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【18-004】公益訴訟が裁判を変える?

2018年 4月11日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

2つの裁判観

 前回のコラム で、裁判官による裁判と神意裁判について触れてみました。平たく言えば、裁判というものは、そこに可能な限り私情を差し挟ませない工夫が施されており、この工夫が中立公正な空間を保障するために必要なのだということでした。そして、そこに日本法と中国法でアプローチが違うのだということを指摘しました。この違いが、中国法を理解する上で重要であると私は考えます。そこで、今回のコラムでは、異なる裁判観を確認して理解を深めたうえで、現代中国の公益訴訟の意義についてお話してみたいと思います。

 まず、日中における異なる裁判観についてです(あくまで現代中国に限ってのお話です)。日本とは全く異なる裁判観すなわち前回のコラムとのつながりで言えば「世界的な潮流」に合致しない裁判観を、中国は確立していると私は見ています。言い換えれば、私は、日本の主流的中国研究以上に中国の裁判観を評価し、私たちの眼前には少なくとも2つの大きな裁判観が存在すると考えます。

 この2つの裁判観について、このコラムでは[法院]の訳し方から説明してみたいと思います。中国語(簡体字)の[法院]を訳そうとする場合、日本ではほぼ間違いなく「裁判所」と訳します。中日辞典の類いを引けば「裁判所」と書いてあるからという説明は、当たり前すぎるほど真っ当な説明に聞こえます。しかし、辞典がそのように説明せざるを得なかったのではないかと私は思うのです。すなわち、訳を考える場合、一般に自国の社会にある言葉を当てます。そうすると、[法院]という言葉をいざ訳そうとした時に、自国の統治機構と対照したことでしょう。この時、日本語の場合、[法院]に該当する統治機構は司法機関で、一般にそれは「裁判所」と言われています。ゆえに、「裁判所」と日本語を当てたのではないでしょうか。この一例から、私は中国研究におけるパラダイム paradigm の危険を意識することが大切であるということを指摘したいと思います(ちなみに、この点を社会経済史から語った論者に対して「そのようなパラダイムのずれは統合されて解消していく」と反論する日本人研究者が現在でも日本では非常に多いのではないでしょうか)。

 さて、[法院]を「裁判所」と訳すことにどんな危険が孕んでいるのでしょうか(本来ならばここで[法院]と[人民法院]について、中華民国法制についても紹介したいところですが今回は割愛します)。1つの事実を例として示せば、中国は三権分立制を採用していないこと。つまり、三権分立制を採用する国家における「裁判所」とそれを採用しない国家における[法院]を同一視できるのでしょうか。さらに言えば、これらの裁判所が行なう「裁判」も同一視できるのでしょうか。ここに上記の危険が孕んでいます。

 「裁判」とは、一般に対立する原告と被告が、ある紛争の因果関係をめぐって主張し合い、法の導く正義を探求する手続きです。自分に正義があることを証明するために、それぞれが事実などの証拠を提出し、相手の提出する証拠を否定せんと攻撃し、同時に相手からの同様の攻撃を防御すべく反論します。そして、この攻撃防御の応酬を第三者として観察し、紛争に存在する事実を認定して正義=判決を示すのが裁判官です。要するに、裁判所とは、原告と被告の攻撃防御から構成される主張を、裁判官が取捨選択し、法の結論すなわち正義は何処にあるのかを示す場所なのです。それゆえに裁判する所=裁判所というわけですね。

 では、現代中国の[法院]およびその場所で結論を示す[法官]は、上記と同一視できるでしょうか。少なくとも現時点まで[法院]は解釈裁量権を組織的に行使できますが、[法官]個人がこの権限を行使することはできません。つまり、法廷に出向く[法官]は、法令と関連する諸々の司法解釈を携えて法廷審理に臨むわけです。確かに[法官]も紛争に存在する事実を取捨選択します。しかし、関連する法令と司法解釈(の条文文言)に合致するか否かを取捨選択の判断基準としますので、これを私たちの理解する解釈裁量権と同一視することは、できません。正義が何処にあるのかを法廷で決めるのではなく、すでに(司法解釈を含む)法令が決めているのです。このような法令に合致するか否かの行為は、私たちの理解する行政審判に近いように思われます(家事審判ではありません)。物事の是非や適否を判定するという意味であり、これを日本語では「審判」と言います。

 以上の次第で、私は現代中国の[法院]は審判所であり、その[法官]は審判官であると訳しています。ちなみに、裁判官法[法官法]を制定する以前は[審判官]を用いていましたし、[人民法院]は[審判機関]でした(人民法院は審判機関であると訳していました)。最近になって裁判官法の制定や[司法機関]と呼称する場合が増えてきた事実から、審判官、審判機関と訳すべきでないとの意見が大勢を占めるようになり、辞書と同様の結論に落ち着いています。しかしながら、現時点ではまだ「[法院]を裁判所と訳すことが中国法の規定する[法院]を精確に訳せたことになるのか」から考えるべきではないでしょうか。

公益訴訟とは

 このような中で、2018年2月に最高人民法院と最高人民検察院が連名で「検察による公益訴訟事件で法律を適用する際の若干問題に関する解釈」(以下、当該司法解釈)を公表しました。同年3月2日より施行しています。当該司法解釈は、検察による公益訴訟の提起を最終手段として合法化したところに意義があります。つまり、公益訴訟を提起すべき組織が訴えを提起しない場合、検察が、それが民事事件の場合は30日間公告しても応じない時、また、それが行政事件の場合は所管する行政機関へ警告[検察建議]して2か月以内に(緊急性が高い行政事件の場合は15日以内に)書面で回答しない時、検察が公益訴訟を提起するぞということを示したのです。

 そもそも公益訴訟とは、社会で共通する利益が侵害される場合に、この共通利益を保護するために、法令の定める特定の組織が人民法院へ訴えを提起できる訴訟のことを言います。中国では2013年に民事訴訟法を改正した際に公益訴訟の条文(同55条「環境を汚染すること、または多くの消費者の適法な権益を侵害する等の社会公共の利益を損なう行為について、法律で定める機関及び関連組織は、人民法院に訴訟を提起することができる」)を追記しました。ちなみに、この条文が検察による公益訴訟の提起を可能にしたとは(少なくとも日本では当初)考えられていませんでした。NGO団体がイニシアチブをとり、中国の環境改善が進むことを期待していたようです。

 NGOすなわち非政府組織 non-governmental organizations と言われても政府関与が大きな中国で名実を伴っていない(という批判は以前からありました)からか、私たちが期待するようなNGO団体の活動と成果は得られませんでした。そこで、中国では検察による公益訴訟が期待されるようになり、2015年7月から試験的な実施へと踏み切りました。そして2017年6月に全国人代常務委員会が民事訴訟法と行政訴訟法を改正することによって、検察による公益訴訟制度を正式に認めるに至ったわけです。

 さて、上記の民訴法の条文文言に照らして日本と対照すれば、消費者団体訴訟制度[1]が近いでしょう。また、その意図を鑑みれば、(1)侵害された共通利益に対応した補償に限定されず、将来志向のアドホックな救済を図る事件であり、(2)共通利益=合法的権利と救済との理論的結びつきを厳格に要求せず、(和解合意も想定に入れているようですから、その意味では)交渉で決め、(3)判決後も関与し続けることを想定しています。したがって、検察による公益訴訟は、日本の薬害肝炎訴訟[2](2002年~2007年)における弁護団の役割に近いものが期待されているように思われます。

 当該司法解釈が対象とする公益は①生態環境に対するもの、②資源保護に対するもの、③食品薬品の安全に対するもの、④国有財産の保護に対するもの、⑤国有土地使用権の譲渡等を監督管理する行政機関の行政行為に対するもの、⑥その他の共通利益に対するものです。日本の中国研究では、環境保護法の改正(2015年施行)によって環境NGOが原告になる途が開けたけれども期待できないとか、地方政府が経済発展を優先するために妨害しているとかといった指摘を見聞できることから、環境問題をキーワードに①や②が今後も議論の中心になるかもしれません。ただし、③や⑥の対象となる、例えば生存権など基本的人権と衝突する知財関係事件や特許権や独禁法に関する事件等は、生命や多額の賠償額になり得ます。特に⑥にあたる事件は政治カード化しやすいですから、「検察による公益訴訟」として広く把握しておくべきでしょう(なお、個人的には、④や⑤について、中国の土地政治をめぐって議論が深まることも期待しています)。

 ところで、この「公益訴訟」という語を私が初めて認識したのは、インドの公益訴訟 Public Interest Litigation に関する論文を読んだ時でした。インドでは1970年代半ばにインド最高裁判所が創設し、社会的経済的弱者に対して救済の途を開くものとしてNGOやジャーナリストが活用し、インドの社会問題を裁判所へ届ける役目を果たしているそうです。今回の執筆にあたり自分の蓄積している文献カードを再確認したところ、環境訴訟だけでなく、政治汚職やセクハラなどにも利用されているとのメモがありました。インド法を私は周知していませんので専門家の言を待つほかありませんが、インドの公益訴訟はインド憲法21条が定める人身の自由規定の解釈を通じて対象を拡大させているようです。解釈を通じて議会や行政を凌ぐ権力を認めて良いかは疑義のあるところですが、ひょっとすると日本や中国とも異なる第三の裁判観になるかもしれませんね。

検察による公益訴訟が主流化する?

 脱線しない程度で本論に戻しておきましょう。公益訴訟について、日本でも①②③あたりの紛争が生じなかったわけではありません。上述した薬害肝炎訴訟のほか、例えば四大公害については多言を要しないでしょう。日本の民事裁判も、これらの社会問題に適応すべく、消費者裁判手続き特例法を制定したり、民訴法が規定する共同訴訟(同38条)や選定当事者制度(同30条)を活用したりしてきました。消費者裁判手続き特例法は、「日本型集団訴訟」の1つと言われています。後二者との違いは判決の効力の及ぶ範囲にあります。すなわち、前者は裁判に参加した人=訴訟当事者に限定されず、同じ原因で被害を被った人々すべてに及びます。その一方で、後者は判決の効力が訴訟当事者に限定されます。

 この消費者裁判手続き特例法は2013年12月に制定し、2016年10月より施行した若い法令です。言い換えれば、同法令を制定するまで後者を中心とした裁判のあり方を日本は維持してきました。上述したように、日本の裁判観とは、原告と被告の攻撃防御から成る主張について、裁判官が取捨選択し、正義は何処かを示す法的空間でした。要するに、日本民訴法は、忙しくて法廷審理に参加できないならば選定当事者制度を活用して自分たちの代表を選定せよということを基本姿勢としていたのです。この基本姿勢に照らせば、消費者裁判手続き特例法は裁判所に出向いていない人々に対しても判決の効力を直接的に及ぼすことを法認するわけですから、日本の裁判観を変容させるかもしれません。

 現在日本では、特定適格消費者団体として認定を受けた消費者団体が、消費者裁判手続き特定法に基づいて訴訟を提起し、そして勝訴してくれれば、労せずに益を受けられる制度を導入しています。棚から牡丹餅と感じるのはどうかと思いますが、侵害された権利利益を守るために自らが先頭に立って戦う必要がなくなる裁判のあり方を部分的に認めたことも事実です。言い換えれば、求める者を守るという裁判のあり方が、公益訴訟に関しては守られるべき者を守るという裁判のあり方に変容したわけです。

中国の公益訴訟は裁判のあり方を変えるか?

 日本の裁判観がこのような変容を経ているとしたら、中国の裁判観も公益訴訟によって部分修正されるところがあるのでは?と考えたくなります。こうして見てみると、中国の公益訴訟について、それが中国の裁判のあり方を変えるかもしれないと期待する言動が見聞できることも理由なしとは言えないかもしれません。当該司法解釈もこの意味では注目されることでしょう。では、彼・彼女らが期待するような変容は論理的に生じると説明できるでしょうか。

 まず実際を見るところから始めましょう。本来であれば、統計データを参照しつつ、実際の事例の分析へと行きたいのですが、これが現時点では難しい。その中で、統計に誤差がないとすればという条件付きですが、全国の検察機関が提起した環境公益訴訟事件は全体の環境公益訴訟の内の約16%を占めているといった先行研究[3]があります。検察機関が現在公表する統計データは国有財産の保護(④)、国有土地使用権の譲渡等を監督管理する行政機関の行政行為(⑤)などを含むものしかないようですから、対象となる公益ごとの統計データが公表されない限りは上記の報告がせいぜいのところかもしれません。なお、案件案由規定[4]に基づいて訴えの提起段階で事件分類を細かく指定させ、データ入力しているはずですから、関係機関には是非とも公表して(例えば、『法律年鑑』あるいは『司法年鑑』あたりで専門の項目が設置される程度にはなって)欲しいと思います。

 ちなみに、訴えを提起できる原告資格を有する環境保護団体は42組織(2015年)から45組織(2016年)と微増であったのに対して、検察機関は2組織(2015年)から120組織(2016年)と増加していますから、少なくとも環境公益訴訟に関しては検察機関が今後、イニシアチブをとる可能性は高いと論理的に言えます。

 では、中国の検察による公益訴訟への積極的な関与は、その裁判観を変えるものになるのでしょうか。答えは否です。以前のコラム で中国の検察機関について紹介しましたが、中国の検察は、どんな違法な事実であれ見逃さず法的効力を保障すること(=「検察による(法律)監督」)が求められている統治機構です。それが私人の私益であろうが社会国家の公益であろうが、やるべきことは起訴権を行使して訴える事件に関連する法令と司法解釈を携えて法廷審理に臨み、自分の主張が正確であることすなわち、起訴権の合法的な行使であることを確認してもらうことです。

 言ってみれば、中国の裁判観は、権利を保護するというよりも秩序を保護するものなのです。したがって、検察による公益訴訟制度を法認したからといっても何ら以前の中国の裁判観を変容させるものではありません。むしろ従来どおりの中国の裁判観を強化するものと言えるのではないでしょうか。


[1] 消費者団体訴訟制度とは、内閣総理大臣の認定した消費者団体が、消費者に代わって事業者に対して訴訟等を行ない、差し止めや被害の回復を請求する制度を言う。本来であれば、被害者である消費者が、加害者である事業者を訴えることを期待していたが、(1)消費者と事業者の間には情報の質や量などに大きな格差があること、(2)訴訟には時間、費用、労力などのコストがかかり、少額被害の回復に見合わないこと、(3)個別のトラブルが解決されたも同種のトラブルが消滅するわけではないことから、当該制度が設置されたと一般に言われている。

[2] 薬害肝炎訴訟とは、薬害肝炎の被害者が原告となり、国と製薬会社を被告として訴えを提起し、その損害賠償を求めて全国5つの裁判所で戦った訴訟のことである。

[3] 例えば、周書敏「我国環境公益訴訟的分析」『中南林業科技大学学報(社会科学版)』2017年第11巻第5期、黄忠順「中国民事公益訴訟年度観察報告(2016)」『当代法学』2017年6号など。

[4] 案件案由規定とは、人民法院へ訴えを提起する場合に、訴える訴訟事件名ごとに必要な訴訟資料であったり、何を証明する必要があるのかを言明した法令のことである。

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