を紹介しています。ロシア語による講義の中国語訳ですので、彼らがどう吸収したかを読み解くのに適当であると言えます。

 さて、この講義録を読み返してみると、主張型権利論の課題を意識していたことが分かります。彼らが明確にしたことは、次の二点でした。第一に、(個人に)自由に権利を主張させては社会に悪い影響を及ぼすということ。そのため他人や社会に悪い影響を及ぼさない言説のみを認める論理(自制的論理の組み込みではない論理)が必要だということです。第二に、執政党として求心力を高めるために、自らへと依存させる権利論が必要であるということでした(合理的個人なる幻想を信頼していなかったとは言い過ぎでしょうか)。

 そもそも主張型権利論は、近代化によって成立した社会を秩序づける法学・法律学上の基本理論です。最たる特徴は(人権を含む)普遍的な権利を承認するところにあります。この典型例は「所有権の絶対性」です。所有権は絶対不可侵のもので、所有権者は自己の意思で自己の所有物を使用し、処分できるとします。人間は、地上に足を付けなければ生活できませんから、土地所有権が所有権の基本であり、かつ権利論の中心です。そして、これが所有権者を含む個人の自由を最大限に認める考え方(個人主義・自由主義)と結びついて近代化し、この社会が資本主義社会だったわけです。

 ソ連はこのような資本主義社会の次を目指して新しい社会を実験しており、それを学ぼうとしたのが当時の現代中国でした。主張型権利論の捨てるには惜しい何かを感じ取りつつ、それでもソ連の実験から主張型権利論とは異なる方向性を吸収しようとしたことが、当時の現代中国の迷走を助長させたのかもしれません。この辺りの事情についてもう少し詳しく説明したいと思います。

異なる権利論の胎動

 現代中国法に迫られていた選択は、主張型権利論か、それとも異なる権利論かでした。そして、現代中国法は主張型権利論が前提としていて捨てるには惜しい普遍的な権利(概念)にメスを入れていきます。当初は普遍的な権利をそのまま踏襲した立法が続いたので、急激な変化を避けていたと言えるかもしれません。経済の立て直しに傾斜した頃は主張型権利論の課題を軽視(無視)しているかのような立法も見受けられました。自らの支持基盤を失えば国家が転覆するおそれがありますから、経済の安定が最優先課題だった表れとも言えるでしょう。

 しかしながら、経済の立て直しが進むと、今度は現代中国の目指す国づくりとの乖離が支持基盤の喪失につながるのではないかという批判を受けるようになりました。この批判が文化大革命という負の歴史を現代中国に背負わせたことは周知のとおりです。「司令部を砲撃せよ」という言動に象徴されるように、それは無慈悲な政治闘争でもありました。

 ただし、法治国家を標榜するという視点からすると、この強烈な批判群の全てが誤っていたとは言い難いところがあります。法は将来的に死滅するという法死滅論が蔓延したことは周知のとおりですが、その初期で論じられている中には法令が標榜する国家のあり方とかけ離れた現実が存在するとしたらそのような法令を誰も遵守しようとしなくなることを懸念して改革を求める主張もあったからです。

 資本主義社会の法であれ社会主義社会の法であれ、いずれの法もその下で生活を営む人々に頼られなければ存在価値を失いますから、頼られるべく法の内容をアップデートする必要があります。時間軸に即して言えば、劉少奇時代から文革の前までとなりますが、この時期において現代中国が目指す国づくりとの乖離を是正するために、道徳でも宗教でもなく、外的強制力をもつ法によって社会構成員を規律づける必要が求められ、法治国家の実現が主張されていました(50年代)。これを第一次司法改革と呼びます。

 この第一次司法改革と軌を一にするように、現代中国は労農同盟を基礎として労働者階級が指導する国家社会を実現する意図を確かなものにします。そして、この改革の中で、労働者階級すなわち、労働者の権利を中心とした権利論が確立していきました。当時の理論研究について指摘しておくと、そこでは労使関係における使用者の権利を弱め、労働者の権利を相対的に強める必要が強く意識されていたと言えます。生産手段を所有する使用者が労使関係のイニシアチブを握りやすい環境へと法的に矯正し、労働者が主人公の労使関係を合理的であるかのように見せる権利論の萌芽をここに見出せます。

所有権の基本の転換

 生産手段の有無を決定的な要因にしないために労働者が提供する労働力とその労働対価を権利関係の基本に据え、主張型権利論の基本である(土地)所有権を権利関係の基本から外します。そうすると、労働力を提供せずに得る金銭すなわち不労所得を労働対価として認める必要がなくなります(ちなみに、賃貸不動産を所有する労働者もいたのですが、彼らの不労所得を問題視した史料に出会ったことが現在までありません)。この論理によって、まずは資産家を新人すなわち労働者へ転向させてゆきました。

 次に、工場等の生産手段についても工場管理委員会という工場長、党組織、労働組合[工会]、青年団および労働者の代表からなる組織体を所有者として規定しました。こうすることによって、権利関係の基本から土地(私有制)を外すことに成功します。細かい動きを掌握してゆくと、振り子のように主張型権利論か異なる権利論かという二つの選択肢を行ったり来たりする様子を描けます。しかし、総体的に見れば、一歩進んで半歩戻るように一貫して異なる権利論を基にした秩序作りへと進んでいったと言えるでしょう。

 そして、この変遷の中で、主張型権利論との決別を、社会主義改造の一環として都市部に残存していた私有地を完全消滅させる決定によって果たします。(私は55年の某意見が決定的だったと考えているのですが)56年から始まる社会主義改造は、あらゆる法的関係から土地所有権の公有化をすすめました。この社会主義改造という社会変革に関する論考は多くあります。しかし、所有権を中心とした権利論を維持する必然性がなくなったことの重要性は(当然の現象だったからか)理解されてきませんでした。

 要するに、土地に縛られない所有権の基本を構築し、かつ、労働者が提供する労働力とその労働対価から構成する権利関係を組み込んだ小さな論理の流れが、主張型権利論の変質を促しました。そして、この流れが普遍的な権利に本格的なメスを入れ、主張型権利論とは異なる権利論を確立するという大きな流れを生み、この論理的整合性を高めていく中で中国的権利論が確立します。このあたりのお話については、拙著『中国的権利論』東方書店2015年で整理したので割愛します。

主張型権利論との違い

 実はこの中国的権利論が、改革開放政策すなわち規制緩和の中で、主張型権利論の進化形である私たちのそれと共存し、不協和音を生んでいます。この状況について「自分勝手な前提を持ち込むな!」と突き放すのであれば、私たちの側にも不協和音を生み出す原因があると言わざるを得ません。なぜなら、私たちが対中関係において問題と考えていることの中で、特に法的な部分については、中国的権利論に照らせばとてもシンプルで、取っ掛かりを作れるのに作ろうとせず、この根本の原因に手を付けないで議論しているだけのものが多いからです。一般に言われるような複雑で分からない、理解できない類のものでは決してありません。私たちが正面から向き合っていないだけなのです。

 そうすると、日本において現代中国論を語る言説の中で「分からない」とか「理解できない」さらには「人治の国である」という言葉で片づける言動の多くを中国的権利論によって修正できます。中国的権利論に照らせば、ここまでは論証できると伝えきる力を現代中国論へ与えられるからです。そこで、ここからは、中国的権利論についてここまでは分かったと言える内容を、主張型権利論と比較しながら説明しておきましょう。

 中国的権利論は権利の普遍性を前提としない権利論です。主張型権利論は権利そのものに手を付けず、一応正しいもの、正義として実現するものというように扱います。つまり、権利であれば守らなければならないという前提がそこには約束事として最初から組み込まれています。これを講学上、権利の普遍性と評価しておきます。そして、この権利の普遍性を否定した異なる権利論が中国的権利論なのです。

 中国的権利論は、「権利」を合法的権利、違法的権利、そして非法的権利の三つに分割し、この三分類を前提とします。合法的権利とは法令が保護すると文字通り規定した権利を指します。次に、違法的権利とは合法的権利でないと法令が規定した権利です。言い換えれば、法令が違法的権利とした内容の逆の権利について結果的に保護すると言うことになります。最後に非法的権利とは、合法的権利とも違法的権利とも法令が規定していない権利、すなわち法的根拠のないものを指します。

 このように権利を三つに分類する中国的権利論は、権利の普遍性を放棄する副産物として法令による根拠に重要な役割を担わせることになります。問題の権利が合法か、違法か、それとも非法かの判断をすべて法令が原則引き受けるのですから、法令を制定する権力すなわち立法権が、他の国家権力(司法権・行政権)に優位することを論理的に承認することになります。裏返せば、立法権を掌握する組織が政治的にも経済的にも人々に対して求心力を発揮すると言えます。そして、合法的権利と違法的権利に属するものが、私たちのいう「権利」と重複するわけです。

 したがって、現代中国法を研究する場合に権利の普遍性を前提にして研究することは、最初からズレています。私たちが現代中国法を問題であると言いやすいのは、前提とする権利論が違うからなのです。ゆえに、現代中国法を問題視する指摘は主張型権利論の理想と比較して述べるにすぎませんから、それは評論ではあっても研究ではありません。ここに建設的な議論を期待する方が奇妙です。さらに言えば現代中国を問題視する言動は、自分の住む社会で理想を実現できない不満の表れであると評価する方が適切かもしれません。