【18-001】法はチャイニーズ・スタンダードを推進する?
2018年 1月29日
略歴
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
法(法令)の正当性はどこから?
これは、基礎法学(法哲学、比較法、外国法など)と言われる法分野の講義では当たり前のように扱われる古典的論点の1つなのですが、答えは意外に様々です。私は法を、その社会・コ ミュニティを構成する人々の総意(全員が順守しようと決めたルール)であるという考え方を支持している関係上、その社会を構成する人々の総意から法の正当性が来る、と考えています。もっとも、現実問題としては、全 員が賛成するルールというものは僅かです。
例えば、「人が話している時は黙って聞く」というルールは、全員が賛成するものと私は考えています。が、それは違うと反論される方もいらっしゃるかもしれません(笑)。どこかの成人式の一幕や、ど こかの駅前の街頭演説においてその演説を妨害する言動などを支持する方であれば尚更反論されるでしょう。こういうわけですから、大部分のルールは、構成員の過半数が支持するもの、あるいは、一定の手続き( これもその社会を構成する人々の総意により形成されるものです)を経て公表したものということになります。そして、これが、様々な答えを生み出すほか、私たちが理想と現実の乖離を認識するきっかけなのです。
例えば、日本においては国会を「国権の最高機関」(憲法41条)と規定しています。この表現をめぐって、憲法学で若干の議論があるわけですが、通説は、政治的美称説であるとされています。この学説は、こ の表現を政治的美称にすぎないとするのですが、上記の論理に照らせば、次のように言えます。すなわち、国会は、主権者である国民が選挙を通じて直接に選出した代表=議員により構成される統治機構である一方、内 閣や裁判所は主権者が選挙を通じて直接に選出する統治機構でない。ゆえに、主権者の意思=民意をもっとも反映する統治機構が国会と言えるため、最高機関と表現したのである。したがって、日 本社会を構成する主権者の総意から国会が制定する法律の正当性が来る、と一応言えるわけです。
この論理は、中国においても同様です(直ぐにご批判を受けそうですが)。現代中国では、全国人民代表大会を「最高国家権力機関」(憲法57条)と規定します。四 段階に及ぶ間接選挙を経て選出される代表=全国人代代表は、その全ての全国人代代表が下位の人民代表大会の人代代表から選出されて構成されるわけではないため、こ れを主権者の意思をもっとも反映する統治機構というのはおかしいという意見もあります。とはいえ、そ れでは国務院や最高人民法院のような他の統治機構が主権者の意思をもっとも反映しているかと言えばそうではありません。それゆえに、最高国家権力機関と表現した、と思われませんか。したがって、現 代中国を構成する主権者(人民)の総意から、全国人代(および同常務委員会)が制定する法律の正当性が来る、と論理的には言えますね。
パブリックコメント制度の意義
さて、 前回のコラム において、立法過程の透明化における特徴の1つとして「大衆化の普及」を 指摘しました。今回のコラムでは、この点を掘り下げてお話してみたいと思います。
立法過程の透明化、そして、その大衆化の普及は、パブリックコメント制度の導入へと進んでいます。これは、日本でも同じ現象を確認できます。例えば、何らかの法令を制定する場合で、法 令違反に対して罰金を課す時は、必ずと言ってよいほど公聴会や有識者会議などを設定し、社会構成員の総意・同意が得られたという態を作ります。最近はマスコミが取り上げなくなりましたが、「やらせ説明会」「 やらせメール」などの「やらせ疑惑」が常につきまといます。この背景には、このような目的があるからなのです。
個人的に不思議な感覚を覚えることは、このような「やらせ」を生むのは社会構成員の関心が低いからであるということ。言い換えれば主権者としての自覚が薄い権利者自身に端を発するからであって、一 概に主催者側だけを非難すれば済む問題ではないのではないかということです。
そして、ここで大切なポイントは、立法過程の透明化やその大衆化の普及においては「より民意を反映できるシステム・インフラ」の構築が常に現代社会の課題なのだということです。
そうすると、現代社会はインターネットの普及によってIT社会を実現している事実を無視することができません。このような社会では、立 法過程に携わる人々と社会構成員の間の距離を電子メールやBBSなどを通じて短縮しています。ゆえに、従来の公聴会や有識者会議、住民集会や説明会といった伝達(意見交換)手段にとどまらない多様な手段を、社 会構成員が手にしていると言えます。これは、現代中国でも同じです。否、インターネット社会というよりも、イントラネット社会というのが正確かもしれませんが、それでも従来以上に、そ の社会構成員が自らの意思を伝達する手段が多様化したことは否定できないでしょう。
最近の現代中国の立法活動を俯瞰すると、様々なところでパブリックコメントを求める動きを確認できます(これを改正立法法(2015年)の影響と見る見解も存在するようです)。例えば、全 国人民代表大会のホームページ(www.npc.gov.cn)では、立法過程において審議中の法律案についての意見を募集するサイト「法律草案征求意見」を設置しています。今 年1月18日にアクセスしたところでは、意見募集を求めている法案として7本、終了した法案として10本が掲載してありました。後者については、提案者の人数や提案した項目数の報告付きです(数字だけですが)。
前者について、私個人が注目している法律案には「人民陪審員法(草案)」「法官法(修正草案)」「検察官法(修正草案)」「基本医療衛生与健康促進法(草案)」および「国際刑事司法共助法(草案)」が あります。ちなみに、意見を提案しようとする場合、「*所在地(省区分)」「氏名」「*職業」「メールアドレス」「電話」の情報提出を要求されます(*は必須)。以前は外国人でも意見を提出できていましたから、現 代中国のパブリックコメント制度の運用も成熟してきたと言えるかもしれません。
国際刑事司法共助法案の行方
今回は、このうちの国際刑事司法共助法草案をご紹介しておきたいと思います。そもそも国際司法共助とは、民 事および刑事の手続きに関する各国の司法機関や捜査機関相互の国際的な協力ないし支援のことを言います。国際民事司法共助では、条約や個別的な取り決めに基づき相互協力関係にある国家間で、訴 訟書類の送達や証拠調べの実施について国際協力が行なわれると言われます。また、国際刑事司法共助では、捜査や証拠調べについての国際協力のほか、逃亡した犯罪者の引渡しなどが議論されています。
反腐敗・反汚職は、清廉政治を志向するならば、どの社会でもどの政府でも努力目標になります。最近の中国では「天網行動」を通じて、また「トラもハエも叩く」というスローガンの下で、海 外へ逃亡する腐敗官僚[貪官]・汚職官僚[裸官]の取り締まりや帰国を進めているとされます。さらに、ICPO(国際刑事警察機構)を通じて国際手配を行なったり、捜査官を海外へ派遣して容疑者を追跡したり、最 近ではその滞在地を公開して自首を促すなどの行動を採るようになっています。
このような状況の中で、立法過程に遡上してきたのが、国際刑事司法共助法案ということになります。事実、この法律案を起草するにあたっての説明としては、現代中国が目指す法治国家のあり方の下で、反 腐敗に関する国家の立法と国外逃亡を追跡する業務の推進を目標としていることを繰り返し言明しています。また、国 際刑事司法共助については現行法が刑事訴訟法17条に原則的な規定を設けているにすぎず不十分であることを指摘し、国際司法共助に関する法の空白を埋める必要があるとします。そして、こ の法律案の制定が国際犯罪を取り締まるためにも有利であり、現代中国が締結している条約等に対して実行力を与えることになるとして、その意義を強調します。
草案自体は9章72条から構成してあり、(国家)主権と国際共助の関係性、現行法との整合性、および現行システムとの連関性を意識したと言います。既に確認した国際共助の有様に照らせば、( 行政機関のうちの)外交部や司法部、公安部が関係してきますし、(司法機関のうち)最高人民法院や最高人民検察院が関係することは明らかですね。また、こ こに中央規律検査委員会や中央政法委員会が加わってきた点は、反腐敗・反汚職運動の文脈を読み込めば、納得できることではないでしょうか。
要するに、国際刑事司法共助法案が立法過程に入り、この立法過程を経ることによって、現代中国の主権者の総意が組み込まれたと論理的には言えるわけです。おそらく、今後、対外的には反腐敗・反 汚職を許さないという人々の声を反映した法に基づいて国外逃亡している同胞を捜査し、必要に応じて国外の資産などを調査したり、身 柄を拘束して帰国させるための国際共助を要請したりしてくることになるのではないでしょうか。このような中で、場合によっては国内法の規定に則って国外で行動する場合が生じるかもしれません。もちろん、こ れは国際問題、外交問題になるはずです。このような問題を回避するための、国際刑事司法共助法であって欲しいですね。
国内法と国際法の関係が変化する?
例えば、この法律案では、外国が、中華人民共和国に対して刑事司法共助の要請をしてきた場合で、「この要請目的が、民族、宗教、国籍、政治上の見解などを原因とした捜査などの手続きの一環であるか、ま たは、これらの原因により当事者が不公正な待遇を受けるだろう場合」は、要請を拒絶しなければならないと言明しています(草案15条)。また、関係する物等の封印、差し押さえ、凍結に関する章(草案第6章)だ けでなく、違法所得の没収、返還、あるいは分割に関する章(草案第7章)は、どこまで徹底できると思って作成したのかと考えてしまうほどに教科書的な文言が並んでいます。
前者については、価値観というか、権利論の前提を異にする現代中国法との間で、お互いが公正な待遇であると想定することと不公正な待遇として想定することとは正反対に近いものがありますから、(政治)外 交カード化することもありそうですね。また、後者についても同様に、現代中国では、違法は半永久的に違法であるという論理に原則立脚しますから、善意の第三者(それが違法所得であると知らなかった法主体)を 保護する必要を必ずしも考えていません。ゆえに、国内法の論理を押し付けてくる場合が出てくるかもしれません。
このあたりは、国際法・国際社会が、互恵原則に基づいていることをどこまで自覚するか(そして、互恵原則によってどこまで自律するか)がポイントになります。例えば、自国で犯罪としない行為であっても、そ れが司法共助を要請してきた外国では犯罪とする行為であり、それが民族などの属性に基づいた手続きで、不公正な待遇を受けないだろうと判断できる場合には、互恵原則に基づいて、そ の要請を受諾するといった判断が大切になるわけです。が、これはもはや交渉・協議を経て達成する目標ですから、いくら国内の主権者の総意によって、その法の正当性が獲得できていたとしても、互 恵原則に基づかない判断は原則できないはずです。
しかし、その一方で、法の正当性を、国内の主権者の総意により獲得できるがゆえに、(国家)主権の重要性を加味して互恵原則に基づかない判断もしてしまうことが、ないとは言えません。国 内法と国際法の関係性について、従来は別個独立したものとして、言い換えれば共存できさえすればよいといったスタンスで展開してきたように思われます。例えば、憲法優位説と条約優位説の対立といった議論は、憲 法学の中で論点となっていたにすぎず、国際法学の中では建前と本音のように議論の俎上にさえ上っていませんでした。今後は、相互に影響し合うことを共通理解として、両 者の共生を理論化するという展開が芽生えるのではないでしょうか。そうしないと、法的空間においても、いつの間にかチャイニーズ・スタンダードが波及していた、ということになってしまうかもしれませんね。